ジャスティン・リン監督、クリス・パイン、ザカリー・クイント、カール・アーバン、ゾーイ・サルダナ、サイモン・ペグ、アントン・イェルチン、ジョン・チョー、ソフィア・ブテラ、イドリス・エルバ出演の『スター・トレック BEYOND』。

 

IMAX3Dで鑑賞。

 

補給のために寄港した宇宙基地ヨークタウンで宇宙のはるか彼方からの遭難信号を受け取り、ジェームズ・T・カーク艦長の宇宙艦USSエンタープライズ号は惑星アルタミドに向かう。しかし、そこで宇宙船の大群の攻撃を受けて艦は大破する。敵のリーダー、クラルの狙いは、カークが以前異星人同士の和平交渉の場で入手した生物兵器だった。

 

「スター・トレック」リブート版の第3弾。

 

前作『イントゥ・ダークネス』から3年、監督はJ・J・エイブラムスから「ワイルド・スピード」シリーズのジャスティン・リンにバトンタッチ。

 

僕は前作の評価を「普通」と書いたようにこのシリーズの大ファンというわけではなくて、でもこれまで初めて映画館で観た旧シリーズの5作目『スタートレックV 新たなる未知へ』以来、劇場版はリブート版も含めて欠かさず観てきました。

 

この最新作は公開前は日本ではまったく話題になっていなかったこともあって「どうなんだろ」という気持ちはあったんですが、『キングスマン』で義足の殺し屋を演じていたソフィア・ブテラが特殊メイクをして女性戦士として活躍する、という嬉しい情報の一方で、エンタープライズ号のメインクルーの一人、チェコフ役だったアントン・イェルチンが不慮の事故で若くして亡くなったという悲しいニュースもあったり、やはりこれは映画館で観ておこうと思って。

 

監督がアクション映画が得意なジャスティン・リンに代わったことで作風にも変化が見られるんじゃないか、という期待もあったし。

 

 

 

で、早速結論から言いますが、…う~ん、と、僕はちょっと残念でしたね。いや、“だいぶ”かなぁ。

 

わりと不満を述べた前作よりもさらにノれませんでした。

 

「面白かった!」って言ってるかたもいらっしゃるし、またあとで触れますが、スタトレ・ファンの中にはラストで胸が熱くなった人たちもいるようだから、あくまでも僕個人の評価ですが。

 

派手なVFXやアクションはあるから、普通に楽しめる人たちもいるでしょう。

 

こういう映画は別にシナリオがどうとか関係なくて、かっこよけりゃいいんだよ、という意見があることも理解してます。

 

僕だって基本的にはこのシリーズは目が愉しければオッケーだと思って観てますから。

 

ただなぁ…。

 

まぁそんなわけで、これからしばらく文句を垂れますので、この映画がお気に入りのかたはお読みにならない方がいいかもしれません。

 

ストーリーの中身についても書きますので、未見のかたはご注意ください。

 

 

2009年の第1作目から早7年。リブート版の出演者たちにも慣れてきて、クリス・パイン演じるカークにしてもザカリー・クイントのスポックももはや違和感はないんだけど、素早い展開で当世風のSFアクション映画として生まれ変わった新生STは、相変わらず会話の面白さが犠牲になっている。

 

 

 

 

若くなったクルーたちはよく動くし、ソフィア・ブテラ演じる今回初登場のキャラクター、ジェイラもかっこよくてVFXに何か目立った粗があるわけでもない。それは前作と同様。

 

ただやっぱりどうも僕はお話の方にノれなくて。

 

「スタートレック」って、もともとSF的な世界観の中で異なる星々やさまざまな勢力の関係に現実の世界の社会情勢が反映されていてちょっと政治劇っぽい面白さがあったし、そこにクルー同士のコミカルな会話や劇場版ではVFXを駆使した派手なアクション場面が加わる、という印象があったんだけど、リブート版はどうしてもアクションの方に偏ってるんで、銀河を駆け巡る壮大な物語のはずなのに、凄く狭い世界で敵と味方に分かれて戦ってるように見えちゃうんですよね。

 

ぶっちゃけやってることは宇宙を舞台にした「ワイルド・スピード」。

 

仲間は家族、みたいなこと言ってるし。

 

それのどこが悪いんだ、って人もいるでしょうけど。

 

ジャスティン・リンが監督だし、おかげでクルーたちはところどころでユーモアを見せてくれるけど、僕は「ワイスピ」は車とか飛行機とか現実にあるものを使って荒唐無稽なアクションをやってるから好きなんで、それを宇宙で現実に存在しない宇宙船使って同じことやられてもなぁ、と。

 

今回はどういう話なのかというと、助けを求める映像を受け取ってカークたちが救助に向かうとそれは罠で、待ち構えていたクラル率いるエイリアン軍団の攻撃でエンタープライズは墜落、クラルが狙う生物兵器「アブロナス」はなんとか奪われずに済んだが、クルーたちが囚われてしまう。それを助けにいく、という展開。

 

それで、その今回の悪役というのがイドリス・エルバ演じるクラルこと惑星連邦のフランクリン号艦長エディソン。

 

彼はかつて事故で惑星アルタミドに他のクルーたちと取り残されたが、助けは来ず、惑星連邦から見捨てられた。

 

その恨みを晴らすために、クラルはエンタープライズをおびき寄せて生物兵器を奪って宇宙基地ヨークタウンと惑星連邦を壊滅させようとする。

 

ちょっと「ウルトラマン」のジャミラの回みたいなお話ですが…えーっと、確か前作『イントゥ・ダークネス』もそんな話じゃなかったっけ?

 

惑星連邦への復讐。

 

確かにもともと惑星連邦の一員だったエディソンがクラルへと変貌していく過程が、現実のこの世界でアメリカによって見捨てられ裏切られた者たちがテロリストになっていく姿とカブるし、意識的にそういうキャラとして造形してもいるのだろうけれど、そのわりにはクラルの描写がおざなりなのであまり真に迫ってこない。

 

要するによくあるアクション映画の悪役でアメリカに恨みを持ったテロリスト、というキャラそのもので、彼のキャラクターはそれ以上掘り下げられることはない。

 

たとえば、せっかく「家族」というものをテーマにしているのだから、それとクラルの復讐とを物語の中でもうちょっと巧く絡ませられなかったのかな。

 

本作品で、クルーの一人のスールー(ジョン・チョー)がゲイであることが初めて明らかにされていて、ヨークタウンには彼の同性のパートナーと養子の幼い娘が待っている。

 

 

 

 

また、スポックは自分と同一人物でありながら並行世界(パラレルワールド)の別人である「スポック大使」が亡くなったことを知る。

 

カークは若くして亡くなった宇宙船艦長の父よりも年上になろうとしている。

 

ジェイラは父親をクラルに殺されている。

 

そういった「家族」にまつわる各キャラクターたちのエピソードがそれぞれまったく絡まずに人質奪還やヨークタウンでのカークとクラルの戦いが描かれるので、ところどころアクションシーンで楽しい場面(ジェイラの格闘とか)はあっても長続きせず、次第に飽きてくる。

 

特に前半は宇宙空間や夜などずっと画面が暗いんで、だんだん眠くなってきてしまった。

 

クラルが無数の宇宙船とともにヨークタウンめがけて進攻する場面やそれを派手な音楽で撃退する後半の展開はハッキリ言って『インデペンデンス・デイ』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の二番煎じ、三番煎じで目新しさは皆無だったし。

 

 

 

クラルの顔の造形も昔から代わり映えのしないちょっと悪魔っぽい顔と爬虫類か珊瑚(サンゴ)の合成みたいなもので、そのキャラクターにも悪役としてのカリスマ性が感じられない。

 

 

 

 

クラルの「中の人」は『パシフィック・リム』のあのセクシーな司令官だった人なのに。

 

スター・ウォーズ/フォースの覚醒』もそうだったけど、JJが関係してる映画って悪役にまったく魅力がないんだよね(相手が人間の『ミッション:インポッシブル3』は別ですが)。キャラの描き込み不足で。

 

これは監督のジャスティン・リンのせいなのか、それともスター・ウォーズでまるでリブートみたいな新作を撮ったプロデューサーのJ・J・エイブラムスのせいなのか。

 

 

さらに「スポック大使」(オリジナル・シリーズのスポック)を演じていたレナード・ニモイが2015年に亡くなり、先ほど述べたようにリブート版のチェコフ役のアントン・イェルチンも急逝してしまったので、それを急遽映画に盛り込んだためにどこかイビツな構成になってしまっている。

 

 

 

 

 

 

ちなみにジャスティン・リンは計4作品で監督を務めた「ワイルド・スピード」シリーズの主要キャストだったポール・ウォーカーも事故で失っていて、偶然とはいえ関わったシリーズでメイン俳優が2人も事故死しているのは(どちらも撮影中ではなくプライヴェートでの事故で、P・ウォーカーの事故死はジャスティン・リンが監督を離れてからだし、彼らの死と監督には直接なんの関係もないが)なんとも苦い後味が残る。

 

だから「スタートレック」に思い入れのあるファンがシリーズの象徴的な存在だったスポック=レナード・ニモイとの別れに涙し、またアントン・イェルチンのファンが彼の早すぎる死を惜しむのはわかります。

 

ただ、とはいえやはりそれと映画の出来とはまったく別のものなので。

 

どうしても現実の2つの死のインパクトが大きすぎて、映画のストーリーが霞んでしまっている。

 

ジェームズ・ディーンやブルース・リーの映画と志半ばにして夭折した彼らの人生そのものが不可分であるように、映画の評価もまた監督や出演俳優たちと完全に切り離しては考えられないけど、だとしたらもう少し違う追悼の仕方があったんじゃないだろうか。

 

「中の人」が死んじゃったからって、劇中でそのキャラも死なせる必要あったのかな、って。

 

ヴァルカン人であるスポックは地球人に比べると長寿であり、エンタープライズ号での航海を終えたあとも活躍している、という設定だった。

 

だったら、このままスポック大使は果てしない宇宙の果てに新たな任務を帯びて旅立ってもよかったのではないか。「スタートレック」はSFでファンタジーでもあるのだから、いくらでもつじつまは合わせられるのだし。

 

この先、スクリーンの中で僕たち観客の前に二度と姿を見せることはなくても、ニモイ氏の演じたスポックは今も宇宙で旅を続けている。それでいいではないか。なんでわざわざ殺すんだ。

 

『フォースの覚醒』の感想で文句書いた時にも言ったけど、観客におなじみのキャラクターを劇中で死なせるっていうのは重大なことなんですよ。

 

そのキャラのその後がそこで潰えてしまうのだから。

 

本気でそのキャラクターを看取るつもりでその死を描くならともかく、俳優が亡くなったから、じゃあ死んだことに、ってのはちょっとあまりに乱暴なんではないか。

 

そういう意味で、『ワイルド・スピード SKY MISSION』(ジェームズ・ワン監督)でのポール・ウォーカーとの「お別れ」は見事でした。

 

あの映画だって事情を何も知らずにいきなりあの作品だけ観た人は、どうして最後に主要キャストの一人との別れが思い入れたっぷりに描かれるのかわかんないでしょうが、少なくともあの作品の中でウォーカーが演じたブライアンは死んではいない。

 

まぁ、あの映画はポール・ウォーカーの兄弟が代役を務めたりして2010年代版『死亡遊戯』みたいな仕上がりになっていて、かなりの離れ業をやってるわけですが。

 

ちょっとわき道に逸れすぎましたが、一方のアントン・イェルチンへの哀悼の表し方には好感が持てました。劇中で彼の表情を多めに使ってましたね。

 

J・J・エイブラムスは、今後別の俳優をチェコフ役として起用することはない、と言っているので、本作品をもってこのリブート版からチェコフはいなくなるということでしょうが、主要クルーの一人が欠けたり、やはり主要クルーの一人がゲイであるという設定が新たに付け加えられたりして(※オリジナル・シリーズでスールーを演じたジョージ・タケイはこの変更に苦言を呈している。「STの生みの親ジーン・ロッデンベリーはスールーをゲイとして描くつもりはなかった」というのがその理由らしい。ジョージ・タケイ自身、現実にゲイをカミングアウトしているのだが)、この新生スター・トレックは徐々に独自の世界を作り始めてますね。

 

亡くなったお二人以外のキャストに目を移すと、ソフィア・ブテラ演じるジェイラはこれから惑星連邦の士官になるようなエンディングだったので、もしかしたらエンタープライズ号の正式なクルーになるのかもしれませんね。

 

メインクルーには女性キャラはゾーイ・サルダナ演じるウフーラしかいないので、そこに新しく女性のレギュラーメンバーが加わったらより多様性が生まれていいですよね。

 

ちなみにゾーイ・サルダナは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』ではまるでジェイラみたいな全身緑色の闘うねえさんを演じているのがちょっと面白いですが。

 

ともかくジェイラはなかなか魅力的でしたよ。

 

 

 

 

「スタートレック」って、地球人と外見が異なる異星人でも女性は身体にフィットした服を着てて出るとこ出てるようにデザインされていて、ちゃんと美人に見えるんだよね。「人外」好きの人にはちょっとそそられるものがあるんじゃないかと。

 

そのあたり、パロディ映画の『ギャラクシー★クエスト』もよくわかってましたよね。

 

 

 

ただ、今回は惑星連邦に遭難信号を送った異星人の女性(実はクラルの仲間)とエンタープライズの乗組員の中に同じ種族なのか似た顔つきの女性がいたので(彼女はクラルによって生物兵器の実演で殺されてしまう)紛らわしかった。

 

 

 

なんでわざわざ同じような顔の異星人出すかね。

 

異星人にまで“ポリティカル・コレクトネス”を発動しなくたっていいでしょうに。

 

クラルの顔もそうだけど、ちょっと異星人の顔のデザインがパターン化されすぎなんじゃないかと。

 

まぁ、「スタートレック」の異星人というのはもともとデザインにそんなにヴァリエーションがないんだけど(登場するのはほとんどが知的生命体だから、人間に似ているのが多い)、初登場するキャラクターにはそれなりにインパクトが欲しい。

 

 

偉大な先人によって生み出されたシリーズを受け継ぐというのは大変なことで、観客としてそれは「スターウォーズ」シリーズでも痛感しましたが、完全なるリメイクやリブートなら別物として評価もできるけど、シリーズがずっと続いている、という体(てい)で映画が作り続けられるといろいろと無理も生じてくる。

 

オリジナル・シリーズの出演者たち。今回の映画の最後に彼らの写真が映し出される。

 

「偉大なる父」はあまりに巨大で、だからその存在を乗り越えようとして新たな作り手が『フォースの覚醒』みたいに「父殺し」をさせちゃったりするんだよね。

 

今回の『BEYOND』では出演者の死は予期せぬことだったとはいえ、結果的にはそういう意味合いを帯びることになった。

 

この別れは、リブート版の真の意味での過去のシリーズからの出立、新たなる船出となるのだろうか。

 

 

 

父のあとを継いだが、その父の幻影に囚われ続けてきたカーク。破壊されて新しく建造されるエンタープライズ号は、生まれ変わったカーク=スター・トレックを意味してもいるのでしょう。

 

映画のラストで、これまでのシリーズの歴代艦長たちのナレーションが次々と聴こえてくるとちょっとウルッとなったけど、惜しむらくはやはりその感動的な別れと映画の内容がいまいち噛み合っていなかったところ。

 

カール・アーバン演じる“ボーンズ”ことDr.マッコイ、そして我らがサイモン・ペグ演じるスコッティもおなじみになってきて愛着は湧いてきつつあるので、ぜひ今後はお話の方にも力を入れていただきたいものです。

 

 

最近、ちょっとこの手のジャンルに食傷気味というか、以前のように楽しめなくなってる自分がいたりします。なんかどれも同じように見えてきて。

 

僕がおっさんになったからなのか。

 

子どもの頃に好きだった映画は今観ても楽しいから、頭が固くなって新しいものを受けつけにくくなってきてるんだろうか。

 

でも、こういうVFXとかアクション物ではない、普通の人間ドラマには抵抗なく入り込めるんですよ。

 

だから別に昔の映画だけを観て喜んでるんじゃなくて最新作だって優れた作品には反応するんで、ただ僕の感覚が鈍っただけではないと思うんだけどな。

 

それに『シビル・ウォー』や『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』は面白かったから、こういうジャンルに完全に飽きたわけではないし。

 

12月に公開されるスター・ウォーズのスピンオフ作品だって楽しみにしてますんで。

 

まぁ、あちらもJJが絡んでるわけですが。

 

単純にこういう映画が増えたから、もうちょっと違うタイプの映画が観たくなってきたということかも。

 

これからしばらく毎年関連作品が公開されるスター・ウォーズと違って、この「スター・トレック」シリーズは3年に1本ぐらいのペースだから、次回作が公開される頃にはまた興味が湧いてるかもしれませんし。

 

そのうちスター・ウォーズとスター・トレックのクロスオーヴァー作品なんてのもできたりして(SWはディズニーでSTはパラマウントだからそれはないか)。

 

最後に、あらためてレナード・ニモイさんとアントン・イェルチンさんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

関連記事

『ワイルド・スピード/ジェットブレイク』

『ワンダーウーマン』

『ウィッシュ』

『アトミック・ブロンド』

『500ページの夢の束』

『search/サーチ』

 

 

個人的お薦めスタトレ映画

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ