”ローマの盾”名将ファビウスの我慢
アルプスを越え、イタリア半島に進攻したハンニバル・バルカ率いるカルタゴ軍
ティキヌスの戦いにて、大スキピオの父スキピオ執政官を司令官とするローマ軍を打ち破る。
トレビアの戦いにて、もう一人の執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングス(平民出身)の軍を包囲殲滅戦術で大きく打ち破る。
そして、トラシメヌス河畔の戦いにて、新たな執政官のガイウス・フラミニウス(平民出身)を血祭りにあげて進軍を続ける。この進軍中にハンニバルは病気にかかり、片目を失明する。
ここに至り、ローマは、非常事態であることを悟り、元老院筆頭のクィントゥス・ファビウス・マクシムスを独裁官に任命し、ハンニバルにあたらせる。このファビウスの打ち出した戦略が、禁断の戦略ともいえるものであった。
「ハンニバルとは戦わない。同盟都市を焦土と化し、持久戦に持ち込む。ハンニバルの分遣隊とは戦うが」
というものであった。のちにファビアン戦略と呼ばれることになる。
ハンニバルは、寄せ集めの軍隊を機能させるために、ローマの様々な村を襲うが、戦おうとしないファビウスに対して、あえてファビウスの領地は襲撃しない形で少しずつ締め上げていく。
ファビウスは、戦わないが傍観しているわけではなく、ハンニバル軍をローマ軍が得意な形で戦うことができるカンパニア平野のカプア方面に導き寄せる作戦を立て、導き寄せることにはほぼ成功するも、ハンニバルに気づかれ、ハンニバルの奇策で取り逃がしてまう。
ローマにもどったファビウスは、この失敗により、ローマ市民らより”クンクタートル(のろま)”とののしられ、ローマは、一人のはずの独裁官を、ファビウスの下でハンニバルと戦うことを主張していた騎兵長官で、ファビウスがローマにもどっている間に、ハンニバル軍の一群の勝利したミヌキウス(マルクス・ミヌキウス・ルフス 平民出身)を二人目の独裁官として任命する。
このミヌキヌスが、ローマから戻ってきたファビウスに対して、勝利にわく自分たちがハンニバルと決戦をすること伝えて、ファビウスの下から去っていきます。ファビウスはミヌキウスとはこれが今生の別れになるだろうと大スキピオにつぶやいて3巻が終わります。
ついに、”ローマの盾”のファビウスが、ハンニバルに向き合うことになりますが、ハンニバルと正面からあたっては勝てないことをはっきりと認識し、焦土戦術ともいえる作戦は、なかなか理解が得られないものであったと思います。のちの歴史から見れば、そのファビアン戦略はよかったといえますが、本人と本人を理解するもの以外からすれば、ただただハンニバルに好き放題にイタリア半島を荒らされているだけなので、その突き上げたるや激しかったと思います。それでもファビウスはそれを信じて行い続ける新年の強さ、ローマの我慢強さを垣間見える巻でした。