SHIRASE 5002
往訪日:2025年6月8日
所在地:千葉県船橋市高瀬町2京葉食品コンビナート南岸壁
見学:(ベーシック)10時30分~/ 13時30分(各1.5時間)
料金:(ベーシック)500円(プレミアム)1300円
申込方法:
①2か月前から受付開始
②HPからネット予約(先着順)
アクセス:東関東道・谷津船橋ICから5分
駐車場:約30台(無料)
※撮影OK
《日本南極観測史の生き字引》

五浦への日帰り旅行の翌日。船橋の公共岸壁に係留されている南極観測船SHIRASE5002を見学した。2008年に引退した初代しらせはスクラップになる運命だったが、気象情報会社ウェザーニュースの石橋博良氏が保存運動を呼びかけ、財団管理となり2010年から一般公開されている。ちなみに5000番台は防衛省の艦船である証し。ふじに続く2隻目だったので5002の番号がある。

(ウェザーニュース用の巨大アンテナが目立つ)
仕事のうえでも関わりの深い船だけに一度は観ておかねばならなかった。もちろん種々の情報に当たってくれたのはおサルなのであるが。
「ヒツはちっとも動かんしね」

見学にはガイドつきツアーのプレミアムと個人見学のベーシックのふたつがある。好きに回遊したい僕は論を待たずにベーシックコースを選択。それに元観測隊員や関連企業OBからなるボランティアガイドが常駐している。質問には気軽に応じてくれた。

場所はサッポロビール千葉ビール園の隣り。警備員ボックスで一旦停止して事前にメールで送られてくる予約確認証を見せること。余り早すぎても入れてもらえない。30分前くらいでも楽に停められた。

この日は生憎の曇り空。晴れて欲しかったなあ。船には青空だよ。

二階のヘリ格納庫で見学に際しての簡単な注意事項の説明がある。

右奥の入り口からスタート。

白瀬矗(1861-1946)
まずは船名の由来ともなった南極探検のパイオニア白瀬矗(しらせ のぶ)について。秋田県由利郡の住職の家に生まれた白瀬は、蘭学者・佐々木節斎からコロンブスなどの立志伝を聞かされ「ならばオレも」と探検家を夢見るようになる。それにはまず体力。そこで五つの自戒を打ち立てた。
①酒を飲まない
②たばこを吸わない
③茶を飲まない
④湯を飲まない
⑤寒中でも火に当たらない
「酒はやめたくないなあ」
①②はともかく③以降が効果的かは疑問だが、思い込んだら試練の道をゆく男だった。18歳で陸軍に入隊。最初は北極点制覇を目論むがアメリカ人ピアリーの踏破成功の報を聞き、南極に進路変更。政界を駆け回ってパトロンをみつけ、遂に南氷洋へ。大自然の猛威を前に艱難辛苦の行軍が続き、一歩手前で挫折した。それでも当時としては大快挙。但し、晩年は不遇だったといわれる。

白瀬氷河はその名をとってつけられた。温暖化の影響を考えると今後このような光景が見られるのかどうか。

続いて昭和基地の資料展示室へ。隊員が着用していた防寒服と防寒靴(D靴)を試着。おサルが着ると子供みたいだ。

歴代観測船の模型コーナーを軽くパスして南極の自然環境コーナーへ。

南極の氷。たぶん本物。普通の氷と違って微細な気泡が閉じ込められている。太古の大気だ。

南極観測の重要なミッションのひとつが鉱物資源の調査。中央は地球誕生と同じ頃に生まれた(博物館ではお馴染みの)角閃石片麻岩。先カンブリア時代うまれで御年25億才。
「なんで南極に?」
大陸移動によって南極に来たんだよ。30年ほど前に隊員に連行されて日本へ。当時は板橋にあった国立極地研究所で半分にカットされて、片方は研究所の定礎に、そしてもう一方はある方の家の庭石になった。
「そんな勝手な!」
それを家人が引き取って欲しいと持ち込んで今がある。まさに長い航海だ。

拡大してみると赤い粒子がたくさん混入している。これぜんぶ柘榴石。つまりガーネット。
「宝石じゃんね!」
残念ながら商品価値はゼロなんだ。というのも過酷な自然環境にさらされたせいでミクロの単位のクラックが無数入り込んでいて輝きがないんだよ。

池の底にはこうした風化ガーネットが沈殿しているそうな。

こちらは第一次南極観測隊に参加した、地球科学と南極研究の権威、鳥居鉄也千葉工大名誉教授(1918-2008)のコレクション。鉱物愛がつまっている。

一度甲板に出てブリッジへ。

もう一段あがる。この階段が怖いと腰が引けた女性がいたが。
「怖いか?」

ブリッジに到着。

舵を切るハンドルを舵輪という。

操縦稈

速力通信機

館長席
てっきり中央にあるものと思っていた。
「一番端っこなんだね」
海上衝突予防法の「他の船を右に見る船は、他の船の進路を避ける」というルールに基づいて監視をはかるためらしいよ。どうでもいいけどおサル、服が保護色になっているよ。

晴れていれば正面に富士山が見えるそうな。

「みた」
つまり飽きたらしい。

再びヘリポートデッキへおりて、更に階段を伝って第一甲板へ。ツアーに参加すると船内の5つの観測室が全部見学できるが、ベーシックコースは数室のみ。それでも充分。
第3観測室(地学)
ここが見学できれば。

研究の七つ道具。

ピッケルとアイゼン。今と違って脆弱。使う人間の技術が高かった。

テープレコーダーとヒーター。登山ギアも含めて第一次南極観測隊に参加した平山善吉(1934-)日大名誉教授の愛蔵品だ。日大建築学科卒の平山先生は昭和基地建設のための建築家三人のひとりとして第一次隊に参加した。因みにほかの二人はゼネコンの土木屋と鳶職。つまり設計は平山先生一人の手に委ねられた。時に22歳。
「まだ学生じゃんね」
1956年11月8日。観測隊員53名。乗組員77名。22頭のカラフト犬に一匹の猫。そして二羽のカナリアを乗せた耐氷船「宗谷」は極地をめざして長い旅に出た。ちなみにこの猫は立川の北極・南極資料館に剥製となって展示されている。

そして戦利品のかずかず。南極は隕石発見のメッカ。極点が燃えにくいというわけではない。台地が白一色だし、雪上で目立つから見つかりやすいんだ。

処女地ほど博物学者の心をときめかす場所はない。

セール・ロンダーネ山地の2000㍍級のピナクル(ホルナ2427㍍峰)。高いのか小ぶりなのか遠近感が狂いそうだ。1996年にノルウェーの登山家が登頂したそうな。登山家は過酷な極地がお好き。
「ですよねー」

これは石の断面ではなくセール・ロンダーネ山地の氷河に研磨された褶曲大断崖。その規模が左下にみえる米粒ほどの人の姿で判るだろう。

ひとつ大きな疑問があった。長い航海だ、狭い部屋に数箇月も一緒にいればストレスもたまる。それでも好きで行く学者はいい。任務として“戦地”に赴く自衛隊隊員たちにストレスはないのか。ボランティアの海上自衛隊OBに訊いてみると、酷いときは数週間で険悪になるそうだ。酷いときは刃物を抜いての騒ぎになったことも(多少盛っているかもしれない)。それだけ過酷ということだ。
「ですよにゃー」

だからこそ食事は大事。昭和基地の食事が旨いのにも訳がある。南極といえばタロとジロの物語ばかりが伝説化しているが、極地研究は新しいテクノロジーや生命の神秘、オゾンホールの謎を解く多くの鍵を発見した。

(超優秀な二代目しらせ。過去接岸できなかったのは二回だけ)
それが今、台湾有事やホルムズ海峡問題など、防衛省予算の逼迫で航海予算縮小の危機にあるそうだ。国防も重要だがバランスある政治と平和を望むひとりである。
(おわり)
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