浮世絵展 隅田川でたどる江戸の暮らしと文化
往訪日:2025年6月7日
会場:茨城県天心記念五浦美術館
会期:2025年4月26日~6月8日
開館:10時~17時(月曜休館)
料金:一般710円 高校生470円 小中生240円
アクセス:常磐道・北茨城ICから15分
※撮影OK
続いて天心記念五浦美術館のアート篇である。まずは常設の天心記念室を見学した(個人的にはここと建築さえ見ることができれば目的の99%は達成)。
岡倉天心記念室
天心の名前こそ知れど、そこまで心を寄せる客は稀とみえて人の気配は殆どなかった。
天心こと岡倉覚三(1863-1913)は福井藩士の息子として横浜に生まれた。ちょうど横浜市開港記念会館(ジャックの塔)のある位置にあたる。ハマッ子と言いたいところだが、武士の商法で商売を鞍替えしていった父に従って東京に移住。もとより学問の素養があったのだろう。東京外国語学校から東大文学部に入学。卒業後、文部省官吏として出逢ったのがフェノロサで、二人の古寺調査によって多くの寺院と仏像が救われた。
京阪の寺社調査を命じる辞令だ。ここで200年間秘仏だった法隆寺夢殿救世観音を開帳させた。本人も「一生の最快事」と歓びを顕わにしている。
(若い頃は役者のような二枚目。家族みな同じ顔だったらしい)
1886年から東京美術学校開設のためにフェノロサとともに欧米視察へ。時に23歳。
「大抜擢だね」![]()
(美術学校制服。黒川真頼デザイン。裁判所などの法服のデザインでも知られている。人気がなくて5年で廃止になった曰くつき)
翌年には無事美術学校開校に結び付けた。
卒業式の写真。無二の弟子となる大観も一緒に写っている。
横山大観《写生(慈姑・蓮根)》(c.1889-1893)
学生時代の大観の写生。写生と古画模写の「臨画」。そして創作の「新案」へと学科は進んだ。若描きの作品は生硬なまでに精密。大観だけではない。観山にしてもしかり。のちの朦朧体からは想像できないリアリズムだ。その緊張の息遣いまで伝わってくる。
しかし好事魔多し。天心追放の謀略が発生。事は(九鬼隆一男爵の妻との)天心の不倫が引金とも、学校No1の地位を狙う教師・福地復一の工作とも言われる。まあ、その二人が結託したというのが真実なのだろう。美術学校を追われた天心に従った弟子、大観、春草、観山らとともに野に下って日本美術院を開校する。
「これって有名な事件だよね」![]()
1904年にボストン美術館の日本・中国美術館の顧問として日米を往復する生活に。この頃天心に師事したのがウォ-ナーだ。京都を空爆から救った恩人と紹介されてきたが、その後「一時的に対象から外れていただけでウォーナーの意見が反映されたことはない」と異論が発表された。彼ほど毀誉褒貶にさらされた人物はいない。
「勝手に褒められて今度は貶められたのきゃ」
気の毒
(ボストン時代に着用していた羽織)
1906年に日本美術院は天心のアトリエがある五浦に移転する。
模型でみると判るが、凄まじい断崖のうえに画家たちの共同生活の場があった。
(背中を丸めて無心に描きこむ武山)
ここで弟子たちは極貧の環境下で絵の修業(むしろ修行か)に励むのだが、もともと身体の弱かった春草が早死にしたのは、ここでの生活が祟ったのではないかと思っているが、その話はまた後にしよう。以下彼らの作品を並べてみる。
大観《樹下美人》(c.1912)
大観45歳の作。アーモンド型の双眸に豊かな肉付き。中期の美人画の特徴をよく表している。
大観《風の夕》(c.1922)
典型的な朦朧体。
菱田春草《五浦ノ月》(1907-08)
春草の心細いまでの繊細な筆致をみると痛々しくなる。大観89歳に対して春草36歳。
頑強そうな風貌ながら絵は非常に細密なのが観山だ。57歳で歿している。
木村武山《立葵》(c.1920-21)
五浦移住四人組の最後は武山。どの絵も茨城県立近代美術館所蔵。五浦で観るから尚いい。
晩年は五浦で釣りを愉しんだ。
墨筆用の遺愛品。
天心設計の竜王丸(複製)。ただし完成が死の二箇月前だったため数回しか利用していないとか。
今回初公開 撮影者不詳《制作中の田中》(c.1931)
制作中の平櫛田中と岡倉天心坐像。東京美術学校での恩を生涯忘れることのなかった田中は天心像を幾体も彫っている。
企画展
あちこちで観てきたので近頃食傷気味の浮世絵だが一応備忘録として。判りやすいせいか、ここはそこそこ人気だった。
北茨城市の某コレクターの個人収集品が展示対象。全252点。前期後期入替ありだが、ほぼ同じ数。とてもジックリ観る暇はなかった。
歌川国貞《江戸八景の内 隅田つゝみの晴嵐》(1844-1848)
隅田川を切り口に江戸から明治初期の風俗を紹介。
小林清親《向島桜》(1880)
最近人気なのだろうか。それとも単なる偶然か。はたまた元より有名だからか。三菱一号館美術館。府中市美術館。そしてここ。清親(1847-1915)の絵にはこの一年で幾度も出逢っている。浮世絵から出発した清親だが、ドラマ性のあるカットや細密表現が魅力。光線画や風刺画で人気を博した。この作品はむしろ田善など洋風画の影響を思わせる。
歌川国芳《荒獅子男之助》(1849)
国芳得意の役者絵。八代目・團十郎が男之助を演じた「伊達の十役」の一場面。鼠を叩き払う男之助。
「しっぽが見えてる」![]()
好きな(というより需要があった?)演題だったのか複数バージョンがある。
歌川国芳《東海道五十三對 桑名》(1843-47)
広重の《東海道五十三次》の向こうを張った国芳描く人気シリーズ。宿場ごとに伝奇を絡める。岡部宿の化け猫騒動も面白いが、桑名は海坊主に対峙す豪傑・船乗り徳藏の段。他には揚州周延の《見立十二支》など。花魁や美人画よりこうした絵の方が好みかも。
「隅田川関係ないね」![]()
個人コレクションだしね。
(おわり)
ご訪問ありがとうございます。
























































































































































































