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TITLE:
書物という友人
Written by BlueCat
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211107
午前中の陽を浴びてから眠って午後に目覚める。
ファイル整理やら書架に本を納めたり、といったことをする。
苦節というほどでもないし、実際には僕はその苦しみに負けて自分の考えや態度(行動)を変えて暮らしていたのだが。
(「苦節」は「苦しみに負けず,自分の考えや態度を守りぬくこと。また,その心」と辞書にある)
6年ほど前の僕は、月に一冊の本を買うのにも困窮していた。
だからといって「欲しい本は思いついたら買ってしまう」という態度を従前のように貫けば生活が立ちゆかないし、「それでも本を手に入れよう」と万引きすればそれは犯罪である。
ために、新しい本を買うことも読むことも我慢していた。
ちなみに書店などでお金を払わず読了するようなことを自慢する人が僕の周囲にいたが、それは立派な情報万引きだと僕は思っている。あえて指摘はしなかったが。
(スーパーで、その場で使うわけでもない大量のビニル袋を持ち帰ったり、ファミリーレストランのドリンクバーで砂糖やお茶のティーバッグを持ち帰るのと同じ、顧客のフリをした盗賊である)
その後、数年で僕はちゃんとした収入が得られる仕事に就いたものの、今度は引っ越したために本を置く場所がなかった。
書架は持ってきていたがそれを設置するスペースがなく、ちょっとしたブラック企業であったため時間に追われ、体力も削られた。
その後、介護をしながら運送業をするが、棲み家の関係もあり身体を壊した上、勤務しながら棲むはずだった叔母の家に運んでおいた書架は(わざわざ)すべて雨ざらしにされて使い物にならなくなってしまった。
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10代の頃、数ヶ月の小遣い、あるいはバイト代で買ったそれは、最近リフォームついでに購入したような、天井までの高さを自由に設定できるタイプのもので、オプションパーツの取り扱いも豊富だったから、拡張性にも優れていた(だから値段も高かった)。
叔母にダメにされたのは書架だけではない。
師匠(と勝手に慕っていた、父上の友人の男性)から譲り受けて10年以上一緒に暮らしていたポインセチアまで枯らされたのである。
しかし叔母を恨んだりするのは良くないと思って我慢していたというわけである(今はとくに我慢をしていない)。
人間型の友人も恋人もろくにいないのに、そのうえ大切に慕っていたモノや植物まで殺されて(はいそうですね、人間こそが至上です)なんて、従順で優しい理解の気持ちを僕は捨てた。
しかし果たすわけにもいかない復讐を、誓うか誓わないかのうちに、叔母は死んでしまった。より以上の禍根を残して。
いつだったか、ふらりとやって来た不動産会社の人間が言ったものだ。
「それでもその叔母さんのおかげで今があるわけでしょう」と。
彼の言いたかったことは即ち「死んだ叔母のおかげで、あなたは仕事をしなくても暮らしてゆけるのでしょう」という意味だっただろう。
これには神妙な笑顔で「まぁそうですね」と返したが、実のところ、腸(ハラワタ)が捩れるかと思った。腸捻転には注意したい。
叔母と関係がなければ、僕はもちろん『こんなことはしていない』し、同時にされもしなかったのだから。
それは「遊んで暮らせる経済」などと交換する価値のあるものだったろうか。
僕はそうは思わない。
人間に対する信頼を失い、大事にしていた家族(のようなもの)をないがしろにされたのだ。
実際に、家族であるところの妹夫婦にまで被害が及んでいる。
しかしそれを説明したって、伝わるはずもないのだ。
どれほど憎んでいても当の本人は死んでいるし、ついでに僕は、すでに魂を売ってしまったのだから。
だから何も知らない誰かに同情を求めたところで伝わるはずもない。
僕はすでに、経済至上主義の人間たちにとっては、さぞ魂よりも価値のあるものを、己の魂の対価として受け取っているのだから。
時間が戻るなら戻れとさえ思う。
あるいはもっと進んでしまえと。
私の魂があった頃か、あるいは私の肉体が滅んだあとか。いずれでもいい。
結局のところ、時間に不動の価値があるのだ。
経済を魂と交換したところで、魂がなければ時間がないことに等しいのだから。
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書架に、少しずつ本が並ぶ。
僕は一度にすべての箱を開けるような、まめな人間ではない。
気が向いたときに、少しずつ、本を運ぶ。
家のあちこちに、本の詰まった箱が置いてある。
いや、納屋にだって相当数の箱が置いてある。
僕にとって、人間は身近なイキモノではあったけれど、必ずしも親しいイキモノではなかったし、僕に都合の良いイキモノなどではなかった。
書物は優しかった。
話を聞いて欲しいときは、いつでも語りかけることができた。
話を聞かせて欲しいときは、いつでも何かを聞かせてくれた。
寂しさを感じることはなかった。
ともに眠るときは枕にすることもできたし、文鎮にすることも、漬物石の替わりもできた(したことはないけれど)し、積み木代わりにして子供の頃からよく遊んだものだ。
飽きれば話を止めてくれたし、話したくないことを無理に聞き出されることもなかった。
書物は厳しかった。
知らない言葉をたくさん使われる上、それがどういう意味かを教えてくれるのは別の書物だった(しかも辞書というのは子供が買うにはそれなりに高いものだった)。
言葉を教えてくれる書物のことを最初に教えてくれたのは、今は(表向き)行方知れずになっている姉である。
言葉を教えてくれる書物には、しかし矛盾というか、欠点もあった。
Aについて訊ねると「Bだ」と言い、ではBについて当たってみると「Aだ」などという。
どちらも知らない身の上にあっては途方に暮れた。
躊躇なく内容がシーケンシャルに続くが、つまずいた部分が気になって、子供の頃は先に進めなかった。
大人や周りの人間に聞いても、その機微を教えてくれる人間はほとんどいなかった。
言い回し。俚諺。漢字。英語は表音文字ではないから、音にするとどうなのか、カタカナ語との差異に戸惑った。
それでも母親のいなくなってからずっと、僕は書物を家族のようにして暮らしていた。
もちろん家はあった。父親もいたし、姉も妹もいた。犬も猫もいた。
ただ、人間の友達は、10歳になるまでできなかった。
僕はそれまで男の友達に心を開かなかったし、年齢的に女の友達は減る一方だった。
大人からそうされるように、子供だからという理由で書物は僕を嗤ったり、話題から遠ざけたりはしなかった。
男の子たちからそうされるような、女の子たちからそうされるような、いかなる差別も区別もなく、書物はただ僕が会話をしたいときに、会話をしてくれた。
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だから6年ほど前に迎えた孤独は、身近に人間がいないという孤独ではなかった。
書物も書架も身近にないという孤独は、経験のないものだった。
かの友人の人格はアップデートされず、それどころかその存在そのものが(書架を身勝手に整理されて)不確定になり、引っ越したことで容易に触れられない存在になってしまった。
人間なんていなくてもいい。
そんなふうには思わない。
人間は好きだ。
猫と同じくらいには好きになれることもある。
だから猫と同じくらい憎く思うこともある。
しかし書物は違う。
好きとか嫌いとかではないのだ。
いるかいないか。あるかないか。
こちらの感想や感情を超えて、そういうものを無視して、ただただそこにいるか、いないかなのだ。
だから我々が書物に心を寄せるとき、書物はいつも抱擁してくれる。
だから我々が書物に背を向けるとき、書物は黙って見送ってくれる。
書物は友人のようで恋人のようで、師のようで、親のようでもある。
そしてそれらは私自身でもある。
それが押し入れにただただ積まれていた期間を、僕は悲しく思い出す。
そうはしたくなかったけれど、そうしないわけにはいかなかった。
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物象の世界にあって、情報は、ときに無情に流される。
逆ではない。情報によって世俗が流されるという者もあるが、そんなことはない。
情報によって世俗が流されているように見えるのは、情報によって踊らされる人間がいるからだ。
しかし物象は無情だ。だから情報に込められた情念も押し流してしまう。
情念など無力で無価値だとうそぶくのは、いつも物象のほうではないか。
ならば嗤うがいい。物質と経済のうねりに溺れる者たちよ。
本を買えずに孤独に震えた私とオマエたちとの違いなんて何もないのだ。
物象にしか価値がないというのなら、その価値という概念を弄ぶオマエたちもまたモノにすぎないのだ。
などと語りかけながら、書架に本を入れてゆく。
見慣れない書架の中で、どことなく居心地が悪そうだ。
ごめんね。本当にごめんね。
みんなの前の家は、私の不注意で、なくなってしまったのだ。
きっと私が寂しいだけだろう。
物象の世界にあって、古びた書物たちに感情などあるはずもない。
本を戻しながら、悲しみを噛み締める。
僕の目は、徐々に、しかし確実に、かつてのように鮮明な像を結ばなくなっているのだから。
失われた時間に対する復讐は、しかしいかなる代償を持ってもあがなわれることがない。
ならば永劫、呪い続けよう。
滅びる定めにあっても、復讐の熱がこの身体を動かす限りは。
そしてせめても、残りの時間が少ないなりに、共に過ごそう。
失われた時間を埋めるように、寄り添っていよう。
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夕刻、見知らぬ番号から電話。
数ヶ月前、リサイクルショップの営業が来て、いくつか巨大な不要品を引き取ってもらった(双方無料で)のだが、どうやらそのときやってきた社長が、僕を気に入ったらしい(性的な意味ではない。相手はいかつい男だ)。
10時の約束で、電話が来たのが12時だった。2時間待って、僕は昼寝を始めたので電話に出ず、14時になって彼らはやって来た。
僕が経営者なら、仮に担当者が約束の時間に連絡をしなかった不備があったにせよ、掛かったコストを回収しないわけにもいくまい。
レンタカーで約1万円。社員ひとりに2万円。僕の家だけでないにしても、往復だけでその20%ほどのコストは掛かっていることになる。
約束を無視されて腹は立っていたが、社員の前で頭を下げて謝っている人を追い返すのもどうかと思った。ために3秒で気持ちを切り替えて品物を引き取ってもらったのだ。
その社長が「今も無職なら、ぜひ来て欲しいので話を聞いて欲しい」という。
高崎の会社である。つくづくに遠くて嫌である。しかし断る前提にせよ、話を聞きたい下世話な気持ちもある。
真面目に働きたいわけではない。もうこちらは死を待つ身の上だ。
少々時間は掛かるが、身辺整理を終えたら世を去る用意をしているのだ。この上しがらみを作りたいわけではない。
ただ袖すり合うも多生の縁なのだからと、アポイントする。
書物を並べて、少し感傷的になっていたからかもしれない。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
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[Engineer]
-青猫α-/-青猫β-/-赤猫-/-黒猫-
[InterMethod]
-Algorithm-Blood-Convergence-Diary-Interface-Memory-Recollect-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Generator-Resistor-Transistor-
[Object]
-Book-Friend-Memory-
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[Cat-Ego-Lies]
-ひとになったゆめをみる-:-本棚からあくび-
//[EOF]

