ひつぞうとおサル妻の山旅日記 -3ページ目

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

サルヒツの酒【第339回】

福海 山田錦 スパークリング

 

製造年月:2025年5月

生産者:福田酒造㈱

所在地:長崎県平戸市

タイプ:スパークリング生酒

使用米:山田錦100%

精米歩合:非公開

アルコール:14%

杜氏:福田信治氏

販売価格:1,800円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は平戸の福海。瓶内二次発酵で醸した山田錦スパークリングである。2022年に代表銘柄の福田を戴いた。低精米の等外米を使った、普通酒とは思えない美味さに感動したものだ。実はその翌年の2023年に銘柄を「福海」にリニューアルしたという。道理で見たことないわけだ。(2025年6月15日賞味)

 

 

これはいつもの横浜君嶋屋で購入。小山商店ほか複数の店で見かけたので「業界オシの逸品か」と睨んで。こういう主体性のない買い方に最近堕している。

 

「ソロソロ熱量がさがる頃かの」サル

 

日本酒マイブームも丸三年半。僕には三年半のジンクスがあってどんなにドはまりしても三年半で急速に冷めていく傾向がある。その意味では10年以上続いた登山は異例中の異例だった。いや、まだやめたわけではない。長期休業中というだけで。

 

 

ウリは繊細な泡らしい。

 

 

「おお!うつくすぃ~♪」サル

 

得てして甘ったるいSAKEというのがスパークリング酒の相場だが。

 

「軽いにゃ!」サル ジュースだの

 

殆どこれは酒ではない。では何か。苦味が残るところが酒の酒たるよすががあるが、薄い、淡い、コクがない。つまり、ラムネそのもので拵えたリキュールと同じだった。暑い夏にはお薦めかも。

 

(空心菜と豚バラの中華風)

 

だいたい想像したとおりだった。空心菜の炒め物には合わんね(笑)。

 

「そういうお酒が出てくるって知らないし」サル

 

先に語った処で食材は決まっていただろうしね。

 

「そりゃそうだ」サル

 

(おサルお手製飛龍頭)

 

そろそろ新しい器も欲しいが。容れる場所がない。断捨離に忙しいおサルを前に迂闊にモノも買えない。しかし。まだ20年は残されている(はずの)人生なのに、今から死ぬことを考えないといけないというのも切ない話だ。人間は死ぬために生きている訳ではないが、結果的にそう運命づけられている。

 

(人参の細切りグラッセ)

 

「辛気臭いこと云わずにニンジンおたべよ」サル

 

 

人生はスパークリング酒と同じ。いずれは泡と消えてなくなる。同じ無くなるなら、明るく愉しく過ごしたい。気がつけば、あっという間に空になっていた。

 

「だってジュースだもの」サル

 

酒に強いというのも罪だね。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第338回】

黒牛 直汲み 純米生原酒

 

製造年月:2025年5月

生産者:㈱名手酒造店

所在地:和歌山県海南市

タイプ:純米生原酒

使用米:(麹)山田錦(掛米)五百万石

精米歩合:(麹)55%(掛米)60%

アルコール:18%

杜氏:岡井勝彦氏

販売価格:1,830円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は和歌山の黒牛。虎ノ門の焼肉店・肉と日本酒でその純米吟醸・雄町を飲んだきりでなかなか自分で買って飲む機会に恵まれず(関西ならば簡単に入手できる。当たり前と言えば当たり前だが)。そして、三年の歳月が過ぎ、遂に家飲みの日をむかえた。(2025年6月14日賞味)

 

 

これまた日本酒の殿堂・小山商店で手に入れたもの。創業は1866(慶應2)年。蔵が建つ黒江の地名はかつて黒牛の形をした岩があったことに因むそうだ。黒潮が流れる土地だけに、てっきり闘牛の文化でもあるのかと思っていたが。


 

和歌山といえば紀土のようなスッキリ奇麗系もあれば、車坂のように旨味豊かな生酛系もある。果たしていかに。

 

 

注ぐなりいい泡つき。掛米には五百万石。度数18は膂力を感じさせる。

 

「ガスガスでスッキリしているにゃ」サル ウマかー

 

最初の口当たりは軽快かつ爽快。しかし、騙されてはいけない。次第にアルコールの圧力はいや増しに増して小さな猛牛となって暴れ始める。香りはいわゆるマジックインキ系。最後は奇麗に切れる。ズバリ筋肉質。

 

(ササゲの天麩羅と鶏軟骨の素揚げ)

 

「酒を飲む」という表現に以前から違和感を覚えてきた。特に「呑む」という表記に。「呑む」は「丸のみにする」というニュアンスの漢字であり「固形物をのむ」「相手の意見をのみくだす」という場合に使われる。一般に使用されるようになったのは某酒造メーカーの商品名の影響だろう。

 

「理屈大魔王の登場だの」サル

 

(手羽先のグリルおサル風)

 

そういう話ではなった。「飲む」より「啜る」という表現を好むし、事実一息に飲むような勿体ないことはしない。シミジミと舌先で味わい、転がし、ガスの抵抗を感じる。言葉にしてしまえばそれ以上の何事でもない。だが考えてみると「啜る」という行為は、極めてエロティックな仕業でもある。

 

(豚バラ肉の紫蘇巻)

 

肉汁を舌先に感じて、またひと口酒を啜る。仕草や言葉のエロティスムを表現させれば第一級だった亡命作家ナボコフの小説『ロリータ』の冒頭を思いだした。

 

“ロリータ、わが命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩進んで、三歩目には軽く舌が歯に当たる。”(大久保康雄訳)

 

「どーでもいいからついで欲しいにゃ」サル もうにゃい

 

酔いがのさばり始めると、くだらない記憶の結合が起こる。

 

 

こんな夜も悪くない。食べ過ぎだが。

 

「旨い酒だった!」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

魅惑のパブリックアート⑬

天津恵「Bright Time」(2000年)

 

往訪日:2025年6月13日

所在地:東京都渋谷区渋谷2-21-1

アクセス:営団地下鉄・渋谷駅構内

 

《思わず足が止まる大壁画》

 

この日はT社との打合わせで渋谷駅を訪ねた。現在西口では駅前広場の人工地盤の建設がピークを迎え、坂倉準三が計画した渋谷再開発計画’66が60年の歳月をへて実現に向かっている。完成すれば坂倉得意の逆円錐形支柱が林立する立体プロムナードがお目見えするはずだ。現代のサグラダファミリアともいうべき渋谷駅周辺はかくして日々変貌を遂げている。

 

 

そんな状況だから(というか大阪赴任のブランクがあるから当たり前なのだが)しばらくぶりで降りた銀座線の改札周辺は記憶にあるそれとは様相を異にしていた。

 

 

この陶板壁画はなんだ?思わずスマホをかざしている自分がいた。

 

 

作者は天津恵(あまつ けい)(1945-2016)。もとは井の頭線と繋ぐ通路にあったが、再開発にともない2020年に移設されたそうだ。道理で見なれないはずだ。名古屋生まれの天津はそのビビッドな色彩感から「色の魔術師」と異名をとったアーティスト。抽象画からスタートし、版画や油彩を発表。全国の駅にパブリックアートを残している。

 

 

モチーフは自然、宇宙、命。天津の命は天に召されてしまったが、彼女が表現しようと試みた躍動感と暖かみのある創作の痕跡は永遠に残ることだろう。なんて風にシミジミ感じ入っていたら、部下からの「どこにいるんですか」というメールで現実に引き戻されてしまった。ハチ公の銅像前には、いつものように律儀に行列をつくる外国人の姿があった。

 

「働きなさいね」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第337回】

月山 特別純米 無濾過生原酒

 

製造年月:2025年5月

生産者:吉田酒造㈱

所在地:島根県安来市

タイプ:純米吟醸

使用米:五百万石100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

杜氏:足立孝一朗氏

販売価格:1,589円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は月山・特別純米。前日に飲んた智則のレギュラー版である。普通はレギュラーから特別な造りに進むのが鉄則。しかし。最近は飲みたいものから飲む。そう決めている。人間の明日なんて実際どうなるか判らない。人生万事塞翁が馬である。(2025年6月8日賞味)

 

 

もちろん、これも酒の殿堂・小山商店で購入した。月山もまた大阪赴任時に江坂の居酒屋で初めて覚えて虜になった。✚旭日しかり、ヤマサン正宗しかり。早い話が島根の酒特有の攻める味にやられたのだ。

 

 

では攻める味とは何か。濃醇で旨味に特化した、迂闊に飲み進めると疲れてしまう味。素人には手強い。しかし、時に酒は啓蒙する。安穏とした酒の飲み方はいずれ惰性に堕することを。なにごとも摩擦と抵抗は必要である。

 

 

グラスに注ぐなり汗を掻き始める。夏はそこまで来ていた。

 

「ガンガンに餃子焼いているからだよ」サル あつい!

 

 

柚子スコをたっぷり振った魚介のアヒージョを突きながらひと口啜る。五百万石らしいスッキリとやや軽い口当たり。純米酒らしい攻め技の仕草をチラつかせつつ、コクにそこそこに留まり、押しつけがましい甘さもない。江坂の店で頂戴した紺ラベル(芳醇辛口純米)と同じく、バランスのいい造りだ。

 

「そこまでガッツリこないにゃ」サル ←濃醇ちと苦手

 

 

焼き茄子にはたっぷりと薬味を載せるのが我が家流。

 

 

そして大量の手製の焼き餃子。タネは前の晩に仕込んだものを、手際よく皮に包んで焼き上げる。ハネを大袈裟にしないのがおサル流。こんなに食べられないよと言いながら、毎晩奇麗に平らげてしまうのはどうしたものか。

 

「意地汚いからでしょ」サル なにを今更

 

 

月山。やはり虜になった。食事といい関係になれる酒だった。

 

「残したら餃子のスープにするのに」サル 残ったことなんて一回もない!

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

SHIRASE 5002

 

往訪日:2025年6月8日

所在地:千葉県船橋市高瀬町2京葉食品コンビナート南岸壁

見学:(ベーシック)10時30分~/ 13時30分(各1.5時間)

料金:(ベーシック)500円(プレミアム)1300円 

申込方法:

①2か月前から受付開始

②HPからネット予約(先着順)

アクセス:東関東道・谷津船橋ICから5分

駐車場:約30台(無料)

※撮影OK

 

《日本南極観測史の生き字引》

 

五浦への日帰り旅行の翌日。船橋の公共岸壁に係留されている南極観測船SHIRASE5002を見学した。2008年に引退した初代しらせはスクラップになる運命だったが、気象情報会社ウェザーニュースの石橋博良氏が保存運動を呼びかけ、財団管理となり2010年から一般公開されている。ちなみに5000番台は防衛省の艦船である証し。ふじに続く2隻目だったので5002の番号がある。

 

(ウェザーニュース用の巨大アンテナが目立つ)

 

仕事のうえでも関わりの深い船だけに一度は観ておかねばならなかった。もちろん種々の情報に当たってくれたのはおサルなのであるが。

 

「ヒツはちっとも動かんしね」サル

 

 

見学にはガイドつきツアーのプレミアムと個人見学のベーシックのふたつがある。好きに回遊したい僕は論を待たずにベーシックコースを選択。それに元観測隊員や関連企業OBからなるボランティアガイドが常駐している。質問には気軽に応じてくれた。

 

 

場所はサッポロビール千葉ビール園の隣り。警備員ボックスで一旦停止して事前にメールで送られてくる予約確認証を見せること。余り早すぎても入れてもらえない。30分前くらいでも楽に停められた。

 

 

この日は生憎の曇り空。晴れて欲しかったなあ。船には青空だよ。

 

 

二階のヘリ格納庫で見学に際しての簡単な注意事項の説明がある。

 

 

右奥の入り口からスタート。

 

白瀬矗(1861-1946)

 

まずは船名の由来ともなった南極探検のパイオニア白瀬矗(しらせ のぶ)について。秋田県由利郡の住職の家に生まれた白瀬は、蘭学者・佐々木節斎からコロンブスなどの立志伝を聞かされ「ならばオレも」と探検家を夢見るようになる。それにはまず体力。そこで五つの自戒を打ち立てた。

 

①酒を飲まない

②たばこを吸わない

③茶を飲まない

④湯を飲まない

⑤寒中でも火に当たらない

 

「酒はやめたくないなあ」サル

 

①②はともかく③以降が効果的かは疑問だが、思い込んだら試練の道をゆく男だった。18歳で陸軍に入隊。最初は北極点制覇を目論むがアメリカ人ピアリーの踏破成功の報を聞き、南極に進路変更。政界を駆け回ってパトロンをみつけ、遂に南氷洋へ。大自然の猛威を前に艱難辛苦の行軍が続き、一歩手前で挫折した。それでも当時としては大快挙。但し、晩年は不遇だったといわれる。

 

 

白瀬氷河はその名をとってつけられた。温暖化の影響を考えると今後このような光景が見られるのかどうか。

 

 

続いて昭和基地の資料展示室へ。隊員が着用していた防寒服と防寒靴(D靴)を試着。おサルが着ると子供みたいだ。

 

 

歴代観測船の模型コーナーを軽くパスして南極の自然環境コーナーへ。

 

 

南極の氷。たぶん本物。普通の氷と違って微細な気泡が閉じ込められている。太古の大気だ。

 

 

南極観測の重要なミッションのひとつが鉱物資源の調査。中央は地球誕生と同じ頃に生まれた(博物館ではお馴染みの)角閃石片麻岩。先カンブリア時代うまれで御年25億才。

 

「なんで南極に?」サル

 

大陸移動によって南極に来たんだよ。30年ほど前に隊員に連行されて日本へ。当時は板橋にあった国立極地研究所で半分にカットされて、片方は研究所の定礎に、そしてもう一方はある方の家の庭石になった。

 

「そんな勝手な!」サル

 

それを家人が引き取って欲しいと持ち込んで今がある。まさに長い航海だ。

 

 

拡大してみると赤い粒子がたくさん混入している。これぜんぶ柘榴石。つまりガーネット

 

「宝石じゃんね!」サル

 

残念ながら商品価値はゼロなんだ。というのも過酷な自然環境にさらされたせいでミクロの単位のクラックが無数入り込んでいて輝きがないんだよ。

 

 

池の底にはこうした風化ガーネットが沈殿しているそうな。

 

 

こちらは第一次南極観測隊に参加した、地球科学と南極研究の権威、鳥居鉄也千葉工大名誉教授(1918-2008)のコレクション。鉱物愛がつまっている。

 


一度甲板に出てブリッジへ。

 

 

もう一段あがる。この階段が怖いと腰が引けた女性がいたが。

 

「怖いか?」サル

 

 

ブリッジに到着。

 

 

舵を切るハンドルを舵輪という。

 

 

操縦稈

 

 

速力通信機

 

 

館長席

 

てっきり中央にあるものと思っていた。

 

「一番端っこなんだね」サル

 

海上衝突予防法の「他の船を右に見る船は、他の船の進路を避ける」というルールに基づいて監視をはかるためらしいよ。どうでもいいけどおサル、服が保護色になっているよ。

 

 

晴れていれば正面に富士山が見えるそうな。

 

 

「みた」サル

 

つまり飽きたらしい。

 

 

再びヘリポートデッキへおりて、更に階段を伝って第一甲板へ。ツアーに参加すると船内の5つの観測室が全部見学できるが、ベーシックコースは数室のみ。それでも充分。

 

第3観測室(地学)

 

ここが見学できれば。

 

 

研究の七つ道具。

 

 

ピッケルとアイゼン。今と違って脆弱。使う人間の技術が高かった。

 

 

テープレコーダーとヒーター。登山ギアも含めて第一次南極観測隊に参加した平山善吉(1934-)日大名誉教授の愛蔵品だ。日大建築学科卒の平山先生は昭和基地建設のための建築家三人のひとりとして第一次隊に参加した。因みにほかの二人はゼネコンの土木屋と鳶職。つまり設計は平山先生一人の手に委ねられた。時に22歳。

 

「まだ学生じゃんね」サル

 

1956年11月8日。観測隊員53名。乗組員77名。22頭のカラフト犬に一匹の猫。そして二羽のカナリアを乗せた耐氷船「宗谷」は極地をめざして長い旅に出た。ちなみにこの猫は立川の北極・南極資料館に剥製となって展示されている。

 

 

そして戦利品のかずかず。南極は隕石発見のメッカ。極点が燃えにくいというわけではない。台地が白一色だし、雪上で目立つから見つかりやすいんだ。

 

 

処女地ほど博物学者の心をときめかす場所はない。

 

 

セール・ロンダーネ山地の2000㍍級のピナクル(ホルナ2427㍍峰)。高いのか小ぶりなのか遠近感が狂いそうだ。1996年にノルウェーの登山家が登頂したそうな。登山家は過酷な極地がお好き。

 

「ですよねー」サル

 

 

これは石の断面ではなくセール・ロンダーネ山地の氷河に研磨された褶曲大断崖。その規模が左下にみえる米粒ほどの人の姿で判るだろう。

 

 

ひとつ大きな疑問があった。長い航海だ、狭い部屋に数箇月も一緒にいればストレスもたまる。それでも好きで行く学者はいい。任務として“戦地”に赴く自衛隊隊員たちにストレスはないのか。ボランティアの海上自衛隊OBに訊いてみると、酷いときは数週間で険悪になるそうだ。酷いときは刃物を抜いての騒ぎになったことも(多少盛っているかもしれない)。それだけ過酷ということだ。

 

「ですよにゃー」サル

 


だからこそ食事は大事。昭和基地の食事が旨いのにも訳がある。南極といえばタロとジロの物語ばかりが伝説化しているが、極地研究は新しいテクノロジーや生命の神秘、オゾンホールの謎を解く多くの鍵を発見した。

 

(超優秀な二代目しらせ。過去接岸できなかったのは二回だけ)

 

それが今、台湾有事やホルムズ海峡問題など、防衛省予算の逼迫で航海予算縮小の危機にあるそうだ。国防も重要だがバランスある政治と平和を望むひとりである。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第336回】

智則 純米吟醸 中取 無濾過生原酒

 

製造年月:2025年5月

生産者:吉田酒造㈱

所在地:島根県安来市

タイプ:純米吟醸 中取 無濾過生原酒

使用米:佐香錦100%

精米歩合:55%

アルコール:16%

杜氏:足立孝一朗氏

販売価格:1,950円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は智則。創業は1743(寛保3)年。代表銘柄「月山」を醸す老舗だ。しかし、なぜ安来市に蔵を構えながら山形の名峰なのか。人間は既知の情報を絶対と感じるが、安来にあっては尼子氏ゆかりの月山富田城こそ「月山」なのだった。その吉田酒造が最高品質の純吟としてリリースするのが当代蔵元の本名をつけた「智則」。ようやく飲むことができる。(2025年6月7日賞味)

 

 

 

日本酒の殿堂・小山商店で購入した。

 

 

スペックは中取りのムロゲン。旨くないはずがないが、そこは島根の酒。果たしてイメージ道理の酒質かどうか。それは飲んでみてのお楽しみ。

 

「楽しもーぜ!」サル

 

 

口に含めば甘酸っぱく、熟したバナナの芳香が鼻腔に広がる。やや重い喉ごしと言っていいだろう。以前大阪の居酒屋で初めて月山を飲んだ時にふくよかで厚みがありながら、キレと豊潤な香りが後追いすると感じたが、それ以上に(中取りながら)濃厚だ。

 

(アボカドとサーモンのマリネ)

 

最近このメニュー多くない?

 

「ヒツが好きだというから」サル 文句いうなら喰うな!

 

ま、酒飲みが食べ物に難癖つけちゃいかんよね。←どうみてもガツガツしている

 

(糸コンとヒジキの和え物)

 

結局北茨城まで行って何も食材を変えなかったのが運の尽き。

 

「名物はメヒカリだよね」サル

 

冬が旬の魚だし。極論すればいい酒は酒だけで旨いんだよ。

 

「悪酔いすゆ」サル

 

 

何だかんだ言って一本なんてすぐ。バターを使った洋風の魚料理なんかに合う酒だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

野口雨情生家資料館

 

往訪日:2025年6月7日

所在地:茨城県北茨城市磯原町磯原73

開館:9時~16時(不定休)

料金:100円 小学生以下無料

アクセス:常磐道・北茨城ICから5分

駐車場:20台(無料)

※撮影NG

 

《行ってみたところ個人のお宅のような…》

 

岡倉天心関連の施設を午前中ですべて見終えた。もう暫く天心はいい。さて肝心の食事だが、よくよく考えれば北茨城はアンコウと蟹の街。基本的にどちらも旬がある。それに個人的には苦手だ。ということでやっぱり自宅で飲むのが一番という結論に至り、早めに帰宅することにした。しかし、さすがに12時半は早すぎる。高いガソリン代をはたき、そのうえ行きの高速道路で撥ね石を食らってフロントガラスに10㌢の罅まで拵えたのだ。無駄に帰るのも馬鹿馬鹿しい。そこで頭に浮かんだのが野口雨情である。北茨城は雨情の生まれ故郷なのだ。いまだに斎藤緑雨と間違えるほど縁遠い文学者だが、この際に親睦を深めてはどうか。そう思った。

 

「雨しかあっていないじゃん」サル

 

なんかね。こんがらがるんだよ。ない?そういう組あわせ。

 

「宝川温泉と玉川温泉とか」サル

 

富岡鉄斎と山岡鉄舟とか。桂ゆきと桂由美とか。

 

 

しかし、ついてみると厳つい門構えながら普通の民家のようである。いいのかな。ここで。

 

「看板があるしね」サル

 

 

んー。他に客もいないしなあ。

 

と逡巡していると奥から白髪のご婦人が現れて「どうぞ」と声をかけてくれた。結論からいうと公共の資料館(北茨城市歴史民俗資料館・野口雨情記念館)は国道6号線を挟んだ反対側で、ここは雨情の子孫の方が管理している生家だったのだ。「生家」という場合は記念館に改修されている場合が殆どだが、ここは半分がいまだ住居だった。

 

「道理でヘンだと思った」サル

 

 

資料の数こそ少ないながら、自治体が作った拵え物より真っ当であるのは違ない。聞けばご婦人(野口不二子さん)は雨情直系の孫。雨情が如何に素晴らしい詩人であったかを立て板に水とばかりに語るあたり、長いこと解説に当たってきたことを物語っていた。ひとつ驚いたのは若い頃の雨情が二枚目だったことだ。

 

野口雨情(1882-1945)

 

僕らが文学書で記憶する雨情はこんな感じ。それでもまだ若い頃だ。

 

「今のヒツより肌に張りがあるね」サル

 

ほっといて。

 

 

それが20代の頃はこんなにシュっとしている。口髭が似合わないくらいに童顔だ。そう不二子さんにいうと自分のことのように喜んだ。しかし、いまでこそ童謡詩人として西條八十北原白秋と並び称される雨情だが、実生活では波瀾の人生だったことはよく知られている。

 

磯原の海鮮問屋のボンボンとして生まれ、東京専門学校に入るも、詩作にのめり込み、間もなく退学。雨情は実業には不向きな夢見る少年だったようだ。そのうえ親に決められた結婚相手に愛情を抱くことができず、出奔しては商売めいたことに手を出し、人に騙され、財産を潰した。そういう点は白秋と似ている。

 

また女難の相があり、サラリーマン生活にも不向きな処は啄木と相通じる。と思っていると、事実、一時机を並べたというから「類は友を呼ぶ」だなあと違う処に感心した。脳内出血が元で62歳で亡くなるが、童謡限ってみればいいものを沢山残した。「シャボン玉」「兎のダンス」「コガネムシ」など今でもすぐに口を突いて出る。タッグを組んだ作曲家・中山晋平の腕もあるが、雨情の歌詞は短いフレーズの連呼で親しみやすいのだ。

 

と30分ほど話していただろうか。(女性に対して失礼ではあるが)往訪したとき84歳。とてもそうは思えないほどしっかりしている。理由は「好奇心旺盛だから」と言われていた。今でも雨情関係の講演に立つという。好奇心も大切だが、まずは人と交わることなのだと、屈託なく笑う不二子さんを前にシミジミ思った。

 

「雨情より不二子さんの思い出が強烈だったにゃ」サル

 

(五浦の旅おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

茨城大学五浦美術文化研究所

 

往訪日:2025年6月7日

所在地:茨城県北茨城市大津町五浦727-2

開館:8時30分~17時30分(月曜休館)※季節ごとに終了時間変更

料金:400円 中学生以下無料

アクセス:常磐道・北茨城ICから15分

駐車場:約30台(無料)

※記念館撮影NG

 

《震災復興した六角堂》

 

天心記念五浦美術館で浮世絵鑑賞を終えたあと、茨城大学五浦美術文化研究所を訪ねた。似たような名前の施設でややこしいが、かつての天心邸であり、没後に遺族、そして顕彰会が管理していたが「公的機関に委ねた方がよくね」という会長・大観の鶴の一声で茨城大学に打診。1955年以降、大学の附属機関として管理されている。

 

(有形文化財の長屋門)

 

長屋門、天心邸、六角堂がゆかりの遺構として登録有形文化財に指定されたが、六角堂は先の東日本大震災の津波に流されて、再建こそされたものの文化財としての指定は返上することになった。

 

 

門をくぐるとまず見えてくるのが天心記念館(1963年竣工)だ。

 

 

寺院建築のような深い庇の建物はワンフロアで構成。天心の生涯と五浦の歴史が手短に紹介されている。美術館の天心記念室を観ているのでもう十分なのだが、平櫛田中の大作《五浦釣人》があるので是非観たいところ。

 

 

その先にも東屋風の建物がある。

 

 

やはり天心ゆかりの人物《ラングドン・ウォーナー像》(1970)だ。制作は同じく平櫛田中。隷額:細川護立、撰文:矢代幸雄、そして覆堂の設計:大江宏。知らない人にはただの彫刻と覆堂かもしれないが、皆一廉のメンバーである。

 

 

それだけ戦後のウォーナー崇拝はすごかったという証し。京都や奈良を救った恩人と思えばさもありなんである。なお発起人は地元企業の日立製作所。判る人には判るが、覆堂は天心が最初に名をあげるきっかけとなった夢殿を模している。

 

「なんとなく似てゆ」サル

 

 

坂道を海岸のほうに下っていくと右手に平屋が見えてくる。

 

 

旧天心邸だ。天心が自ら設計した。

 

 

設計といっても簡単なパースもしくは間取りだけなのだろう。そのままボストンに飛び、あとは平潟の棟梁・小倉源蔵に委ねている。1904年のことだ。もとは鮑料理の割烹「観浦楼」の土地で暫くその建物に仮寓していたという。

 

 

その三年後には増改築した。天心の死後、書斎と浴室が撤去されて今に至る。派手さはないが、軒の低い入母屋でおちついた素敵な建築だ。

 

 

「夫婦で暮らすには十分な広さだの」サル

 

 

再建に使用された樹齢130年の杉の大木の基部が記念に残されていた。いわき市の山林所有者の寄附だとか。

 

 

その脇に「亜細亜ハ一なり」の石碑がある。

 

「アジアハーなり?」サル

 

「はあ」じゃないでしょ。「アジアはひとつなり」だよ。

 

「ヘンだとは思ったんだよにゃ」サル

 

英文の著書『東洋の理想』の一句なんだけど、戦時中に大東亜共栄圏の思想に悪用されたんだ。

 

 

最後に六角堂を見学。夢殿頂法寺(京都)、草堂(中国)などを模したと言われる。

 

 

この景観を天心は北関東の松島を賞讃した。

 

 

凹凸のある溶岩様の岩は炭酸塩コンクリージョンと呼ばれる堆積岩の一種。貝類などの海底生物が発するメタン由来の炭酸イオンと海水中のカルシウムイオンが反応して生み出される。隆起と浸食によって海面に現れたと説明書きがあった。

 

 

津波によって南側の海底に流されたが、ウォーナーやタゴールゆかりの平和のシンボルでもある。そのため(杉材については既に触れたとおりで)瓦、ベンガラ、ガラスなど、それぞれ寄附によって賄われたそうだ。内部には炉が切られ、茶室と瞑想の部屋などの役割を兼ねていたらしい。

 

 

天心は絵画だけではなく、建築や精神生活についても深く考えていた。ここを訪れるとそんな気がしてくる。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ285

五浦の家

 

往訪日:2025年6月7日

所在地:茨城県北茨城市

アクセス:常磐道・北茨城ICから15分

■設計:安齋好太郎

■施工:ライフスタイル工房

■竣工:2014年

■用途:住宅

 

《誰が見ても度肝を抜かれる》


岬の公園を下る頃には朝靄もすっかり薄れて、清々しい青空が広がり始めた。時間もあるのでジョギングついでに五浦美術館の周辺も下見することにした。そんな時、坂の向こうに異様な建築物を発見。

 

 

「家?」サル

 

にしては異様な形だ。

 

建築アンテナが働き、灯台からの坂道をいそいそと降りていった。

 

 

どうやら個人の住宅らしい(なので至近距離での観察は遠慮した)。

 

 

建物の前には解説があり、設計者は安齋好太郎氏(1977-)とあった。調べてみると福島県二本松市で三代続く工務店のオーナー兼デザイナー。祖父はなんと安達太良山くろがね小屋を建てた大工らしい。世の中は狭い。

 

「温泉つき山小屋なんだよね」サル

 

 

オーナーは元漁師。それで駐車場に漁の道具が積まれていたわけだ。先祖は天心の舟の付き人をしていたというからこれまた世間は狭い。斜面をそのまま活用し、伐採は極力抑えた造りになっている。だからだろう、樹木の植生が本当に自然なのは。

 

「よく支えてるね」サル

 

カンチ式の平屋建て。軽快な開口式の窓や大地に根を張ったような支柱など見せ場も用意しながら、自然への愛を感じさせる建築だった。いわゆる「アーキテクト」ではないが、その辺の大手アトリエ系の建築より遥かにすごいものを感じた。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

五浦岬公園

 

往訪日:2025年6月7日

場所:茨城県北茨城市大津町

開館:日の出から日没まで

アクセス:常磐道・北茨城ICから15分

※撮影OK

 

《こんな場所で画業に励んでいたとは…》

 

五浦の街に着いてまずやったことはジョギング。

 

「日課だしの」サル

 

予報とは裏腹に海岸沿いは濃霧に覆われていた。

 

 

天心記念館手前の駐車場に止めて大津岬灯台、五浦岬公園と廻り、一時間ほど汗を掻くことに。

 

 

記念館の向かいに天心の分骨された墓があったので寄ってみた。

 

 

まさに土饅頭。

 

 

奇遇にも先だって回顧展を拝観した大岡信の訳詩が添えられていた。

 

 

その更に奥にひと廻り小さな土饅頭があった。

 

 

天心の娘・米山高麗とその夫・米山辰夫の墓だった。碑文によれば辰夫は東京帝大工学部卒業後、生涯を鉄道省に捧げた官吏だった。東京大空襲によって田端の自宅が焼失。この天心別荘に疎開したまま翌年に他界。子供のなかった高麗は、茅屋のような別荘に愛猫とともに墓守として暮らし続けた。碑文にはその“歴史”を消すまいと願う甥たちの思いが込められていた。

 

 

小高い丘の上に美しい灯台がみえる。大津岬灯台だ。

 

 

昭和35年に設置された若い灯台だったが、先の東日本大震災の被害で建替えられていた。

 

「茨城も被災したんだの」サル

 

現地に来ないと判らないものだね。

 

 

その更に先に五浦岬公園がある。

 

 

奇麗に整備されていた。早朝ということもあり、訪れる客もいなかった。人の気配といえば除草作業員が操る草刈り機の音だけだった。

 

 

平屋建ての建物がある。日本美術院の建物って残っているんだ…。

 

 

と思ったら2013年制作の映画「天心」のロケ用セットが残されていたのだった。こんな映画があったのか。(実際の研究所は現在の五浦美術館の近くにあった)

 

 

天心を囲むように、大観、武山、観山、そして春草は家族を連れて移住。この研究所で貧しいながら作画に没頭する。しかし、世間から食みだし者扱いされた彼らの絵は全く売れない。栄養状態は最悪で、その姿をみた後輩画家の安田靫彦は「禅堂での修行僧のようだった」と回顧したとう。

 

「一度観てみたいにゃ」サル

 

 

敷地の高台に展望塔があった。ここは東日本大震災の供養塔をかねていた。

 

 

霞んだ空の向こうに五浦の断崖と、五浦美術館の白い屋根が見えていた。

 

「ふくらはぎがすごいにゃ」サル

 

(つづく)

 

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