磯料理と画家ゆかりの宿 鴨川温泉「江澤館」(千葉県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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サルヒツの温泉めぐり♪【第164回】

鴨川温泉 江澤館

℡)04‐7092‐2270

 

往訪日:2023年12月16日~12月17日

所在地:千葉県鴨川市太海浜153

源泉名:なぎさの湯

泉質:含硫黄‐ナトリウム‐塩化物・炭酸水素塩冷鉱泉

泉温:(浴槽)約42℃(源泉)15.2℃

匂味:無味無臭

色調:無色透明

pH:不明

湧出量:不明

その他:動力揚湯・配湯式、加温、加水、循環濾過

■営業時間:(IN)15時(OUT)10時

■料金:別館14,000円(税別)+鮑・伊勢海老オプション

■客室:(本館+別館)12室

■アクセス:富津館山道路・鋸南保田ICから約1.5時間

■駐車場:8台(離れに二箇所)

 

《元禄風の欄干が美しい》

 

ひつぞうです。外房の旅の宿は鴨川温泉江澤館(えざわかん)でした。大正二(1913)年創業で、安井曾太郎を始めとした画家ゆかりの宿として知られています。外房の荒々しい冬の光景と磯料理の数々。訪れるには最適の季節だったかもしれません。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

江澤館の存在を知ったのは、東京の永青文庫で催された企画展《細川護立の愛した画家たち》を鑑賞し、安井曾太郎の画家としての人生を振り返ったことがきっかけだった。江澤館に逗留し、完成させた《外房光景》(1931年)は、安井の長い低迷期に終止符を打つことになる。だが、ここ波太(なぷと)海岸に最初に注目したのは安井の師、浅井忠だった。

 

元千葉県立美術館長・高橋在之著『房総遺産』によれば、明治19年に写生旅行の途中、30歳の浅井は波太で写生している。なお、現在は太海(ふとみ)に呼び名が変わっている。
 

 

その後、大正二年に太平洋画会石川寅治中川八郎が写生に訪れ、石川が文展に出品した《港の午後》が二等賞を受賞すると、波太の名前は広く知られるようになる。だが当時は旅館などない。高橋氏の粘り強い調査の結果、画家二人が投宿した民家こそ、当時造船業を生業としていた江澤家だったと判る。画家の間で“写生のメッカ”と評判となったことで、江澤家はこの年、旅館業に転身した。

 

 

この日はとりわけ風の強い日だった。磯に打ちつける波濤が激しく砕け、退く波を待たずして、第二、第三の大浪が押し寄せる。だが、国道128号から側道に外れて、防波堤に守られた太海漁港に入ると噓のように穏やかになり、漁村特有の蝟集した集落が現れた。

 

 

ここはつげ義春の名作『ねじ式』のモデルとなった町でもあった。神経衰弱のつげは都会の喧噪を嫌い、敢えてボロ家が並ぶ温泉宿を、取材と称して好んで廻った。そうしたつげの好みを満足させる街の路地めぐりも太海地区の“観光”の眼玉になっていた。

 

 

細い生活道路の先に漁協の建物があり、背後に「江澤館」の看板がみえる。ここがゴールらしい。しかし、駐車場が判らない。おサルに走ってもらい、女将に場所を訊いた。旅館の前の道は更に細いので、グルリと回り込むように指示された。

 

 

海に張り出したこの建物がオーシャンビューが売りの別館。僕らの部屋は二階の角部屋だ。

 

 

ついた。如何にも昭和的なテイストがたまらない。

 

 

フロントに夥しい数の色紙。アートファンとして期待が膨らむ。受付をすませて別館に。

 

 

なんと地下通路で繋がっていた。

 

 

再び階段を上がり、廊下を回り込んだ先に今宵の部屋《浮島》があった。

 

「ここだにゃ」サル

 

 

なかなかの眺望。年季のはいった建物だけにお世辞にも“美麗”とは言えない。しかし(いつも言うように)古さは問題ではない。清潔であればいいのだ。むしろ船底天井など、数寄屋調の意匠は立派だ。

 

 

広縁からは表の島が見えた。

 

 

仁右衛門島には敗走した源頼朝が匿われたという伝説があるらしい。かなり値が張るが渡船で渡ることもできる。いずれにしても強風で船が出ることはなかった。

 

 

一応、部屋つきの浴槽もついているが、使われている様子はなかった。

 

 

部屋の配置はこんな感じ。この日は他に二グループが投宿。かなりの人数だった。客層は釣り客と温泉客。

 

 

では温泉探検に出発しよう。

 

=江澤館とは=

 

■温泉

・動力揚湯による配湯式(普通のお風呂と一緒です)

 

■部屋

・海が見える別館と老舗の風情漂う本館

 

■料理

・外房の鮮魚で造る豪快な磯料理

・鮑、伊勢海老をオプション追加すると一層豪華

・酒(一般流通銘柄)

・朝食:7時30分~8時30分(大広間)

 

■ホスピタリティ

・優しい女将さんを中心にした家族経営

・寝具は敷いてくれます

 

=温泉の利用法=

 

■浴場

・内風呂のみ

・男女入替なし

 

■泉質

・印象としては限りなく単純冷鉱泉

・タンク配送による加温+循環濾過式

 

■利用時間

・15:00~23:00

・翌朝6:00~9:30

 

■日帰り利用…あり

 

ということで、温泉というより、普通の風呂に入ると理解したほうがいい。どちらにせよ循環式なので一番風呂がお薦めだ。しかし(漁港でもあり、地元の)日帰り利用客もいる。バージンに拘るのはかなりむつかしい。

 

「女性客はいなかった」サル だから貸し切り♪

 

 

階段でくだった真下が浴場。なので便利だった。古い建物なのでエレベーターはない。

 

 

ではさっそく。

 

 

清潔に清掃されている。

 

 

洗い場は二名が限度。浴槽も狭い。譲りあって利用しよう。

 

 

「女性用はもっと狭い💦」サル

 

 

印象はほとんど単純泉だが、成分表を見るとナトリウム、塩化物、炭酸水素の含有量が多い。疲労回復にいい湯だった。なので油断して長湯すると湯あたりする。

 

「した…」サル

 

 

=ゆかりの画家たち=

 

温泉のあとは、宿ゆかりの画家の足跡を追ってみた。

 

 

宿泊の記念に描いてもらったものだろう。夥しい数の色紙が所狭しと飾ってある。そのなかで目に留まったものが幾つかあった。

 

 

向井潤吉鈴木信太郎の作品がみえる。風景画を得意とした画家だけに訪れる機会も多かったのだろう。

 

 

片岡球子の作品も。水彩画もかなり強烈だ。隣りは実業家・藤山愛一郎の書。

 

 

そして太平洋画会の理事も務めた布施信太郎の小品。以前、新宿の中村屋サロン美術館で油彩を拝見したことがある。太平洋画会ゆかりの画家が多いのかも。

 

 

円熟期のものだろうか。古沢岩美のヘアヌードも。

 

 

二階のギャラリーにもたくさんの絵があった。朝食はここで。

 

 

=安井曾太郎の画室=

 

さて。今回の一番の目的、安井曾太郎が《外房風景》を描いた部屋に向かおう。

 

 

本館三階の元禄風の部屋は(消防法の関係で)もう使われていないのだろう。

 

 

そこから更に上がった場所に目的の部屋があった。

 

 

安井曾太郎が泊まった二十八号。

 

 

六畳二間の質素な部屋だった。これならば落ち着いて仕事に没頭できたに違いない。

 

(参考資料)

安井曾太郎《外房風景》(1931)

 

作品は倉敷の大原美術館の常設展示で鑑賞できる。横長の大作でその力強い筆の痕に安井の自信のほどが窺われる。

 

 

同じ窓から見る現在の風景。松の枝だけは当時の姿そのままに残っていた。

 

 

建物の先に見える対岸の風景も絵と同じだった。

 

 

=つげ義春の世界=

 

次は路地めぐり。つげの愛読者としてはこれもまた欠かせない。

 

 

周回用に案内標識がついている。しかし、この先、民家がすし詰め状態なのだが、勝手に入っていいのだろうか。

 

 

この風景からどうやってメメクラゲを着想したのだろう。天才の発想は及びもつかない。

 

 

「もう空き家かも」サル

 

 

そんな会話をしていると、爺さんがヌッとコンクリート塀の向こうから現れたりする。

 

「ビックリした!」サル

 

しかし、こういうことには慣れているのだろう。特段不信そうな態度も見せずに玄関先に姿を消した。

 

 

最後に津嶋神社にお参りして終了。

 

 

あたりは猫の出没エリアなのだが、寒さが祟ったのか、一匹も遭遇できなかった。

 

「寒い。帰ろう」サル 洟がとまらん

 

 

=夕 食=

 

夕食は部屋で頂戴する。準備が整い次第、若女将が鍋に火を入れてくれた。

 

 

この豪華さ。これが江澤館最大の愉しみなのだ。

 

「メチャ愉しみー♪」サル

 

 

(中心から時計回りに)自家製烏賊の塩辛サザエ壺焼き鮪胃袋と季節野菜の煮物ギンダラ塩焼き鰺とトコブシの酢の物茶碗蒸し。これだけでも十分立派なのだが、奮発して伊勢海老を追加した。嗚鮑は残酷焼と刺身に分けてもらった。

 

 

襲い来る拷苦から逃れようと身をよじる鮑。嗜虐的な悦びを感じる僕はヘンタイなのだろうか。

 

「バカなんじゃね?」サル

 

 

ものの数十秒でだらしなく伸びきった。

 

「喰う!」サル

 

ナイフで切り分けて頂戴する。身が柔らかい!

 

 

こちらは刺身。甲乙つけがたい。市場直送だけに塩分を含んで塩辛さが勝る。

 

 

ただし、酒は刺身に一番合う。地元の壽萬亀・純米吟醸生貯蔵酒。複雑さはないが普通に旨い。基本的に千葉の酒はどこも旨い。

 

「後ろのお魚こわーい」サル

 

 

気がついたら俺、刺身になっていた。驚愕の眼差しを虚空に放つカサゴ。そしてアジ、ハマチの刺身。

 

 

そして、磯料理の花形・伊勢海老の造り。プリプリで甘いのなんの。

 

 

鯛のカルパッチョ

 

 

ワタリガニ入りの寄せ鍋うどん

 

 

とまあ、全部食べるのが大変なくらいの量だった。

 

 

デザートは林檎とサルナシ。

 

 

若者の大グループが本館二階のギャラリーで宴会中だった。ライトアップになって美しい。

 

 

時刻は19時30分を回ったところ。部屋から見える防波堤では夜釣りの客が竿を振るのに余念がない。

 

 

=翌 朝=

 

街を知るには自分の足で走るのが一番早い。時刻は午前六時すぎ。ジョギング開始だ。

 

 

海岸線に沿って海水浴場のほうに東に向かった。青少年自然の家まで走った処で夜明けを迎えた。

 

「もどゆ」サル

 

JR内房線の太海駅に寄ってみよう。大正13年建設のレトロな木造駅舎なんだよ。

 

だがしかし。

 

 

なんと…。奇しくも約1年前の2022年12月14日に建替えられていた。確かにキレイかも知れないが…。

 

「間が悪いの」サル プッ

 

運動量が足りないので、反対側のフラワー磯釣りセンターの先まで行ってみた。

 

 

素晴らしい景色。この日はやや雲が多い予報だが、朝の内は絶景の連続だった。

 

 

太海漁港に戻ってきた。

 

 

好きな人にはたまらない響きのちんちん山。せめて金精山とかにできなかったのだろうか。書いているこっちが恥ずかしい。

 

 

前日に比べて波はずっと穏やかになっていた。

 

 

=朝 食=

 

朝食は7時30分から8時30分まで。本館二階のギャラリーで頂く。

 

 

御飯はお替りできる。そして…

 

 

夕食に伊勢海老をオプションでつけた客には伊勢海老の味噌汁。豪快で旨かった。

 

「やっぱり海老ミソだにゃ♪」サル

 

諄いようだが、おサルは大の甲殻類好きなのである。

 

 

確かに建物のレトロ感は否めないが、このテイスト、好きな人にはたまらない味になる。加えて絵画、磯料理、つげ義春に猫の街。そして気持ち温泉。こんなに贅沢な宿はない。大満足の旅だった。二日目は一箇所寄り道して帰ることにした。

 

「磯料理グッド!」サル

 

(つづく)

 

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