それにしても先生からは、子供たちに沢山のお土産を、ホントに、ビックリするくらい、頂いてしまいました。
星の砂とか。
振ると鈴の音が鳴る、つなぎ目の無いステンレスボールとか。
石器時代に矢じりに使った黒曜石とか。
塩の結晶とか。
飛び出す仕掛けの素敵なアート絵本とか。
可愛らしいシールとか。
それはそれは、私から見ても童心に返るような、ワクワクするモノばかり。
「すみません、本当にこんなに。恐縮です」
という私に、
と返してくださった先生。
タロウは、こんな宝物の数々をガラクタと表現した先生の言葉に、ビックリした様子で
先生が帰ってからも、三回くらい繰り返してた(笑)
「そうです、ガラクタなんかじゃないよ。
こんなスゴイのばっかりだけどね。 先生はケンソンして、『ガラクタ』なんて仰ったのよ」
「ケンソン…?」
「そう。 たとえば、スゴイ家に住んでいても、『私の家はスゴイのよ!』なんて言わないで、『古い家です』なんて言ったり、スゴイ車に乗っていても『ぼくの車スゴイでしょ!」なんて言わないで、『狭い車です』なんて言ったりするの。
相手が嫌な気持ちにならないように、自分の持ち物や能力を、一段下がってスゴクないです、そんなことないです、言うこと。
それを謙遜と言うの!覚えておきましょう」
「ふーん…」
タロウ、6歳にしてはじめてケンソンに触れたかも(笑)
ま、子供同士の世界ではケンソンなんてないからねーw
(以下妄想)
謙遜を尊ぶ文化は、私は日本人のアイデンティティの一つだと思いますし、素敵な思想だと思います。
(儒教や仏教に由来する思想なような気がするので、お隣の中国や韓国では謙遜という美徳は存在するような気がしますが、実際どーなんでしょう)
ただ、欧米諸国の「謙遜をしない文化」と比べると、そのメンタリティの差にビックリすることもありますが。
でも、謙遜するからといって、あくまでも卑下しているわけではない。
日本ならではの美徳を尊びつつ、上手につき合って行きたいなぁと。
国民性は、「民族性」とかではなく「環境」が作るのではないかなと私は思っています。
自らを謙遜し、相手を尊ぶことでコミュニケーションをはかる、そんな国民性はこんな風にして身の周りの大人の挙動に触れることで、身につけて行くのかなと。
そんなことをなんとなく思った、出来事。
。。。
奈緒美先生、どうもありがとうございました!
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