是枝裕和監督、阿部寛真木よう子吉澤太陽池松壮亮小林聡美中村ゆりリリー・フランキー樹木希林出演の『海よりもまだ深く』。

音楽はハナレグミが担当。



ハナレグミ - 深呼吸


かつて文学賞を獲った良多(阿部寛)は、今では興信所に勤めながらも小説家の道を諦めきれずにいた。しかしなけなしの金もギャングルで散財してしまうため、別れた元妻の響子(真木よう子)に毎月払うことになっている養育費や自分が住むアパートの家賃の支払いにも事欠く有様。響子と一緒に暮らす息子の真吾(吉澤太陽)に会うのが楽しみな良多だったが、響子に新しい相手(小澤征悦)がいることを知り心穏やかでなくなる。


是枝監督の映画は2013年の『そして父になる』から続けて観ていて、今回も最新作のことを知ってずっと鑑賞予定のラインナップに入れていました。

ただ僕が住んでいるところではあいにく上映館が少なく、しかも1日の上映回数が2回だったりして、カンヌにも出品されたような作品なのになんで?と。

僕が観にいった日はすでに午前中の1回目の回は満席で入れず、やむなく夕方の2回目の回のチケットを購入。もっと上映館あればいいのになぁ。せめて1日の上映回数を増やしてほしい。

で、観たんですが、号泣とか大感動とかいうんではなくて、ところどころで笑わせてくれながら静かに、でもじんわりとくる作品でした。

 


もうねぇ、主人公の母親役の樹木希林さんに自分の母親が重なっちゃって。

歩く時のちょっとおぼつかなくなりかけている足取りやご機嫌で可愛い時もあればちょっと憎まれ口っぽいことも言ったりするところなんかそっくりなんだよなぁ。息子がいくつになっても子どもだった頃のことを人前で話すとか。

樹木希林さんの場合は実際には息子じゃなくて娘さんだけど、夫がアレだからw

樹木さんの後ろ姿、手を振る姿に涙が出そうになる。

あの歩き方、演技なのかほんとなのかわからないから余計心配にもなる。

自分の中にある「祖母」のイメージって、たとえば“がばいばあちゃん”みたいないかにもな昔ながらの割烹着のおばあちゃんじゃなくて、この映画の樹木さんみたいな感じなんですよね。

そしてこの映画を観ていて、自分の母親が樹木さんが演じるおばあちゃんに限りなく近づいていることを実感した。僕の母は樹木さんよりももうちょっと若い“団塊の世代”ですが、でも見た目はほとんど変わらない。自分が苦労をかけているせいだとわかってるから余計申し訳なさでいっぱいになる。

だから不甲斐ない自分に引き寄せて観るとツラくなるんですが、主演が阿部寛なのでちょっとファンタスティックというか実にユーモラスで、それでずいぶん救われた感じはする。

あんなデカくてイケメンなダメ男はいない、というツッコミも入っているようだし、「リアル」うんぬんの話をしだすといろいろ不満が出てくるのもわかるんですが、逆にもっと貧相でほんとに居そうなギャンブル好きで作家を夢見る中年男性の話だったら僕は気が滅入ってしまったかもしれない。

是枝監督の作品って、前作『海街diary』が「こんな美人四姉妹は現実にはいない(笑)」とツッコまれてもいたように主要な出演者の顔ぶれは結構メジャーの美男美女俳優だったりするので、いわゆる“糞リアリズム”の世界じゃないんですよね。

そこはちょっと往年の日本映画を思わせたりもしますが。

TVドラマや他の映画だったらもっと華やかだったりエキセントリックなキャラクターを演じている俳優たちが、敢えて普通の日常生活を送る平凡な人々を演じている。

是枝作品(ここ最近のしか僕は観ていませんが)にジメジメした湿気や暗さを感じることがないのは、この出演者たちのいい意味での垢抜けたイメージと、シナリオに含まれたユーモアのおかげ。

そこに物足りなさを覚える人もいるかもしれませんが、僕は劇場にわざわざ足を運んで観終わったあとに落ち込むような映画を求めていないので、是枝監督の作品はちょうどいい塩梅に観られるのです。

悲惨でツラい話だけに集中するんじゃなくて、あくまでも「映画」としての救いを残す是枝監督のこのバランス感覚が僕は好きだ。だから最新作をまた観たくなる。

本来ならショボくれまくった話なのにこの映画を楽しめるのは、ひとえに阿部寛という『テルマエ・ロマエ』で古代ローマ人という誰がどう考えても無理がある役を堂々と演じてもいたバタ臭い顔の大柄俳優と、超絶に地味な物語のギャップにある。

まるでケンシロウみたいな劇画顔の大男が冴えない風貌で猫背になってガニ股気味に歩いて駅の立ち食いそばとか食ってる絵ヅラはなかなかシュールで、これをもっとそれっぽい役者でリアルに描いたら面白くもなんともないけど、阿部ちゃんだからこそ醸しだされるそのどこかトボケた雰囲気は違和感を通り越してむしろ心地よい。

彼と母親役の樹木希林のやりとりなんかも、他愛ない会話なんだけどいちいち可笑しいのだ。

『海街diary』に続いて頻出する「アレをアレして」みたいな言い方が若干イラッとするけど^_^;

良多は長男だが、姉(小林聡美)がいるので甘ったれたところもある。

およそ阿部寛という俳優さんが現実にはしそうにない内容の会話だからこそ、いっそうおかしみが増す。

僕はこれまで阿部さんが出演した是枝作品を1本も観ていないので(演じている登場人物の名前が共通しているらしいですが。『そして父になる』で福山雅治が演じた主人公も同じ名だった)それらと比較はできないのですが、この独特のおかしみは意識的に選択されたものなんでしょうね。

ネタバレうんぬんはあまり関係ない話ですが、気にされるかたは以降は内容に触れますのでご注意ください。



映画を観始めてしばらくは良多の興信所での仕事ぶりや編集者に漫画の原作を勧められたり、内緒で元妻の様子をうかがう場面などが続くので、てっきりそれらの要素が後半の展開に関係していくのかと思っていたんですが、映画の後半は台風で足止めを食った響子と真吾が良多の母の住むアパートで4人で一夜をともに過ごすささやかなエピソードが描かれて、そのまま映画は終わってしまう。




興信所のボスのリリー・フランキーも同じ興信所勤めの池松壮亮が演じる青年・町田も、小澤征悦が演じる響子の現在の恋人も映画の後半にはまったく出てこない。

町田は若いがちょっとひねこびた青年で、自身も親が離婚して実の父親とは昔から離れて暮らしているので、時々良多にアドヴァイスめいたことを言ったりもする。

そんな彼から良多は競輪の金を借りたりもする。一見飄々としているが常に金欠で頼りない良多と、いつも彼をフォローするように一緒に行動している町田。

池松壮亮という俳優さんはやたらと美人女優とのベッドシーンが多いことでつとに有名ですが、若くして妙に達観しているというか、『紙の月』でも見せていたその未熟な立ち居振る舞いも含めて「今どきの若者」役が実にハマる人で、この映画でも出番はそんなに多くはないけどその存在は印象に残る。




もはや是枝組の一員であるリリー・フランキーは、『そして父になる』での気のいい父親や『海街diary』での喫茶店のマスターとはちょっと違う雰囲気の、元警察関係者だがカタギっぽくない口調がなかなかそれっぽくて、彼も出番は少ないけれどイイ味出してました。




小澤征悦は野球の試合に出ている真吾を大声で応援する、絵に描いたような体育会系男子だけど、そのキャラは良多とちょっと似てもいる。良多の場合はフェンス越しに競輪選手を大声で応援、っていうか罵声を浴びせてるんだけど。

それにしても、阿部寛の次に小澤征悦って、響子さんはどんだけ濃い顔が好きなんだ^_^;

この二人の男性が響子を奪いあって…みたいな話にならなくてよかった。クドすぎるw


母親がクラシックのレコードを聴く会で講師のようなことをやっている同じ団地に住む初老の男性を橋爪功が演じていて、やはり出番は少ないけどああいうおじさん居そうだなぁ、って思う。




同居している中年の娘はなんだかくたびれた顔をしている。そのあたりの変なリアリティ。

橋爪さんが出ていた山田洋次監督の『家族はつらいよ』でも描かれてたけど、おばあちゃんたちの集団の描写も、いかにもああいう会合ってありそうだよな、と。

僕は、是枝裕和という人は山田洋次がけっして描けない、どうしても描き損ねてしまう現在の家族の形を描ける監督だと思う。

若い人がいなくなって老人ばかりが住んでいる集合住宅の、どこか死んだような朽ちかけた団地の感じもよく出ていて、僕は長らくそういうところに住んでいたので(僕が住んでいた頃はまだ新しくてみんな若かったですが、今では3代ぐらいに渡って住み続けてる人たちがいる)、ノスタルジーというか、忘れかけていた記憶が蘇ってくるようだった。

さすがにこの映画で描かれてたように、実家があった団地を歩いてたら幼馴染に話しかけられることはないだろうけど。


この映画で主人公の良多はけっして本当に追いつめられてはいない。

漫画の原作を打診されているし、リリー・フランキー演じる興信所のボスからも「本腰入れてやってみないか」と期待されている。チャンスが与えられていて、本人にその気さえあればちゃんと収入を得られる状態なのだ。

だから僕はこの主人公をほんとにダメな男だとはまったく思わなかったし、いい年して夢を追い続けている愚かな男、みたいなふうにも感じなかった。

あまり深刻に見えないんですよね。息子は実の父親に懐いてるし。

また、映画を観ていても良多が本気で小説に打ち込んでいるようには見えない。

一応、参考になりそうなアイディアを書き留めて壁に貼ったりしてるけどそれだけで、小説を読むのが好きな人間にすら見えない。

そんなにギャンブルにのめり込んでいるようにも見えなかったし。そのへんの描写は淡白なんだよな。

これは劇中で主人公がちょっと頑張る、という話ではない。特に何も頑張ってはいない。その頑張らなさ、変わらなさには少々共感も覚えますが。

僕は、ちょうどこれはアパート住まいのケンシロウが団地で生活する母親の許を訪れて元妻と息子とともに一夜を過ごすという、パロディ漫画「北斗の拳 イチゴ味」みたいな作品として観ました。そう考えると笑えてもくる。

そして結構ウルウルしちゃったりも。

とにかくこの映画は樹木希林さんに萌える映画ですねw

もう、彼女の一挙手一投足、一言一句が見ていて聴いていて愛おしい。母親を大事にしなきゃ、って思わせられますよ。

カルピスを冷凍庫で凍らせてスプーンで削って食べるとか、いかにもな感じで。

「今の女の人は、なまじ稼げるから」と、あっさり離婚してしまう若い女性についてやんわり苦言というか、ボヤいてみせるところなんかも実にあの世代の女性っぽいし。

シェケナベイベーの爺さんと意地でも離婚しない樹木さんとちょっとダブったりなんかして。

一方で、真木よう子演じる響子は、息子の真吾が懐いているので離婚した元夫の母親の家にも行くが、良多との生活はすでに過去のものとして完全に断ち切っていて元夫を見る目も冷たい。

 


響子がなぜあれほどまでに良多に愛想を尽かしているのか、映画を観ているだけではよくわからない。まだ全然やり直せそうなのに。

だからこれは、いろいろとオブラートに包んであるんだよね。

ほんとは良多はシャレにならないようなことをこれまでにいっぱいやらかしているのだ。そしてそのたびに彼女を失望させてきた。

でもそれをそのままストレートに描いたら観ていてシンドいだけだから、世紀末救世主・阿部寛を投入してマイルドに、ユーモラスに描いた、ということなんだろう。僕はそのように解釈しました。

良多は人妻と付き合っている高校生を脅して金を巻き上げた時に「あんたみたいな大人にはなりたくない」と言われるが、それは実の息子から言われる言葉を先取りしたものなのかもしれない。

息子の真吾は今は離れて暮らす実の父を慕っているが、そのうち拒絶するようになるかもしれない。『そして父になる』の実の息子のように。

ともに楽しいひとときを過ごせるだけでも今はまだ幸せなのだ。

失って初めて本当に大切だったものを実感するということはある。

僕の母もかつて言ってましたが「親子は血縁で互いを共有しているけど、夫婦は所詮他人同士」ということで、血の繋がりにはいろいろ思い入れも込められるけど、夫婦とか恋人同士って、相手への想い、“情”が失せたらおしまいなんですよね。

それはまぁ、実際には血の繋がった実の親子でもありうることなんだけども。

元妻に未練タラタラで、隣の部屋に実の母親や息子がいるにもかかわらず彼女に「(新しい恋人と)もう…したのか?」などと尋ねたり、母親の通帳を盗もうとしたら先回りしていた姉に「残念でした」と書き置きされるようなアホすぎる男は一種の“道化”として描かれている。

バスタブが小さすぎるのもデカい図体の阿部寛だからこそのユーモア。




だからこれが実は切ない話だというのは、樹木希林演じる母親の涙でようやくわかるのだ。

息子は結婚に失敗して、この家族はもう二度と元には戻らない。響子の「良多さんは家庭には向かないと思います」という言葉を聞いて、良多の母親はそのことを思い知る。

樹木さんの涙ぐむ顔に、僕も思わずもらい泣きしそうになった。いや、僕は離婚どころか一度も結婚すらしてませんが。

非常に下世話な話で失礼なのですが、響子役の真木よう子さんはご自身も去年離婚されたばかりで、『そして父になる』に次いでのこの映画への起用は偶然だったとは思うんだけど、一体どんな気持ちでこの役を演じていたのかなぁ、なんて思いながら観てました。

もうさ、阿部寛演じるダメ元夫を見る彼女の目が氷のように冷たくて(;^_^A

阿部ちゃんに迫られて全力で拒む姿とか、やたらとリアルだったし。

阿部寛のダメ男はファンタジーかもしれないけど、美人すぎるとはいえ真木さんの演じるシングルマザーは『そして父になる』の母親と同じく「こういう女性、居そうだな」と思わせるものがあった。

樹木希林が演じる老いた母親とは別の、若い母親のリアリティがある。若くて美人だから性的な魅力もある。『海街diary』で美人姉妹を演じてた女優さんたちとはまた違った存在感があるんですよね。彼女もまた今ではリリー・フランキーと同様に是枝監督作品には欠かせない役者になっている。

まぁ、どうしても撮ってるのが男性監督だからってのもあるでしょうが、あくまでも男かその母親の目線なために、真木さんや『そして父になる』の尾野真千子が演じた若い女性、母親が何を考えているのか、その心の内が深く描かれることはないんですが。

それが描けるようになったら、夫や父親とはまた違う新たな視点で映画が作れると思うんですけどね。

今のところ、是枝監督の作品は息子と父親、息子と母親の映画なんですね。

そこである意味完成された「母親像」、でも昔の映画のただひたすら夫や子どもに尽くす良妻賢母とは違う、現実に存在する母親を樹木希林が体現している。

樹木さんは「この話はこれでおしまい」という台詞を『海街diary』でも言ってたけど、どちらも家族に関係する場面で使われる。『海街diary』では“おば”役だったけど今回は母親なので、より近い存在に感じられる。

彼女の笑顔の中には諦めと哀しみがある。不甲斐ないバカ息子には伝わっているかどうかわからないが、観客にはそれがわかる。だから切ない。

でも、たとえ離婚しても良多が真吾という息子を残したことは確かなのだし、池松壮亮演じる興信所の若者が言っていたように、たとえ離ればなれになっても本人が父親に会いたくなればきっと会いにくるだろう。

だからそう悲観することもないんじゃないか。

一軒家ではなくエレヴェーターもない団地の集合住宅住まいであっても、母にもまたお付き合いしている友人たちがいるのだし、日々の楽しみもある。

たとえ望んだ未来でなくても、わずかな喜びの中でなんとか生きていければ、それはそれで結構な人生じゃなかろうか。

人生が幸福なことばかりでないのは誰もが知っている。

だからこそ、どこに希望を見出すかにかかっている。

“元家族”で過ごしたあの一夜で何かが劇的に変わったわけではない。

いずれ元妻は新しい恋人と結婚して、息子はもう祖母の家を訪れることはなくなるかもしれない。良多もまた気安く息子と会うことはできなくなるかもしれない。

良多は小説を書き上げるかもしれないし、相変わらずギャンブルにうつつを抜かしたままの生活を送るかもしれない。漫画の原作で売れるかもしれないし、興信所の仕事に落ち着くかもしれない。

未来はわからないが、絶望する必要もない。

あと一歩だけ前に、もう一歩だけ前に。

ほんの少しずつ前進していければいい。

『海街diary』では死者は写真ですらけっして顔を見せることはなかったので今回もそれを踏襲してるのかと思ってたら、映画の終盤にあっさり仏壇の良多の父親の遺影が映ったのだった。

良多が父親のワイシャツを普通に着れるってことは、お父さんも背がデカかったってことだなw

息子が父親の服を着るというのは、親子の絆を象徴している。

生前はけっして息子を褒めなかったが、息子の小説を密かに買ってきて近所に配っていた父。

その父の真心を知った息子は、父から受け継いだものを自分の一人息子に手渡すことができる。

それは、良多がズルをして真吾に買ってやったちょっと高いミズノのスパイクシューズよりももっと大事なものだ。

この映画で描かれている「父と子」の関係は『そして父になる』のそれと比べるとわりと図式的でありがちにも感じられたんだけど、「母と子」に関しては樹木さんのおかげもあって身につまされるものがあって結構グッときました。

母がいてくれたからこそ、息子は父と再び繋がれた。

真木よう子が演じる母親は、やがては樹木希林のような母親になっていくのだろうか。それともまったく違うタイプの母と息子の関係を築いていくのか。

厳しい現実があって、そこにはしばしば哀しみがある。それは時に絶望に至ってしまうこともある。

でも親子の絆が保たれていれば、なんとかギリギリやっていけるのではないか。

そんなふうに思わせてくれる映画でした。



※樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。18.9.15


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