ベン・リューイン監督、ダコタ・ファニング、トニ・コレット、アリス・イヴ、リヴァー・アレクサンダー、パットン・オズワルト、トニー・レヴォロリ、マイケル・スタール=デヴィッド出演の『500ページの夢の束』。2017年作品。

 

自閉症のウェンディ(ダコタ・ファニング)はスタートレックの大ファン。今はグループホームで生活しているが、姉のオードリー夫妻(マイケル・スタール=デヴィッド、アリス・イヴ)と一緒に暮らすことを望んでいる。アルバイトに励みながらスタートレックのシナリオ公募用に500ページの大作を書き上げるが、彼女の育った実家が売られることになり、オードリーからも一緒には暮らせないと告げられる。ショックで取り乱すウェンディだったが、賞金10万ドルを獲得するためにロサンゼルスにあるスタートレックを制作している映画会社パラマウント・ピクチャーズにシナリオを届けようと、愛犬ピートとともに密かに施設を出る。

 

物語についてのネタバレがありますので、これからご覧になるかたはご注意ください。

 

 

ダコタ・ファニング主演の映画を観るのは、クリステン・ステュワートと共演した『ランナウェイズ』以来7年ぶり。

 

今ではどちらかといえば妹のエル・ファニングの活躍の方が目立つようになっているものの、お姉ちゃんのダコタもずっと映画には出演していて日本でも公開されてるのは知っていました。ただあいにく観る機会がなかった。

 

久しぶりに彼女の映画が観たくなったのと、スタートレック絡みらしいので内容に興味が湧いたから。

 

ダコタ・ファニングというと僕はいまだに小さな子役の女の子のイメージが強くて、デンゼル・ワシントンと共演した『マイ・ボディガード』とかトム・クルーズの娘を演じた『宇宙戦争』などを思い浮かべます(有名な『アイ・アム・サム』は未見)。

 

今ではとても素敵な女性に成長してますが。もう今年24歳なんだもんね。早いなぁ。昔は「いつまで経っても成長しない」みたいに言われてたのにw

 

 

 

 

当時は子役時代の安達祐実に例えられたりしてたけど、現在20代半ばのダコタ・ファニングの外見の成長が三十路半ばの安達祐実を越えつつある^_^;

 

年齢の限界に挑戦中の安達祐実姐さん

 

『ランナウェイズ』でもそうだったけど、彼女はどこか危うげな雰囲気のある役を演じることが多いような気がする。子役の頃にはよく見せていた屈託のない笑顔も、そんなにしょっちゅう見せなくなった。

 

眉間に皺を寄せたシリアスな表情や、正面を向いて中空を見つめるとどこを見ているのかわからない、ちょっと斜視っぽい目が印象的になりつつある。美しさでは引けをとらないのに明るい笑顔が魅力のエル・ファニングに比べると存在感が目立たないのは、そのせいかもしれない。

 

さて、監督のベン・リューインは実在のポリオ患者の男性を主人公にした『セッションズ』を撮った人なのでこの新作も実話の映画化かと思ったら、そうではないようで。

 

 

『セッションズ』はなかなか好きな映画だったから、楽しみにしていました。

 

これは要するにロードムーヴィーで、主人公のウェンディが住んでいる施設からバスに乗って遠いロサンゼルスまで旅をするお話。

 

おそらく彼女はそれまで一人きりでこんな遠乗りをしたことはないだろうし、自閉症ということもあるので施設の担当者であるスコッティ(トニ・コレット)は警察に通報して、ウェンディの姉のオードリーにも連絡してそれぞれ捜しに向かう。

 

 

 

シングルマザーらしいスコッティは、ウェンディ捜索に息子のサム(リヴァー・アレクサンダー)を応援として連れていく。サムはちょっと登校拒否気味だけど、ウェンディ同様にスタートレックに詳しい。

 

母親が「スタートレック」と「スター・ウォーズ」を一緒くたにして息子がイラッとするお約束の場面もあり。

 

まぁ、このあたりの設定はちょっと図式的な感じがするし、後述する警察官もそうだけど、都合よくスタトレのファンが多過ぎる気も。

 

実話の映画化ではないので、なんだかんだいって結構なんでも器用にこなして目的を果たしてしまうウェンディの姿に現実味がどれだけ感じられるか疑問だし(長距離バスのトランクルームに入って移動するくだりは、さすがにそれは無理でしょ、と思った)、かといって作られた「物語」としては構成がユルい。ちょっとどっちつかずなところはある。

 

「ロードムーヴィー」というのはそういうものだ、と言われればそれまでだけど、たとえば途中でお店で店員に商品の金額を誤魔化されそうになったウェンディを助けてくれるおばあさんがその後どうなったのかはわからないし、お話の中で登場人物たちの出会いや別れに伏線が張られて、やがてそれが回収される──という通常の作劇の手順も省かれる。

 

 

 

正直、『セッションズ』の時ほどのリアリティや人間同士の間のドラマにグッとくることはありませんでした。出演者たちはみんな好演でしたが。チワワのピートも(^o^)

 

物語の中でスタートレックのキャラクターたちにオードリーとウェンディの姉妹が重ねられるので、伝えんとすることはわかるし、ちょっとほっこりするハートウォーミングな小品としてはけっして悪い印象ではなかったけれど。

 

 

 

スコッティ役のトニ・コレットは『シックス・センス』でハーレイ・ジョエル・オスメント演じる主人公の少年の母親を演じてましたが(今回も息子を持つシングルマザー役)、あれから順調に歳を重ねてる感じで、彼女の顔の皺の1本1本に時の流れの重みを感じる。

 

スコッティという名前はスタートレックの機関主任の“スコッティ”(演:ジェームズ・ドゥーハン、サイモン・ペグ)から取られている。劇場版ではサイモン・ペグが演じるリブート版も含めてちょっとコメディリリーフのようなキャラになっている。

 

オリジナルTVシリーズや1979~94年の劇場版でスコッティ(TVドラマ版の日本語吹替版では“チャーリー”)を演じたジェームズ・ドゥーハンは、劇中の「クリンゴン語」の基になる設定を考えた人なんだそうで。

 

だからクリンゴン語が物語の重要な要素になるこの『500ページの夢の束』で、スコッティという名の主要登場人物が出てくるのには大きな意味があるんですね。

 

もっとも、トニ・コレットが演じるスコッティは先述の通りスタートレックの知識は皆無で、スター・ウォーズとの区別もついていなかったんですが。

 

僕は特にスタートレックのファンではないけれど、1990~2000年代に放送されていたTV版シリーズ(「新スタートレック」「ディープ・スペース・ナイン」)や劇場公開作品を当時普通に観ていたから、一応ざっくりした設定は知っています。

 

劇中でウェンディが流暢に話してみせる「クリンゴン語」というのはクリンゴン人という異星人の言葉で、彼らは主人公のカークやスポックたちが属する惑星連邦の宿敵だった。

 

クリンゴン語は、世界で最も話されている人工言語だそうです。

 

ちなみに、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“ドク”ことクリストファー・ロイド(3作目)や『サウンド・オブ・ミュージック』『ゲティ家の身代金』などのクリストファー・プラマー(6作目)もかつて映画版でクリンゴン人のキャラクターを演じていた。

 

 

 

 

僕はTV版はずっと地上波で観ていて、それは日本語吹替版だったからオリジナルの英語の台詞はあまりよく知らないんですよね。映画版は劇場ではオリジナル音声だったけど。

 

だからクリンゴン語の発音についてはスコッティ同様に詳しくないんですが。

 

ウェンディが警察官との別れの挨拶で言う「カプラ(Qapla')!」とはクリンゴン語の別れの言葉。成功(武運)を祈る、の意。

 

「長寿と繁栄を(Live long and prosper)」は、ウェンディが自分を重ねているスポックと彼らヴァルカン人たちの挨拶。

 

 

 

ウェンディが落ち着くための言葉「このまま待機(“Please Stand By” この映画の原題)」は、しばしばスタートレックの劇中で使われる。

 

ウェンディは自閉症という設定だけどバイトもしてるし、興奮すると取り乱すことはあるものの、そこまで日常の生活や人とのコミュニケーションが困難なようには見えない。

 

だから彼女のロサンゼルスまでの旅も、普通だったら不可能なことをやり遂げた、という感慨が少々薄めなんだけど、それを広大な宇宙を旅する「スタートレック」になぞらえることで、ウェンディが自らに課した使命(シナリオの賞金を獲得して実家が売られずに済むようにする)の大きさが想像できて、彼女なりの姉オードリーへの想いや責任感がうかがえる。

 

ウェンディの旅は、人生におけるさまざまな障害との戦いの例えでもあるのだろうし。

 

ウェンディから財布の中身やiPodを奪っていく男女も、その若い女性の赤ちゃんを抱いてみることでウェンディは新しい経験をする。それがやがて姉の生まれたばかりの娘とのふれあいと「自分は叔母になる」という自覚と自信に繋がっていく。

 

ウェンディに好意を持っているらしい同じ「シナボン」のアルバイトの青年ネモを『グランド・ブダペスト・ホテル』や『スパイダーマン:ホームカミング』のトニー・レヴォロリが演じている。

 

 

 

ウェンディは売り子をやってる時以外は愛想笑いをしないので、ネモが彼女のためにお気に入りの曲をCDに入れてプレゼントしてもニコリともしないし反応も薄い。

 

そんな彼女が旅のあとにネモに自分が作ったお気に入りの曲入りのCDを無言で差し出すラストには、ツンデレな魅力も感じたりして。嬉しそうな表情をするレヴォロリが可愛い。

 

僕はトニー・レヴォロリは『ホームカミング』のやんちゃそうな男子よりも、こういう気の良さそうな役の方が合ってると思うなぁ。

 

ロスでウェンディにクリンゴン語で話しかけて心を通わせる警官役のパットン・オズワルトは、シャーリーズ・セロン主演の『ヤング≒アダルト』でもオタクなおじさんを演じていた。

 

 

 

クリンゴン語がペラペラのトレッキーな警察官なんて、そうそういるもんじゃないと思うけどw

 

結局、警察でスコッティやオードリーと合流したウェンディはパラマウント・スタジオに向かうが、締め切りの日時には間に合ったものの、シナリオは郵送のみで直接持ち込みは受けつけない、という理不尽なルールのために受け取りを拒否される。

 

 

 

 

でも彼女は諦めずに、担当者の気を逸らして隙を見て専用のポストに投函。

 

「私の名前を知ってる?」という彼女の質問に戸惑いながら「知ってるわけがない」と答える担当者。

 

一見、支離滅裂な質問みたいだけど、ウェンディの名前を知らないということは今からシナリオを他の応募者たちの封筒と一緒にしてしまえばわからない、ということ。

 

こうして無事「任務」は達成された。

 

ウェンディが書いたシナリオのラストで、砂漠の惑星で死にゆくカークを抱えるスポック。カークは姉のオードリーでスポックはウェンディだ。

 

シナリオは選ばれず、ウェンディのもとにはパラマウントから励ましの手紙が送られてくる。

 

「あなたには才能があるから、気を落とさずにこれからも頑張ってください」という文面は社交辞令かもしれない(たとえそうだとしても誠実な内容の返信だと思う。こんな丁寧なこと、日本の会社は普通しない)。それでもウェンディには達成感があったに違いない。

 

最後にはウェンディはオードリーたちと再び暮らせるようになったような感じで終わる。

 

今ならまわりに心配をかけまくったウェンディのことを「自分勝手だ」「ワガママだ」と責め立てる“正義の人”もいるだろうけど、フィクションの中でぐらい別にいいだろ、と思う。

 

あれほど妹と一緒に暮らすことに抵抗を感じていたオードリーが今回の一件で心変わりするのはちょっと都合が良過ぎる気はしなくもないけれど、光の速さでも何年もかかってしまうような広い宇宙の旅をギュッと凝縮したような、そんな物語だったかな。爽やかな後味の映画でしたよ。

 

それでは皆さん、カプラ!長寿と繁栄を。

 

 

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