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ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

ふサルヒツの酒【第340回】

勝駒 純米酒 五百万石

 

製造年月:2025年5月

生産者:㈲清都酒造場

所在地:富山県高岡市

タイプ:純米酒

使用米:五百万石100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

杜氏:清都浩平氏

販売価格:2,200円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は富山の勝駒。居酒屋で飲んだことはあるが、自ら入手するにはハードルの高い銘柄だった。だが、意外に身近な処で入手可能と知り、遂に開栓したてを味わうことができた。(2025年6月22日賞味)

 

 

清都酒造場の創業は1906(明治39)年。日露戦争から帰還した初代が祝勝記念に命名したのが「勝駒」の謂われ。躍動感あふれる表ラベルは池田満寿夫の揮毫による。池田自身が勝駒のファンだったそうだ。

 

 

現在も六人で酒造りをしている小商いの蔵。だけに出荷できる酒も限られている。

 

 

ラインナップは山田錦の純大と純吟。そして、五百万石の純米、本醸造、普通酒(上撰)の五品。そこに季節酒のにごりが加わる。造り(の数と品)を厳選することでブレのない味わいを実現しているのだろう。最初ということもある。まずはベースの純米をいただくことにした。

 

 

抜栓した途端にフルーティな香りが解き放たれた。しかし、さすがは勝駒。ずっしり重くキレキレ。鮮魚のカルパッチョなど相性が良さそうだ。

 

 

だが、この日は(旅から戻った晩ということもあり)山形の野菜づくし。ピーマンの塩昆布。鞘隠元の白味噌和え。トマト、キュウリ、玉葱のサルサソース仕立て。オカヒジキのマヨ和えの四品。

「野菜にもあうよ」サル

 

辛口の美酒は酒肴を選ばないね。

 

 

初の勝駒の家飲み。開栓仕立ては想定通りのキレキレだった。次回は吟醸系を頂くとにしよう。

 

「旨かった」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

魅惑のパブリックアート⑭

五十嵐治也・三橋幸次「魅惑のくちびる SORRISO」(1995年)

 

往訪日:2025年6月22日

所在地:山形県米沢市八幡原5丁目4806-1(八幡原緑地公園)

アクセス:東北中央道・米沢八幡原ICより3分

 

《世の中には不思議なものがいっぱい》

 

2025年山形の旅。二日目に寒河江市庁舎を往訪した際に、館内に置かれていた地元のアート特集記事のなかで不思議なオブジェの存在を知った。タイトルは《魅惑のくちびる SORRISO》。SORRISOはイタリア語で「微笑み」を表す。これは面白そうだ。ちょうど帰り道だし寄ってみることにした。

 

 

それは八幡原の工業団地内にある運動公園の緑地帯にあった。しかし、近くのテニスコートや運動場から微かな喧噪が伝わってくるだけで誰もいない。おサルと比較するとその大きさがよく判る。

 

「だーれもいないにゃ」サル

 

 

まるでチョウチンアンコウだ。デザインは当時開校したばかりだった東北芸術工科大学五十嵐治也氏と三橋幸次氏によるデザイン。契機は当工業団地の完売を祝しての地域振興整備公団による寄附だったそうだ。工事に携わったゼネコンが寄附という態で設置するケースは、建築関係では(特にバブル期に)よく見られる慣習だが。

 

 

位置の違いでアーチとくちびるの形が変わってみえるのが面白い。アーチ部材は高周波曲げ加工した径の異なる鋼管を溶接で繋いでいると思われる。

 

 

後背は盛り土されている。まるで土中から唇だけが突き出しているようにもみえる。

 

 

横から見ると松本清張。

 

 

永遠の発展をもとめて。

 

 

後ろから中に入ることができた。

 

「どれどれ?」サル

 

 

まるでクジラの腹の中のようだ。ライトアップされる仕掛けもある。夜はまた違った姿を愉しめる。そういう思想だったのだろう。この不景気の時代に今でもそんなことをやっているのか判らないけれど。今でも全然古びていない素敵なパブリックアートだった。休憩がてらに立ち寄る価値はある。

 

「トイレもあるしにゃ」サル

 

これにて山形の旅は終わり。渋滞覚悟で一路家を目指して帰っていった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ291

寒河江市庁舎

 

往訪日:2025年6月22日

所在地:山形県寒河江市中央1-9-45

開門:8時30分~17時15分(土日閉庁)

アクセス:山形道・寒河江SICから10分

駐車場:あり(約350台)

■設計:黒川紀章

■施工:高松木材、寒河江建設

■竣工:1967年

■登録有形文化財(2017年)

■DOCOMOMO選定

 

《夢にまで見た名建築》

 

2025年山形の旅。二日目は待ちに待った寒河江市庁舎である。長らく懸案の建築だった。期待に高鳴る胸をおさえてナビ通りに進む。市役所の駐車場入り口で右折した瞬間、写真でしか見たことのなかった建築がとうとう姿を現した。鉄筋コンクリート造5階建ての名建築だ。

 

 

設計は黒川紀章。しかし、愛知出身の黒川が、しかも実作の殆どない“無名”だった建築家の卵が、なぜ遥か遠きみちのくの寒河江の街で設計の委託を勝ち取ったのか、ずっと疑問だった。

 

(排水溝が飛び出している。日本の城郭建築との類縁性を感じた)

 

実は先行して受託した日東ベスト食品寒河江工場の落成式に列席した寒河江市長・渡辺彦吉氏の心を鷲掴みにしたらしい。「どこにもない建築を」と発破をかけられた黒川は、大いに気持ちを奮い立たせて、それまで論文で書きまくっていたメタボリスム理論を具現する作品を絵にした。それがこの建築だった。

 

 

一階は市議会場。取っ手の部分が髭の形をしている。岡本太郎の作品だ。建物本体は垂直性が際立つが、基層部の安定感ある斜梁は、師匠である丹下の初期作品と通底する。

 

 

覗き込んでみる。床は深いワインレッドのリノリウム。

 

 

事実上の市役所一階にあたる建物二階までは長いスロープで繋がっていた。不思議と無駄な存在感を得ないのは、頭でっかちな躯体がそれ以上だからだろうか。

 

 

最初期の作品というのはいい意味で尖っているし、勢いがある。形振りとか周囲の眼(その代わり自意識だけは極限まで肥大しているが)など気にしてはいない。画家も彫刻家もそうだけど、出来上がってしまうとやはり駄目だ。

 

竹田光幸《システム》(1967)

 

テラスに彫刻が二体。同じ作者だ。初耳の彫刻家だったので調べてみた。作者の竹田光幸氏(1943-)は富山県射水市出身。多摩美大を卒業し、母校で教鞭を執りつつ、作品を制作してきたようだ。パブリックアートも多く、大理石や木彫の現代彫刻が多い。

 

竹田光幸《地の標》(1967)

 

木製ベンチも当時からのもの。

 

 

しかし。よくこんな張り出した構造を認めたものだ。

 

「地震が来たら終わりなんじゃね?」サル

 

そのあたりは構造計算して、その後も耐震工事もしていると思うけど。

 

 

ここであることに気づいた。訪れたのは日曜日。端から内部見学は諦めていたのだが、時折市民と思われるひとが入っていく。休日出勤にしては普通の主婦や白髪頭の老齢者。ひょっとして開いている?

 

 

やはり。中に職員らしき人がいる。聞けば近く開催予定の選挙の事前投票を受けつけていたのだ。恐る恐る(でもないけど)中に侵入。職員と眼が合う。いちいち眼を合わせてしまう時点で不審者ランク1確定。2にランクアップする前に「あの~。建築の見学に来たんですけど、ここって写真撮ってもダメではないですか」と、内心やましさもあるため、質問がヘンになってしまったが「人が写らなければいいですよ」と存外簡単に許してくれた。ここでおサルを大急ぎで呼び寄せた。

 

「なになに?珍しい物って?」サル

 

これよ。

 

 

これだ。これが観たかったのだ。よかった。ダメもとで来ておいて。ぶら下がっているのは、やはり岡本太郎の光る彫刻《生誕》。タロウさん曰く「建物の直線に“ツノ”の曲線で対抗させ、生みの苦しみとエネルギーを表現した」と。大阪万博でも丹下のお祭り広場の大屋根に穴をあけたように、その弟子、黒川の作品にも“風穴”を開けようとしたようだ。

 

 

「よく気が散らずにお仕事できるにゃ」サル

 

慣れじゃない?

 

 

吊り下げられた彫刻の錘に建設に関連した企業名が彫られている。高島屋はなんだろう。緞帳とか?

 

 

内部は吹き抜けになっていた。そのため四隅に配置されたこの巨大な柱が建築全体の支えになっている。

 

 

庁舎議場のテーブルや椅子は天童木工製で今でも当時のものが使われているという。執務エリアは果たしてどうか判らないが。

 

 

それよりも一番眼を惹くのはこの床のタイルだ。白とエンジのジオメトリックパターンで埋め尽くされているが、どこをとっても同じ組み合わせはないという。

 

 

随分職人泣かせなデザインだ(笑)。

 

 

床下がガラスブロックで採光できるようになっていた。議会場の天窓の役目をしているのだろうか。機会があれば見てみたいが…山形だしまあ無理か。それでもいい。大満足の建築巡礼だった。実はこの資料コーナーにあった本の中に、ある面白そうなものを見つけた。それを見て旅を終えることにした。

 

「サルのお買い物は?」サル

 

道の駅で。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

山菜料理 出羽屋

℡)0237-74-2323

 

往訪日:2025年6月21日~8月22日

所在地:山形県西村山郡西川町大字間沢58

■営業時間:(IN)16時(OUT)10時

■料金:28,000円/人(税別)

■客室:10室

■アクセス:山形道・西川ICから5分

■駐車場:約10台

 

《パッと見は普通の旅館》

 

2025年山形の旅。一連の建築巡礼を終えて、いよいよ一番の目的である宿・出羽屋に向かった。

 

 

右に旧館、左に新館が並ぶ。一見至って昭和な造りだが、内部は重厚感ある数寄屋風だった(駐車場は向かって左隣り)。

 

 

創業1929(昭和4)年の老舗旅館。現在四代目が暖簾を受け継いでいる。「山菜料理」と銘打たれているように、二代目の頃から山菜尽くしの料理を得意としてきた。

 

 

西川の街に鉄道が引かれた昭和の初めに湯殿山や月山詣の行者宿として営業を始めたそうだ。現在は配線となり、宿の正面に駅舎の跡が残っている。

 

 

民藝の世界。

 

「風格あるにゃー」サル 外からの眺めと大違い

 

 

現在稼働しているのは全10室。それぞれ趣きの異なる部屋が用意されている。

 

 

残念ながら客のほうで部屋を選ぶことはできない。

 

 

中庭を中心に新旧の建物がL字型に並ぶ。

 

 

宛がわれたのは離れの「雲海」という一室。突当りがその離れになる。

 

 

この左手だ。HPによれば「湯殿山神社の一本杉で造られた昔からファンの多い部屋」とあるのでいい部屋なのだろう。

 

 

手前に二の部屋がついたひと間。二人で過ごすには十分な広さだ。

 

 

逆サイドから。

 

 

緩い船底になっている。

 

 

トイレは脱衣所兼手洗い場とのユニット式。

 

 

その奥がバス。最近改修したのだろう。新品だった。

 

 

お風呂(本館三階)が使えるとのことだったので早速頂くことにした。

 

「汗を流しゅ」サル

 

午前中の建築散歩でかなり汗ばんでしまった。

 

 

ここにもラダーバック風が。奈義町現代美術館、仁摩サンドミュージアムと、この年に入って矢鱈とみる。

 

 

この奥に男女それぞれの入り口がある。

 

 

脱衣場はこんな感じ。きわめて清潔。

 

 

温泉ではない。ないが宿の宿泊料は結構な額である。

 

「その分料理が素晴らしいのち」サル

 

所詮、山菜ではないですか、という感想をお持ちの方に、この宿の、とりわけ料理の醍醐味は理解できないだろう。ということで夕食まで部屋で寛ぐことにした。寛ぐといった処でやることはひとつだが。

 

 

吾有事 純米大吟醸 尖鋭辛口

生産者:奥羽自慢㈱

タイプ:純米大吟醸

使用米:山形県産 美山錦100%

精米歩合:60%

アルコール:15%

杜氏:阿部龍弥氏

出荷時期:2025年5月

販売価格:1,700円(税別)

 

夕食まで時間がある。山形のモダン酒・吾有事の尖鋭辛口をチビチビやることに。スッキリしつつも華やかなバナナの香りが鼻をうつ。酒肴いらず旨い酒だった。

 

 

=夕 食=

 

 

食事は本館の個室で。

 

 

本日の献立。

 


まずは雅山流極月・純米大吟醸(2500円)を花冷えで。

 

「いい値段だの」サル

 

一応、雅山流だし。酒米は出羽燦々で磨き40%の度数16%。

 

 

唐塗の五段のお重の美しいこと。

 

 

並べてみた。

 

 

前菜ひと揃え ふきのとうコロッケ わらび みず 行者にんにく あいこ

 

ジュレ、山葵、葉山椒で香りと味を添える。

 

 

うどの胡桃味噌あえ

 

 

二輪草からし和え

 

 

赤こごみの黒胡麻あえ

 

「こごみ」の名がついているがキヨタキシダという別種の新芽。やや苦味が勝る。

 

 

じゅうなの切り和え

 

 

 

こごみの胡麻和え

 

 

五重 きぶのり

 

これは珍味。標高の高いブナに着生する地衣類。正式和名はヨコワサルオガセ。たぶんこれを食材として出すのは全国でもここ出羽屋だけではないだろうか。調査し尽くしたわけではないが。

 

「これ自体に味はないにゃ」サル

 

地衣類だからね。岩ノリと同じだよ。赤い色素はリトマス試験紙の原料になるそうな。

 

 

菊ときくらげの酢味噌あえ

 

 

筍の山椒味噌あえ

 

昨今の熊問題が加速すると近い将来、ネマガリタケも幻の食材といわれるようになるかもね。

 

 

山女魚

 

 

蕗油炒め

 

 

そばの実豆腐

 

 

焼物 アユの塩焼き

 

顎の開いた顔がいかがわしいミイラのようだ。

 

 

次はこれ。亀治好日の純米吟醸(度数15%・精米55%)。ずっとお安くなって1400円。

 

 

椀物 じゅんさい きくらげ 出羽屋農園の野菜

 

じゅんさいといえば秋田が一大産地。まさにこの時期が旬の食材。

 

 

月山焼き筍

 

これも旬。鯖と煮るのも旨いが、やはり焼いて喰うのが一番。

 

「甘味も増すしの」サル

 

 

剝いちゃうと小さくなるけどね。

 

 

口直し じゅんさいの酢の物

 

 

季節の天麩羅 ウコギ 山独活 ネマガリタケ

 

「もう酒はいいかも」サル

 

 

最後はハイボールで〆。

 

 

静かでいい。

 

 

筍ご飯

 

 

やたら漬

 

 

味噌汁も具がたっぷり。

 

 

太いワラビがゴロゴロ。東北はワラビが旨い。

 

 

氷菓 季節のデザート(さくらんぼ 林檎ゼリー)

 

 

もうお腹いっぱいだ。

 

=翌 朝=

 

この朝もジョグして回った。熊とバッタリは嫌だが、しこたま飲み食いしたので気配に注意しながら寒河江川を沼山取水場まで遡り、そこで野生の気配に怖気づいてきた道を戻り、それならばと高台にある長沼公園に向かった。

 

 

長沼は浮島のような突端に大沼神社の奥宮が浮かぶ厳かな雰囲気に満ちていた。ここは地元の高校のカヌーの練習場になっているようで、近くにはキャンプ場もあるが人の気配は皆無だった。だから至近距離に若いカモシカが現れた時はクマだと勘違いして、喉から心臓が飛び出そうになった。いやほんと。笑い事ではなく。

 

 

竜神信仰があるらしい。

 

 

長い坂をくだって宿に戻っていく。

 

 

そういえば本館一階に茶室があったはず。まだ見てない。

 

 

利休好みの茶室ということになるのだろうか。

 

=朝 食=

 

 

いよいよこの旅館での愉しみも最後。一階の食事処で頂戴する。大女将みずから配膳に立つ。

 

 

ご飯は羽根釜炊きでツヤツヤ。

 

「お米が立ってゆ」サル

 

 

上段の小鉢は(左から)鯉旨煮、独活、あさつきと蕨の和え物。独活は歯が要らないほど柔らかく、ワラビもコクがある。

 

「鯉は甘いね」サル

 

信楽焼の長平皿に載るのはツルムラサキのぬた和えサーモンの塩焼き玉子焼き。そこにゼンマイと胡瓜の浅漬けがつく。ワラビを象った箸置きがキュート。

 

 

筍、じゃが芋、大根、厚揚げ、そしてワラビ。朝も具だくさん。

 

 

苺のコンポートと自家製ヨーグルト。御馳走さまでした。食後も館内を散策していると何かが飛んでいる。見ればツバメではないか。

 

 

まるで置物だ。開いた窓から当たり前のようにツガイで侵入し、廊下を低空飛行で飛び回っている。全然人間を恐れていないらしい。

 

 

みれば絶賛営巣中だった。その様子を愛おしそうに眺めていると、会計を終えた大女将がフロントに現れた。「ツバメが巣を作っていますね」というと、案に反して「あら。もう。ちょっと眼を放すとすぐこうですから」と、いささか不愉快そうに眉根を寄せた。数日の雨でぬかるんだ田圃の畦から運んできたのだろうか。器用に柱にしがみついたツバメは、巣作りを始めたばかりのようで、一心不乱に泥を捏ねていた。どうやら宿では歓迎されていないらしい(職業柄仕方ない。それに屋内だし)。ツバメと宿の飽くなき抗争はしばらく続きそうだ。いい宿だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ290

旧済生館本館(山形市郷土館)

 

往訪日:2025年6月21日

所在地:山形市霞城町1-1

開館:9時~16時30分(年末年始以外無休)

アクセス:山形道・山形蔵王ICから15分

駐車場:なし(霞城公園有料駐車場)

■設計:筒井明俊・原口祐之

■棟梁:原口祐之

■竣工:1878年

■国重要文化財(1966年)

※撮影NGの部屋あり

 

《中華とコロニアルの混淆?》

 

2025年山形の旅。続いての建築は旧済生館本館である。霞城公園を南に向かって進むと…あった。あった。目指す不思議な建築が。

 

(老朽化でここからの入出は不可)

 

「また目立つ建物だのー」サル

 

1878(明治11)年に建てられた疑洋風建築の元病院である。その歴史は古く、1873(明治6)年に天童で産声を上げた私立病院が大本で、翌年県立病院として山形市内に移転した。

 

(オリエント風のオーダーに似せた木柱の意匠と基礎。涙ぐましい努力の跡)

 

その後「もっと本格的な医療施設がないといかん!」と県令・三島通庸が声高に言ったかどうか知らないが、即座に建替えが決定した。なお「済生館」の名付け親は三条実美である。現在も別の場所で高層の総合病院・市立病院済生館としてその歴史は続いている。

 

 

三層四階建ての塔屋を回り込むようにして玄関に向かう。

 

 

その先に済生館に併設された医学校教頭アルブレヒト・ローレンツの記念碑が設置されていた。三島が招聘したオーストリア人医師だ。二年間山形でドイツ式医学を教えた。

 

 

当初は三の丸に設置されたが、開発の波に押し出されて、戦後ここ二ノ丸に移築された。

 

 

ここが入り口。

 

 

入ってすぐ中庭に面したロビーになっている。ステンドグラスも見所のひとつ。

 

 

そこから見あげる塔屋。一番のビュースポットだ。表玄関のゴテゴテした意匠よりスッキリして見栄えもいい。一階は8角形、二階は16角形の楼建築。三階、四階へは螺旋階段でつながり、四階は高欄つきの望楼になっている。

 

 

そこに14角形のドーナツ状の回廊がつく。まるで客家の土楼。コロニアル様式と中華建築が混然一体となったような、なにも知らないからできた創造力の賜物だ。

 

 

現在は山形市郷土館として郷土の偉人(とりわけ医学者)を顕彰する資料館として公開されている。ローレンツの教え子としては脚気研究の遠山椿吉がまず記憶に残る。あの北里柴三郎もそうだ。山形県の風土病ともいえるツツガムシ病の研究に尽力した工藤満寿司に、皮膚科の音山金五郎なども大きな足跡を残した。

 

 

二階に続く階段。高欄の高さが昔の基準で低い。

 

「こわい~」サル

 

設計は県の病院建築掛に勤めた筒井昭俊(1837-1893)ということになっている。なっているが儒者あがりの筒井が図面を引けたとは想像しがたく、恐らく(こんな風にしたらええんでねがという)概略平面図程度に携わり、あとは棟梁の原口にまかせたというのが本当の処ではないだろうか。

 

 

しかし。すごい造りだな。

 

 

この捻りの無理やり感は会津の栄螺堂を髣髴とさせる。

 

 

三階に至る螺旋階段。欅の丸太に鉄の輪を嵌めて補強している。

 

 

これは秀逸。

 

 

一時は取壊しの話もあったそうな。重文指定でその話も立ち消えに。

 

「えーこっちゃ」サル

 

 

二階講堂。「済生館」の墨書は三条実美自身の手になる。

 

 

そこから覗く中庭の様子。

 

 

入り口側を見返す。

 

 

火伏の竜頭。二階講堂の照明の台座に設置されていたもの。

 

 

建築史の潮流を判りやすく図示してあった。大正モダニズム建築がようやく顔を表すかというところで終わっている。今では建築史の片隅に追いやられている疑洋風建築も、この時代までは時代の花だったと判る。

 

「見応えがあったにゃ!」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

国指定史跡 山形城(霞城公園)

 

往訪日:2025年5月21日

所在地:山形県山形市霞城町1

開館:9時30分~16時(大手門櫓:4月~11月初旬まで公開)

料金:無料 

アクセス:山形道・山形蔵王ICから15分

駐車場:有料

 

《巨大な二ノ丸東大手門》

 

明善寺に参拝したあと霞城(かじょう)公園に向かった。かつての山形城址である。目的は丸の内に移築されたある名建築にあったが、廃城とはいえ天下に名高い名城(の復元遺構)。見学しない法はなかった。

 

「日影がにゃい」サル

 

 

山形城。別名霞城は南北朝時代に羽州探題として国入りした最上氏の始祖・斯波兼頼によって築城された。その後、山形藩初代・最上義光の代に隆盛を極め、後を継いだ鳥居忠政の頃に城郭のあらましが完成したといわれる。

 

「日焼けすゆ~」サル

 

 

鳥居家には世継ぎが生まれず、替わって名君・保科正之が入城。保科が会津に去ると松平、堀田、秋元、水野の諸大名が幕末まで藩政を司った。しかし、なにぶん最上の殿様が頑張りすぎたせいで、後の大名家は広大な城下と城郭の維持に大変な苦労を強いられた。庶民からは「お大名様だけはいい思いをして」などと悪口を叩かれ、いつの時代も官僚は大変である。

 

「ノド乾きゅ~」サル

 

 

と歴史とその巨大さを誇る山形城だが、天守閣を持たない土塁に囲まれた輪郭式平城という形式を採っている。そして、ほぼすべてが再建遺構。戦後は運動公園として活用されたが、御殿再建を目指して長期計画中らしい。

 

「どーでもいいけど暑い💦」サル まだ六月なのにぃ~

 

山形は盆地だからね。

 

 

大手橋を通過すると巨大な門が見えてくる。江戸城に次ぐ大きさと言われる二ノ丸東大手門だ。二階の内部遺構も見学可能(この日は時間もないのでパスしたが見ておくんだった)。屏風折れ土塀など、この城郭でしか見られない特徴もある。

 

「柱もでっかい!」サル

 

 

折角であれば200年は持たせたいよね、っってことで堅牢な木材として知られる台湾檜の長大材を輸入することまでは決まったが、折悪しく台湾政府による伐採制限により木材が高騰。しかも標高の高い山岳地帯に自生するため、輸送も困難を極めた。そして着工から4年の歳月を費やして1991年に完成をむかえた。

 

「バブルだったのね」サル

 

 

二ノ丸の公園には最上義光(1546-1614)の銅像があった。制作者は西村忠関ヶ原の戦いでは家康の信頼厚く、猛将として鳴らしたが、その後の御家騒動(最上騒動)で改易となり、最上家は歴史のステージから遠ざかることになる。

 

西村忠《最上義光之像》(1977)

 

現在はほぼ唯の公園だが、山形市民の憩いの場として美しく整備され、博物館や美術館も点在している。旅行の疲れを癒す場所としてお薦めだ。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ289

白鳥山 明善寺本堂

 

往訪日:2025年6月21日

所在地:山形市七日町5-9-3

開門:9時~17時(年中開門)

アクセス:山形道・山形蔵王ICから10分

駐車場:あり(約10台)

■設計:伊東忠太

■施工:不詳

■竣工:1934年

■登録有形文化財(2002年)

 

《寺院らしそうでらしくない。それが魅力》

 

2025年山形の旅。旧山形師範学校に続いて往訪したのは浄土真宗本願寺派の寺院・明善寺本堂だった。伊東忠太の設計による戦前の名建築だ。

 

 

車の往来が少ないながら比較的広い通りに面していた。

 

 

向かって左側に駐車場専用の入り口がある。

 

 

駐車場はこんな感じ。広くて止めやすい。

 

 

明善寺は正式に白鳥山明善寺といい、1630(寛永7)年創建の古刹。西本願寺より寺号が付与され、江戸中期には山形藩主・堀田正虎に土地の寄進をうけた。しかし、1894(明治27)年に山形市南部を襲った大火で全焼。再建の設計依頼を受けたのが、米沢が誇るもう一人の建築家・伊東忠太だった。しかし、幾ら米沢藩出身とはいえ、伊東は軍医を目指して上京した父に連れられて5歳で東京の人になっている。

 

「どういう背景があったのち?」サル

 

実は伊東の実弟・三男蔵が養子に入った村井家が明善寺の檀家総代だった縁で話が舞い込んだらしい。

 

 

素人目には普通の仏教寺院のように映るが、火頭窓を配した両脇の鐘楼はストゥーパを戴いた東アジア風の意匠で、向拝と入母屋妻面のセットは珍しい。寺院と神社がミックスされたような、そんな印象である。



伊東の代表作とも云える築地本願寺と同年の竣工だが、設計そのものは本願寺よりも数年前に完了している。ということは木造と鉄筋コンクリート造の違いこそあれど、その様式性においては本願寺のプロトタイプと言えなくもない。

 

 

均整のとれたプロポーションについ見惚れてしまう。

 

 

内陣は豪華な金色の折上げ式格天井となっていて一見の価値ありだそうだが(唯の旅行者としての往訪でもあり)檀家以外では難しそうだと初めから断念した。

 

 

休日の昼下がりにも関わらず、人の姿は皆無で湿気を帯びた重い空気が境内を支配していた。

 

「静かなことが一番の贅沢よ」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ288

旧山形師範学校本館(山形県立博物館教育資料館)

 

往訪日:2025年6月21日

所在地:山形市緑町2-2-8

開館:9時~16時30分(月曜休館)

料金:一般150円 学生以下70円

アクセス:山形道・山形蔵王ICから10分

駐車場:約5台(無料)※洗心庵斜向かいにあり

■設計:不詳

■施工:不詳

■竣工:1901年

■国重要文化財(1973年)

■近代化産業遺産(2008年)

 

《ドーマーにペディメント、よく造った》

 

2025年山形の旅。続いて旧山形師範学校を訪ねた。現在は山形県立博物館の附属施設として教育の歴史を展示する資料館となっている。

 

 

駐車場は洗心庵と道を挟んだ斜め前に数台分。やや判りづらい。そこから徒歩で約二分。櫛型のペディメントを戴いた立派な門柱が往時の権勢を物語る。国の重要文化財指定の建築だ。

 

 

構内左脇には門衛所。庇の瓔珞、擬宝珠のような妻飾り、コーベル付きの軒蛇腹。西洋建築の資料をみて造ったのだろう。

 

 

「疑洋風建築」は少し可哀そうなカテゴリーである。明治の初めに、職人たちが見様見真似で苦労して完成させた価値ある遺産にもかかわらず、木造で軽佻に見えるのか(修復者のセンスが一番問題なのだが)塗装色が悪目立ちしてキッチュな印象を与えるのか、あるいは設計者が不詳で継子扱いされるせいか、とにかく素通りされがちである。

 

 

そんな疑洋風建築が山形県には数多く残っている。

 

 

個人的には頑張っていると思うのだが。

 

 

同じ敷地に音楽練習室も残っている。こちらは非公開。

 

 

既に夏日で暑かった。女性スタッフが「冷房がないので」と申し訳なさそうに弁解されたが、仕方ないよね。入場料150円だし。余計な経費をかけて閉館になるようでは。

 

「本末転倒だしの」サル

 

 

最初の見所はこの天井の高さと斜めに張られた天井板だ。

 

 

親柱も手が混んでいる。

 

 

二階廊下。床まで斜め。

 

 

中央バルコニー室

 

 

「眺め最高!」サル

 

中央ロータリーの赤松が成長しすぎて正面の眺めを阻害しているのが玉に瑕だけど。地方庁舎建築アルアル。

 

 

細部まで拘っているので資料を徹底的に研究したと思われる。

 

 

展示室風景

 

 

当館も県庁舎と同じく二代目。中央の塔屋は初代の時計塔の名残りらしい。

 

 

1978年に半解体修理が施されて1980年に資料館として再出発した。ドーマーの枠はその際に不良部材として撤去されたものだろう。

 

 

旧制山形高等学校(大正10年竣工)の模型。教育熱心な県だけに優れた木造学校建築が数多く建設されたのも山形の特徴。残念ながら建替えで殆どが失われてしまったが。

 

「ここに一軒残っているだけでも」サル

 

ありがたいね。

 

齋藤篤信(1825-1891)

 

こちらは山形県教育界の父、齋藤篤信の肖像だ。米沢藩士の家に生まれた齋藤は藩校・興譲館に学び、教師の役職に就くが、戊辰戦争が勃発すると大隊長として参戦。のちに会津藩、庄内藩との恭順に向けての交渉にあたった。維新後は政治と教育において三島通庸の参謀として活躍。当館の初代校長として大任を果たし、多くの学生から慕われたという。

 

「どこにも埋もれた偉人がいるものだのー」サル

 

ちょっと興味深いものを発見。

 

 

木製の唖鈴と…左のは球竿というらしい。体操の道具だったらしい。

 

「どうやって?」サル

 

 

こう使うらしい。

 

「ホントだ」サル

 

意外に賑々しく体操に打ち興じている様が何とも滑稽だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ287

旧山形県庁舎・山形県会議事堂(文翔館)

 

往訪日:2025年6月21日

所在地:山形市旅籠町3-4-51

開館:9時~16時30分(第1・第3月曜休館)

料金:無料

アクセス:山形道・山形蔵王ICから10分

駐車場:約40台(無料)

■設計:(監修)中條精一郎・(設計)田原新之助

■施工:不詳

■竣工:1916年

■国重要文化財(1984年)

 

《三島通庸の力あればこそ》

 

2025年の6月下旬。おサルの希望で山形の山菜の旨い宿に投宿することにした。よくまあ、色々見つけてくるものである。お陰で地方の名建築に触れる機会が得られるというもの。今回はまず旧県庁舎議会堂をコンバージョンした郷土資料館「文翔館」をたずねた。

 

 

駐車場はこの裏(北側)にある。さほど混雑しないがゆとりをもって訪ねたい。

 

「立派な建物だね」サル

 

歴史に残る大火で全焼した初代に代わる二代目。現存戦前24県庁舎のひとつで、少し前に見学した旧山口県庁舎と同年の竣工。英国ネオルネサンス様式にあたる。

 

 

設計は米沢出身の建築家・中條精一郎が監修し、田原新之助(1876-1916)が担当した。専門教育をうけることなくコンドルの内弟子になった変わり種だが、才能があったのだろう、のちに三菱合資会社をへて品川で独立。予算超過で工事が難航し、前任が降任するなか、田原に白羽の矢が立ったようだ。旧山邑邸におけるライトと遠藤新のようなものか。

 

 

今以上に学歴偏重だった権威主義的な時代にこれだけの実績を残したことがすごい。壁面は石張りで煉瓦造三階建て。

 

 

一階中央ホール。元勲を多数輩出した山口県庁よりはるかに贅沢な装飾。

 

 

翼廊部。1975(昭和50)年まで現役で、その後10年に及ぶ大修復工事が行われた。

 

 

階段部は英国ジャコビアン風。

 

 

手摺子つきの階段などは師のコンドルが手がけた岩崎久彌邸のそれによく似ている。

 

 

中段から振り返る。連続アーチが優雅かつ軽快な印象を与える。ここから各室へ。

 

 

政庁の間

 

 

高橋由一の名作《山形市街図》(1881)がかかる。県令・三島通庸に請われて制作された。当館所有だが、残念ながらこれは複製。イベントなどで公開されるのかもしれない。

 

 

床の組子模様も精密。

 

 

天井の漆喰飾りは地元職人による修復。リンゴなどの特産品がデザインされている。

 

 

このバルコニーで地方巡幸に訪れた昭和天皇ご夫妻が市民に手を振った。市松模様のタイルは残された破片から復元された。

 

 

貴賓室

 

 

知事官房(秘書室

 

鬼の県令と恐れられたが、その三島がいなかったら、このような豪奢な建築が可能だっただろうか。山形県では大偉人であり、評判は頗るいい。

 

 

知事室

 

政庁の間の次に美しい造りだった。暖炉と寄木貼りは当時のもの。

 

 

ここも漆喰飾りは復元。

 

 

高等官食堂

 

高い板張りが特徴。食事中の会話が良く響くようにという設計らしい。

 

「音を抑えるんじゃないんだ」サル

 

昔は食事中は黙るものだったけどね。

 

 

警察部長室

 

警察トップも県庁舎で執務していたらしい。

 

 

廊下交差部のアールが美しい。

 

 

ロの字構成になっていて中庭が見下ろせる。隅角の張出し部はトイレだ。

 

 

知事応接室

 

リノリウムは昔ながらの製法で復元(ドイツ製)。亜麻仁油とコルクを煮込んだものを麻地に流している。

 

 

三島が県土に残した土木遺産。萬世大路こと栗子隧道の絵も高橋由一の水彩。名橋の誉れ高かった常盤橋は架け替えで現存しない。

 

 

ということで山形県の歴史をざっと見て回った。

 

 

建築修復のお手本といってもいい。

 

 

続いて旧県会議事堂へ。

 

 

ちなみに外付けのバットレスは耐震補強工事で後から足されたもの。

 

 

以前も触れたが、県庁舎と議会堂が残っているのはここと旧山口県庁舎のみ。更に、こうして廊下で繋がっているのはここだけ。

 

 

当時としては珍しい水洗トイレ。タイルの色もモダン。建築遺産なので使えません。

 

山形県県会議事堂

 

 

県庁舎とは対照的に煉瓦と大理石のコントラストが効いている。垂直のラインが明治期の煉瓦建築と一味違う。

 

 

ここから入る。

 

 

見返したところ。ステンドグラスはゼツェッシオン風。

 

 

完全修復された会議堂内部。かまぼこ型のヴォールト天井が大迫力。固定席を設けずにイベント会場兼用として設計された。

 

 

ここにも三連続アーチ。意匠の通底和音。

 

 

入り口側。

 

「なんか小窓があるにゃ」サル

 

 

監視窓か。

 

 

これで無料。地方庁舎保存のお手本のような建築だった。

 

「素晴らしかった」サル

 

山形市内観光。これからが本番である。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ286

堀商店ビル

 

往訪日:2025年6月17日

所在地:東京都港区新橋2-5-2

開館:(珈琲店)8時~18時(無休)

アクセス:JR新橋駅から3分

駐車場:なし

■設計:公保敏雄・小林正紹

■施工:安藤組

■竣工:1932年

■登録有形文化財(1998年)

 

《奥の煙突にも注目》

 

日比谷に職場が移転したのは四年前だった。その日以来、新橋から霞ヶ関方面に通勤している。雨風を凌げず、つらい朝もあるが、玄人好みの名建築が幾つも並んでいて実は気に入っている。中でもこの堀商店は誰にでもモテるオトメ系だ。

 

「ヒツは?」サル

 

天野太郎とか圓堂政嘉とかの渋いのが好き。

 

「わからん」サル

 

(二階のレリーフは鍵と錠前になっている)

 

設計は公保敏雄小林正紹の共同設計。この二人、実は兄弟。公保の方は一般情報が皆無で人物像は不明だが、兄の小林は聖徳絵画記念館の基本設計を手がけた人物として記憶される。オフィスや公共建築ではこの堀商店が数少ない実作のひとつで、個人邸宅を数多く手がけたようだ。

 

(エレガントなレリーフ)

 

創業は1890(明治23)年。錠前、家具金物、船舶金物の専門メーカーとして現在に至っている。一階はショールーム、二階は鍵の資料室になっている(要予約)。鉄筋コンクリート造4階建ての塔屋つき。アールつきの隅角からは、人通りの多い新橋という繁華な土地らしさを読み取りたくなるが、建設された当初は周囲に建物などなかったらしい。今は再開発の波に抗うようにちんまり頑張っている。

 

 

塔屋への階段部だろうか。オリエント、ゼツェッシオン、アールデコなどの折衷様式だが見事に纏まっているあたり、この二人の建築家、只者ではなかったと思われる。実作が残っていないのが残念だ。

 

 

スクラッチタイルとは少し趣きの異なる粗肌タイプ。東京モダン建築祭で内部が公開される。興味のある方は狙ってみては?外観撮影は光がよく射し込む暖かい季節の早朝がお薦めだ。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございました。