名建築を歩く「すみだ北斎美術館」(東京都・両国) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ74

すみだ北斎美術館

 

往訪日:2024年3月30日

所在地:東京都墨田区亀沢2-7-2

開館:9時30分~17時30分(月曜定休)

料金:(常設)一般400円 高大生300円

アクセス:JR総武線・両国駅より約10分

■設計:妹島和世

■施工:大林組・東武谷内田建設JV

■竣工:2016年

※常設展示はレプリカにつき撮影OK

 

《全然北斎と結びつかないデザイン…》

 

ひつぞうです。両国建築散歩の最後です。四箇所目は墨田区立のすみだ北斎美術館。解説するまでもなく展示対象は葛飾北斎。今更北斎もないやろという気もしますが、ここ、プリツカー賞建築家・妹島和世氏の名建築なのです。展示物もさることながら建築に興味をそそられて訪れるお客も多いのではないでしょうか。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

ということで旧安田庭園から徒歩で南下した。江戸東京博物館菊竹清訓の名建築なのだが、現在大規模改修工事で休館中。一度訪ねたことはあるので惜しむことなくパス。

 

 

見えてきた。写真で見るよりも現物の方がインパクトがある。何といっても周囲はごく普通の下町。浮きまくっている(笑)。もちろん好い意味である。

 

「なんですかな。こりは!」サル

 

 

地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造の建物で、四面をアルミ製のカーテンウォールが覆っている。

 

 

一階には四方それぞれにスリットが入り、どこからでも自由に出入りできるように設計したそうだ。つまり裏表のない造り。それが妹島さんが提示したコンセプトなのだそうだ(HPより)。

 

 

アルミはややマット感のある仕上げ。なのでぼんやりと周囲の景色を反射するしかけ。

 

 

如何なる大御所でも国内作品になると大人しくなりがちだが、これくらい弾けると気持ちいい。特に最近の組織系コンサルやGC直営の設計は合理的な反面(意図してだろうが)個性や遊び心がない。だからこの美術館は観て嬉しくなった。

 

「周辺に暮らす人は落ちつかなくなくね?」サル

 

意外に普通に生活していたよ。

 

 

一階部分は十文字に通路が開かれ、その結果四つの部屋に分割されている。

 

 

ショップ&総合案内、図書室、講座室、そして事務所(関係者のみ)という構成。

 

 

ガラスも映り込みあって面白い効果を出している。狭い敷地面積のなかで、そして、浮世絵の保存のための閉じた構造という条件のなかで、少しでも広がりをみせようという工夫を感じた。

 

 

どうでもいいけど電線なんとかならんのか。

 

「美術館の方が後からできたんでしょ」サル ならんよ

 

 

やはりというか、ここも外国人が多かったね。サムライ(刀剣)に浮世絵だもんね。

 

「あとお相撲」サル

 

富士山と芸者が揃えばパーフェクトだな。

 

 

区立美術館でこのレベルだからね。東京の財政力恐るべし。いや誉め言葉で。

 

では北斎を鑑賞しよう。まずは常設展示から。

 

 

=常設展示=

 

収集品はピーター・モース、そして、楢崎宗重の二大コレクションを母体に墨田区が購入した作品から成っている。そもそも隅田(濹田)の街は北斎が生まれ、人生のほとんどを過ごした場所。

 

葛飾北斎《須佐之男命厄神退治之図》(1845)牛島神社・復元

 

入り口に掲げられた北斎晩年かつ最大級の肉筆画。残念ながら印刷。現物は関東大震災で焼失してしまった。古美術専門誌「國華」に残された白黒写真をもとに最新技術で再現した。

 

ではおサルのための振り返りコーナー。

 

「うむ」サル

 

 

葛飾北斎(1760-1849)。江戸後期に活躍した本所生まれの浮世絵師。幼くして驚異的な画力を示し、18歳で役者絵の勝川春草に師事。勝川春朗の名前で挿絵師デビュー。師匠の死後、江戸琳派を興し、40代で《北斎》を名乗り旺盛に創作をこなした。傑作「北斎漫画」がスタートするのは50代、「冨嶽三十六景」に代表される錦絵を発表するのは天保年間(70代前半)。一般的にイメージする“北斎”は後期に生み出されたことが判る。晩年は肉筆画にも取り組み、88歳の大往生をとげた。

 

人生が徒に(失礼)長いだけに書くべきことが多い(笑)。

 

 

(家庭的な匂いが全然しないので)北斎の家族や子孫について考えたこともなかったが、二度結婚していたんだね。後妻との間にできた娘・阿栄が最後まで北斎の画業をささえた。もうひとり、最晩年まで北斎を悩ませた放蕩者の(名前不明)は先妻の孫。日進除魔図を描いたのはこの孫のせいだとも言われているね。どちらにしても家系は絶えている。芸術家アルアル。

 

 

こんな感じで撮影OK。レプリカとはいえよく再現されている。

 

 

=宗理(江戸琳派)の時代=

 

師匠が亡くなって江戸琳派を興した時代。宗理と名乗った頃だ。

 

葛飾北斎《吉原遊郭の新年》(1811年頃)錦絵

 

徳島の大塚美術館を思い出さない?。精巧なんだけどおカネ払って見るものなのだろうかと。つい詰まらんことを考えてしまう。

 

「精巧ならいいじゃん」サル

 

でも自分の妻が知らないうちに精巧なアンドロイドにすり替えられているとしたら。そんなSFなかったっけ。

 

「おサルも実はおサルなんだけどにゃ」サル

 

人間やろ。キミは。

 

(拡大)

 

中央には尻込みする旦那を強引に引き入れる幇間の姿が見える。観察と描写が細かい。

 

葛飾北斎《賀奈川沖本杢図》(1804-07)錦絵

 

「冨嶽三十六景」の神奈川沖浪裏とはずいぶん違う。構図で絵もずいぶん変わるんだね。

 

「ダイナミックさに欠けるね」サル

 

 

=読本挿絵の時代=

 

葛飾北斎《飛騨匠物語》(1809)

 

緻密。時に北斎49歳。読本の挿絵は端正でおとなしい。

 

 

=絵手本の時代(北斎漫画の誕生)=

 

葛飾北斎《略画早指南》(1812年頃)

 

50を過ぎて門弟も沢山できた北斎は「ちょっとコツば伝授しちゃろう」と絵手本を描いた。そのひとつが《北斎漫画》だ。とにかく偏執的に様々な画題を集めている。デザイン帳としても大当たりした。

 

「リアリティあるもん」サル

 

葛飾北斎《北斎漫画(十二編)ろくろ首・三つ目の眼鏡》(1878)

 

森羅万象から市井の親父の百面相まで。動物も本当に旨い。断続的に発刊され、死後出版さえたものも含めて全十五編に登った。

 

 

=錦絵の時代=

 

葛飾北斎《百物語 こはだ小平二》(1831-32年頃)モースコレクション

 

《百物語》シリーズもいい。特にこの小平二の恨めしそうな表情がいい。山東京伝の讀本『復讐奇譚安積沼』はその歌舞伎上演も一役買い、一気に人気作になった。そこからインスパイアされた傑作。

 

葛飾北斎《諸国瀧廻り 下野黒髪山きりふりの滝》(1833年頃)錦絵

 

有名な日光の霧降の滝。でも実物はこんな形してないよね。巨大な怪物のようだ。この《諸国瀧廻り》シリーズは擬人化された自然の風景が目立つ。様々な想像ができて愉しい。

 

「上の人の遠近感がおかしい」サル

 

そうね。この滝のスケールだともう少し小さく見えるかも。意図する所があるのだろう。

 

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖波裏》(1831年頃)

 

言わずと知れた名作。毎年どこかの展覧会で観ることができるほど。今年発行の新千円札のデザインにもなっている。

 

葛飾北斎《詩歌写真鏡 安倍の仲麻呂》(1833-35年頃)錦絵

 

板の木目とベロ藍が鮮やか。原本は初摺りに違いない。

 

 

=肉筆画の時代=

 

葛飾北斎《唐土名所之絵》(1840年頃)ピーター・モースコレクション

 

大判の大作。人間技とは思えないほど細かく、びっしり地名が書き込まれている。

 

 

最晩年の北斎と出戻り娘の阿栄の実寸大ジオラマ。怖いくらいリアル。半身を炬燵に入れたまま狂ったように描いた。そのため周囲は反故だらけ。しかし、娘は構うことなく画狂人の仕事を見守った。実は阿栄、それらの反故もこっそりしまっておいた。おかげで今日鑑賞できる。

 

「でも部屋汚すぎでしょ」サル

 

だからだろうか。北斎は異常なまでの転居癖があったそうだ。

 

葛飾北斎《朱画鍾馗図》(1846)絹本着色

 

中国から伝わった疱瘡除けの神様。特に北斎の鍾馗図は人気だったそうで、幾つかバリエーションがあるそうだ。バランスの取れた構図。輪郭の力強い線と顎髭や毛髪の繊細な描写。そして朱色の濃淡。どれをとっても一流の証し。贋物はまず線が死んでいる。

 

葛飾北斎《枇杷に白蛇図》(1847)複製画

 

枇杷も白蛇も弁財天の象徴。蓄財と芸術と学問の神。誰もが手に入れたい。86歳になっても…人間等しく煩悩から逃れることはできませんな(笑)。以上で常設展示は終了だ。

 

 

展望ラウンジ。

 

 

ホワイエ。螺旋階段が美しい。

 

 

企画展は《歌舞音曲鑑》。こちらは見事に撮影NG。歌舞伎の役者絵、披露会の刷り物、そして人形浄瑠璃に関する錦絵が展示されていた。特に北斎は踊りに興味を抱いていたようで《雀踊り》《悪玉踊り》なる刷り物を残している。一体ごとに切り抜けばパラパラ漫画になる。それほど精確に観察され描かれていた。
 

葛飾北斎《踊独稽古》(出典:チラシ)

 

以上で建築散歩は終わり。回向院三囲神社など訪ねたい場所は他にもあったが止めにした。最近疲れやすくて(笑)。ということで機会があればまた次回。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。