旅の思い出「菱川師宣記念館」(千葉県・岐南町) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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菱川師宣記念館

℡)0470‐55‐4061

 

往訪日:2023年12月16日

所在地:千葉県安房郡鋸南町吉浜516

開館時間:9時~17時(月曜休館)

入場料:一般500円 小中高生400円

アクセス:富津館山道路・岐南保田ICから約10分

駐車場:約40台

 

(※参考資料をネットより幾つか拝借いたしました)

 

ひつぞうです。昨年12月の半ばに房総半島の旅に出ました。そのついでに以前から気になっていた鋸南町の菱川師宣記念館に立ち寄ることに。あの《見返り美人図》で有名な浮世絵の開祖(諸説あり)と呼ばれる画家です。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

僕らの世代にとって菱川師宣《見返り美人図》は、歌川広重《月に雁》とセットにして、特別な意味を持つ絵である。

 

 

1948年発行の切手趣味週間シリーズの実質的第一弾の図案に選ばれた。この縦長サイズは異例中の異例で、続く広重《月に雁》を除けば、日本の郵趣事業において他には存在しない。もとより師宣の絵のサイズに合わせた偶然の産物だったのかもしれないが、切手蒐集を郵便事業のひとつの柱にしようと考えた当局の狙いは当たったと言える。

 

菱川師宣筆《見返り美人図》 東京国立博物館蔵

 

マニア垂涎の的となったこの切手。1981年刊行の『日本切手カタログ』の評価は未使用で13,000円。ところが、40年以上たった現在の評価も13,000円程度。全然変わっていない…。物価スライドを考慮すると逆に7割程度まで目減りしている。これは民営化後の切手乱発にコレクターがバカバカしくなってやめたことと、子供の頃に集めた世代が、ちょうど終活を迎えて一斉にオークションに出品していることが背景にある。

 

 

とまあ、相変わらず脱線しまくりだが、その《見返り美人図》を生んだ絵師、菱川師宣(1630?‐1694)の出身地、千葉県保田(現在の鋸南町)の資料館を訪ねた。保田といえば鋸山と学生時代の漱石が避暑に度々訪れた海水浴場で有名だ。こんな浜辺の町が師宣の故郷とは想像しなかった。資料館の所在地は道の駅きょなんの隣り。判りやすいし、駐車場も広かった。

 

 

早速銅像がお出迎え。

 

 

その横にはなにやら梵鐘が。

 

 

来歴を読んでみる。これは功成り名を遂げた師宣が1694(元禄7)年5月に故郷の別願院に寄進したもののレプリカらしい。残念ながら戦時中の金属回収令によって失われてしまった。拓本が残されていたので、戦後に子孫にあたる菱川岩吉、ヨシ氏の拠金で復元された。戦争などロクなことはない。

 

「全く」サル ムキー!

 

 

確かに「寄進施主 菱川吉兵衛尉藤原師宣 入道友竹」の文字が読める。友竹は師宣の雅号。寄進の一年後に江戸で歿した。

 

 

ではさっそく。この週は企画展の入れ替えの時期。なので参観者は殆どいなかった。

 

「常設が見られれば好いんでしょ?」サル

 

そういうこと。

 

 

菱川師宣は安房國保田の縫箔刺繍師吉左衛門オタマの第四子長男に生まれた。詳しい出生年は不明。1930年頃ではないかと言われている。

 

菱川師宣(1630?-1698)

 《鹿野部左衛門口伝咄》(1683)より

 

画業は独学。装飾を生業とする父の子だけに、生まれながらにその絵心を受け継いだのだろう。狩野派土佐派の影響を受けつつ、江戸に出たのちは木版本の版下絵師としてスタートした。

 

菱川師宣《美人絵づくし》

 

上段に文章を下段に絵を配置した、いわゆる“頭書き”の絵本が流行したのも江戸の頃から。当時の庶民の識字率の高さを伺わせる。

 

「まだ文章が主役だの」サル フムフム

 

その後、絵だけを鑑賞の対象にした木版画を師宣自身が編み出した。これが後の浮世絵に繋がっていく。(それに先立つ岩佐又兵衛を肉筆浮世絵の始祖に据える説もある。)

 

菱川師宣《大江山物語 四天王と鬼》(1763-1681頃)墨摺り版画・筆彩色

 

歌舞伎や講談本でお馴染み、大江山の酒吞童子を源頼光配下の四天王が退治する物語。高価な絵巻物の代用品として、木版画は庶民の間で人気を博した。その後、師宣の興味は吉原遊郭などに取材した風俗(=浮世)画に移っていく。最後にもう一度、《見返り美人図》を振り返ってみよう。

 

 

本物は(タイミングさえ合えば)東京国立博物館の常設展示で鑑賞できる。後代の晴信歌麿と違って肉筆画だ。縫箔刺繍の家の出だけあって、遊女が着る小袖の意匠が素晴らしい。そして、帯の吉彌結び玉結びの頭髪。これは元禄時代の女形役者・上村吉彌の考案によるもの。なにより構図がいい。同時代の《彦根屏風》などに描かれた人物図との類縁性も感じる。

 

「まさに揺籃期」サル

 

ということで、“師宣風”の絵は大流行し、一時代を築いたが、長男・師房は後に画業を離れて紺屋に戻っており、弟子筋によって工房は引き継がれていったようだ。江戸で死歿したものの、生涯故郷を愛して已まなかった師宣の意を汲み、保田の別願院に埋葬されている。

 

他には春画《表四十八手》(延宝7(1679)年)も陳列されていた。わざわざ「展示では無難な図だけ紹介します」と記されているのがおかしい。別にいいのに。春画は立派な芸術品なんだし。確かにどれもがただ男女が見つめあう構図だった。なにが四十八手なのか謎のままだ。ちなみに四十八手の考案は師宣だとされる。

 

「子供も来るからねー」サル

 

企画展示室では歌川広重三代豊国が背景と役者を分担して描いた《東都高名會席盡》がズラリと展示されていた。東都だけにまさにトウトツ。受付スタッフにこっそり理由を質したところ「職員の蒐集品なんです」と言いにくそうに答えたのが印象的だった。

 

「見せびらかしたいんじゃね?」サル

 

ひょっとして家族に内緒の蒐集品だったりして。

 

「あらー」サル

 

そのうちの二枚を備忘録として。

 

歌川広重・三代豊国筆《熊谷直実》

 

枠内に描かれたのは王子(現東京都北区)にあった1648年創業の懐石料理の扇屋。残念ながら2005年に閉店。現在はテイクアウト専門の卵焼き屋になっている。だからといって莫迦にしてはいけない。超高級卵焼きなのだ。

 

(※ネットより拝借いたしました)

 

「旨そうらのー」サル 玉子だーい好き♪

 

一子相伝の釜焼き玉子は要予約である。浮世絵に戻ろう。

 

直実を演じるのは七代目・市川團十郎東都高名會席盡に描かれた役者は、店や料理の符牒となっている。人気狂言「熊谷直実」の通称は「扇屋熊谷」。扇屋にかけているのだ。

 

ではもう一枚。

 

歌川広重・三代豊国筆《楼門五三桐》

 

ご存知、大泥棒・石川五右衛門と太閤秀吉がモデルの真柴久吉が戦う並木五瓶原作の名歌舞伎。描かれた役者は久吉を演じた四代目歌右衛門。日本橋の豊田屋と豊臣の「豊」をかけている。平鍋とレンゲが描かれている処からすると鍋料理が売りだったのだろうか。

 

ということで、見返り美人と菱川師宣の功績についてみてきた。このあと、近くの漁師飯屋「浜の味 栄丸」でランチした。

 

C定食(刺身+自家製アジの干物)(1650円)

 

ま、観光地食堂だね。それにしてもご飯がメチャ多い(笑)。宿の夕食を考慮して控え目にしたのだが。

 

「おサルのご飯もあげるだよ」サル エンリョすんな!

 

満腹になったあと、房総半島を横断して今宵の宿に向かった。

 

「たのすぃみ~」サル~♪

 

(つづく)

 

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