『アド・アストラ』のその先
カルタゴ滅亡
『アド・アストラ』は、第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)がテーマで、ハンニバルもスキピオも同じ紀元前183年に死んで終わります。今回はこのマンガの先、その後のカルタゴについてです。
カルタゴは、第二次ポエニ戦争でローマに敗れ、そのときに和平案が提示されました。
<ローマ提示の和平案>
①50年年賦の賠償金
②海外領土の放棄と、マシニッサの統一ヌミディア王国の独立の承認
③交戦権のはく奪、ローマの承認なしの戦争の禁止
この①については
ハンニバルの改革で、カルタゴが繁栄を取り戻し、5年で支払いを終えてしまいました。
※ハンニバルはその後、カルタゴを追われ、黒海南岸のビテュニア逃亡後、ローマに追い詰められて服毒自殺を遂げます。
第二次ポエニ戦争では軍事面でのローマの脅威となったハンニバルが、カルタゴが急速に繁栄を取り戻した手腕からも経済面でも脅威の存在でした。そのハンニバルがいなくなりましたが、ローマではやはりカルタゴへの警戒を持つものもいました。
それが
ハンニバルを打ち破ったスキピオを”スキピオ弾劾”でローマ政界から葬った大カトーこと、マルクス・ポルキウス・カトー・ケンソリウスでした。
彼は、元老院で演説するときは、カルタゴと関係ない話題でも一番最後に
「ともあれ、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると思う」
と末尾に付け加え続けていました。
そこに、和平案の②と③が影響を及ぼしてきます。
あの統一ヌミディア王としてカルタゴから独立を勝ち得たマシニッサでした。
カルタゴがローマの許しなければ戦えないことを知っているマシニッサは、それを利用してカルタゴの領地を侵略していきます。
カルタゴは自衛のための戦いをローマに許可を求めるも、ローマはマシニッサのヌミディア騎兵のおかげでハンニバルに勝てたので、マシニッサの肩を持ちます。
耐えきれなくなったカルタゴは、ローマの許可を得ずにマシニッサのヌミディアを攻撃しますが大敗を喫します(紀元151年末 オロスコパの戦い)。
これをローマは和平違反として、第三次ポエニ戦争が始まります。
この第三次ポエニ戦争では、
なんと、スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の養子に入ったスキピオ・アエミリアヌスにより、カルタゴは、紀元前146年春に攻略され、その都市は破壊され、50,000人のカルタゴ人は奴隷として売り払われてしまい、滅ぼされてしましました。
アド・アストラ 全巻
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