特別展「北斎」で描き散らした反故紙が藝術になることを知る(福岡県・九州国立博物館) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

特別展「北斎」

 

往訪日:2022年5月21日

会場:九州国立博物館

会期:2022年4月16日~6月12日

開館:9時30分~17時(土日は20時まで)(月曜休館)

料金:一般1800円 高大生1000円 小中学生600円

アクセス:西鉄・太宰府駅より徒歩15分

 

 

ひつぞうです。先週末は福岡に帰省しました。そのついでに九州国立博物館で開催中の特別展「北斎」を鑑賞しました。毎年どこかの美術館で“絡み”の展覧会が開催されているため、食傷気味の北斎ですが、今回は門外不出の珍品が初公開されるということで足を運んでみました。以下往訪記です。

 

★ ★ ★

 

その日僕は所用で独り羽田空港から福岡に飛んだ。久しぶりの機上から見る青い空。

 

 

あいにく関東は雨模様だったが、周防灘にさしかかるあたりから雲の切れ目が見え始めた。

 

 

着陸態勢にはいり、博多湾上空を旋回する。懐かしい百道浜。青い大濠公園。この街でおサルと出逢った。厭で仕方なかった九州赴任だったが、縁とは不思議なもの。あの堀端の近くで五年半暮らした。既に四半世紀前になる。

 

福岡は快晴だった。むしろ汗ばむほどだった。西鉄大牟田線で二日市まで移動し、乗り換えて太宰府駅に着いた。休日というのに人影はまばら。ここもインバウンド頼みの街なのだろう。中学生の頃までこのあたりは庭だった。

 

 

参道で高級饅頭店《吉武》の看板が眼に入る。梅が枝餅の店か。少し迷ったが、一人旅で大きな荷物。なんだか面倒になって止すことにした。天満宮境内の菖蒲園。花の季節は終わっていたが、木陰に陣取った中学生たちは、おのおの写生にいそしんでいる。僕らの時代とちっとも変わっていない。

 

 

まだあったんだ。太宰府園。子供の頃は最奥にあるプールに通うのが夏休みの日課だった。

 

 

その右脇に九州国立博物館の入り口がある。やっと着いた…。地元の客は車で訪れるのが一般とみえて、ここからアプローチする人の姿は殆どない。東京ならば考えられない静けさ。ここから長い長いエスカレーターで本館へ。

 

 

まだ建物に入っていない。何年振りか忘れたが二度目の往訪。鮮やかなブルーと総ガラス張りのモダンなデザインが眼を惹く。国内四番目の国立博物館として2005年にオープンした。

 

 

巨大な空間のエントランス。大きな荷物はクロークで預かってくれる(もちろん無料)。意匠設計は建築家の菊竹清訓

 

さっそく鑑賞しよう。

 

第一章 これぞ、北斎!-「真正の画工」への道のり-

 

要するに誰もが北斎と判る作品が一気に並ぶ。これで「よう知らんけど母ちゃんに連れられてきた」というオヤジたちや「デートに来たっちゃけどよく判らん」という若いカップルの心を鷲掴みするという戦法である。

 

《冨嶽三十六景 凱風快晴》(1830-1831年頃) 和泉市久保惣記念美術館蔵

 

北斎といえばこのシリーズだろう。役者画、美人画が主体だった浮世絵に“風景”という新ジャンルを確立したのも天才絵師・北斎の業績。本展覧会の二枚看板として前期は《神奈川沖浪裏》、後期にこの《凱風快晴》が選ばれている。残雪が僅かに残る赤富士。筋状の積雲。季節はちょうど今頃だったのかもしれない。初期の刷りだと木目が残るが、これにはそれがない。比較的遅い時期の刷りだろうか。

 

※なお、漫画家・しりあがり寿先生のパロディ作品が三点展示されている。そのセンスに脱帽。掲載できないので、ぜひ現地で御覧頂きたい。北斎よりもすごいかもしれない。ちょうど先生の記念トークショーの日だったのだが事前予約制。ついてないよ(泣)。鴨川つばめ先生、みうらじゅん先生と並ぶ僕のナンセンスの師匠なのに…。

 

《諸国瀧廻り 木曽路ノ奥阿弥陀瀧》(1833年頃)和泉市久保惣記念美術館蔵

 

諸国名所図会的な作品も多い。とりわけこの作品が好きなのは若冲も顔負けのデフォルメのセンス。滝の落ち口を奇妙な形でえぐり、しだれ滝でもこんな流れはせんやろっていう物理的にありえない形で表現する。その姿は宇宙人か異形の者。こうした悪戯が北斎の絵にはたくさんあって飽きがこない。

 

しかし、驚くのは冨嶽シリーズに着手したのが63歳ということ。僕なんかまだヒヨッコだね。なにしろ90歳まで生きたのだから。この時代にしてはありえない長寿。

 

《遊亀》(1834年)東京国立博物館蔵

 

北斎自身が愛した名品。亀は絶滅危惧種のイシガメだろう。子供の頃に飼っていたので判る。こうしてみると北斎が卓越した写実の腕の持ち主だったことが判る。特に下から仰いだ構図は秀逸。波紋を加えることで、画面にリズムと水中の奥行を与えている。やはり演出の技もすごい。

 

「どーしてカメの尻尾に毛がはえているのち?」サル

 

苔だよ。あれ。

 

第二章 素顔の北斎 -日新除魔図の世界-

 

いきなり今回のメイン会場に突入。ここは写真撮影OK。

 

 

天保13年(1842年)の正月三日。この日から毎日一枚獅子の絵を描くことを画狂は自分に課した。

 

 

こんな感じね。結論から言えば抜けている日もあるし、一日に三日分描いている時もある。やはり北斎。自分に甘い。

 

 

この名品は長野県の宮本家に伝わるもの。その由来が記されている。

 

 

最晩年の北斎が北信の小布施に通い続けたことはよく知られる。江戸屋敷勤めだった松代藩士宮本慎助は、ある日北斎に絵を所望する。北斎のことだ。快く応じたことだろう。しかし、忘れっぽいのも北斎。いくら待っても絵が届く気配はない。勤めを終えて別れの挨拶に訪れた宮本に、約束を思い出した北斎は困り果てる。その様子を見ていた娘の阿栄が差し出したのがこの《日新除魔図》

 

毎日描いては捨てられる獅子の絵を娘は取っておいたのだ。その由来を慎助の息子が記している。

 

 

画は時として歴史や風俗を伝える役目も果たす。

 

 

北斎も人の子。こんなこともある。

 

 

こういうスナップ的な絵が旨い。犬のビビっている様がよく表現されているね。

 

「ワンコの眼、今にも泣きそうだにゃ」サル

 

なんとなく獅子の表情もドヤ顔だし。

 

 

ま。生活するってことは大変なことです。

 

 

今年も不景気だった…。そんな様子が窺い知れる。

 

「掛け算のダジャレかの」サル

 

 

《日新除魔図》の制作意図ははっきりしていない。孫の素行の悪さに頭を悩ましていたからとか、長寿を願ってのこととか言われている。

 

「係累に不届き者がいると大変だにゃ」サル

 

第三章 名作誕生の秘密-北斎とゆかりの画家たち-

 

ありていに言えば、北斎が極東の画家であることを良いことに、欧州の芸術家がパクったという歴史的真実を表したコーナーである。ま、それだけ北斎の才能が際立っていた証しでもあるが。ちょっと辛口すぎる?

 

ルイス・カムフォート・ティファニー 《蜻蛉文ランプ》 

アメリカ(1900~1910)ヤマザキマザック美術館蔵

 

これは懐かしい。ヤマザキマザック美術館オープン当初に観にいった。まさか九州で再会するとは。

 

エミール・ガレ《蜻蛉にカエル文扁壺「好かれようと気にかける」》

フランス(1888~90年)北澤沢美術館蔵

 

これも諏訪湖のほとりにある北澤美術館で一度観ている。オリジナルの北斎の原画も参考資料として展示してあったが、もうね、臆面もないほど瓜二つ。今の時代ならば著作権法違反で訴えられるね。どうせ、日本の画家の作品なんて誰にも判らんだろう、と…いや、そこまで悪くとっちゃいけない。北斎へのリスペクトと取るべきかもしれない。

 

「美しければいいんじゃね?」サル

 

あんまりこだわりないみたいねあせ

 

特別公開 小布施の天上絵

 

最後のコーナー。“九州初公開”のキャッチフレーズもあるので一応取り上げておく。福岡の人には小布施は遠いしね。

 

「旨いワインが買える街にゃ」サル

 

《龍図》(東町祭屋台天上絵)(1844年) 小布施町東町自治会

 

《鳳凰図》(東町祭屋台天上絵)(1844年) 小布施町東町自治会

 

二枚ともに意匠化された縁起物を描いている。すごいとは思うが、やはり《北斎漫画》や《冨嶽》が好きかも。“意匠化されたもの=盛り込まれたもの”より、“極限まで切り詰めたエッセンス”“突飛なデフォルメ”こそ北斎の真骨頂だと個人的には思っている。

 

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常設展示コーナーにも足を運んだ。ここは思い出の品が待っていた。

 

国宝 《観世音寺梵鐘》

 

渋い小学生だった僕は、やはり歴史好きな教師に誘われて、奈良・平安時代の神社仏閣、遺跡を廻った。いまでは講堂・金堂を残すだけの観世音寺。奢れるもの久しからずの言葉は、この仏教寺院にも当てはまり、小林秀雄の著書と併せて《無常》という言葉の意味を知ったように思う。既に国宝指定されていた梵鐘は金網の向こうで静かに時の流れに身を任せていた。秋の深まりゆく季節だった。

 

《鬼瓦 大宰府政庁跡出土》

 

まだ(当時の)太宰府町に九州歴史資料館があった時代に展示されていた。無料だった当館は母親に誘われて何度も通った。僕の古代史好きを培ったのは間違いなく母親である。ありがたいものである。その展示品のオオトリを務めたのがこの鬼瓦。憤怒の形相のそれは全国的にも珍しいそうだ。

 

《チブサン古墳 石製表飾》

 

これは熊本県の彩色古墳で有名なチブサン古墳の石人。阿蘇山が齎す凝灰岩が豊富な九州北部では石人が多く出土する。

 

《彫唐津茶碗 銘 五葉》16~17世紀(安土桃山時代~江戸時代)

 

一気に時代は飛んで桃山時代。鉄釉を施した不定形の茶碗。唐津焼の名品。

 

「以前は焼き物スルーしていたのに…」サル

 

大丈夫よ。ハマらないから(笑)。

 

九州国立博物館はまだ歴史が浅い。当然、東京、奈良、京都など、先行する博物館と比較して目玉となる美術工芸品は圧倒的に少ない。そのため、コンセプトは《歴史》博物館となっていて、とりわけ古来海外の玄関口だった九州の特性を示す展示となっている。

 

 

また、好事家・事業家からの寄贈品も多い。

 

「ゴルフ場経営って儲かるのにゃ」サル

 

 

すごいのは判るけど、あんまり古伊万里って興味が湧かないのよね。成金っぽくて。

 

できるだけ九博(地元ではこう呼ぶ)の魅力を拡散してほしい。そういう博物館側の願いもあって写真撮影およびSNS投稿が推奨されていた。博物館としては珍しい。ある意味うまい。さすが商人の街。

 

 

ということで北斎を目的としながら、相変わらずの感傷旅行。独り旅もたまにはいい。でもたまでいい。話相手がいないのは性に合わない。

 

「いつもひとりでしゃべってるよ。ヒツヒツは」サル

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。