西川美和監督、本木雅弘、竹原ピストル、藤田健心、白鳥玉季、深津絵里、池松壮亮、山田真歩、堀内敬子、黒木華出演の『永い言い訳』。PG12。
小説家“津村啓”こと衣笠幸夫(本木雅弘)の妻・夏子(深津絵里)が親友の大宮ゆき(堀内敬子)とともにスキー旅行の途中でバスの転落事故に遭い、二人とも帰らぬ人となる。幸夫はゆきの夫の陽一(竹原ピストル)と知りあい、トラックの運転手として家を空けることの多い彼の子どもたち、真平(藤田健心)と灯(白鳥玉季)の面倒を見ることになる。
以下、映画のストーリーについて書きますので、未見のかたはご注意ください。
2012年の『夢売るふたり』から4年ぶりの西川美和監督の最新作。
原作は同監督による同名小説。
西川監督の作品はいつも何か妙な後味が残るので気になっていて、今回も彼女の最新作ということしか知らず、原作未読(鑑賞後に読みました)、出演者やあらすじさえも事前に一切確認せずに鑑賞。
だからまったく内容を把握していなかったので、お話がどのように展開してどう決着するのか知らないまま観ていた。
上のあらすじには書いちゃいましたが、僕は主人公の妻が事故で亡くなることすら知らなかったんで(ポスターに書いてあるけど、それさえも読んでなかった)、ヒロインかと思っていた主人公の妻・夏子役の深津絵里が冒頭で退場してしまうことに少なからぬショックを受けたのでした。
そして本木雅弘演じる主人公・幸夫が妻の留守中に家に連れ込んでいたのが黒木華だったのも、そんな彼女がモックンとイチャついたり、夏子が亡くなったあとでも身体を求めてくるモックンが腰振ってる下で涙をこらえている場面とかにも「えぇ~Σ(゚д゚;)」ってちょっと驚き。
『重版出来!』の“心”ちゃんがこんなことに!!と(違います^_^;)。
で、てっきりその後も彼女は出てくるものとばかり思っていたら、「先生、私のこと抱いてるんじゃない。誰のことも抱いたことはないですよ」と言って帰ってしまい、なんとそれっきり二度と出てこない(原作では出てくる)。
スゴいな、黒木華の贅沢すぎる使い方。
まだ映画が始まったばかりで、深津絵里、堀内敬子、黒木華という3人の女優が物語から姿を消す(夏子だけは回想シーンで再度登場するけど)。
映画では残された夫・幸夫が、ゆりの夫・陽一と二人の子どもたちと過ごす日々の描写に結構な時間が割かれている。
後半になって、陽一と知りあう鏑木優子役に山田真歩。
山田真歩さんは僕は『SR サイタマノラッパー2』のヒロイン役で初めて知った女優さんですが、朝ドラや民放のドラマ、映画と今や売れっ子になってますね。
前にも書いたけど、なんていうかいろんなとこに「居そうな顔」なんだよねw すごく親近感が湧く。
彼女が演じる優子は陽一に連れられて真平と灯が参加した科学コーナーみたいな催しの司会をしていて、やがて陽一と懇意になる。
ちょっと吃音気味でけっして饒舌ではないけれど、でも誠実で子どもたち思いでもある女性。
どちらかといえば控えめな優子は、しかし妻を失い子どももいない幸夫に「夫婦」や「家族」というものを意識させる存在になる。
作家なので時間の融通が利くために陽一の子どもたちの面倒を見ていた幸夫だが、優子の登場で自分が用済みになったのではないかという疎外感から、彼女や子どもたちの前で酒の酔いに任せて暴言を吐く。
このあまりに幼稚な行為には観ていて呆れるが、そもそもこの幸夫という男はイイ年コイて子どもっぽいナルシストである。
逆に彼が陽一の子どもたちをあんなに熱心に世話できたことの方が不思議なぐらいで。
幸夫と陽一はそれまで面識がなく、互いの妻の死によって初めて出会う。
ただし、これまで夏子はゆきと陽一、子どもたちと親しく付き合っていて、だから陽一は夏子のことを親しげに「なっちゃん」と呼ぶ。
一方、幸夫は妻の交友関係すらろくに知らなかった。
自分の仕事関係の人たちの前で本名の「幸夫くん」と呼ばないでくれ、などとどーでもいいようなことでイチャモンつけていたような夫は、そのくせ妻のことは何も知らず、関心もなかった。
いってみれば彼にとってはそんなほぼ他人である大宮家にヘルパーのように出掛けていって子どもたちの食事や学校への送り迎え、勉強を見てやったりと親代わりを務めるわけで、それが観ていて唐突というか、なんでそこまで?と不思議でならなかった。
まるで模範的な父親のような姿だったから。
子役たちが可愛くて巧かったですね。
真平役の藤田健心くんはちょっと是枝裕和監督の『海よりもまだ深く』に出てきた男の子みたいで、あえて寄せてるようにも感じられて面白かったなぁ。なんとなくどちらの作品も男子像が似てるんですよね。女の子みたいに高めの声で優しい性格の真面目な男の子で。
そして灯(あかり)役の白鳥玉季ちゃんは朝ドラ「とと姉ちゃん」にも出てましたが、いわゆる子役っぽさとは違う、ナチュラルな子どもらしさに溢れていてほんとに愛おしかったです。
灯がいつも観ているアニメ番組「ちゃぷちゃぷローリー」の「ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷロ~リ~♪」って主題歌が耳から離れないw
だけど彼らはただ可愛いだけじゃなくて、カニ味噌のアレルギーで病院に行くことになったり、金切り声を上げてダダをこねたり、親に口答えしたりもする生身の子どもの特徴も持っている。
やがて、幸夫の献身的とすらいえる大宮家への奉仕は、なき妻への罪悪感からくるものだったのでは、と感づき始めた。
だからか、陽一に対して幸夫はしばしばまるで妻のような態度を取る。夏子に自分を重ねて彼女が生きられなかった人生を代わりに生きてでもいるかのように。
幸夫は「妻は子どもを欲しがらなかった」と言うが、陽一はそれを否定する。
もしかしたら、親友のゆきに夏子は自分の本心を打ち明けていたのかもしれない。それを陽一も知っていたのだろう。
最初、事故後のバス会社の説明会で激高してまくしたてたり、初対面の幸夫に向かって「幸夫くん?」と馴れ馴れしく話しかけてくる陽一を見て、「あ、めんどくさそうな奴だ」と思ったんだけど、次第にこの陽一が憎めない男に見えてくる。
僕は陽一を演じる竹原ピストルという人はこの映画で初めて見たので、彼の本職がミュージシャンということも知らなくて、なんかイイ顔した俳優さんだなぁ、と思いながら観てました。
ちょっと「あばれる君」をワイルドにしたような感じでw
あの、まるで怒ってるみたいな仏頂面からいきなり笑顔に変わるとことか、ああいう表情する人いるもんなぁ、って。
僕はこの人が映画の中でいつ突然幸夫にむかってキレて暴れだすかと思ってヒヤヒヤしながら観ていたんだけど、陽一は最後まで幸夫にキレることはない。
人は見た目じゃない、ってことですかね。
むしろ幸夫の方がよっぽどキレやすくて、出版社の人たちとの花見で酔っ払って暴れる。編集者からの、事故で妻を失ったことを題材に小説を書いたらどうか、という無神経極まりない提案にムカッ腹が立つのはわかるんだが、同じような立場でも自暴自棄になりやすいのは陽一ではなく幸夫の方なのだ。
TV番組でブチギレたり、陽一に対してもヒドいことを口走る。
そして、まるで我が子のように他人の子どもたちの世話をする。
それでも父親気取りで子どもたちと接していると、ふと灯が本当の父親である陽一に「パパ!」と駆け寄っていく姿に我に返り呆然とする。
どんなに子どもたちが懐いてくれても、それは借り物の親子関係でしかない。自分は本物の父親ではない。
妻が亡くなった今、大宮家の親子のような関係を幸夫はけっして築くことができない。なぜなら妻はもういないのだから。
陽一と優子がなんだかイイ感じになっている様子を見て幸夫が不機嫌になるのは、彼の夏子に対する罪悪感を陽一に勝手に投影しているからだ。妻が死んだのにもう新しい女を作って、と。
陽一が新しくどんな人生を歩もうとそれは彼の自由であり幸夫がとやかく言う権利などないのだが、彼のその身勝手な物言いにどこか共感を覚える。
池松壮亮演じるマネージャーの岸本は、子どもたちの存在がクズみたいな人間である自分の免罪符になってくれている、と語る。
何事にもどこか冷めたような口調の岸本から予期せず子どもの大切さについて聞かされて、幸夫の心は揺れる。
ところで池松壮亮は『海よりもまだ深く』でも同じような世慣れた感じの青年を演じてましたが、偶然なのか、それともあえて狙ってのキャスティングでしょうか。
今、訳知り顔の青年を演じさせるなら池松壮亮、みたいになってるんでしょうかね。
『海よりもまだ深く』もまた主人公が小説家で、夫婦や家族、親子についての物語でもあった。
そこで池松壮亮演じる興信所の青年は、年上である阿部寛にいろいろアドヴァイスする。
今回の『永い言い訳』でも、やはり池松壮亮は前半に登場して(最後の出版記念パーティの席にもいるが)、主人公のその後の行動に地味に影響を与える。
『海よりもまだ深く』と『永い言い訳』は共通点も多いだけに、両者を観比べてみると各監督の作家性の違いみたいなものがうかがえて面白い。
幸夫と夏子の夫婦と、陽一とゆりの大宮家が対照的に描かれているのは、ちょうど『そして父になる』での福山雅治とリリー・フランキーのそれぞれの家族の対比にも似ている。
偶然かもしれませんが、ずいぶん共通点がありますよね(是枝監督はこの『永い言い訳』では企画協力でクレジットされている)。
『海よりもまだ深く』は僕は結構好きな映画でしたが、まず何よりも主人公を演じているのが阿部寛、という時点で「リアル」というよりもある意味ファンタスティックというか、日常空間にいる阿部ちゃんのあのなんともいえない異物感がおかしみを醸しだしていた。
それに対して、モックン演じる幸夫のような作家は、もうちょっとほんとに居そうな気がする。
誰かモデルがいるのか原作者の完全なる想像の産物なのかは知りませんが(ナルシスティックなところなど、ひと頃よくヴァラエティ番組に出てた若手の“あの作家”さんを連想しますが)、幸夫の「凄惨な事故で妻を失った」という現実の体験すらも小説に取り込んで作品にしてしまう、という作家やクリエイターと呼ばれる人々の性(さが)、業(ごう)のようなものに触れていたことが印象に残りました。
うん、作品を創り出す人たちってそういうところがあるよな、と。
それは普通の人間からすると非常識でもあり、薄情で人間として最低だったりもする。
だって現実の「人の死」すらもネタにしてしまうわけだから。
原作小説には、幸夫が現場にいた警察官から事故当時に妻の遺体を湖からどのように運び出したのか、細かいディテールを尋ねる場面がある。なんでそんなことが気になるのかといったら、もちろん小説を書く時の参考にしたいからだ。
もしも映画監督が事故や災害に遭遇したら、あるいはそのような映像を観たら、自分ならどうやって映画の中でそれを再現するか考えるのと同じこと。
幸夫は陽一と彼の子どもたちに、自分となき妻が手にできなかったものを重ね、疑似的にそこで生きようとした。
しかし現実には自分には妻も子もなく、独りきりだ。
だから、彼は小説を書かねばならなかった。
いっとき、苦しみから逃れるには小説を書き上げて、そこに自らを刻み込むことが必要だった。
ちょっとした親子喧嘩の中で息子の真平に「パパみたいな大人になりたくない」と言われたことに動揺した陽一は事故を起こす。
幸い大事には至らず命に別状はなかったが、互いに持って生まれた性格や生まれ育った環境の違いのためになかなか心を通わせられずにいる陽一と真平の親子の間を幸夫は取り持つ。
父ができれば妻の代わりに死にたかったこと、どれほど息子のことを愛しているかを穏やかに真平に話す幸夫。その口調はまるで別人のようだ。
これはある一家との交流によって癒され救われる男の物語とも読めるのだけれど、僕はこれこそ“フィクション”、幸夫が書いた小説「永い言い訳」の中で書かれた嘘だと思ったんですよね。
自分はある一家の崩壊を防ぎ彼らを救うために生きてきたのだ、それが自分の役割だったんだ、と思い込める物語を書き上げること。
幸夫に必要なのはそういうことだったんじゃないか。
妻の死もそういう「物語」の中で必要な要素だったのだ、といわんばかりに。
だから翻ってみれば、これは絶望的な物語にも思える。
主人公は「ぼく」じゃないのだ。
「ぼく」は「物語」の作者に過ぎない。
「物語」の中でなき妻は永遠に生き続け、「ぼくたち」の夫婦関係は美化される。
「もう愛してない。ひとかけらも。」
妻がスマホの中に残した夫宛の未送信メール。
もはや妻にその真意を尋ねることもできない。妻はもういないのだから。
この絶望的な欠落感。とりかえしのつかない喪失。
これから幸夫はそれに堪えながら生きていかねばならないということ。
幸夫は不慮の事故による妻の死さえも、自分への彼女からの「仕返し」と受け取るような捻じ曲がった性根の持ち主である。
常にイジケていて愛するべき人の死にすら涙も流せない男。
幸夫が海辺で友人一家とたわむれるなき妻の幻影を見る場面は美しいが、果たして彼は本当に妻の姿を幻視したのか。
あれは彼が書いた小説の中の「感動的な場面」なんじゃないのか。
小説を書き上げることで、幸夫はようやく妻を葬れたのだ。
原作で幸夫が泣くのは物語のラストだが、映画版では電車の中で自作の小説の文章をノートに書きとめながら彼は涙を流す。
それは本当に妻への涙だったのか。それとも自分の小説の文面に感極まっての涙だったのか。
「もう愛してない。ひとかけらも。」
妻の残した言葉は、幸夫に都合のいい夢を見ることを許さない。
前作『夢売るふたり』でヒロインの松たか子の矛盾する行動は、まるで浮気性の夫・阿部サダヲに復讐しているかのようだった。
この『永い言い訳』の中で夏子の生前の姿はごくわずかしか映し出されないが、美容師をやりながら売れない小説家だった頃から夫を支えてきた妻は、彼女をないがしろにし続けた夫・幸夫をその死によって永遠に捕らえ続ける。
小説家はこれからももがき苦しみながら新しい作品を生み出していくのだろう。
西川美和は「夫婦」だったり「家族」だったり、何かに囚われてしまった者を描き続ける作家だ。どこか悲観的なものの見方が根底にあるのではないだろうか。
それぞれの心の内は藪の中。
似た題材を取り上げることの多い是枝裕和監督との最大の違いは、そこに「絶望」という名の闇があるかどうかだと思う。
手嶌葵が歌う「オンブラ・マイ・フ」が、哀しく、美しい。
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