ひつぞうとおサル妻の山旅日記 -4ページ目

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

浮世絵展 隅田川でたどる江戸の暮らしと文化

 

往訪日:2025年6月7日

会場:茨城県天心記念五浦美術館

会期:2025年4月26日~6月8日

開館:10時~17時(月曜休館)

料金:一般710円 高校生470円 小中生240円

アクセス:常磐道・北茨城ICから15分

※撮影OK

 

 

続いて天心記念五浦美術館のアート篇である。まずは常設の天心記念室を見学した(個人的にはここと建築さえ見ることができれば目的の99%は達成)。

 

岡倉天心記念室

 

天心の名前こそ知れど、そこまで心を寄せる客は稀とみえて人の気配は殆どなかった。

 

 

天心こと岡倉覚三(1863-1913)は福井藩士の息子として横浜に生まれた。ちょうど横浜市開港記念会館(ジャックの塔)のある位置にあたる。ハマッ子と言いたいところだが、武士の商法で商売を鞍替えしていった父に従って東京に移住。もとより学問の素養があったのだろう。東京外国語学校から東大文学部に入学。卒業後、文部省官吏として出逢ったのがフェノロサで、二人の古寺調査によって多くの寺院と仏像が救われた。

 

 

京阪の寺社調査を命じる辞令だ。ここで200年間秘仏だった法隆寺夢殿救世観音を開帳させた。本人も「一生の最快事」と歓びを顕わにしている。

 

(若い頃は役者のような二枚目。家族みな同じ顔だったらしい)

 

1886年から東京美術学校開設のためにフェノロサとともに欧米視察へ。時に23歳。

 

「大抜擢だね」サル

 

(美術学校制服。黒川真頼デザイン。裁判所などの法服のデザインでも知られている。人気がなくて5年で廃止になった曰くつき)

翌年には無事美術学校開校に結び付けた。

 

 

卒業式の写真。無二の弟子となる大観も一緒に写っている。

 

横山大観《写生(慈姑・蓮根)》(c.1889-1893)

 

学生時代の大観の写生。写生と古画模写の「臨画」。そして創作の「新案」へと学科は進んだ。若描きの作品は生硬なまでに精密。大観だけではない。観山にしてもしかり。のちの朦朧体からは想像できないリアリズムだ。その緊張の息遣いまで伝わってくる。

 

 

しかし好事魔多し。天心追放の謀略が発生。事は(九鬼隆一男爵の妻との)天心の不倫が引金とも、学校No1の地位を狙う教師・福地復一の工作とも言われる。まあ、その二人が結託したというのが真実なのだろう。美術学校を追われた天心に従った弟子、大観、春草、観山らとともに野に下って日本美術院を開校する。

 

「これって有名な事件だよね」サル

 

 

1904年にボストン美術館の日本・中国美術館の顧問として日米を往復する生活に。この頃天心に師事したのがウォ-ナーだ。京都を空爆から救った恩人と紹介されてきたが、その後「一時的に対象から外れていただけでウォーナーの意見が反映されたことはない」と異論が発表された。彼ほど毀誉褒貶にさらされた人物はいない。

 

「勝手に褒められて今度は貶められたのきゃ」サル 気の毒

 

(ボストン時代に着用していた羽織)

 

1906年に日本美術院は天心のアトリエがある五浦に移転する。

 

 

模型でみると判るが、凄まじい断崖のうえに画家たちの共同生活の場があった。

 

(背中を丸めて無心に描きこむ武山)

 

ここで弟子たちは極貧の環境下で絵の修業(むしろ修行か)に励むのだが、もともと身体の弱かった春草が早死にしたのは、ここでの生活が祟ったのではないかと思っているが、その話はまた後にしよう。以下彼らの作品を並べてみる。

 

大観《樹下美人》(c.1912)

 

大観45歳の作。アーモンド型の双眸に豊かな肉付き。中期の美人画の特徴をよく表している。

 

大観《風の夕》(c.1922)

 

典型的な朦朧体。

 

菱田春草《五浦ノ月》(1907-08)

 

春草の心細いまでの繊細な筆致をみると痛々しくなる。大観89歳に対して春草36歳。

 


下村観山《納涼図》(c.1909)

 

頑強そうな風貌ながら絵は非常に細密なのが観山だ。57歳で歿している。

 

木村武山《立葵》(c.1920-21)

 

五浦移住四人組の最後は武山。どの絵も茨城県立近代美術館所蔵。五浦で観るから尚いい。

 

 

晩年は五浦で釣りを愉しんだ。

 

 

墨筆用の遺愛品。

 

 

天心設計の竜王丸(複製)。ただし完成が死の二箇月前だったため数回しか利用していないとか。

 

今回初公開 撮影者不詳《制作中の田中》(c.1931)

 

制作中の平櫛田中と岡倉天心坐像。東京美術学校での恩を生涯忘れることのなかった田中は天心像を幾体も彫っている。

 

企画展

 

あちこちで観てきたので近頃食傷気味の浮世絵だが一応備忘録として。判りやすいせいか、ここはそこそこ人気だった。

 

 

北茨城市の某コレクターの個人収集品が展示対象。全252点。前期後期入替ありだが、ほぼ同じ数。とてもジックリ観る暇はなかった。

 

歌川国貞《江戸八景の内 隅田つゝみの晴嵐》(1844-1848)

 

隅田川を切り口に江戸から明治初期の風俗を紹介。

 

小林清親《向島桜》(1880)

 

最近人気なのだろうか。それとも単なる偶然か。はたまた元より有名だからか。三菱一号館美術館。府中市美術館。そしてここ。清親(1847-1915)の絵にはこの一年で幾度も出逢っている。浮世絵から出発した清親だが、ドラマ性のあるカットや細密表現が魅力。光線画風刺画で人気を博した。この作品はむしろ田善など洋風画の影響を思わせる。

 

歌川国芳《荒獅子男之助》(1849)

 

国芳得意の役者絵。八代目・團十郎が男之助を演じた「伊達の十役」の一場面。鼠を叩き払う男之助。

 

「しっぽが見えてる」サル

 

好きな(というより需要があった?)演題だったのか複数バージョンがある。

 

歌川国芳《東海道五十三對 桑名》(1843-47)

 

広重の《東海道五十三次》の向こうを張った国芳描く人気シリーズ。宿場ごとに伝奇を絡める。岡部宿の化け猫騒動も面白いが、桑名は海坊主に対峙す豪傑・船乗り徳藏の段。他には揚州周延の《見立十二支》など。花魁や美人画よりこうした絵の方が好みかも。

 

「隅田川関係ないね」サル

 

個人コレクションだしね。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ284

茨城県天心記念五浦美術館

 

往訪日:2025年6月7日

所在地:茨城県北茨城市大津町2083

開館:9時30分~17時(月曜休館)

料金:(天心記念室)一般210円 高校生140円 小学生90円

アクセス:常磐道・北茨城ICから15分

駐車場:125台(無料)

■設計:内藤廣建築設計事務所

■施工:松村組・岡部工務店JV

■竣工:1997年

 

《連続する切妻長屋を模したデザイン》

 

2025年6月初旬。この日は北茨城の五浦(いづら)を旅することにした。岡倉天心とその弟子ゆかりの地である。まずは天心を顕彰する五浦美術館を訪ねる。内藤廣(1950-)が手掛けた名建築でもある。

 

「美味しいものはどこで食べるのち?」サル ←食べ物に釣られてついてきた

 

 

見通しのいい道路に入り口は面している。

 

 

そこから高台まで緩くて長い坂道が続く。

 

 

駐車場はこの広大な車寄せの一段下。

 

「めっちゃ広いにゃ」サル

 

 

まず車でないとこられない。そのあたりを配慮してのことだろう。

 

 

天心が心を寄せただけに五浦海岸は太平洋の荒波に洗われた風光明媚な断崖を成している。その高台の上に美術館は建っていた。

 

 

数棟の巨大な切妻の建物が並んでいるようなデザインだった。空撮ならばともかく側面からではよく判らない(笑)。

 

(流水に並置された緩やかな導線)

 

早稲田では吉阪隆正に、卒業後は菊竹清訓の事務所に在籍したものの、師匠に似ず、穏やかな作風が内藤のスタイル。海の博物館(1992)や安曇野ちひろ美術館(1997)に代表される疑和風建築か、フォレスト益子(2002)や虎屋工房(2007)のような簡易建材を用いた扇面建築。荒っぽく大別すればそう言える。少なくとも奇抜さはない。

 

 

内藤先生の建築は容れ物であって見世物ではない。美術館というよりは大きな家。それも温かみのある家を思わせる。ひとつこだわりがあるとしたら、その土地の風土や生活と深く関わるデザイン乃至は素材を活かすことだろうか。

 

 

水盤もまた内藤建築には欠かせない。

 

 

ひたひたと打ち寄せる水際。

 

 

プレキャスト梁を採用。短工期とクリアランス確保のための選択らしい。

 

 

側面に置かれたコンクリートパネル。犬矢来を模したものか?

 

 

天井が抑えられている。

 

 

裏に回ってみた。切妻のデザインが全て異なる。

 

 

ベンチの日除けも凝ったデザインだ。

 

 

芝生がよく手入れされている。

 

 

生温かい空気が沖合から押し寄せたせいで、やや靄の多い一日だった。

 

 

白御影の広場が所々に整備され、天心の詩(主に漢詩)が紹介されていた。

 

 

それでは中へ。

 

 

エントランスは幅24㍍の大ホールを兼ねる。

 

 

柱を立てずにこの空間を確保するためにプレキャストコンクリートのトラス梁で支えた。

 

「すごい造りだのー!」サル

 

 

技術上のリクエストが産んだ構造だが、その美しさと圧倒的迫力はグラントワで感じたそれに近い。

 

 

内藤建築は外見は穏やかだが、内部空間にアッと言わせるものがある。

 

 

レストルーム

 

 

側面から見ると表現主義的。

 

 

両サイドからテンションをいれてPC鋼線で繋いでいるようだ。

 

 

常設展示の岡倉天心記念室と企画展示室からなる。この奥が記念室。

 

新海竹蔵《岡倉天心肖像》(1942)

 

新海竹蔵による天心のレリーフ。新海といえば内田祥三が手がけた公衆衛生院(港区)の講堂レリーフを思いだす。

 

 

壁は丁寧な櫛目引き。

 

 

ガラス壁の衝突防止マークが天心の横顔になっているのが面白い。

 

 

梁は延長可能なピースのようにも見えるし、桟を模したただのデザインなのかもしれない。しかし、この回廊と建物をひとつの景色として観ているうちに、短工期を叶えるための手段ではなく、見せる要素も多分に含んでいるように感じられた。

 

(アート篇につづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツの酒【第335回】

若波sparkling 壽限無

 

製造年月:2025年4月

生産者:若波酒造合名会社

所在地:福岡県大川市

タイプ:純米発泡酒

使用米:壽限無100%

精米歩合:55%

アルコール:13%

杜氏:今村友香、庄司隆宏氏

販売価格:2,000円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は若波sparkling。三年前にTYPE-FY2のモダンな造りに感動して若波の虜になった。今回はスパークリング。一時期ブーム化してやや巷に溢れかえっている感がある発泡日本酒だが、若波のそれはちょっと贅沢な造りだ。(2025年6月1日賞味)

 

 

使用好適米は福岡生まれの壽限無。山田錦を父に夢一献を母に持つ。

 

 

瓶内二次発酵による本格派だ。

 

 

「シュワシュワのニゴリだの」サル

 

リリースして二箇月。ややガス感は穏やかになっていたが、ピチピチ弾ける舌触りは最高。味わいは見たとおりのヨーグルトソーダ風味。新酒特有の苦みが全体を整えている。これは酒だけで十分かも。

 

(紫蘇とジャガ芋のゆかり和え)

 

夏と呼ぶにはまだ早いが、それでもちょっと蒸し暑い六月初日。こんな晩は軽いツマミとライトな酒がちょうどいい。

 

「せっかくいろいろ作ったのに」サル

 

(鱸とトマトのジェノベーゼ風)

 

いいね。涼味があって。

 

 

そしてメインは長ナスのチーズグラタン風。結局しっかり食べるのだった。

 

 

度数13%とライトなしあがり。ナイトキャップ風に飲んでも旨いかも。夏にお薦めの一杯。

 

「おサルには軽すぎだの」サル もっと飲む

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

橋口五葉のデザイン世界

 

往訪日:2025年6月1日

会場:府中市美術館

会期:2025年5月25日~7月13日

開館:10時~17時(月曜休館)

料金:一般800円 高大生400円 小中生200円

アクセス:京王線・東府中駅から徒歩17分

※撮影NG

 

 

2025年6月。相変わらず忙しく美術館めぐりを続けていた。ひとつ知のネットワークが広がると様々なジャンルや芸術家に興味が湧き、そのついでにめぼしい美術館の企画開催予定を調べると「この画家もあの彫刻家も」ということになり、その先々でまた新たな出逢いがありキリがなくなる。判っているけどやめられない。

 

「リードの外れたわんこだの」サル

 

 

今回の主役は橋口五葉。漱石の著作装幀で有名だ。他にも商業ポスターの図案や新板画の美人画で勇名をはせた。

 

 

本名:橋口清(1881-1921)。薩摩藩医の家庭に生まれ、東京美術学校で西洋画を学ぶ。親戚の黒田清輝に可愛がられ、白馬会を活動の中心に据え、間もなく挿絵画家として活動。第五高等学校の生徒だった兄の縁で漱石と水彩絵葉書を交わす仲になり、漱石を始め、鏡花、谷崎、荷風、鷗外といった文豪の単行本を装幀を手がけるようになる。その後、新板画で新境地を開くが、中耳炎がもとで41歳の短い生涯を終えた。

 

「若くして亡くなったんだね」サル

 

 

五葉といえば漱石。漱石といえば五葉。という程に初期の単行本の殆んどを五葉が手がけた。「売れなくても美しい本を作りたい」という漱石の意を十分汲んだからだろう。確かに旨い。

 

 

五葉も「製本装幀と云ふ事は装飾的の形式に依って自己の芸術を表現する事」と述べているように、職人の手仕事以上に「個人」の「芸術」であることを強く意識していた。であればこそ自身の美意識を存分に発揮したといえる。『吾輩』の上中下三巻(函・カバー)、『漾虚集』『鶉籠』は見事な仕上がり。

 

 

そもそもは長兄の貢が漱石の絵葉書仲間で、後から五葉が加わった。更に虚子が加わり『ホトトギス』の装幀が任された。漱石はそんな五葉を「僕より文章がうまい」と絶賛。感動するとなんでも褒めるのが漱石の悪い癖だが、事実味のある文章を書いている。

 

泉鏡花『相合傘』(1914年鳳鳴社刊)

 

初期の五葉はアール・ヌーボー、ムンク、ロセッティの影響が色濃い。海外の美術雑誌や江戸の画譜を参考に、ただの寄せ集めではなく、正しく消化しているのは生来の才能だろう。『猫』以降はあの漱石も注文をつけなかった。

 

「植物や花のデザインがうまいね」サル

 

夏目漱石『草合』(1908年春陽堂刊)

 

松岡譲は「『虞美人草』の装幀が美しすぎて買うことができなかった」と述懐しているし、短篇集『草合』では表紙絵のツワブキを漆で描き、さすがの大店・春陽堂も困り果てたそうだ。ただの本の背表紙ではなく、応接間の装飾品をイメージしていたらしい。ちなみに『三四郎』に登場する原口は五葉がモデル。『行人』が最後の仕事になった。

 

《孔雀と印度女》(1907)鹿児島市立美術館蔵

 

この頃から画業に専念するようになっていく。

 

「外国の絵みたい」サル

 

ラファエル前派の影響があるね。

 

《此美人》(1911)鹿児島市立美術館蔵

 

以前も触れたが、35回重ね刷りした石版画として有名な作品。五葉を知らなくてもこれは知っている。そういう人も多いのではないだろうか。懸賞で一等になり賞金1000円を獲得した。現在の価値で150万円くらいか。意外に安い?

 

《黄薔薇》(1912)鹿児島市立美術館蔵

 

構図といい色彩といい、アールヌーヴォー風。

 

《浴場の女》(1915)鹿児島市立美術館蔵

 

そして、1914年に錦絵再評価の論考を発表。翌年に渡邊庄三郎が唱導する新板画に参加する。裸体画も含めて13点残しているが、抑制された表情のせいか不思議と艶冶な感じがしない。プロポーションの巧みな捉え方は洋画による研鑽の賜物。晴信に傾倒して亡くなるまでの5年間に3000枚の素描を残したそうな。そして、ほとんど散逸したそうだ。

 

「たしかに奇麗な女性だね」サル

 

別府の温泉でみた記憶を4年後に絵にしたって。

 

「覗いとるやん」サル

 

ドローイングの段階では背中越しだったけれど、最終的に正面に変えた。

 

《髪梳ける女》(1920)鹿児島市立美術館蔵

 

背景は雲英刷り。ロセッティの《レディ・リリス》に想を得ている。

 

「髪の毛が細かく描かれているにゃ」サル

 

まず気品がある。そして観る者への媚びや諂いがない。描線はただ漠然と浮かび上がったものではなく、素描の段階から幾重にも重ねられた中から見出された一本だった。その清澄な女性美は今回の鑑賞の最大の収穫だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツのグルメ探訪♪【第272回】

季節料理 海津

℡)045-251-2072


カテゴリ:大衆割烹

往訪日:2025年5月31日

所在地:神奈川県横浜市南区南吉田町3-36

営業時間:18時~23時(日祝日定休)

アクセス:横浜市地下鉄・吉野町駅から2分

駐車場:なし

■26席

■予算:8,000円(税別)

■予約:可

■カード:可

 

《昔ながらの構えながらモダンな要素も》

 

2025年の5月最後の週末に吉野町の割烹・海津(かいづ)で食事をした。吉野町はお三さまの名で親しまれるお三の宮日枝神社の信仰篤い街であり、伊勢佐木町商店街から西に続くお三の宮通りに面した場所に建っている。

 

「今回はヒツのリクエストにゃ」サル

 

普段利用している横浜君嶋屋の正面とあって、以前からその存在には気づいていたが、まさかやっているとは知らなかった。いや、知っていても一見で入るには勇気が要る店構えだった。

 

 

ある晩、吉田類の某BS番組で取り上げられたのを観た。意外に店主も気さくでそんなに背伸びする雰囲気でもない。なによりも酒のレパートリーもよかった。ということで、早速予約をいれて往訪することにした。

 

 

暖簾がかかったのをみて即座に入店。

 

 

客は僕ら一組だけだった。

 

「みんな7時くらいに来るんじゃないの?」サル あせりすぎなんだよ

 

モダンジャズが流れるなか、店主と若い女性店員のふたりだけ。その二人。全く僕らに構おうとしない。大阪の割烹の過剰なまでのフレンドリーさに馴染んだせいか、こうした(割烹にはありがちな)沈黙の試練が待っているとは予想もしなかった...。

 

「テレビと違うね」サル

 

テレビは飽くまでテレビだしね。

 

 

先ずは酒か。もちろん飛露喜が一番だが、折角なので普段飲まない澤屋まつもと・特別純米にした。澤屋まつもとを飲んだことがないという意味ではない。その特別純米の経験がなかった。

 

 

「おう!こりは!」サル

 

あの芳醇かつ繊細なイメージとは真逆の本醸造なみの男酒だった。これはないなとサッサと空けて飛露喜に変更。すると今切らしているという。一瞬肩を落としかけたが、若い女性スタッフが何やら電話している。そして「少しお待ちください」という。

 

 

お通しはそう呼ぶにはあまりに巨大だった(笑)。

 

「大皿に載るほどだの」サル

 

ここで表戸が開いて男性が飛露喜の一升瓶を差し出した。そうか。電話ひとつで向かいの君嶋屋から届く仕組みなのか。ということで有難く開栓仕立ての飛露喜を頂戴することに。

 

 

酒場詩人気取りでアラカルトで頼むことにした。それにしても達筆。

 

 

確かにレパートリーは豊富。適当に頼んで待つことに。

 

 

まずは造りの盛り合わせ。鯛、蛸、鮪、鰺、イカ、くらげ。そして贅沢にも鮑つき。

 

 

揚げ物 豆鰺

 

釣りが好きなのだろう。巨大な魚拓が壁に飾ってあった。ただ、あくまで推測。店主との間に会話がないので、それ以上のことは判らない。

 

 

あんこう竜田揚げ 鮟肝

 

おサルの大好物も忘れずに。定石に逆らって揚げ物連発。味はいい。いいのだが、店内の緊張感に息が詰まりそうだ(笑)。

 

 

ぎんだら西京焼

 

続いて焼物。一時間ほどして一組の男女が入ってきた。ひと言ふた言会話を交わしている処を見るとなじみの客のようでもある。やはり、関東では一見は所詮一見なのかもしれない。

 

 

黒毛和牛ロースたたき

 

主役は和牛で。とにかく量が半端ではない。これで1500円。下手な居酒屋でもこうはいかない。

 

 

最後にからすみパスタを戴いた。どうしても炭水化物を食べたいというおサルの希望を容れて。カラスミは手造り。麺はほどよくアルデンテ。まさか割烹で旨いパスタが味わえるとは。

 

 

鱈腹食って飛露喜も好きなだけ飲んだ。しかし、期待していた酒場放浪記の世界に、片足すら浸せなかったのは残念で仕方なかった。妄想で期待を膨らませてはならない。

 

「ヒツジだのう」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第334回】

月不見の池 プロトタイプ 無濾過 瓶囲い 2025

 

製造年月:2025年4月

生産者:猪又酒造㈱

所在地:新潟県糸魚川市

タイプ:純米吟醸 無濾過生酒

使用米:越淡麗100%

精米歩合:60%

アルコール:14%

杜氏:猪又元治氏

販売価格:1,600円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は月不見の池(つきみずのいけ)。約二箇月前に飲んだサビ猫ロックを醸す猪又酒造の代表銘柄の試験醸造酒。定番なのかイレギュラーなのか判別つけがたいが、失敗を恐れずに定番にないものを追求する作り手の「良心」でもある。今回はその四年目の作。(2025年5月26日賞味)

 

 

“4年目は1年目の企画を改善し、味わいのバランスを維持したままアルコール度をさげました。なめらかな甘旨味とやさしい口当たり、キレの良さが特徴です”と書かれている。飲む前に読むのはご法度なのでもちろんこれは後から知ったメッセージ。

 

 

アルコール度数をさげるということは雑菌の働きも活性化するので、酒質の安定化も維持するのは作り手の悩むところなんだろうね。

 


ガス感は先行しない。低アルらしい軽い飲み心地。花冷えというのもあるが香りは極めて穏やか。次第にソーダアイス(判りやすく言えばガリガリ君)を思わせる香りが少しずつ募っていく。軽さが猪又酒造の酒質の特徴だが、ベタつかないモダンな甘さと穏やかな渋味。いいねこれ。新潟の酒っぽくなくて。

 

「酒だけでもいいね」サル

 

(牛バラ肉と白菜の炒め物)

 

たしかに食中酒というよりナイトキャップ系かな。でも食事の邪魔もしない。それにこの夜は素晴らしい主役がいる。

 

 

「綺麗なアカヤガラが出ていたのち」サル

 

(参考資料)

 

知る人ぞ知る美味なる魚。それがアカヤガラだ。体の1/3が顔という奇妙な形をしている。食べる所がなさそうに見えてむっちりとした弾力のある筋肉で覆われている。大きい物になると2㍍にもなる。

 

「捌くの大変だから頼んだ」サル

 

「これなんだろうね」と水族館の水槽の前でアカヤガラを眺める幼い子とその父親の会話を耳にすれば「それはだね。アカヤガラという食べるとすごく美味しい高級魚なのだよ」と訊かれもしないのについ教えたくなる。そんな美味な魚なのだ。

 

「おやめよ。変なひとだよ。それ」サル

 

啓蒙活動といって欲しい。

 

刺身にしても旨いが、二日ほど天日に干した干物を炙って食べると死ぬほど旨い。以前も書いたはずだが、名古屋の円頓寺商店街のはずれにあるディープな居酒屋で出てきたのが最初で、余りの旨さに骨の間までしゃぶろうとして、眼を離したすきに女将にさげられたのは今でも悔しい思い出だ。

 

 

だが薄造りにするのは想像以上にむつかしい。

 

 

途中で面倒になり最後は適当にもりつけた。半日冷蔵庫で寝かしたのでねっとりとグルタミン化が進んでうますぎるではないか♪

 

 

相性という意味では試験醸造酒は合わないかも。お互い主張を譲らなかった(笑)。

 

「そういうセレクトをしたヒツが悪い」サル

 

別々に味わえば?

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第333回】

True White 純米大吟醸 雄町50 2025

 

製造年月:2025年5月

生産者:合資会社 寒菊銘醸

所在地:千葉県山武市

タイプ:純米大吟醸 無濾過生原酒

使用米:岡山県産雄町100%

精米歩合:50%

アルコール:15%

杜氏:柳下祐亮氏

販売価格:1,800円(税別)

※特約店・季節限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒はTrue White。千葉の寒菊銘醸がおくる季節酒Occasionalシリーズの一本。春の陽気に煌めく雄町由来の酒の雫。それがこれだ。(25年5月25日賞味)

 

 

食卓に何度も登場しているシリーズ。今回はその原点回帰ともいえる品。

 

「真っさらで潔いエチケットだの」サル

 

 

“寒菊の原点の酒質設計で、私達らしさをシンプルに表現いたしました。雄町米の持つ力強さや七色の複雑味といったオンリーワンのポテンシャルを柔らかく引き出すことを目指しました”とある。

 

味の違いが判るようになると、あれもこれもと手を出したくなり、むやみに複雑な設計を有難がる時期がある。だが、振り子が右に振れ左に振れとするうちに、ある一点に収斂していく。True Whiteは酒に焦がれた果てにたどり着くものなのかもしれない。

 

 

チリチリした気泡が張りつき活きがいい。七色変化の雄町にしてはおとなしく、寒菊定番のライチを思わせるカプロン酸エチル系。15%の低アル設計。このあたりはブレない。

 

「心地いい苦味もあるね」サル ウマ~♪

 

ただ奇麗なだけの純大とは訳が違う。

 

(春菊の白あえ)

 

僕らのようなオヤジが飲むさけではないのかもな。作り手について触れてこなかったが、杜氏は今年37歳の柳下祐亮氏。若いセンスが寒菊の酒造りに活きる。元JALの整備士出身で、成田勤務にモヤモヤしていた頃に奥様の情報で蔵人募集に応募。今に繋がっているという。

 

(小鰺南蛮)

 

最近はどこの蔵人も若いなと思っているが、相対的に僕らが年齢を重ねている以上、どんな作り手も“若返る”のは道理というもの。

 

 

2019年の大阪サミットのふるまい酒で一躍知名度があがったが、その人気を裏切らない質の高さは不変。限定酒もあるが、特約店を回れば比較的入手しやすい。大阪ひとり旅から戻った晩を明るく照らしてくれた酒だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

超国宝 祈りのかがやき

 

往訪日:2025年5月25日

会場:奈良国立博物館

会期:2025年4月19日~6月15日

開館:9時30分~17時(月曜休館)

料金:一般2200円 高大生1500円

アクセス:近鉄奈良駅から10分

※撮影NG

 

 

大阪ひとり旅の初日は新大阪駅北口に近いワシントンR&Bホテルに素泊まりした。早めに取ってもらったのが良かったのだろう。然程割高でもなかった。最近の関西のビジホの高騰ぶりは耳を疑う。

 

(吉村順三設計の奈良国立博物館。天気は今ひとつ)

 

その翌日。朝一番から奈良に向かった。2025年の春は京都国立博物館特別展「日本、美のるつぼ」も開催。今の自分に二本立ては厳しい。ということで超国宝展に的を絞った。狙いは石上八幡宮の七支刀中宮寺菩薩半跏像。そして、一度観たはずだが記憶が朧な法隆寺の百済観音。この三点はどうしても観たかった。

 

 

午前8時を少し回ったばかり(開館1時間20分前)で20人あまりの行列。1時間前で200人。この20分の差は大きい。もちろん事前予約は済ませてある。

 

 

人より時間をかける性質なので、開場と同時に雪崩れこんだ客にドンドン抜かされる。早く並ぶのは混雑回避というより自分の鑑賞時間確保の意味が大きい。

 

 

残念ながら薬師寺吉祥天像龍燈鬼・天燈鬼立像は前期公開。どれも一度観ているが、もう30年も前のことで記憶が曖昧だった。まあいい。辛抱強く待っていれば機会もあるだろう。

 

今回の企画は奈良博開館130周年を祝うもので、奈良ゆかりの国宝を時系列で展示。仏像、絵画、工芸、写経の各ジャンルにおける逸品ばかりだ。とりわけコアとなる秘仏がズラリと並ぶさまは壮観。贅沢の極みである。

 

百済観音(飛鳥時代・7世紀)法隆寺・一木造

 

いつ頃からだろうか。第一会場の正面にオオトリを務めるべき大傑作を配置するようになったのは。観音菩薩立像が近頃の正式名称なのだろうか、子供の頃は百済観音で通っていた。高さ209㌢。スラリとした八頭身で側面から見ると緩やかにS字を描いている。その痩身に人間っぽいおちょぼ口の柔和なお顔が載る。見あげるばかりの威容にただうっとりするばかり。写真で観ても全然伝わらないが。

 

 

特に竹を模した支柱の先の宝珠形の光背がアンバランスでいい。火焔の色なのだろうか。ここだけベンガラ色の顔料が残っている。惚れ惚れする仏様だ。

 

釈迦如来倚像(飛鳥時代・7世紀)深大寺・金銅製

 

 

深大寺といえば松本清張の小説『波の塔』の舞台となり、映画化されて以来、観光寺院の印象があるが、もとは南都仏教の法相宗寺院として建立された古刹だ。現在の堂宇は火事による近代の再建で関東の寺院ということで歴史を感じなかったが、そこに伝わる釈迦如来倚像が朝鮮様式を伝える白鳳仏と知れば見方も変わる。確かに切れ長の柔和な目尻は興福寺仏頭に似ている。

 

釈迦如来坐像(平安時代・9世紀)室生寺・木造

 

中盤のトリ。ゆったりとしたスペースが割かれ、鑑賞者と如来様の視線が合うように配置されていた。なによりも薄っすらと残る顔料(胡粉だろうか)が生肌を曝しているようで肉感的。作者来歴不明という謎もロマンを掻きたてる。初鑑賞でしばらく周囲をグルグルまわってしまった。室生寺に伝わる貞観仏の傑作。

 

叡尊坐像(鎌倉時代・1280)西大寺・木造

 

廃れかけていた南都六宗のひとつ律宗西大寺を再興した叡尊の坐像として名高い。制作は善春。制作年も判っている。この垂れ眉をみると近所で農協の理事をしていたYさんを思いだす。

 

虚空蔵菩薩像(平安時代後期・12世紀)東博蔵

 

仏画ではこれかな。東博の所蔵だけど。他に病草紙の「ふたなり」「痔瘻の男」「口臭の女」という傑作中の傑作が展示対象だったが前期のみだった…残念。かわりに地獄草紙、餓鬼草紙、六道絵が展示。判りやすい画題だけに人気コーナーだった。

 

七支刀(古墳時代・4世紀)石上神宮蔵

 

愉しみにしていた古墳時代三大鉄剣のひとつ。大きさでは稲荷山古墳鉄剣(埼玉)に軍配があがるが、この異様なフォルムと、錆びまくっているにも関わらず、昨日象嵌したと言っても通りそうな金文字が圧巻だ。ちゃんと読める。高句麗との覇権争いの力添えを求めた百済王倭王に贈呈したと伝わる。行列はここが最長だったね。

 

金光明最勝王経(奈良時代・8世紀)奈良博蔵

 

写経というジャンルはこれまで心に響かなかったが、先日、東京国立近代美術館のMOMATコレクション展で川端龍子の《草炎》(1930)を観て考えが変わった。紫紺の料紙に金彩で燃える様な春の草花を描いた大作の原点にこの装飾経典があると思えば、また違う感慨が湧いた。

 

菩薩半跏像(伝如意輪観音)(飛鳥時代・7世紀)中宮寺・木造

 

そして文字通りのオオトリは中宮寺半跏思惟像。別名:弥勒菩薩像。この仏様一体のために白堊の円形の部屋が充てられていた。目録では菩薩半跏像(伝如意輪観音)になっている…。一体どれが正しいのか?

 

「ヒツが大人になったあと研究が進んだんじゃね?」サル

 

面倒なのでここでは子供の頃から親しんだ弥勒菩薩にしておく。アルカイックスマイルとスレンダーボディが特徴のこの菩薩様。実は観る角度で表情が変わる。

 

 

「微笑んでゆ」サル

 

 

「考えてゆ」サル

 

(図案には色のバリエーションがあるがこの色がなじみ深い)

 

ただし、僕ら昭和少年の心の深層に宿っている弥勒菩薩は50円切手のそれであり…

 

 

もっといえばその原画となった小川晴暘(1894-1960)の写真が原型になっている気がする。広隆寺のそれは以前見学したが、中宮寺の弥勒菩薩は初めて。想像していたより大きく、ドレープ状に様式化された裳裾の意匠は同じ梁様南式の百済観音や北魏様式にもみられるスタイル。国宝指定もうなずけた。

 

こうして国宝三昧の一日は過ぎていった。多少時間はあったが天気も悪いし、建築巡礼は気がのらない。名残りを惜しみながら京都駅経由で横浜に戻ることにした。

 

「ご飯作って待ってゆよー♪」サル のもーぜ!

 

(おわり)

 

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サルヒツのグルメ探訪♪【第271回】

自由軒 難波本店

℡)06-6631-5564


カテゴリ:大衆洋食・カレー

往訪日:2025年5月24日

所在地:大阪市中央区難波3-1-34

営業時間:11時30分~20時(月曜定休)

アクセス:地下鉄・なんば駅(⑪出口)から2分

駐車場:なし

■38席

■予算:1000円(税別)

■予約:不可

■カード:不可

 

《欲張ったせいで…》

 

綿業会館の見学ツアーを終えた。時刻は午後三時を回ったところ。夕食には早いがひとり酒は苦手。そこで(やはり懸案だった)難波の自由軒で名物のカレーを食べることにした。大阪初の本格洋食店として1910(明治43)年創業。大阪勤務時代の若い頃に一度食べた記憶があるが、仮にそうだったとして天保山の出店で難波本店ではない。あの本店に行かずして自由軒を語るなかれ。

 

 

と威勢よく言ったはいいが、難波の地下街出口ではげしく方向音痴になり、ようやくアーケード街に女将の等身大プラカードをみつけたときは心底ほっとした。食品サンプルにオレンジのカードが昭和の郷愁をさそう。最初に食べたのはすでに平成だったが。

 

 

横一列に並ぶ六人掛けの相対式テーブルなので、おひとり様は赤の他人と対面に座る可能性もある。ただ食事には中途半端な時間がさいわいして比較的空いていた。すかさず姐さんが注文を取りにくる。手渡されたメニューを吟味するふりをしながら、何を食べるかは最初から決まっている。いや、しっかり心に誓わないと目移りするのは自分でも判っていた。

 

 

だが「カレーで」と言いかけた刹那「せっかくだし大にしたら」と黒ヒツジが耳元でささやいた。そうなのだ。カレーは幼い頃から大好物。

 

「味覚がおこちゃまな証し」サル

 

とおサルは時折せせら笑うが全然悔しくない。「カレーは飲み物」とマツコのお墨つきもある。

 

「カレーの大で」🐑

 

奥の厨房にオーダーを通す姐さんの声が心地よく響く。汗をかいたお冷やのグラスを口許に運び、しばらく夢想のひと時を過ごした。隣も遠来の客なのか、白いものが混じったその風貌から同年代と読み取れた。さては単身族か。帰省しないひとりぼっちの週末。そんな乾いた日常を孤独のグルメが支える。客は卓上に運ばれたハイシライス(ハヤシライスを関西ではこういう。初めて知った)をスマホに納めて満足そうに食べ始めた。次は僕の番だ。

 

 

なんだ。これは。

 

それはただライスを倍にした代物に過ぎなかった。そもそも卵二個乗せでは、ドライカレーの中央に、水盤に浮かぶ月のごとき卵のフォルムが大なしではないか。自分の迂闊さに臍を噛む思いだったが、今更どうしようもない。せめておサルがいれば、間違いなく普通サイズを頼んだはず。ところがその肝心のおサルがいない。

 

(具材は玉葱オンリー。形は殆ど残っていない)

 

しかし、よく考えれば大阪出身のサル母もその娘のおサルも、この卵を浮かせた食べ方をひどく嫌がっていた。曰く、きもち悪い、どこが美味しいのか判らんと。生の白身のブヨブヨ感には少なからず抵抗があるが、混ぜてしまえば味に影響はない。むしろまろやかさが増すと思うのだが。

 

「だから行かなかった」サル 好みの問題だし

 

黙黙と頬張りつつ、くだらないことを考えているうちに、気がつけば皿は奇麗に片づいていた。今では定番ともいえる卵のトッピング。そのルーツこそ自由軒。大衆食堂の風情を残す店内を見回せば、やはり来てよかったと思うのだった。

 

(翌日につづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ283

綿業会館

 

往訪日:2025年5月24日

所在地:大阪市中央区備後町2-5-8

開 館:10時~20時(日祝・第三土曜休館)

アクセス:御堂筋線・本町駅から5分

駐車場:なし

見学会:毎月第4土曜(10:30~食事つき 14:00~見学のみ)

時 間:1時間

見学料:1000円(事前抽選)

■設計:渡辺節建築事務所(渡辺節・村野藤吾)

■施工:清水組

■竣工:1931年

■国重要文化財(2003年)

■近代化遺産(2007年)

 

《ついに往訪を果たした》

 

2025年5月下旬の大阪ひとり旅。続いて訪ねたのは綿業会館。関西モダニズム建築の雄ともいうべき傑作のひとつだ。大阪赴任時に抽選に応募。幾度はずれたか知れない。ふと思った。ランチつきに拘らなければ競争率は下がるのではないか。狙いは的中。見事に当たった。しかし、無情の異動通知。このためだけに新幹線で戻るのは勿体ない…のか。行くべきやろ。これが事の次第。

 

 

訪れた日は大雨。そんなこともあろうかと離任前に外観を撮っておいたのは正解だった。塔屋つきSRC造6階建て。設計は渡辺節建築事務所。関西にアメリカ流近代建築をいくつも残した渡辺節(1884-1967)の事務所だが、実際の設計は若き日の村野藤吾が担当した。当の村野は「これはあくまで渡辺先生の作品で、自分は手伝っただけに過ぎない」という意味のことを語ったというが、例えば冒頭の写真の(陰になって見づらいが)網目模様の塔屋はいかにも村野だし、各階で異なる窓のスタイルも初期の代表作、大庄村役場庁舎(1938)に通じる。

 

 

とにかく贅の限りを尽くした建築だ。

 

 

到着は1時間前だったが、普通に入れてくれた。

 

 

ホールではランチ付きのグループが優雅に寛いでいた。時間まで待つように優しく言われた。その間会員食堂は自由に見ていいとのこと。神対応である。

 

 

風除室の巨大なシャンデリア。トラバーチン仕様の格天井も彫りが深い。

 

 

ふりかえる。入り口の返し扉の飾り模様が繊細だ。この格子模様は館内至るところに見られる。

 

(エアコン排気口)

 

参考までにドラマ「名建築で昼食を」公開の前後で見学の応募数は変わったかと訊くと60倍近くになったという。それでなくてもモダニズム建築祭の効果で関東関西を問わずに大盛況。昭和建築の取壊し回避のムーブメントに繋がれば。

 

「そればかりはねえ」サル 全て持ち主の意向次第

 

大ホール

 

いよいよ見学会開始。参加者は約30名といったところ。殆どは在阪の中高年。そういう自分もほぼそのひとりなのだが。

 

「自覚ないよねえ」サル

 

 

正面に三階ぶち抜きの大階段がドンと現れる。まるで映画のセットのようだ。中央には東洋紡績の専務取締役をつとめた岡常夫の銅像があたりを睥睨している。岡の遺贈金100万円と業界の寄附50万円で建設され、繊維業界の社交クラブとしてスタートした。現在価値にして約50~75億円。それで建てばすごい。

 

「ていうか専務クラスの遺産が数十億円ってどうよ」サル

 

昔の重役は本当にひと握りだったしね。

 

 

流れるようなマニエリスティックな手摺がたまらない。


 

中央で一段低くして二階への視認性を確保している。よく観察しないと判らないが、下層は天然琉球石灰岩。上層は人工擬石で化粧しているそうだ。

 

 

踊場から入り口を見返す。

 

 

ホールはイタリア・ルネサンス様式で統一。古代遺跡のようだ。

 

 

側廊を連続アーチで飾る。天井はハーフティンバーの折衷式。

 

 

続くエレベーターホール。どこまでも贅沢だ。

 

会員食堂(本館一階)

 

 

つぎは改めて会員食堂

 

 

高さを確保するために一段低くなっている。

 

 

天井は30年代のアメリカで流行したミューラル・デコレーション

 

 

エンボスの効いた幾何学模様とアールヌーヴォー風の唐草模様が絡みあう。

 

 

裸電球による照明。

 

 

透かし彫りの窓。ここにも菱形格子。

 

 

招来の本格的な冷暖房設備の導入を見越してダクト径を大きくし、設備の空間もあらかじめ確保するなど未来志向の設計になっている点も特筆しておきたい。

 

談話室(本館三階)

 

部屋は全て様式が異なる。世界中の人に寛いでもらいたい。そういう願いをこめたそうだ。ちなみに開業間もない頃、この談話室にリットン調査団が訪れている。

 

 

英国ジャコビアン様式。関東では岩崎邸が有名だ。

 

 

当館でも指折りの贅沢な設え。窓には鋼製ワイヤー入りの耐火ガラスを使用。大阪大空襲にも耐えたのはその先見の明ゆえらしい。

 

 

豪華なタイルタペストリーが眼を惹く。関西ではおなじみの京都・泰山タイル製。

 

 

そして、隠れた顔ともいうべき軽快な吊階段。いかにも村野藤吾って感じだ。

 

 

手摺といい丈の高い腰板といい優雅の極み。

 

 

神社建築の手挟に似た添え木が面白い。

 

 

大理石で化粧した暖炉。壁龕のような壁飾り。

 

 

これだけの吹き抜け空間はなかなかない。

 

特別室(本館三階)

 

 

別名・貴賓室。貴顕の賓客もこの部屋に遊んだ。

 

 

天井の鏝飾りや照明に曲線を多用した英国クィーン・アン様式になる。

 

 

細かい装飾もみどころ。

 

 

家具の猫足も。

 

会議室(本館三階)

 

会議室には扉一枚で隣接していた。

 

 

通称「鏡の間」。アンピール様式

 

「なに?あんぴーるって」サル

 

エンパイアのフランス語読みだね。帝政様式ともいうよ。19世紀前半のナポレオンの時代に流行した虚飾を排した室内装飾だ。

 

 

崩し卍にゼツェッシオン風の文様。

 

 

いずれも幾何学的なデザインだ。

 

 

特別室との連絡ドア。

 

 

楕円の時計。

 

 

床石にはアンモナイトの化石がここにもそこにも。

 

 

こちらは珍しい大型巻貝。計算に基づく配置といわれている。

 

「茶目っ気があったのかも」サル

 

グリル(本館B1F)

 

このあと見学会ランチで利用されるグリルを見学した。催し事次第で螺旋階段は観られない日もあるという。幸運だった。

 

 

設計は同じ渡辺節建築事務所の仕事。ただし村野独立後であり、直接携わっていないが、リスペクトをこめて“村野らしさ”を演出しているという。

 

 

流れる様な吊階段。手摺の曲線も素晴らしい。

 

 

籐家具のような高欄飾りは宝ヶ池プリンスホテルを連想する。

 

 

灰釉タイルとの組み合わせなんか「これ村野藤吾なんですよ」といわれれば「ホントですね!」って思わず言ってしまいそうだ。

 

 

ランチは頂くことはできなかったが見学できればそれでいい。(ちなみに午後の見学者もランチ割引券がもらえる)。

 

 

色ガラスの象嵌。

 

 

リスペクトを感じさせるグリルだった。

 

 

倶楽部にはバーはマスト。大阪の紡績王たちが商談の疲れを癒すそんな場面が想像された。ちなみにガイドの皆さんは紡績会社からの出向でこの日はクラレの方だった。建物同様に皆さん、品格のある紳士だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。