名建築を歩く「刀剣博物館」(東京都・両国) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ73

刀剣博物館

 

往訪日:2024年3月30日

所在地:東京都墨田区横網1-12-9

開館:9時30分~17時(月曜定休)

料金:一般1000円 高大生500円

アクセス:JR総武線・両国駅より約7分

■設計:槇文彦(槇総合計画事務所)

■施工:戸田建設

■竣工:2017年

 

《どこか、いや確実に似ている》

 

ひつぞうです。両国建築散歩の続きです。三箇所目は(先日物故された)槇文彦最後の作品、刀剣博物館。訪ねた頃はまだご存命だったのですが。丹下門下の巨星がまたひとつ落ちた。そんな淋しい気持ちで振り返ります。

 

★ ★ ★

 

横網町公園から対角線上に位置する旧安田庭園に向かった。このなかに目指す博物館はある。

 

 

まずは正面玄関から観察。コンクリート製の外壁が朝の斜光線に鈍く光る。まさに刀剣の地肌を見ているようだ。このデザイン。エントランスがやや手前に飛び出している。形こそ変われど、ある建築を思わせる。

 

 

実はつい先年まで大正モダニズムの怪物のような建築がここに存在していた。

 

(参考資料)ネットより拝借いたしました

 

両国公会堂(1926年竣工)だ。設計は森山松之助(1869-1949)。辰野金吾門下の森山は台湾において多くの実績を残した。代表作は台湾総督府。そして千人風呂で有名な諏訪の片倉館。そう考えると様式がバラバラ(笑)。残念ながら老朽化を理由に解体され、2018年に刀剣博物館に生まれ変わった。

 

惜しまれつつも取り壊しの憂き目にあった公会堂の面影を影絵のようにデザインに沁み込ませた。と僕には思えた。

 

「敷地の形が決まっているんだから当然じゃね?」サル

 

理屈で攻めてくるね。

 

 

まずは庭園散歩から。旧安田庭園は無料開放されている。中央に池を配した回遊式庭園で、本庄氏の下屋敷だった場所に安田財閥善次郎翁が邸宅を建て、最後は東京市に寄贈した。その翌年に大震災が発生。火災旋風に焼き尽くされて池だけが残った。

 

 

復興事業として公会堂は完成。現在の建物も在りし日の姿を髣髴させる。

 

「似てないだよ」サル

 

そりゃ全く一緒ではないでしょ。

 

 

季節は春。しかし、寒の戻りの影響で綻びかけた桜の蕾が閉じてしまっていた。

 

 

過去の槇作品と少し違う。外装パネルや格子状のガラスもない。ただ、規則性から解放された窓の配置をみれば、ああ槇文彦だと思う。見られることを意識して、庭園との空間的親和性、過去の建築(公会堂)との記憶の親和性に意を払った点も。博物館であることをしばし忘れて建物に見とれていた。

 

「時間なくなっちゃうじゃん」サル

 

大丈夫。ここの展示めっちゃ少ないんだよ。

 

では内部を見学。

 

 

戦後の混乱期に刀剣を単なる武器として廃棄対象にした進駐軍に美術品としての価値を力説。財団法人設立に尽力した本間薫山(1904-1991)と佐藤寒山(1907-1978)が顕彰されていた。

 

ともに山形県出身で國學院大學で刀剣研究に打ち込む。話が前後するが、先日訪れた鶴岡市の致道博物館の学芸員から“庄内地方の刀剣熱”を聞かされた。また手元の『原色日本の美術㉑甲冑と刀剣』を確認すると寒山の監修だった。一方の薫山は酒田の豪商・本間家の末裔で本間美術館の館長でもあった。とにかく偉大な方たちなんだよ。

 

 

=ロビー=

 

 

一階中央のロビー。不思議な天蓋。

 

 

四方にショップ、カフェ、情報コーナーが並ぶ。

 

 

カフェ。営業してなかった。休憩室として利用されている様子。

 

 

カフェの内部。

 

 

=屋外=

 

 

カフェと庭園は垣根を感じさせずに通じていた。

 

 

構造は鉄筋コンクリート造の三階建て。二階は閲覧室と事務所で一般客にはほぼ無縁。三階はカマボコ型のヴォールト屋根で仕上げられ、そこが展示室に充てられ、手前の張り出し部が屋上庭園になっている。

 

 

再び一階ロビーに戻ってきた。丸い間接照明が美しい。

 

 

壁の仕上げは刀剣の質感をイメージしたものだろう。

 

「絵があるにゃ」サル

 

撮影していいみたい。

 

篠田桃紅《無題》

 

桃紅女史の墨のタッチは確かに刀剣の鋭いエッジに通じるものがある。

 

 

=情報コーナー=

 

現代作家の作品が二点公開されていた。(※三階メイン会場は撮影厳禁)

 

人間国宝・月山貞一《脇差》(昭和53年)

 

解説をそのまま引く。“身幅が広く、地鉄(じがね)は大板目が交じり、総じてよく練れ、刃文のたれ互の目が交じり、深めで厚く(にえ)づき、肌目に絡んで金筋・砂流しよくかかり、帽子も強く掃きかけて迫力があり、人間国宝・月山貞一の高い技倆が発揮されている。”

 

解説無くしては何のことやらさっぱりである。

 

「サルにもさっぱり」サル

 

ということで自分の振り返りのために記しておく。

 

地鉄=簡単にいえば(白金のように輝く)波紋ではない部分だ。平地・鎬地と大別できる。ここに鍛錬の結果、文様が生まれる。その樹木の肌に似た様から大板目、小板目、杢目、柾目、綾杉目などに分類される(組み合わせで表現することも屡々)。

 

(出典:刀剣ワールド)

 

刃紋焼き入れによってできる刀身の文様。その様から真っ直な直刃(すぐは)乱れ刃、後者は更に丁子、互の目(ぐのめ)、三本杉、湾れ(のたれ)などに細分化される。

 

(出典:刀剣ワールド)

 

匂い波紋にできる眼に見えないほどの金属の粒子を言う。逆に眼に見える結晶を沸えという。匂い沸えは対概念になる。

 

(出典:刀剣ワールド)

 

金筋焼き入れ時に刀身に塗る焼刃土(やきばつち)の加減で刃中に現れる“刃中の働き”と呼ばれる文様のひとつ。金筋は鍛え目にそって筋状に幾線も光るのが特徴。対して砂流し(すながし)は水平ではなく、あたかも流砂のように見えることからその名がある。他に逆足(さかあし)、食違刃、打除け、稲妻などがある。

 

(出典:刀剣ワールド)

 

帽子=切っ先(鋒)の波紋のこと。強度の要でもある切っ先は刀工の技倆が集約されるポイント。大丸帽子、火焔帽子、一枚帽子など、時代や地域によって様々な容が存在する。

 

(出典:刀剣ワールド)一部加筆

 

ということを理解して読めばだいたい言いたいことは判る。では練習問題。次の解説はどうだろうか。

 

人間国宝・大隅俊平《太刀》(昭和55年)

 

やや細身の優美な太刀姿に、鍛えの詰んだ綺麗な地肌、刃文は端正な直刃を基調に小足が入って、処々小互の目が連れて破綻が無く、帽子も直ぐに品良く丸まっており、人間国宝・大隅俊平の高い技倆が発揮されている。

 

割と端正な太刀であることがなんとなく判る。

 

しかしね。刀剣という渋いジャンルだし、殆ど客なんていないだろうと高を括っていたんだけど結構いるんだよ。殆どが西洋人のインバウンド。それは判る気がする。でも日本の若者も結構いてさ、冷やかしだろうと思っているとよく理解している。なんで?

 

「刀剣乱舞ってゲームが流行っているらしい」サル

 

なに?それ。

 

「名刀を擬人化しているそうだにゃ」サル

 

むー。客層を広げる良いきっかけかもね。ということで三階まで歩いて登る。

 

 

外から見えた小さなランダムな長方形の窓。不規則に入った光が複雑に絡んでいた。

 

 

三階の屋上庭園に出てみた。

 

 

少しくすんだ色だけど両国公会堂の屋根のデザインに合わせたのだろう。

 

 

国技館が眼の前にあった。

 

このあと展示品を鑑賞。99%個人所蔵品の出展。撮影はできない。刀剣以外にもの装具(鐔、目貫、縁頭、小柄、笄)も工芸品として面白い。加納夏雄の(中国故事をモチーフにした)《雀海中蛤図小柄》(江戸末期)や東の宗眠、西の長常と呼ばれた一宮長常《海の幸図目貫》(江戸中期)も良かった。いずれも細密工芸の至宝。

 

 

ということで建築に刀剣、そして工芸品。めちゃ渋いセレクションだった(笑)。美術のカテゴリーで苦手ジャンルだった南画、書、刀剣、面。どうにか書と刀剣までは、ごく僅かだが見所が判ってきた気がする。やはり専門美術館(博物館)は素晴らしい。このあともう一箇所寄り道することにした。

 

「付き合いきれん!」サル

 

(つづく)

 

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