ヴァーチャルキャラクタに対する好意は、仮にそれが愛情と呼ぶにふさわしいレベルの強さや深さを持つとしても、あるいはだからこそ、どこまでも一方通行の片思いであることを僕らゲーマーは知っていなければならない。
一方通行であるということは、相手の気持ちどころか、相手との距離感における節度さえをも相手に確認する術を持たず、すなわちそれらを確認する距離まで近づくことすら許されないのである。
たとえ「NieR:Automata」で、我々がいかに主人公の2Bのスカートの中身を何度となく覗き込もうとしたとしても、彼女(アンドロイドなので正確な意味での性別を持つわけではないが、女性型であるため代名詞は「彼女」が相当するだろう)が我々の存在はもちろん、親愛の情を理解するはずはない。
我々は空気であり、だからこそのゆえにスカートの中身を覗き込むという行為が法に抵触しないわけである(正確には、ヴァーチャルキャラクタに人格権が存在しないから、なのだろうけれど)。
恋愛 ── こと「相手と両思いになること」ではなく「両思いになってからお付き合いすること」 ── がメインコンテンツであった「ラブプラス」シリーズにおいてさえ、我々の好意は、結局のところ(いわゆる「次元の壁」により)一方通行であって ── それを超えるだけのフォースのパワーが炸裂しない限り ── 彼女(ヴァーチャルキャラクタなので正確な意味での性別を持たない単なるデータ群)たちは演算結果にのみ従って我々への好意的な言動を出力する。
もちろん僕はゲーマーであると同時に、ゲームクリエイタでもありプログラマでもある(すべて自称である。経済と交換していないからプロではないし、現役でもない)から、
「クリエイタ:(次元の壁):ヴァーチャルワールド:(次元の壁):プレイヤ」という構図について、相応に理解はしているつもりである。
その上でなお、我々はヴァーチャルワールドを、ヴァーチャルキャラクタを愛していればこそ、その次元の壁を理解して、ときにその垣根を払い、ときにその敷居を尊重し、きわめて親愛なる存在としてお金や時間や体力や気力を費やしもすれば、モデルやテクスチャやモーションや会話や字幕の不整合にも(最悪、長期に渡って修正を待たされるバグにも)目をつむり、融和の道を探るわけである。
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ところで「ウマ娘 プリティーダービー」というゲームがあって、僕はもともと全てのギャンブルに興味がないので、必然「競馬馬の擬人化? また擬人化なの? そのうえウマなの? いやぁ、ぼかぁちょっと……」といった感じで敬遠していた。はっきりいって興味がなかった。
(こうした初期反応は「けものフレンズ」のときもそうだった。人気を不思議に思って1期1話を見たときは ── 悪い意味で ── 絶句したものだ。今は好きだけれど)
たまたまあるとき、ゲーム実況動画を見る機会があって、それで少々興味を持った。
競馬が好きな人のブログでも、プレイしてみたという記述があり、興味が膨らんだ。
そして少しプレイして、驚いた。
キャラクタのモデリングからレンダリングに至るまで、その表現が凄まじくて。
全方位からのモデルの完成度はもちろん、テクスチャも、ボーン設定も、モーションも、ハイライトとシャドウの調整も、果てはステージのスポットライトやフォグの表現に至るまで、驚くほど手抜きを感じさせない、それどころかどうやったらこんなに破綻のないブラッシュアップができるのかと驚嘆した。
キャラクタを表現することについて、まったく想像を超える出来映えがそこにあった。
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【glossary】
モデリング :キャラクタの3D造形をすること。出来上がったものがモデルである。
レンダリング:モデルや環境をカメラに投影するための演算処理のこと。
テクスチャ :モデルの表面に張り付けられる絵のこと。これがないとペーパクラフトや粘土細工のようである。
ボーン設定 :関節の位置と動きを設定すること。
モーション :関節を基準にした動きのこと。服や髪にも関節を持たせて動かす。これもモーションである。
フォグ :レンダリングの表現のひとつ。霧のかかったような光の拡散や収束を表現する。
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いわゆる「リセマラ」行為をしてサイレンススズカさんとライスシャワーさんを手に入れた。
(物静かで大人しいキャラクタが好みなのでもある)
スズカさんの実馬のストーリィは競馬を知らない僕でもなんとなく記憶にあった。
当時の深夜のニュースでその(当日の)死が大々的に取り上げられた記憶もあるため、少々調べたりもした。
スズカさんが好きすぎて、一部の文書に濃厚に影響を及ぼしたこともある。
(僕の「天才肌」は程度が知れているが)
スズカさんだけではなくそれぞれのキャラについて、モデルや映像演出もさることながら、ストーリィもそれぞれの馬の史実からうまく抽象して落とし込んである。
もちろん、まともにストーリィを読むと、1プレイで2時間くらい使ってしまう。
(ストーリィを省略しても1プレイ30分くらいを僕は使ってしまう。)
だからなかなかきちんと読みながらプレイする機会は少ないが、それでもときどき(2ヶ月に1回くらい)、本を読み返すような気持ちで、いずれかのウマ娘との3年間を過ごすのではある。
しかし残念なことに、どんなに感動的なシナリオが書かれていて、どんなに魅力的にキャラクタが描かれていても、結局はガチャゲーである。僕がもっとも忌み嫌い、ゲームというジャンルの最底辺だと考え、その文化を貶めるものと憎んですらいるガチャゲーなのである。
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ここまであまり書いたことがなかったが、いわゆる「ガチャゲー」とは、どんなに複雑で魅力的なシステムを持っているとしても、最終的にくじ引きによって手に入れるキャラクタでプレイ体験のほとんどが決定づけられてしまうタイプのゲームである。
冒頭の引用はまさにそんなガチャゲーにおけるプレイヤの、つまりは我々ゲーマーの率直な感想であり、ゲームを、そこに登場するキャラクタを愛すればこそ生まれる苦悩の叫びでもある。
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かつて業務用のゲーム機(ゲームセンタに置かれるもの)に、じゃんけんゲームがあった。
コインを入れて、じゃんけんをする、ただそれだけのゲームだ。
原理は非常に単純だ。
(ただし、以下のようなプログラムで動いていたとは限らない。僕が再現するならこうするというだけの話である)
0〜2の乱数xを発生させ、プレイヤに0〜2のyを入力させる。
0を「グー」
1を「チョキ」
2を「パー」と定義したとき、
x=yなら「あいこ」と判定する。
mod(2−x+y,3)の返り値が
0のときはプレイヤの負け。
1のときはプレイヤの勝ち。
と判定する(詳細は後述)。
「あいこ」のときは、そのまま最初に戻る。
プレイヤが「勝ち」のときは勝ちの処理(コンピュータが負けた処理)をして最初に戻る。
プレイヤが「負け」のときはゲームオーバーの処理をして終了する。
(申し訳ないが僕は昔からフローチャートを書かずに直接コーディングするので、ここでもフローチャートを載せない)
それぞれの処理にあたって、映像(LEDの雑な電光表示だったか)と音声を出力すれば出来上がりだ。
Z80チップを使うことさえもったいないくらいの、簡単な基板でできるだろう。
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【解説】
上記のmod関数はBasicおよびExcelに使われるもので、
mod(値1,値2)とあるとき、値1を値2で割った「余り」を返り値(出力)とする。
x=yのときは「あいこ」でやり直しになる。
x(コンピュータ)が0(グー)でy(プレイヤ)が1(チョキ)のとき、
2−y+x=2−0+1となるので、答えは3、これを3で割った余りは0、ということになる。
他の組み合わせも表にするとこうなる。
| x(コンピュータ) | y(プレイヤ) | 2−x+y | mod(2−x+y,3) |
| 0(グー) | 1(チョキ) | =3 |
=0 |
| 1(チョキ) | 2(パー) | =3 | =0 |
| 2(パー) | 0(グー) | =0 | =0 |
| x(コンピュータ) | y(プレイヤ) | 2−x+y | mod(2−x+y,3) |
| 0(グー) | 2(パー) | =4 |
=1 |
| 1(チョキ) | 0(グー) | =1 | =1 |
| 2(パー) | 1(チョキ) | =1 | =1 |
ちなみに即興で思いついた処理方法なので、もっと分かりやすい数式や関数を用いて、簡便に処理できる方法もあるかもしれない。
プログラミングの世界に正解なんてないのだ。
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ゲームのほとんどにおいて、乱数は非常に重要な要素だ。
それは運の要素を複雑な演算式やリソース管理の中に含むことで、予測可能な領域にゆらぎを含ませ、人間がどれほど経験を重ね、高度な予測ができるようになったところで「必ずそうなるとは限らない」という可能性を成立させる。
ギャンブルに魅了される人間や、スポ根マンガに魅了される人間の似通った部分は、この「0ではない可能性に賭けて勝利を収めることができる」という展開に、全身全霊を震わせるほど興奮するからだろう。
僕は前述の通りプログラマでありゲームデザイナであり逃避が得意な逃げ腰天才肌なので、まったく興奮しない。
1%の勝率は、0%にほぼ等しいと考える人間である。
かつて「大戦略Ⅱ(システムソフトのストラテジック・ウォーシミュレーションゲーム)」をPC8801でプレイしていた。
ゲーム内で補給車は5%の確率で相手戦車(スコーピオンだったか)を撃破しうるのだけれど、それがどんなにひどい確率で、戦闘なのかを知っている。
2%か1%で重戦車(M1のような)だったか戦闘機(F14など)を撃破しうるのだけれど、もう、惨憺たる有様である。何度繰り返そうともそれは変わらない。
僕もゲームをデザインするとき、乱数の要素を必ず入れるようにしている。
それは「0ではない可能性に賭けて勝利を収める」ことの喜びを、あるいは「ほぼ確実だった計画が綻び、それをリカバする」ことのスリルを、味わうためだ。
現実世界でそれをするのは馬鹿げている。
まして確率がゲームデザインの中核を為すようなゲームなど、どんなに優れたシステムや美麗なグラフィックや豪華声優陣を配していようとも、プログラムの入門編の延長線上にしかないようなゴミプログラムだとさえ思うのだ。
確率を体験することがゲーム体験の中核を為しているだけならまだしも、その確率を思うさま体験するためには相当額の現金(それも紙幣だ)を積み重ねなければならないなんて、それが現実の逃避先であり、ひとときの心のオアシスであるはずのゲームがするべきことだろうか。してよいことなのだろうか。
ために僕は、ガチャとその出力結果が主体に成り下がっている基本無料のゲームを忌み嫌う。
ゲームとその文化、引いてはゲームプレイヤを貶めるものとして嫌悪しているし、それに夢中になる(貶められた)プレイヤをただのギャンブル中毒と同じダメ人間だと断ずる。
札束で他者を蹂躙することについてIRLだけでは満足できないのだとしたら、それはそれでビョーキではないか。
(もっとも上記「ウマ娘」について、PvP(対人プレイ)の要素はさほど多くないと感じているが)
0.X %の確率をお金で買わないと面白い体験ができないゲームは、ゲームではない。ゲームなどではない。賭博だ。
たしかに賭博もゲームだろうけれど、ガチャゲーの価格設定は、ヴァーチャルな世界とキャラクタ(つまりはそのデータによる体験)を買うには、少々高すぎる気がする。
あるいはそれ(ガチャゲー)以外のゲーム(およびそのデータによる体験)にこれまで我々が払っていた対価は、そこまで、そんなにも安いものだったのかとさえ思う。
もっとも、我々消費者の一部(あるいは多く、なのかもしれない)は、あまりに中古売買でソフトを手に入れることに慣れすぎたのだろう。
僕でさえ、遊ぶ金ほしさに遊ぶ金を惜しんで、中古ソフトを買ったことがある。
ゲームとその文化を愛するものとして恥ずべきことだと思うので、今はしていないが、僕はどちらかというと貧乏な人間なのだ。
そして、ガチャゲーによる現在の洗礼は「中古ソフトを手に入れることでメーカに何の利益ももたらさずコンテンツを食い潰した不届き者たち」に対する、メーカーの復讐なのかもしれない。
ああ。ならば。それならば。
我々は生贄(現金)を捧げて、怒りが収まるのを待つしかないのだろうか。
しかし、生贄を捧げれば捧げるほどに、神というのは力を増してしまうのではないのか。
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フィクションやヴァーチャルやゲームは、確かに楽しいものだと思う。
しかしその楽しさは、現実において現実離れした美味しい部分をフィーチャーできるからだ。
リンコ(小早川凛子:「ラブプラス」の妹系暴力カノジョ)やライス(ライスシャワー:「ウマ娘」の怯え妹系キャラ)は、現実世界の我々の妹になることもないし、ましてカノジョになったりはしない。それは確率的にも、次元の壁的にもありえないのだ。
だからこそ、我々はヴァーチャルをヴァーチャルとして、現実から逃避することを楽しみながら愛でるのではないか。
「ウマ娘」の場合であれば、トレーナの立場で、それぞれのウマ娘との競技生活を歩むことが(乱数要素がかなり多いけれど)楽しめる、それが良さであり、楽しみなのではある。
そして(非常に渋い確率の)ガチャの排出についてはおよそ目をつむれば(とりあえず一度のプレイで育成できるのは育成ウマ娘ひとりだけなのだから)お気に入りの育成ウマ娘が一人か二人か三人くらいいれば、それでプレイできるのだろうとは思う。
もちろんこのゲームでは(育成ウマ娘は最低一人いればいいというシステムもあって)サポートウマ娘はとにかく必要であり、先の引用にあったシロクマ氏も、サポートカードで(最低限必要なのではないか)とまことしやかに言われているカードが揃わず(自分は愛されていない)と折れてしまったように観察される。
くじけないで、とは思わない。
そもそもヴァーチャルなキャラクタたちは、僕らIRLの住人を愛さない。
愛している演技をしたとしても、それはプログラムの出力に過ぎない。
僕らはこの片思いをときに時間で、ときに札束で、表現することで自分を慰めるのかもしれない。
僕自身は、すでにこのゲームに飽きていて、たまにプレイするけれど毎日はプレイしないしイベントもスルーすることがある。
なぜって、育成するかレースするか(悪習たるガチャを回すか)それしかコンテンツはないのだから。
もちろんキャラは魅力的だ。
そのデータの表現力はスマートフォンのガチャゲーの割に圧倒的といってもいい。
そう。ガチャゲーだからという理由で、僕は見くびっていて、だからその映像表現に驚いたのではある。
しかしレースと育成とガチャのゲームでしかない。
シナリオも優れているが、しかしガチャゲーである。
モデルは優れているし、表現や演出も素晴らしいが、プレイ体験の幅は狭く、ゲーム体験はもっと狭い。
キャラを愛でることがモチベーションなのに、そのキャラ(の排出率)が渋くて、そのシステムの渋さがときどき憎くなる。
いかにモデルが、シナリオが、システムが、グラフィックが、音楽が、アテレコが、演出が優れていようとも、いやだからこそ、それがガチャゲーであるかぎりゲームとしてはクソゲーだと言わなくてはならない。
我々は、そのコンテンツを、愛しながら憎まなくてはならない。
いや、その憎しみは大事なものだ。
我々は確かにゲーム業界を搾取した。あるいは今もしているかもしれない。
しかし一部のゲームメーカが我々に対する復讐として、愛情の名の下にプレイヤを搾取していいわけでもないだろう。
このあたりはバランスなのでむつかしい問題だ。しかしガチャゲーというのは、もっと直截的に問題だ。
我々に融和の道はないのか。
「クリエイタ:(次元の壁):ヴァーチャルワールド:(次元の壁):プレイヤ」というレイヤを為す世界にあって、力関係は左から右へと一方通行である。
逆方向がありえないから我々はヴァーチャルキャラクタを愛せない。仮に愛していてもそれが通じない。
しかし実のところ「クリエイタ:プレイヤ」は同じ次元に存在しているのである。
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いつか。
ゲームが再び、キャラクタがふたたび、プレイヤと手を繋いでともに歩んでくれる日常が戻るようにと願ってならない。
何度でも繰り返すが、ガチャゲーは悪習である。
それはプレイヤをヴァーチャルで惹きつけつつ捕食する類いの、共存共栄からは遠い存在なのだから。
そして中古ゲーム売買もまた悪習である。
目先のお金に目がくらんで、メーカにお金を払うことを怠った購買者たちが居たために、今のゲーマーはお金による復讐を受けているのだから。
>>>
ついでだからどうでもいい余談を書いておこう。
先日「トーセンジョーダン」という(いわゆるギャルっぽい性格付けの)育成キャラがリリースされたとき(キャラクタのモデルデータ量が豪華なので)欲しくなり、ガチャを20回ほど回した。(ちなみに僕は無課金である)
トーセンジョーダンは出なかった。
そして先頃、メジロドーベルという(お嬢様系正統派美少女の)育成キャラがリリースされたとき(僕は軽い相貌失認のわりに正統派美女/美少女キャラだけは比較的正しく認識できるようで)欲しくなり、ガチャを20回ほど回した。
(初めて少し課金した)
もう育成キャラは当分要らない。そう結論した。
メジロドーベルを(も)愛でるのだ今から私は。
そんなわけで課金プレイヤとなった一瞬の後、たまにサポートキャラを引いて、週に数回遊ぶだけの無課金プレイヤに戻った。
コンテンツは優秀なのに、そんなに熱烈に愛せるゲームでもないのだ。少なくとも僕には。
それにしてもスズカさんのときもそうなのだが、僕はどういうわけか、お嬢様系にはモテるような気がするのだ。(すごい妄想力)
やっぱりギャルはダメなのか。俺の魅力が通じないのか。
IRLでも恋人はお嬢様系が多かった、という話についてはまた別の機会に。
// ----- >>* Junction Division *<< //
未明に寝たのだが、数時間で目覚めてしまう。
前回もそうだったが接種直後にけっこう強い空腹を感じる。
211103
使用しているサードパーティデバイスの設定が消える。
かれこれ3回目になる。
具体的にいうと Logicool のマウス、G604というモデルの設定アプリケーションがときどき不具合を起こして、設定ファイルが初期化される。
いろいろな外部装置を使ってきたし現在も使っているが、ここまで頻繁に消し飛ぶものも少ない。
その上、一度設定したデータのバックアップや復元の手段がメーカ側では一切用意しておらず、情報も公開していない。
「diNovo Edge」というキーボードや「MX−R」というマウスなどは、高価だったけれど非常に優れた製品だったので比較的評価の高いメーカではあったが、この数年は似たような製品ばかりリリースしているしドライバや設定用アプリが(単一メーカなのに)林立していて、どうにもユーザ経験をひたすら悪化させる環境を構築しているように観察される。
おそらく製品の性格に合わせて、ビジネス向けとホビー向け、ゲームユーザ向け、廉価版、といった具合にチームが分かれてソフトとハードを企画/製造しているのだろう。
結果マンパワーが分散し、似たような製品が立ち並び、ユーザは買うときもどれがいいのか迷い、使ってみたものの素晴らしいとは思えなくなるのではないだろうか。
たとえばマウスなら、ハイエンドモデルから廉価モデルまでのグレードを複数用意しておけば、ゲームに使おうがビジネスに使おうが、そんなことはユーザが決めることなのだ。
個人的には複数のホイール(2〜3)がマウスに装備されていたら相当に高機能だろうと想像するのだが、そういう製品は少ない。結果として、サードパーティデバイスが机の上にあふれ始める。
椅子やキーボードでも、ただチャラチャラしているだけの製品が「ゲーミング」として売られているが、ゲーミングデバイスの定義は見た目がチャラチャラしてオモチャっぽい、ということではないような気がする。
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とにかく設定ファイルの目星はついたのだけれど、いかんせん管理アプリケーションは、そのクラッシュの時にデータを消してしまう。
こういうときにOSの自動バックアップが役立つのだけれど、ノートPCを買ったばかりに、ストレージが貧弱で、TimeMachine(Mac の自動バックアップシステムの名称)が機能していない。
そのためにNASを購入してあるのだが、NASを設置するスペースが必要で、そのスペースの確保のために書類キャビネットを書斎に設置する必要があり、書類キャビネットを設置するために書架スペースの工事を完了させる必要があったのだ。
すごい遠回りだけれど、これが僕の日常である。
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仕方ないので、保管庫みたいになっている、暫定器材室(ルータなどが保管してある)にNASと外付けHDDを設置し、ルータに接続した。
購入したのは Synology DS920+ である。
こっちはメーカページ。
こっちは密林ページ。
当然ながらNASキットにHDDなどのストレージは一切含まない、本体だけの値段なので、正直ハードルが高い。しかし挑んだ、そして跳んだ。
何故といって、僕がノートPCを買ってしまったがばかりにLANは無線が必然になってしまい、Wifi ルータを Synology の製品にしたばかりに、外付けHDDドライブさえ(ルータに接続した他社製品を)マトモに認識してくれなかったからである。
起動して、初期設定を終えた。
キャッシュ用のSSD、1TB×2と、増設用メモリも購入して接続した。
Wifi ルータの頃から、管理ソフトがいかんせん、素晴らしいとは思っていた。
NASの管理ソフトを立ち上げて、これはこれで間違っていなかった、むしろこれがいいんじゃないか。こういうのが欲しかったのではないのか。と今は思っている。
SHRという、RAIDの上位互換のような独自の仕組みをミドル/ソフトウェア側で用意しているようで、複数のサイズの異なるHDDであっても、無駄な領域を作らず、データの復元性を維持する。
管理ソフトはブラウザベースの仮想デスクトップを提供していて(ただでさえ狭いモニタの中で、表示領域が限られてしまうが)非常によくできている。
自動アップデートはしてくれるし、アドオンは豊富だし、いずれも申し分ない速度でバージョン更新があり、セキュリティもかなり高度に、かつ僕のような素人でもなんとかついて行ける簡略設定も用意されている。
まさに至れり尽くせり。その上、ハードを増設することもできる。
今回、たまたまNASのメインシステム側はSSD、1TB×4を接続したのだが、大容量HDDのほうが適切だろうと結論した。
しかも、NASに接続した他メーカのHDD(こちらはRAID10で駆動している)の転送速度がものすごく速くなった。
ルータに接続していたときは、USB2.0 みたいな速度だったくせに。
これで安心してデータのバックアップが可能になった。
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しかしよく考えて欲しい。
そもそもこんな駆け足でNASを設定することになったのは、TimeMachine が必要になったからではあるが、そもそもマウスのドライバの設定が蒸発しなければ、急を要するものではなかったはずだ。
つまりマウス(のソフト)が ○!#^%*××○@!!!でなければ、こんなに慌てる必要はなかった。
でもいいんだ。もうこういうの、アタシ、慣れてるから。
最初はみんなカッコいいこと言うんだけどさ、たいていはすぐ、自分の欲で突っ走るんだよね、自分のことしか考えてないんだよ男って、だからアタシ、もう慣れたの。(誰?)
ちなみに現在の入力機器は、
(現行 MacOS用のドライバが1年ほどリリースされていないので、デフォルト設定のままの、ちょっとした不燃ゴミ)
(最初に記述したとおり、MX−Rを復活させてもらった方がよほど良いと思える製品。とにかく設定ソフトがひどい)
(ソフトは改善の余地もあるが、不具合はほとんどない。そして本体が可愛いく高機能)
の3つ。
最後のクイッキーズというデバイスは、ホイールとボタンが8つあるだけだが、機能切り替えボタンも(かなりのチャンネル数が)あるし、アプリケーション自動判別による切り替えもある。
液晶が可愛くて便利である。縦置きにしても逆置きにしても、設定によって表示方向を変えてくれる。
すごくユーザ思いのソフトなのだ。
これに引き換え、Logicool のそれは「どうだい、すごいだろう?」と、とても自慢げな割に、やっていることは標準以下。
Razer のそれは、フラれたか、自然消滅したカップルのそれに近しい。絶縁しているのだ。
もしもソフトが Synologyほど、とまではいかずとも、せめて Xencelab 程度にユーザフレンドリィな思想でリリースされていれば、Razer のデバイスはほとんどすべてのショートカットからファイルやブラウザの操作を自動化してくれるはずなのだが、以前使用していたほぼ同様のデバイスも売るだけ売って、そのうちドライバの更新を停止したので期待はしていない。
製品価格が高くても良いから、ドライバの更新が有料でも良いから、可能な限りドライバを更新して欲しい。
キーボード(diNovo Edge for Mac)だってマウス(MX-R)だって、2つずつ結局買ったのだから。あまりにも気に入って、生産終了されるのが怖くて、めっちゃ高いけれど買ったのだから。
(結局、ドライバの更新停止のほうが早かった)
一方の Synology の製品は、最初から高い。
(ちょっとしたPC程度のCPUを制御用に搭載しているので当然だが)
Wifi も、最新規格より格落ちしているが、それでもルータとしての信頼をソフトウェアのアップデート頻度が示している。
NASも、値段もそうだが拡張性の高いモデルを購入した。
ちょっとソフトが高機能すぎて面食らっているのが現状である。
昼より少し前に起床。
タイルマットを敷いて、いよいよ書架の設置が可能になるが、書架は納屋の中にあり、何度か屋外用暖炉(どう考えても焼却炉のことであるが、メーカの公称は「屋外用暖炉」である)を使用しているため、灰や埃が積もっている。
外装を軍手で撫で落として、玄関に運び込む。
気付けば午後である。
夕方までかかって、ようやく書架の設定が終わる。
夕方になってシャワーを浴びて、前橋の止まり木へ。
感染者数の過半が、僕の棲む太田市だったときから、市外はおろか自宅を出るのも避けていた(普段から引きこもりだが)。
ようやくそのバーが営業を再開したとは聞いていたが、今度は僕がワクチン接種で体調を崩していたので、今日明日が頃合いだと判断したのである。
(3日後には再接種だし)
スーツに着替えてから、猫のトイレとタッパー2つ(餌と水を入れるのに使う)と猫用毛布を軽トラに積んで出掛ける。
当たり前のようにアヲが肩に乗る。
行きがけの社内でビジネスホテルの予約をする。
僕はとんでもなく孤独だけれど、とんでもなく自由だと認識する。
書架を設置しているあいだ、いつ行こうかと迷っていたのだ。
シャワーを浴びている間に決定し、スーツを着る間に一泊することを決定した。
思い付くまま行動できる。
その責はすべて僕に還元されるから、たとえば裏庭の木を伐採している最中に、はしごから転落して重傷を負った場合、僕を助ける人は基本的に存在しない。
翌日になって会社の人間が「出勤していないから様子を見てこよう」なんてことにもならない。
だから危険な作業についてはあらかじめ妹に連絡をしたり、仮想奥様による監視を脳内に常駐させることになる。
一般的な家事も、リフォームなどの特殊な作業も、家具を選んだりといった特殊な購買活動も、すべて自分で制御して実行している。
こんなに自由で、こんなに思い通りに実行できるものなのかと、正直驚いている。
もちろん身体が単一なので、一度に複数のことができない。
だから作業の進捗は遅いし、専門的なものについては仕上がりも「まぁまぁ」であれば合格ラインだ。
なあに、生きているというのは「まぁまぁ」の線のあたりをぐにゃぐにゃと低空飛行していれば上出来なのだろう。
バーで、パイプを常用しているという大学生と友達になる。
211102
軽トラで寝ているアヲが気に掛かって、4時間ほど眠ったところで目覚める。
通勤ラッシュを避けて、しかし(僕にとっては)それなりに早い時間にチェックアウト。
車の中でアヲはおとなしくしていた。
一度帰宅してから、ふたたびベッドフレームを見るために市内の家具屋へ。
結局のところ、廉価な商品しか扱っていないところは、それなりの商品しか置いておらず、一方で高級な商品しか置いていないところは稀にアウトレット品が置いてあってもかなり高額であるということがわかる。
作りはそれぞれで、費用対効果はそれを見る人が決めるより他にない。
Amazonのカートにもベッドフレームを入れてあるのだが、なかなか決済する気にならず、もう少し実店舗を見ようと思っている。
午後は電気設備の工事。
コンセントの増設と、電灯スイッチを蛍スイッチ(消灯時に、ランプが光ってスイッチの場所が分かる、あれである)に変更し、一部のカバーを新品に変える。
バスルームと台所の間にある、勝手口に繋がる通路に突っ張りポールを設定し(洗濯ばさみのピッチハンガなどを一時的に吊したりするのに使う)、その通路の天井に人感センサライトを設置する。
夕刻近くなってから、もうひとつの書架を組み立てて設置。
昨日よりは早くできた。
これで書類キャビネットを左の書架の前に設置すれば、書架コーナーの設定は終了だ(隠れた書架には真面目な本を置こうと思う。見える書架には、イヤラシい写真集でも置いておこう)。
冗談はともかく、僕の副反応の様子を見て、BPの休みの日を押さえなくてはならない。
<お気に入りのアルミボールと猫>











