風の噂に 一人来て
湯の香恋しい 奥飛騨路
 
初めて奥飛騨温泉郷を訪れたのが2014年の秋であった。
今からちょうど10年前のこと。
その時のことをブログに書いていた。
 
奥飛騨慕情の歌の舞台となった奥飛騨温泉郷を訪ねた。
先週上高地を訪れた折であった。
その日は雨が降り、上高地の散策の予定を変更し、奥飛騨温泉郷に向かうことにした。
上高地のバスターミナルから奥飛騨温泉郷の玄関口である平湯温泉のバスターミナルで乗り換え、新平湯温泉に向かった。
奥飛騨温泉郷は岐阜県の北部に位置し、上高地とは北アルプスを挟んで反対側にあたる。
バスを乗り継いで約一時間で新平湯温泉バス停に到着した。
そのバス停の隣に奥飛騨慕情の歌碑はあった。
 
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奥飛騨慕情を作詞、作曲し自ら歌ったのが竜鉄也。
竜は飛騨高山で生まれ育った。子供の時患った麻疹の影響で視力が低下、26歳の時完全に失明する。
その後歌の流しで生計をたて、歌作りも手掛けるようになる。
流しの仕事で奥飛騨温泉郷を訪れたのが1972年の事。梅雨の時期であった。
その滞在の間に感じた奥飛騨の情景を書きとめ、メロディーをつけ奥飛騨慕情は誕生する。
実際レコードとして発売されるのはそれから8年後の1980年(昭和55年)であった。そしてその曲が世に知れ、ヒットしたのはその翌年。
その累計売上枚数は300万枚以上といわれる。
1982年のNHK紅白歌合戦に初出場も果たす。
旅情演歌というジャンルがあるとすれば奥飛騨慕情はその代表にも値すると思う名曲である。
 
 
風の噂に 一人来て
湯の香恋しい 奥飛騨路
水の流れも そのままに
君はいでゆの ネオン花
ああ奥飛騨に 雨がふる
 
情けの淵に 咲いたとて
運命悲しい 流れ花
未練残した 盃に
面影揺れて また浮かぶ
ああ奥飛騨に 雨がふる
 
抱いたのぞみの はかなさを
知るや谷間の 白百合よ
泣いてまた呼ぶ 雷鳥の
声もかなしく 消えてゆく
ああ奥飛騨に 雨がふる
 
新平湯温泉にある歌碑には奥飛騨慕情の歌詞が刻まれ、碑文には歌の背景が書かれている。奥飛騨慕情の誕生から10周年を記念して1990年(平成2年)に建てられた。
この歌が奥飛騨温泉郷を世に知らしめた功績は計り知れない。
 
この日訪れた新平湯温泉周辺は雨が降り、あたりは閑散としていた。
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温泉街のほとりにある「たるま滝」
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新平湯温泉を後にして平湯温泉に戻る。
バスは1時間に一本ぐらいしかない。
平湯温泉バスターミナルでしばし休息する。
日帰り温泉がありそこで一風呂浴びる。
ここのお湯はいいお湯であった。
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露天風呂。
 
露天風呂から眺める雨にけむる温泉街と紅葉は美しく旅情を感じさせる。
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奥飛騨温泉郷は山あいの閑静な温泉街であった。それがまた郷愁と旅情を誘うのであった。奥飛騨慕情そのままに。
 
ああ奥飛騨に雨が降る。
 
あれから10年。2024年の8月のお盆過ぎに再び奥飛騨温泉郷を訪れた。
この日は乗鞍岳に登った。
その後に訪れた。
温泉街の風景は当時と変わらぬままであった。
温泉街の通りは車の往来は多いが、人の姿はあまり見かけなかった。
今回はじっくり「奥飛騨慕情」の歌碑を眺めた。
「奥飛騨慕情」のヒットからすでに40年以上が過ぎた。
 
今回訪れた時の写真である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日乗鞍岳で初めて雷鳥に出会った。
感動的であった。
そのあとずっと奥飛騨慕情の歌の一節が脳裏に焼き付いて繰り返し歌った。
「♫泣いてまた呼ぶ雷鳥の・・・・」
 
ここを後にして平湯バスターミナル近くの日帰り温泉に入って帰った。
10年前に訪れた日帰り温泉はなくなっていた。