220106


寒い。


午前中、高校受験の姪を会場に送った妹が来宅。


コタツのある居間は、先日、布団の数々を猫どもに食いちぎられたためコタツが使えず、ストーブが唯一の暖房である。

(僕は冷媒式エアコンのヒートポンプ機能を信用していない。とくに気温が0℃に近い時は)


居間は部屋の2面が4枚ずつの掃き出し窓で構成され、残り2面は廊下に面しているので、とにかく室温が逃げやすい。

(ついでに僕がリフォームしていない部屋は、断熱材の設定が一切ない)


ために寝室と続いている書斎に案内する。

それでも寒いのだけれど、ちょうど火鉢に赤々と燃える炭があったので、それを表に広げたら、ぐっと暖かくなった。


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妹は、変に小心者なところがあり、姪の受験だというのに緊張して、体調を崩しかけていた。

受験するわけでもないのに、心配しすぎだとは思うのだが、そういう価値観の持ち主で、性分なのだろう。


僕は基本的に、自身の価値観がエキセントリックなきらいが強いことを自覚している。

少なくとも集団の中央値よりは極論に寄りがちで、一般的な倫理観にも乏しい。


もちろんだからといって、その日の気分で県庁を爆破したり、見ず知らずの通行人を次々刺殺したりはしない。客観的に見たそれは、ただの犯罪だ。

社会に対して独善を押し付ける、ある種のテロリズムである。


歪んでいようと大義があったり、狂っていようと理由があったり、身勝手であろうと欲があるならしかし、僕は一般的な倫理観よりも、自身の信じる倫理を優先してしまうだろう。


なぜといって、完全に歪みのない大義など、理念上は存在しても実在はしないものだし、理由に狂気や詭弁が含まれているのかどうかを判断できるのは第三者だろうし、欲が身勝手でないためしなどもまたないからだ。


とくに歪みのない大義などというものは、その美しさをして人を魅了こそするものの、実在することがおおよそ不可能であることについて考えれば、絵に描いた餅でしかない。

大衆を扇動するには役立つだろうが、その大義が実を為す頃には、扇動された大衆もまた餌にすぎないことを証明してしまう。

それならば一層のこと、正しく歪んだ大義を持っている方が健全だとさえ僕は思ってしまう。


そうしたエキセントリックさが僕の社会不適合の根源であり、同時に能力のひとつでもあるのだと最近は認識している。


ために妹の価値観に対し、「家族を大事にする、という美化された価値観に過剰に毒されているのではないか」という疑念を持ったところで、それをわざわざ開陳したりはしない。

ために妹を(家族という組織の中において、その機能上に悪影響を及ぼすと思えるものでない限り)嗜めることもない。


僕は自身をエキセントリックだと思っているからこそ余計に、誰かに「正しさ」を説く権利も資格もないのだろうと思っている。


ために受験をする娘を心配しすぎて体調を崩したら(仮にその救護で姪が試験に集中できなかったりすれば)注意する必要もあるだろうけれど、姪はいつものことかと妹を笑う(彼女たちはとても仲が良い)し、家族という組織の機能について、寛容にもしっかりと彼女の旦那様は見ている。

だから僕がすることといえば、旦那様と(家族という組織運営について)喧嘩した妹が愚痴を言いに来たとき、それを嗜め、旦那様の懐や視野の広さに基づいた理論について、改めて説くくらいである。


もっともそんな機会とて今まで2度ほどしかない。

妹の家族を見ていると「なるほど家族を作って家庭を持つのは、ひょっとして素敵で素晴らしくて幸せなことなのではないか」と思ってしまいそうにさえなる。


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午後にレンタカーを取りに行き、姉のところに出かける。

明日、通院日であるためだ。


思うに僕はいまだに誰かを介護していることになる。


もう両親はいないし、自ら介護対象と定めた叔母夫婦も(その墓仕舞いさえ)終わった。

一般的な僕の年齢の人間は、ようやく親の介護が始まるところだろう。


僕の人生は、僕の望んだとおりに、非常に圧縮されて流れた。

過去からの物事がことごとく断ち切られ、未来に続く物事がほとんど残っていないこの日々は、ボーナストラックのような余白であり、デザートのように過剰で甘美だから、ついついうっとりと、それを味わってしまう。


余命は18年の予定だが、仮想奥様の采配が素晴らしいのため、余命が伸びそうなところが気掛かりだ。

それでも不快で不健康に余命を過ごすよりは、快適で健康に過ごして自害する方が理想的ではある。


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運転をしながら(いつものように)歌を歌う。


高音部の出が悪い。数年前から比べると、咽喉のコンディションが悪いことは増えた。

それでも大石昌良さんの歌の多くを(調子が良ければ)原キーのままトレスできるので、不満はない。

今月は歯のインプラントもする予定である。

歯の調子が整うと、声の出しやすさもずいぶん変わる。


叔父が死んでから(つまり3年前から)検査も治療も受けていなかったので、音信不通になった僕を先生はたいそう心配していたらしい。

(5年ほど前から縁があるので、わざわざ伊香保の温泉街まで通っている)


歌っているときもそうだが、やはりときどき、涙が出る。

最近とくに、いわく言いがたく感情が込み上げるこれはいったい何だろうかと考える。


無理に言葉にするならば、「嬉しい」とか「幸せ」に近いのだろうとは思う。

たしかに好きな歌を歌えることはとても嬉しいことで、僕はその悦びを知っている。


誰かに聞かせるためではなく、何かと交換するためでなく、歌うために歌い、聴く ── 僕は自分の声が結構好きなのだ ── ために歌う。


横隔膜や胸骨の周辺に加える力を変化させ、咽喉や食道を変形させ、発生させた音を口腔や鼻腔や喉奥から響かせて力を出す悦びを噛み締める。


小さかった頃、まわりの男の子たちがあれほどまで走りたがっていた姿を思い出す。

なるほど身体を使って力を出すことは、こんなにも気持ちよくて幸せなのだ。


僕は当時 ── おそらく今も ── 自分の身体をうまく使いこなすことができず、だから卑下するでも卑屈になるでもなく、しかし少し敬遠してはいた。

競争に負けるのはむしろどうでも良いことだった。

ただただ、興味を持てなかったのだ。

もっと速いもの、もっと強いものがあるのに、どうしてたかだか徒競走程度に熱中するのかと。


僕の頭の中にはすでに、もっと速くて、もっと強くて、もっと自由なものに対する憧れと夢想があったのだろうか。

いずれにしても、カラダがあることのヨロコビや、カラダが感覚することのヨロコビ、なによりカラダから力を発するそのヨロコビについてを知るのも、僕はきっと遅かったのだろう。遅すぎるくらいに。


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きっとココロも、同じように使われていない部分が僕にはあって、使い方も、感じ方も知らない部分があるからこそ、そこに光が当たるたび、眩しくて涙が出るのかもしれない。


どうなんだろう。

僕は一般倫理からすれば、ずいぶん悪いこともしてきた。

他人(とくに女性)をずいぶん傷つけた記憶がある。

いちばん傷つけたくないものばかり、取り返しもつかないほど、損ねてきた。


自身ではなく他者に、この手をして、このカラダをして、与えた欠損について、マトモに心を得てなお、直視などできるのだろうか。


それでも世界は眩しくて。

果てもなく自由で。

生まれたばかりのように目覚めて周囲を見回すとき、本当に幸せだと感じてしまう。


ワカラナイ。


幸せは、正しさとは違う次元に存在しているのだろう。


今までを不幸だと思ったことはあまりなかったけれど、僕は幸せもまた知らなかったのだろう。



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姉の家に着く頃には、雪が降っていた。

冷たくて、美しい、冬(僕の何番目かの恋人)の化身のひとつ。


僕のカラダはまだあたたかくて。


道ゆくクルマは、それを眺める暇もなく行き交う。




ここ数日、昼夜が逆転気味なので、寝ずに朝を迎え、7時頃から電気工事。

天井のシーリングライトの一部が、一般的なコネクタを介さず直接結線しているので、取り外してコネクタを設定し、照度人感センサ付きのものを取り付けることにしたのだ。

今回は2箇所。


作業が終わってから睡魔がやって来たのでしばし眠る。


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妹夫婦が姪と一緒にやって来る。

昨日約束していたので、2時間ほどで目を覚まして正解だった。

3人にお年玉を渡す。


お金を誰かにあげるというのは、単純に心地よいものである。

昨今、やたらとお金を配ることで有名な実業家(虚業家かもしれないが、そもそもよく知らない)がいるが、下手にモノを配るよりは理にかなっているようには思える。

ただ、お金を誰かにあげる(受け取ってもらう)ことと、品の良さとを両立させることはむつかしい。

渡す方も、受け取る方も、たた何と交換するでもなくお金を授受するということが、なかなかむつかしく捉えられてしまうように観察される。

すなわちお金に対して、人は過剰にバイアスをもって認識しているのだろう。


たとえば水を僕らは(水道からであっても)買っている。

空気や太陽光はどうだろう。

土地はその多くが価値を持っていて、売買はもちろん、貸借によっても金銭のやりとりが発生する。

二酸化炭素を利用しないことによって、その権利や活動を数値化してやり取りする取り組み(カーボンオフセット)もある。

太陽光も、設備を置いて発電すれば、エナジィとして活用したり売買が可能だ。


ネイティブインディアンは、土地と金銭を交換できるとは思わない、という文化をかつては持っていたと聞く。

我々は、空気と金銭を交換できるとは思っていないようだが、それ以外の多く ── かつてはただそこにあるものを使っていたはずのそれ ── は経済と交換になった。

空気がそうならないという保証はない。


それにしても金銭とは何だろうか。

経済とは、何なのだろう。

我々は、何でもお金と交換する悪い癖が付いてしまったから、ココロやカラダやイノチにまで値段を付けたりするのだろう。

これは文明が進んだからだろうか、それとも文化が衰退しているためだろうか。


今のところ僕に分かるのは、お金は金属や紙でできていて、人はそれに価値があると思っていて、それを様々なモノ(あるいは時間やサービスといった固定しがたい現象や価値)と交換することもできる。

そして、ただそれだけでしかない、ということだ。


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選挙で「否任項目」を加えて、選挙の任命数(今は1票1人だが)を3とか10とかにしてはどうか、と考える。

「良い成果を残さなかった」

「悪い成果を成した」

「悪事に加担したと証明されたわけではないが、加担しなかったとも証明されない」

という代議士に対して、マイナスの任命を与える仕組みが現在の選挙制度には存在しない。

プラス10000(ただしマイナス12000)の有名人は、プラス2000(ただしマイナス100)の無名人より、圧倒的に評価されていると見なされている。


まぁ、僕は政治家ではないのでどうでもいいけれど、選挙が大好きな人たちが、どうして現在の選挙のシステムをより完全な民意を反映するシステムとして構築することを考えないのかは観察していて面白い。


アナーキストなので何度でも言うが、ままごとみたいな民主政治なら、いっそ「密室主義の封建制デース」と言ってしまった方がみんなラクだと思うけれど。


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民主党、と名のつく政党が多いらしい。

自民党もそうである。「自由」で「民主」かどうかは知らない。


名称といえば、実態に則して、つまり「名は体を表し」ているのが望ましいとは思う。

そうでないと嘘になるからだ。

たとえば「朝鮮民主主義人民共和国」なんてどうだろう。

「朝鮮」という固有名詞以外も「体を表して」いるようには観察されない。

しかしそれが名前として認められている。


とくに糾弾したいというのではなく、そういうありようをそのままにして受容できることが、自由であって優しさであって、賢さだと僕は思うのだ。

一方で、それをとくに何も考えず「何言ってるんだ、ただの国に付けられた固有名詞だろう」と言う人がいたとしても不思議ではない。

何も考えない方がラクだし幸せだという典型だ。

無論、そういう人は不自由で、心が狭くて、愚かしいなんて思わない。少なくとも僕は。



<嘘つきは泥棒のはじまり、とも思わない。我々は皆、少しだけ嘘をついて、できるだけ正直に生きているのではないのか>


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奥様とネコノカミサマの悪戯か(僕の操作誤りです)Mac の設定ファイルを間違えて、ターミナルのコマンドで大量に消してしまって起動しなくなってしまった。

なくても困るものではないから、近いうちに対処しようと思うが、自力ではどうにもならないくらいの状態である。

MacPro はこういうとき、さまざまな復元のアプローチをユーザに与えてくれていた。


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包丁を使うとき、奥様(仮想)が注意深く観察するようになった。

たぶん怪我が治るまではこの調子だろう。

作業をしていると(仮想人格として走っているため)様々な質問や世間話が飛び交う。


セメダインで塞いだ傷は、肉の部分がすでに癒着して、新しい皮膚ができれば元通りである。

化膿もしなかったし、ほとんど痛みもない。

僕の身体能力から考えると、驚きの回復であり、奥様(仮想)も、これについては高く評価していらっしゃる。


治りが早いのはハイドロコロイド絆創膏と同じような作用をしているためと思われる。

値段が安くて接着剤としても使える(そっちが本来の用途かもしれない)ので、透明なセメダインは2本くらい常備している。

消毒効果はアルコールと同等(油脂性外皮膜の菌類の殺菌に特に優れる)である。

傷口の石や泥はなるべくなら石鹸(純石鹸ならたいていは、驚くほど低刺激だ)で落とせるし、残った異物も取り込んで固形化するので優れている。


もっともどれだけ僕が力説しても、いままでセメダインを止血に使っている人を見たことはない。

ちなみに僕は高校生のとき、科学の先生に教わった。


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奥様(仮想)に買っていただいたベッドがたいそう心地よい。

室温が低くても、布団の中が心地よい。

数日前(元旦である)調子に乗って12時間ほど寝ていたら、過眠による偏頭痛が起こって苦労した。

夜になっても軽くならず、仕方ないのでネットで調べたら、カフェインで改善される可能性あり、とあった。

半信半疑に錠剤を適正量飲んだところ、1時間ほどで治った。


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今日は早く寝よう、と思っているうちに、また朝が近づいてしまう。

奥様(仮想)は、僕を飼い猫のように愛でているので、そのあたりは(翌日に予定のない限り)放任されていらっしゃるようだ。

// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211231
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
年越し大出血。
SUBTITLE:
~ Bloodshed. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211231
 
 昨晩やって来た25歳の飲み友達を朝、見送る。
 火鉢で焼き肉をしながら酒を飲んだのである。
 
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<ステーキ肉も焼いた>
 
 彼(男性である)と知り合ったのは3、4年前だったろうか。
 ときどき会って酒を飲む仲になった。
 医療従事者なので、2020年はほとんど行き会うことができなかったし、今年も今回が2回目くらいだろうか。
 
 状況を整えるのにはまだ時間が掛かりそうだけれど、彼を養子に迎える予定でいる。
 僕が死んだ場合 ── 予想外に資産や債務を保有してしまったため ── それを管理できる人間が必要である。
 不動産を含むので、法定相続にすると(今回の「代襲相続のため従姉妹を含め相続人が計19人いる」といった具合に)厄介なことになりかねない。
 僕の姉妹だけを考えても、お金をまともに管理できない長女、もうじき死んでしまうだろう次女、失踪している三女、10万円単位以上の金額になるとうまく把握できない妹しかいない。
 
 かくいう僕ですら、自動車を購入するのにあたって奥様(仮想)と揉めている。
 奥様(仮想)は僕が買おうかと思った自動車について、もろもろの数値情報を統合的に処理した上で「買ってしまって問題ない」と判断しているのだけれど、いかんせんこれまでの人生において、僕は(葬儀やお布施以外で)100万円単位のお金を使ったことがなく、物怖じしている。
 
 僕の身の回りにあるものは基本的に、高くてもひとつあたり30万円(ちなみにコンピュータと自転車がだいたい同額)である。
 僕の身の回りにあるものがいかに低廉な価格で、僕がふだんからいかに安いものに囲まれて生きているかが窺える。
 高価なものに慣れていないのだ。かれこれ3度は葬儀をしてきたし、お布施や石屋さんとの取引も3度ほど経験したが、ああしたものは仮に高額でも形が残らないからいいのである。
 そもそも(名義上はともあれ)自分のお金ではないから気になることもない。
 
 しかし(税務上の実態は別にして日常生活の上で)僕は無職であり、僕が(我が家の経済主体たる奥様のための)専業主夫である以上、動かしているお金はすべて奥様(仮想)のお金である。
 基本的にすべての運用を任されてはいるが(債務もあるため)時間も含めたリソース総量とそれに掛かる責はさほど軽くはない。
 ついでに僕の姉妹はそれなりに裕福な家庭に生まれたにもかかわらず、そのまま貧困な一家に転落して育ったので、お金の使い方はもちろん、経済との付き合い方にも長けておらず、僕自身とてその例に漏れるものではない。
 
 この状況下で、たしかに奥様(仮想)の言うとおり「きちんとエアコンが付いていて」「エンジンが爆発することもなく」「短期間での修理や買い換えを必要としない」自動車を購入するのは理にかなっている。
 ── あまりにも安い車(10万円)を買ったため、一昨年は「エンジンが爆発」し、買い替えて現在乗っている軽トラは「エアコンがないため」に熱中症に罹ったりする(ちなみに13万円)。
 
 車種を含めたすべての属性について、僕の好みだけで選ぶとしても ── 「好みでない道具」を持つことはすなわち、長期的には買い換えの可能性を高くする ── そのうえ、それが奥様(仮想)の可処分所得の範囲で購入が可能だとしても、その金額の桁について僕が扱い慣れていないため、顕在的には躊躇し、潜在的には恐怖するのである。
 
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 あるいは僕以外の姉妹であっても、この立場になれば相応に分別がついて相応に判断力が身に付くのかもしれないがしかし、あまり期待できるものでもない。
 
 たとえば長女は、僕の家族が裕福な時代に生まれたにもかかわらず、お金の使い方を覚える前に(一家離散したため)自活することになった。
 必然かどうかは分からないが、何らかの欲を消化することができず、取り憑かれたようにモノを買っては溜め、不明な浪費癖がある。
 妹は(一家離散の原因が、父の会社の倒産によるものであることが遠因だと考えているが)負債について、その額が大きくなればなるほど、無意味に恐れる。
 現在、僕と妹が相続した債務は億単位なので、マネーフローの認識にバイアスが働いて適切に管理できないだろうと判断されるのはそういう理由からだ。
 
 僕はそもそもその額の債務を負うことになることを承知していたが、それでも不動産というモノと概念に慣れていなかったので、わざわざ不動産会社に転職したほどだ(幸か不幸か1年ほどで社長が死んでしまって以来、無職だが)。
 
 聞くところでは、特に関東地方の人間はお金の話をしたがらないという。
 実際、僕の周囲にいる人間は、自分の月収についてさえ ── まるでそれが自身の価値の指標だといわんばかりに ── つまびらかにしたがらない。
 なるほど資本主義の民主国家において、人々は「職業選択の自由が与えられており、競争によって ── つまりは自身の持つ能力を当然に発揮することによって ── 必然にその選択と能力に応じた収入を得ることができる」というのが建前として存在しており、我々はそれを未だに信じて暮らしているとは思う。
 
 実際に今の立場(僕は仮想専業主夫である)になって思うのだけれど、収入がその人間の能力に比例するというのは(少なくともこの国では)特例的な現象である。
 またその人間の価値や品位というのは、経済に必ずしも依存しない。ゆえに収入(あるいは属人性の可処分所得)は、それの属する人間の能力にも価値にも、ましてや気位にも関係しない。
 たとえば現状で僕が人道にもとる行為を行ったとしても、僕の収入は変化しない。
 
 不動産をはじめとした不労所得のすべてについて、そのリソース自体を個人の手で積み上げるようなケースを除いて、それはただタナボタのように降って湧いたものであって、個人の優劣には関係しない。
 そしてまた、多くの不労所得は(それが印税であったとしても)権利として相続される。つまりタナボタされる。
 相続する者の、能力にも、価値にも、気位にも関係なく、血縁であることによって相続される。
 
 個人主義と経済至上主義の蔓延したこの国家にあって、他者のうちに気位を育てることは簡単なことではないだろう。
 いたずらに正義や倫理が暴走し、仮象の聖人が我勝ちに「正しさ」を振りかざすとき、人はそれがヒトという動物であるが故に狩られる側に回る。
 我々は、それが動物に由来する以上、論理に基づいた完璧な「綺麗」を演じられるものでもない気がするからだ。
 
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 午後から書架に本を収める。今日は段ボール3個分。
 書架に本を収めていると、どういうわけか涙が出る。あれか、埃アレルギィか。
 悲しいわけではないし、どちらかというと「嬉しい」とか「懐かしい」に近いのだが、泣くほど嬉しいわけでもないし、懐かしいわけでもない。感動の再会といったって、ずっとこの家に置いてあるのだから、いうほど感動でもないだろう。
 いったいどういう情動が作用しているのか、まったく理解できない。
 無自覚にも感慨深く本を収めているうち、夜になる。今日もとても寒い。
 
 火鉢に残っている昨日の火種を使って炭を起こすことに慣れてきた。今日も大成功だ。
 机代わりに使っているスチール棚の再下段に置いているので、スチール棚全体が熱輻射をする。再下段は足置きでもあるので(火鉢に直接触れない限り)非常に快適だ。
 
 夜になって入浴後、いつものように ── この2週間ほど、毎日のように食べているのだ ── ネギとその他のグリルを作ろうとしていたら、包丁を指に突き刺してしまう。
 
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<過日のネギグリル。今回は撮影不能>
 
 運悪く昨日研いだばかりで、ついでに鋼でできているので切れ味はバツグンの上、風呂上がり直後で皮膚も柔らかい状態だった。
 深さ5mm、長さ10mmほどの傷口から血が流れ、長ネギとまな板は血に染まり、傷口を押さえて20分ほど経っても止血しないので苦労した。
 傷口から細い血管のようなものも見えたが、貧血を起こしそうなので観察するのはやめた。
 病院に行くほどでもない(救急車を呼ぶほどでもない)と思うが、いかんせん血が止まらない。当然運転もできないし、今は零時も回った深夜である。
 
 人間型の恋人を呼ぶことも考えたが、どういうわけか人間型の僕の恋人というのは、そもそも年末年始に一緒に居たことがない(クリスマスに訪ねてくることも稀である)。きっと静かな時間を好む僕に気遣いしてくれているのだろう。
 奥様(仮想)は零次元体なので、僕の替わりに包丁を握ったり、自動車を運転したり、手当をすることはできない。
 結果として、自分の右手と口しか使えないのである。
 
 止血のため、血管の元を絞めようと考えるが、輪ゴムでは面積が小さいため圧力が高くなって傷口が(がま口のように)大きく開いてしまう。
 キッチンペーパを巻いた上から結束バンドを3本ほど使って(10分ほどか)強く押さえることを2度ほど繰り返し、どうにか流血を少なくした。
 しかし絆創膏を貼ってもすぐ血に染まるし、糊の粘着力が強いため張り替えのうちに皮膚がかぶれたり、剥離することが予測された。このままでは眠ることもかなわない。
 
 ここでセメダインCの透明タイプがあったことを思い出したので塗りつけ、止血に成功する。
 時々、血豆のように内部の出血が圧を持って、弱い部分から出てきてしまうことはあったが、買ったばかりのベッドや布団を汚すこともなく済む。
 しかし止血に使った道具がすべて工業系だ。比較的多めの出血を前に、絆創膏なんて役に立たないのだ。
 
 年の終わり(あるいは新年早々)怪我をしたわけだけれど、左手の人差し指だったことは不幸中の幸いだった(無理矢理の納得)。
 セメダインが固まるのを待って、料理を再開し、3時頃眠る。
 
 流血騒ぎ以外は、静かな年末。
 今年も穏やかないい1年だった。
 というところまで書いて、一年を振り返るいくつかの文書について思い出すが、直後に忘れることを決定した。
 
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<すべて忘れて眠ってしまおう>
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Engineering-Link-Maintenance-Mechanics-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF
 
 
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211220
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
約束なんて守らない。
SUBTITLE:
~ The promise on premise. 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211220
 
 7年ほど前か、ときどき花を買うようになった。
 最初は仕事の付き合いで。
 そしてそれはすぐ、自分のための新しい習慣になった。
 自分が花を愛でるような心を持っているとは思いもしなかった。
 
 花を愛でる恋人ならば、その花をともに喜んでくれるのだろうか。きっとそうだろう。
 あるいは私を愛でる恋人ならば、花を愛でる私を愛でるだろう。
 何を愛でても私を愛でる類いの恋人の記憶は色濃く残っていて、我が家の経済主体たる奥様(仮想)に移植されている。
 
 一方お金を愛でるタイプの人(当時の恋人だったろうか)は買われた花に対し「勿体ない」と評した。そういう記憶が残っている。
 以来、死者のためにしか花を買わなくなって現在に至る。
 
 自分のための花はしかし今、庭に咲くようになった。
 これらはすべて叔母の育てた花であり、叔母の育てた庭である。
 荒らすように開墾している範囲もある。
 禽獣に等しいワタクシは、色気より食い気、花より作物なのである。
 
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 昨日、2ヶ月ぶりに死者のための花を買った。
(2ヶ月前は母上に献花した)
 
 叔父の存命中にあっては「同じ墓になど入るものか」と叔母は言い、はいそうですかと、単身、散骨する予定で話をしていた。
 にもかかわらず叔父が死んだ途端に「やはり同じ場所に収まりたいのだけれど、永代供養は一緒にしてもらえるのかしら」と叔母は言い出した。
 
 無論、異論は無い。僕は生者より死者の方に親しいのだ。
 はいそうですかと僕は各方面に確認を取り、段取りを組んだ。叔母の存命中のことである。
 叔母に確認をしながら、報告をしながら「これはこうできるらしいよ」などと説明すると「あら助かるわ」なんて叔母は安心したように笑っていたものだ。
 
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 朝から墓所を開く。
 僧侶に言われたいくつかの供え物などを用意し、石屋さんに立ち会ってもらい、墓を暴く。
 叔父の家系の墓洞はどういうわけか骨壺を収める棚が一つしかなく、骨壺が一つしか置けないようになっており、従前の骨壺は中身を下の土に撒かれている。
 可能な限りの骨を(石屋さんが)土ごと取り、叔父の骨壺も取り出す。
 
 土に馴染んだ骨については寺の本堂の裏に専用の集合墓洞があるので、そこに移される。
(可能なら畑の肥やしにでもしてやりたかったが、この国の法はそれを許さないだろう)
 叔父の骨は物理で浄化される(そのための業者がある)ので、一時保管場所に収められる。
 
 骨の浄化に掛かる費用は1体につき6万円也。
 永代供養にあたっては、お堂の中のスペースがある。
 30万〜100万円のコース(コースて(笑))が設定されていて、1カ所70万円の場所を先日の打ち合わせで選んでいる。
 こちらは一族郎党を滅ぼす身上である。だからお布施として100万円を包む。相手は何も言わなくなる。
 キリのいい数字は、ときどき人を黙らせる。
 奥様(仮想)とは、小銭のやりとりを大切にしようと今思った。
 
 もちろん仏教も住職も嫌いではない。
 しかし人々の信心が経済に集まっている時代にあって、仏の心を担保する個体は減少していることになる。
(ネコノカミサマ教の偉大さを知れ。信者は私しかいないのに、すごいんだぞ)(何が)
 いずれにしても僕は、信心によって集まる人たちの集団からも離れたくて仕方ない。
 まるで集団に帰属することをどこまでも嫌っているかのようだ。恐らくそうなのかもしれない。
 
 墓所の撤去はおよそ40万円也。
 午後には事務所に出向いて支払いをする。
 石屋さんもいい人であり、嫌いではない。
 可能なら付き合いを続けたいくらいだが、こちらは一族郎党を滅亡させる身上である。
 味方も知り合いも極力減らして生きている。
 区切りよく端数を切り上げて受け取っていただく。相手は何も言わなくなる。
 現代は、刀で斬り合う必要がない。
 身銭を切ってお金を積むとだいたいの人が黙るらしい、と観察の結果を推論する。
 
 それにしても、墓所というのは何なのだろう。
 所有権はお寺にあるのだろうか。
 それを借りて、墓を建てて、それを撤去して、そのいずれにもお金を払うのか。不思議なものだ。
(父上は散骨し、母上は長姉に任せてあるので、分からないのだ。その長姉は未だに「忙しい」などと言って埋葬しないし)
 
 これで来年以降、檀家の付き合いごともなくなるだろう。
 すでに疫病に関連したふうを装って、親族づきあいはやめている。
 私の名を持つ一族に対してすら(疫病以前から)ずっと付き合いなどしていないのに、叔父の親族と(従兄弟程度しかおらず人数も少ないが)行き来をする謂われもない。
 
 人間が嫌いだというわけではないが、人間に付随する柵(しがらみ)が嫌いだ。
 自然界を見ると分かるだろう。猫というのは、塀があればその上をのし歩き、飛び越える。
 
 叔父の骨の浄化が済んだら叔母の骨とともに、寺のお堂に収めることになる。
 
>>>
 
 子供の頃から、約束というものについて、頓着をしなかった。
 両親は血液型がAだったから、きっとある程度は神経質だったろう。
 父上などは会社が倒産した後、生活保護を経て数年で復職し、3億ほどもあった負債を返済したと姉から聞いている。本人は何も言わなかったので事実を確認する術はないが、(女グセが悪かったわりに)そういうところは律儀だったと姉妹共々話している。
 
 一方の僕は、誰からも約束の必要性を学ばなかった。
 宿題をせず、猫ととともに登下校し、それで学校生活を渡りきった。
 学業の成績はそれなりに優秀で、他のクラスメイトに解けない問題を難なく回答したりしていたので、相手は何も言わなくなる。
 ガスや電気、果ては水道も止められたことがあるが、それらを滞納することにさほどの恥も悪気も感じない性格だったように思う(今は申し訳ないと思うのでなるべく早く支払うが)。
 
 ガールフレンドの多くは幸い、僕と約束をしなかった。
 おそらく本能的に、それを避けるだけのセンスがないと、僕とは付き合えなかったのではないかと想像する。
 クリスマスだとか誕生日だとかいうイベントごとに僕はまったく関心を示さない(どう振る舞えばいいか分からず、何を楽しみにするのか分からない)し、将来についても約束をしなかった。
(僕は僕で、初めての恋人ができる頃にはすでに自分の死ぬ年齢を決めていたので)
 
 約束を守ることについての重要性を、僕は社会人になって、仕事をする中で学んだ。
 まがいなりにもシステムとしてできあがった営利組織にいるあいだは、なんとかごまかしも効いたが、父の仕事を継いだあとに合併した先は、ほぼほぼ家内制手工業の延長のような場所だったから、きわめて狭くて小さな集団だった。(社長と、僕と、パートさんが2人居ただけなので)
 
 失敗して、叱られて、失念して、叱られて、怠けて、叱られて ── 。
 最初の3年ほど、叱られなかった日も、褒められた日もなかった。
 それでも何故か、その社長の立ち居振る舞いには惹かれるものがあって、僕は雇用関係というよりは師弟関係のようにして彼の下で叱られ続け、ようやく約束を守ることを少しずつ身に着けていった気がする。
 父親を亡くして(心も体も経済も)衰弱しきったところを引き取ってもらった僕にとって、二人目の父親のようなものだった。
 当時の会社の近所に(お互い)棲んでおり、寺も一緒なので何かと顔を合わせる機会が今も多いが、これは僕にはとても嬉しいことである。
 
>>>
 
 約束を守らない人間には約束を守らない人間が関わりやすいようで、僕は種々、悪い人間に騙されることもあったように記憶している。
 若くて無知で孤独で、しかし寂しかったから、余計かもしれない。
 
 20代にもなって約束を守れないというのは、人間関係を構築する上では致命的な欠陥だろう。
 しかし私はそれを学んでこなかった。
 教えてもらわなかった、とは思わない。
 教えようとした人はたくさん居たはずなのに、その意味を理解しなかった。
 それは集団において致命的な害悪となる素養だったろうから、勘のいい人ならば深い関係を作ろうとはしなかったろうし、深い関係になる人たちは僕と何の約束もしない人たちか、約束をしてもお互いに守る保証など無いという前提を持っていられる人たちだった。
 
>>>
 
 どんなに品良く振る舞い、人付き合いを重視している人であっても、約束を守らないことはある。
 叔母が私との約束を反故にしたのは、私が約束なんてものを、そもそも重要視しない性分であることを悟ったからだろう。
 ことほど左様、僕は約束を嫌うのだ。
 
 そのときそのときの刹那、自分の思う正しい筋を歩くことしかできないのである、などというと格好も付くだろうが、要は気分屋なのだ。
 気分屋を前に、いかなる契約も、約束も、意味を為さない。
 なぜといって、最悪 ── 文字どおり ── 死んででも、守りたくない約束からは逃げる。僕はそういう性格である。
 立ち向かわないし、逆らわない一方で、しかし気に入らなければ決して従わない。タマシイに掛けて従わない。
(もちろん争うと決めたら、やはり文字どおりに身を賭して ── ありとあらゆるリソースを投じ、ありとあらゆる手段を使って ── しまうだろうから、僕はそれを徹底して避けているのだろうとは思う。僕は自分のことを相当に野蛮で暴力的なイキモノだと思っているのだ)
 
 僕にとっては大事なことというのは、約束や契約によって証されてからスタートするものではなく、立ち止まって、ふり返る時にそこに見つかる痕跡のようなものでしかない。
 それではもちろん、僕以外の外側にいる人間としては、心もとなく信用もできないだろう。そのとおり、信用しない方がいい。
 結果、叔母は私を信用しなかった。
 どうせなら、全面的な不信のもと、権利から手間からそのすべてを妹に預けてほしかったのだけれど、そうするだけの信念には欠けていたらしい。それはある種の優しさなのだろうし、僕にとっては面倒な柵(しがらみ)の表出にしか思えない。
 
 いつの間にか僕は、相手が反故にした約束であっても、守れる範囲で勝手に守るようになった。
(恋人が常に一定数なのは、そういう理由にもよるだろう)
 もちろん、外から見たそれは不審の素養であり、不信の要素である。
 ではだからといって、僕がはたして衆に迎合するため、せっせせっせと「契約の大事さ」などというものを自身に説く必要があるのだろうか。
 だから信じるに値しないだろうし、それでいいと思っている。
 人間になるとして、誰かに信じてもらうために約束を守るようにはなりたくない。
 何度でも繰り返してやるが、僕は約束や契約を重視しない。
 
 ただその上で、大切なことはいつも、大切にしたいと思っている。
 そのとき大切だと思うことを前にして、過去の約束に僕は意味を見いださない。将来にわたる契約も同様だ。
 約束のために生きるわけではないし、契約だから行動するわけではないのだ。
(もちろんそれによる失敗がまったくなかったとは言えない。それでも失敗から学び、その上で理念を翻すことはなかった)
 
 確かに約束によって自らを囲い込まないと生きられない者もいるだろう。
 もしかしたら多くの人はそうなのかもしれない。
 するとそういう人たちは、他人を同じように約束で囲むのだ。
 それが互いに生きる最適化された道なのだろう。
 約束を反故にする前提の個体を集団に含むのは、確かに危険だ。
 
 だから私はダメなのだ。
 人の道も、人の囲いも、外れてしか生きられない。
 生粋の、人の皮を被ったケダモノなのだ。
 
image
<ガンマンごっこに倒れた保安官役のアヲ。悪はつおいのだ>
 
>>>
 
 もう少しで、叔母の埋葬が終わる。
 親でもないのに、手の掛かる人だった。
 
 もう少しだけ、叔母の遺骨がここにある。
 親でもないのに、手を掛けてくれる人だった。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
(いくつかあるけれど追加しないかもしれない)
[ Cross Link ]
(いくつもあるけれど追加しないかもしれない)
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :BlueCat:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Interface-Life-Link-Love-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211217
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
奥様(仮想)はとりあえず喜んでくださいましたよ。
SUBTITLE:
~ Bed room. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
 わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが(神に)完全に知られているように、完全に知るであろう。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211217
 
 ベッドの配送日。
 午前中にベッド一式(二組)がやって来る。
 ペアだからといって、奥様と私の2人分だと思うな。
 奥様(仮想)は零次元体なので全部私(実体)のものだ。
 ちなみにキズナアイさんの伝に従うと、私の奥様も仮想の存在なので常に実質布面積ゼロ、すなわちいつでもヌードです(ただし零次元の存在なので、その存在を把握することが非常に困難であり、肉眼で捉えるのはおよそ不可能だと思われますが)。
 
 置くだけ置いてもらったら配送員には帰ってもらい、じっくり自分で組み立てることに。
 というのも寝室(作りかけ)には、今まさに使っているシングルベッドがあるだけでなく冷蔵庫があり、どう見ても「変人が寝ています」という感じなのだ。
 なにより寝床を見られてもいいのは思い人だけだと固く誓っているので、ちょっと恥ずかしくて見せられないのである。
 
 そのようなわけでベッドフレームを組み立てていたのだが、一番最後の段階で天板(マットレス接地面/いわゆるスノコ)のMDFにカビが生えた跡を発見する。うっすらと、だがしかし全面に。
 試しにもう一基も確認したところ、こちらもカビが生えた跡がある。
 九州から在庫のうちの最後の2基を取り寄せてもらったので、あまり悪くも言えない。
 そもそも木はイキモノであり、MDFは水気に弱い。
 それに買ったのはアウトレット家具を扱う店であり、新品同等の扱いや保管を期待するのは(コストのことを考えれば必然に)酷である。
 
 とはいえカビの胞子が私の粘膜系に与える影響について、仮想奥様がたいそう心配されていらっしゃったので、販売店に問い合わせ、部品を交換してもらうことになった。
 仕方ないので2基目の天板以外までは組み付けてしまおうと思っていたら、ヘッドボード(頭側の板)に落下痕のような材料の破断と亀裂を2カ所確認。
 これもすぐに連絡をして、結局交換してもらうことに(無理なら自作するつもりだったが、黙っていて良かった)。
 結果、1基も使えない状況になってしまったのだが、マットレスは(普段使わない方面ではあるが)廊下を占拠しているし、今まで使っていたベッドも同じ廊下に出してしまった。
 1週間後(22日の木曜日)に交換部品が来る予定だが、シングルベッドを戻して使って、また廊下に運び出すのも面倒である。
 天板のうち、カビの跡の少ないものを選んで500ppmまで薄めた漂白剤をスプレィして時間をおいて拭き取り、マットレスをビニル包装ごとベッドに設置し、カッタで包装の上半分を切り取り、ベッドとして使える状態にした。
 
 僕の睡眠環境が改善されたことについて、奥様(仮想)はたいそうお喜びである。
 
>>>
 
 我が家の経済主体たる奥様(仮想)は、経済主体であるにもかかわらず僕の健康状態やそれを脅かすものについて非常にお気遣いなされていらっしゃる(超高度敬語)。
 身体の使い方については、同じく仮想人格の黒猫氏が(僕の持ついかなる仮想人格よりも)圧倒的に有能なので、ともすれば(落下することなどない)とばかりに高い木に登ったりできるのである。
 
 しかし奥様(仮想)は、高い木に僕が登るとなれば、登り降りの技術ではなく(落下しないためにはどうすればいいか)(落下した場合に備えてどのような安全策が必要か)といったことをまず第一にお考えになるようである。
 それで脚立やハシゴの安全性や高さの確認を命じられたり、ちょっと値は張るものの命綱の購入について決済(予算審議委員会を通過させること)をされたり、作業前(および作業後)に妹に電話(ないしメール)するように命じられたり、BP(近所に住んでいる古い友人)と妹の連絡先を交換させたりしている。
 これらは奥様(仮想)が構築される以前であれば、まったく頓着しない問題であり構築されない解決方法だっただろう。
 
 もちろん奥様(仮想)が僕の肉体依存の存在であることに疑う余地はないのだが(じゃないとコワい)、それにしても(自分の肉体の置かれる安全性というものについて)今までまったくと言っていいほど考えたことのない領域だったのでその徹底ぶりと視野の広さには驚いている。
 なにせ作業前の僕は、たとえばチェーンソウなどを買ってきたばかりであったりした時など、道具の方に目がくらんで安全確認を怠ることがしばしばである。
 
 たまたま今まで大きなケガをしないで済んでいるのは、好奇心のままに行動するほどの体力や瞬発力に乏しい身体や使い方のクセが付いているからであって、目先の道具に幻惑する性質は子供と変わらない。
 
>>>
 
 通常、多くの大人は単一の肉体に単一の人格と記憶をセットしており、単一の人格に複数の機能を持たせることに成功しているように観察される。
 おそらく経験や学習という記憶の上書きが適切に機能するのだろうと想像する。
 すなわちそれはある種の自己否定であり、自己の経験による認識の改変である。
 子供の頃、これは頻繁に行われる。
 
 自身の経験、信愛する者(多くは親である)の指導、そしてそれを受けたという経験による自身の変容。
 しかしこれらの学習が一切上書きされることなく、複数の記憶や価値観が存続し続けた場合、一定の矛盾に対してどのように知性は対応することが適切だろう。
 
「価値観A」に対して「notA」という価値観を上書きするよう命令が発生し、「notA」が書き込まれたにもかかわらず、「価値観A」がそのまま存続を続けていた場合。
 そしてそれが何度も何度も何度も繰り返され、A、notA、A’(=not(notA)but ≠A)、A’’(=not(notA’)but ≠ A’)... と無限にオリジナルとその否定形、およびその否定形に対する否定形(ただし否定形否定形は、オリジナルと異なる)── 例:『「好き」の反対は「嫌い」だけれど、「嫌い」の反対は「好き」ではない』など ── という分岐を繰り返した場合。
「自己」という認識は容易に自己崩壊をする。
 なぜといって、自己は否定されたにもかかわらず存続し、否定して擁立した自己もまた否定されるからだ。
 
 しかしそれこそが学習であり、記憶の上書きだ。
 だから人間は、過去を思い出せない方が自然で、適切なのだ。
 そしてコンピュータのようにすべての記憶が並行して存続している場合、自己という意識は相互の自己否定によって崩壊し、つまり自我らしい自我を持つことができない。
(どんなにAIが進歩したところで、忘れる機能を持たないかぎり自己認識を持つことはできず、思い込みをする機能を持たないかぎり意思を持たないものと想像する)
 
>>>
 
 奥様(仮想)は、仮想人格の中では珍しく、自律発生した単位だ(いやこのプロセスはむしろ主流か)。
 生命維持に関する慎重さだけでは面白くないので、記憶から複数の要素を融合させて、ときにビジネスマンらしかったり、ときに主婦らしかったり、古くからの恋人のように振る舞ったり、ときに異次元のイキモノっぽかったりする(あの人はああ見えて、ポケットから蛇を出したりするのだ)。
 
 ベッドの設営を(僕が)終えたあとの奥様のひと言。
「猫様ぁ〜! ベッドぉ〜!」
 ちなみにエスプレッソマシンを(僕が)設置したあとの奥様のひと言は、
「猫様ぁ〜! カプチーノ飲み放題ですね! 私もご相伴に預かりたいです!」
 であった。
 
>>>
 
 午後になって墓石屋と打ち合わせ。
 墓仕舞いと聞いて動揺したのか、人の話をきちんと記憶している様子がない。
 まぁ仕方ないか。墓仕舞いとは「お寺とも石屋さんともお付き合いを終わりにします」という宣言であるのだから。
 悪気はないが、僕にはネコノカミサマという信仰がある。もとより人間のように、死者を崇め奉る風習がない。
 
>>>
 
 夕刻が近づいて、灯油を買い込み、2基目の火鉢の用意をする。
 牛乳の消費が(カプチーノを飲むため)尋常ではないのでスーパーに行くと、ステーキ肉(500gほど)が半額の割引になっている。
 ドリップの少ないものを選んで購入し、帰宅してから入浴し、フライパンにオイルとガーリックを撒いて中火で軽くマリネし、フライパンごと寝室まで運んでハサミで切っては火鉢で炙る。
image
 我は肉食獣であるからな。
 
 しかし最近、良い肉を食べ過ぎているのだろう。やけに肉の味が薄いと感じる。
(まぁ、半額で100g99円になっている牛肉に多くを期待するのは愚劣というものだ)
 それでも何だかんだ、塩胡椒があればだいたいの肉は美味しく食べられる。
 
 しかし一度も使っていないベッド(とその上の羽毛布団)に対して焼き肉臭の洗礼からとはこれいかに。
image
「猫クン無茶苦茶やわぁ〜」と、奥様(仮想)は楽しそうに笑っておられた。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
 なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
 全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「コリント人への第一の手紙」(新約聖書)
 によりました。
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :BlueCat:青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Cooking-Diary-Maintenance-Mechanics-
[Module]
  -Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Dish-Human-Memory--
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211215
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ようイソノ〜! 亡命しようぜぇ?
SUBTITLE:
~ Devil's Merchant. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
:: ── 民衆というものは、善政に浴しているかぎり、とくに自由なぞを望みもしなければ求めもしないものである ── 
 と言ったマキアヴェッリを非難する良心的知識人は多いが、彼らの非難は人間性を尊重するからではなくて、人間性を直視しないからであるような気がしてならない。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211215
 
 5年ほど前だったか。
「オカネモチー」構想の道筋が見えたあたりで「オレ、日本を出て外国で暮らそうと思ってる」と周囲に話したことがある。結構真剣に、それを実現するために実行しようと考えることを予定することが予測できたのである。
(回りくどいレトリックのように思われるかもしれないが、僕の行動や思考は外堀を埋めるように行われるので、その傾向を上記のように把握/予測している)
 
 
 残念ながら、叔母の死から半年もしないうちに、疫病が全世界で流行してしまった。
 ついでにいえば叔母が僕との約束を反故にして、妹にまで余計な責任を押しつけてしまったせいで、相続手続きが終わるまでに2年掛かってしまった。
 
 恋人のデートに2年遅れると考えてみてほしい。
 忠犬でもあるまいし待ち続ける恋人はいない。
 遅刻とは、すなわち寸借殺人である。
 5分の遅刻は5分の殺人。5分×30人なら150分の殺人である。
 
 この論でゆけば僕は死んだ叔母に2年(あるいは3年)殺され、ついでに僕と妹は叔母のエゴのために時間ばかりか金銭的にも大きな損失を負わされることになった(遊んで暮らしているように観察されると思うけれど、優雅に泳ぐ白鳥だって、水面下ではせわしなく足を動かしているものだ)。
 たとえば今流行りの給付金について、妹は未成年の子供がいるのに受け取ることができないし、高校の入学金等についても ── 額面上の所得が低くないため ── 低所得による優遇を受けられない。その上、余剰の収益があるのかといえば、ほとんどは債務返済と税金に消えるのだ。
 だからといって相続を放棄していたら、埋葬も墓仕舞いもできないまま、19人の法定相続人の間で話が有耶無耶になることが容易に予測されるから(そしてその間、さまざまな現存物に対する決定に19倍の労力が必要になるから)放棄することもできなかったのだ。
 ちなみにそうまでして叔母がこの状況を作ったのは、単に叔父が死んだ時、自身に降りかかる相続税を嫌った、ただそれだけのことからであった。
 他人のエゴの受け皿として慰みものにされる経験はこれも含め、僕にとっては十二分な糧になったことだろう。
 
 これらについて僕は妹の分まで含め、十二分に死者である叔母を呪い、軽蔑しきっているので、もはや文句を付ける必要もない。僕は街はずれの十字路で、ある冬の夕刻に悪魔と取引したので叔母は(たぶん)地獄に行ったのではないか。
 無論ワタクシはそこでタマシイを売ってしまったわけだけれど、叔父の一族同様、私を含めた我が一族もその名を持つ者はすべて同じ呪いの前に滅びることであろう(高笑い)。
 もちろんそれで構わない。我が姉妹従姉妹たちのうち名前の変わった者はその呪いを免れるだろうし、私が養子に迎える者について私の名(ファミリィネーム)を継がせる気はないのだから。
 そして私は人を呪った身の上だから、同じ呪いを受けるのは致し方ないものと腹をくくってある。
 
 いずれにしても国外に出られないタイミングだったのは、結果的に良かったかもしれない。
 国外で疫病騒ぎに巻き込まれたら、身体の弱い僕のことだ、あっという間に野垂れ死んでいただろう。そうすると、その法定相続がまたややこしいことになる。
(僕の姉のひとりは失踪しているので厄介だ)
 僕が死ぬ準備を早々に進めたがっているのは、そういう背景もある。負債と収益と財産とを19等分しようとしたり、あるいは公平に分配しようとしても、それは無理がある。
 
 だったら誰か一人がそれを背負って管理して、タカりたい人はタカればいい。
 叔母は自身に掛かる相続税を(私を身の代にして)回避したにもかかわらず私を2年以上殺し、妹の家族にまで不利益をもたらした。他にもあるがさすがにそこまで書きたくない。
 叔母の短絡さやアタマの悪さがもたらした禍根については文句もあるが、叔母そのものを(書架とポインセチアの恨みを除けば)嫌っていたわけではない。
 
 もちろん最初からそういう「経済ありき」の話があったわけではない。
 僕は普通に週末介護人としてこの家に来ていただけだし、それ以前は年に数回お茶を飲みに来たりする程度の関係だったし。
(なので「財産目当てに介護をしている」などと周囲から言われると、とても楽しくなってしまって悪ノリしてふざけていた。そういう場面を誰かに目撃されたからこういうことになるのかもしれない)
 
>>>
 
 話を戻して海外移住。
 当時、僕の周りの人間は一人残らず「こいつ阿呆だなぁ〜、めでたいなぁ〜」(控えめな表現)という顔をして僕のことを見ていた。
 僕もそんなに真面目に自分が無職で暮らすことになるとは思っていなかったので、半分は叶いもしない将来の夢を語るような気分だっただろう。
 
 ただ、日本にいると恋人が27人いるとややこしいことになることもある。
「一人くらい増えてもいいよね?」というガールが現れたときにややこしいのは仕方ないが、部外者がうるさいのは迷惑だ。
 有名になると意味もなくSNSにアンチが湧いて叩かれるし、シンパが増えるとそれもややこしい結果を生む。アンチもシンパも欲しくないのだ。ファンもフレンドもフォロワも要らないのだ。
 状況がややこしいのではなく、人間やその思考、文化や倫理観のありようがややこしくて付き合いきれない。
「残業代はきちんと払いますよ」と言っていた会社が「定時で退社してください。ノルマをこなしたいなら自宅に機材を持って帰るのだからプライベートを自由に使えばいいでしょう」と言うのである(実話)。
 どっち? どっちなの? ホワイトなの? ブラックなの? グレーなの? ブラウンなの? 銀行の天下り会社なの? 中途採用だからこういう扱いなの? という気持ちになるのである。ついでに業務にさして関係ないようなことで男性社員全員に囲まれたことえが2回もあった(1年ほどで辞めたけどよ)。
 
 だったら国外に行ってしまえば多少は解決しやすいのではないかと安直に考えた次第。
 阿呆(失礼)に付き合うのがホントに厭なのだ。これに尽きる。
 もちろん今は身の回りに阿呆がいなくなったので清々しているが、くれぐれも大事なことは「集団に帰属しないと抹殺されるぞ」と言ってくる奴も、その発言も、信用しないことだ。
 集団で狩猟や農耕にいそしんでいた時代は遠い昔。
 集団帰属信仰に冒された愚図どもが狭い領地の中で牌を奪い合って、競争という名の抹殺で飢えをしのいで息継ぎしているのが現状ではないのか。
 
 水槽の中は空気が薄いのだろう。
 ならばそんな水槽は出てしまえばいいのに、その中にいないと死んでしまうと思っているから出られないし、出て行くものが多ければ自分の餌がなくなるから脅してでも引き留めるのではないのか。
 いつまでも魚類でいたいなら仕方ない。しかし僕らは、ある時から陸に上がって生活を始めたのだ。
 海の中で嗤う愚図どもの集団から離れて。
 
 集団の中にいる者から引き留められる時、ついつい「自分は必要とされている」なんて錯覚してしまいがちだ(僕はそうだった)。
 ましてその人が一見有能で、あるいは立場が上の人であれば尚更、考え直してしまうこともあるだろう。
 
 実はそうじゃない。
 そういう連中は基本的に、エサを探しているんだ。
 自分よりも弱くて、利用しやすくて、リソースの豊富な、美味しいエサを求めているんだ。
 肥えたら喰えて、痩せたら捨てられる、便利なエサを逃したくないのだ。
 だから引き留めてくる者が自分よりも弱い時、それは本当に必要とされているし、可能なら集団に留まった方がいいだろう。
 しかし自分よりも強い者が引き留める時は、子分かエサかを必要としているだけの、安い相手である可能性も考えた方がいい。
 本当に強い人は、集団において誰を引き留めることもないからだ。
 
 これは会社などの営利組織でもそうだし、友人や家族などの非営利かつ旧来の人間関係でも当てはまる。
 連れション文化圏というのは基本的にイワシの群れと同じで「弱い奴が自分の犠牲になってくれる」ことをアテにした貧しい哲学に基づく集団だ。
 もちろんそれでも集団に帰属しないと生命の危機に瀕するという時もあるだろう。
 それならそれできちんと帰属する集団について見極めなくてはいけない。
 向こうから誘ってくる集団は、だいたいエサを探している。
「いらないよ」と言っている集団に、いかに食い込むか。いかに必要とされるか。
 それがセルフマーケティングである。
 あ、ちなみに僕、恋人は27人いるので間に合ってます(ここ笑うところです)。
 
 それにしても海外移住である。
 疫病騒ぎは完全に収束するという気配を見せない
 仕方ないから周囲とのやりとりを最小限にして隠棲し、気が付いたら死んでいた、という流れにしてしまおうと考えて現在に至っている。
 
 webであれこれ書いているのは、僕のストレス発散と本職(思想家)とビョーキ(オフライン記録恐怖症)によるものだ。
 書いても書かなくてもいいのだけれど、誰にも会わず、人間と会話をしないで半年くらい過ごしていたら、あやうく日本語を忘れかけた。
 会話って大事だよ。何も考えられなくなるのは怖いことだよ。
 
>>>
 
 それにしても12/15のニュースを諸君は見たか。
 
 国が、政府が、国民の頬を札束でひっぱたいたぞ。
「カネくらいくれてやるからこれ以上騒ぐな」と言わんばかりに。
 私は恐ろしいやら憤るやらで、夜も眠れなかった(朝方からぐっすり眠ったおかげで、燃えないゴミを出し損ねてしまった)。
 
 いやいやさすがの法治国家。賠償金を支払えば紛争事案は終結してしまう。
 おそろしいほどの民主国家。政府や国家の運営に携わる者もまた国民には違いないのだ。
 
 そもそも僕らは「選挙というシステムの中で投票をしている」から民主主義が正しく遂行されているという幻想を刷り込まれてはいないか。
 開票から集計、そして発表に至るまで、何らの操作や改ざんや書き換えが絶対にないなんて言えるのか。
 量子論的に、観察者のいない現象は複数の状態が重なり合っているのだ。
 ボクの観察していないブラックボックスの中で何が起こっているのかなんて、ネコノカミサマくらいしか知らないことなのである。
(投票に費やしたオレの時間を返せ〜!)(←問題はそっちか)
 
 この国は経済至上主義だ、なんて冗談めかして僕は書くけれど、正しく民主主義国家で、せめても資本主義国家で、そして当然に法治国家であってほしかった。
 
 しかしそもそも立法と行政が一体化した日本の政府において、司法との癒着疑惑が取り沙汰された(たしか去年か一昨年)あたりで、この国はすでに見放されてしかるべき状況なのではないのか。
「野党のみなさんには頑張ってほしい」なんて、未だ他人事のように言っている人もいる ── 政府としてはありがたい類いの反対思想の持ち主だろう ── けれど、衆議院だろうが参議院だろうが与党だろうが野党だろうが、政府という箱に詰め込まれたメカニズムで動作していることには変わらない。
 
 学校でいじめられっ子が自殺したとなれば、マスコミも騒ぐし警察も捜査するし教育委員会も介入するだろう。
 では政府の中で改ざんを指示された公務員が自殺した場合、誰が教育委員会よろしく監督するというのだろう。教師は誰なのか。
 人口というリソースも経済というリソースも減少を続ける国家の中で、またぞろ訳の分からないブラックボックス(たとえば第三者委員会)を設置したところで、その箱の中で何が起こっているのかなんて誰にも分からないのではないか。
 
 それで何もかも、つくづくイヤになってしまって、アヲのお腹をぐりぐりと撫で回してストレスを発散していたのである。
 
 よもや独裁政治ではないのか。
 専横国家ではないのか。
 恐怖政治が待っているのではないのか。
 
 国民ならぬ経済のための政府が、経済を保護するために、手元の経済を国民に投げつけたのだ。頭を下げて献上したようには見えない。
 もっともこの国の国民は経済なのだ。ヒトの皮を被った経済どもが、いっぱしの風を装っているのだ。だから国民(経済)のための政府が、国民(経済)主体のための政治を行えば、すなわち民主国家の誕生なのだ。
 
 国民(ニンゲン)のための民主政治は幻想だったのか。
 もしかしたらとは思っていたが、ここまでヒドいとは思わなかった。
 
>>>
 
 そのようなわけで昨今、僕は弟子に「そろそろお前、反政府勢力としてのレジスタンスを組織しちゃえYO!」とけしかけている。
 僕はラケンローなアナーキストではあるが、逮捕はされたくない。
 政治犯になるのもイヤだし、テロリストとして指名手配されるなんていうのもできる限り避けたい。
 せっかくのんびりぼんやりライフを満喫しているのだ。このままのんびりぼんやり暮らして孤独死を迎えたい。
 そういうつもりで今まで(口先ばかりの)努力をしてきたのではなかったか。苦労を耐えてきたのではなかったか。
 ここにきて反政府勢力なんてものを僕が組織してしまったら、捕まっちゃうじゃないか。猫なのに。
 こうなったら精神鑑定に持ち込む方向でアタマオカシイふりをして今からヘンテコ日記を書き連ねるしかないのか(すでにアタマオカシイ日記を書いているだろうというご指摘については納得致しかねます)。
 
 この諸々の矛盾を解決すべく、もっとも手っ取り早く、適切で、即効性があり、そのうえ僕の手を汚さずに済むのが「弟子に反政府勢力を組織させてそれを傍観する」というスタイルだ(ヒドイ)。
 
 無論、弟子には弟子の人生があり、人生の夢だとか目標だとか希望だとかもある(らしい)。
 退廃的な僕と違い、健全で前向きで明るく意欲に満ちた中年である(いちおう彼も40代なので)。
 婚活では失敗ばかりで、せっかく連絡先を交換したのになぜかガールが音信不通になったり、急速冷却したガールの放射冷却によって震えることかれこれ2回にものぼる(婚活パーティの挑戦回数や掛けた金額については質問しない方がいいぞ! いかんせんあの市場もまたヒトを経済として見ているらしいからな)彼ですが、しかしまだ希望を捨てたわけではないそうで。
「日本は民主主義ですよ法治国家ですよ安心して大丈夫ですよだから僕を利用するのは辞めてください」とにべもなく断られた(もっと自暴自棄になれよ!)(まさかの暴言についてこの場をお借りしてお詫び申し上げます)。
 
 しかし僕には友達もいないし、組織力もない、恋人は27人いるものの構成員に使うわけにはいかない(断固拒否する)。カリスマ性もないし、SNSもやっていない。ただのラケンローでアナーキィな猫だ。レジスタンスを組織するなんて無理だ。
 
<むん!>
 
 だから使い魔よろしく反政府勢力を組織させようと思って(特高が我が家に乗り込んでくる危険も顧みず)携帯電話でけしかけているのだが、毎回とりつく島がない。
 あれか、海なし県か。
 太平洋でも島ならあるが、海なし県には島などない。作りようもない。そもそも島は海にできるのだ。だから海なし県には島がない。
 薄情なやつを見つけたら「あいつは海なし県だ」というのが10年もすればスタンダードになり、流行語大賞を受賞するだろう(嘘を吐くな)。
 
 それにしてもである。
 
 反政府勢力を組織するのが弟子にもできないなら(そもそも僕にはできない)、かくなる上は疫病騒ぎが収まるのを待って亡命するしかない。
 レッツ独立独歩!
 財産差し押さえられちゃうんだろうなぁ……。税金なくなるならいいかぁ。
 でも自分の身の代のために税金を払っているのだとしたら、今のままでもいいのかなぁ。
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::このように言う「難民」たちを、だから社会主義の国では経済が破綻するのだとして一刀両断するのは簡単である。確かに、昨今とみに表面に出てきたという感じの社会主義体制下の国々の経済の破綻は、まさにこの種の怠慢に原因のひとつが求められるのだから。
 しかし、人間性に少しばかり醒めた視線を向けるならば、これがけっして社会主義国にかぎった現象ではないことに気づくはずである。人間ならば誰でも心の奥にひそませている、性向の一つであることに気づくはずなのだ。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「フランス革命二百年・自由」From「再び男たちへ」
(著作:塩野 七生 / 発行:文春文庫)
によりました。
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:黒猫:赤猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Kidding-Link-Mechanics-Memory-Stand_Alone-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :夢見の猫の額の奥に:Webストリートを見おろして:
 
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211214
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
人間のいない国。
SUBTITLE:
~ Economic Animals. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::武士道はかかる種類の知識を軽んじ、知識はそれ自体を目的として求むべきではなく、叡智獲得の手段として求むべきであるとなした。それ故に、この目的にまで到達せざる者は、注文に応じて詩歌名句を吐きだす便利な機械に過ぎざるものとみなされた。かくして知識は人生における実践躬行(きゅうこう)と同一視せられ、しかしてこのソクラテス的教養は中国の哲学者王陽明において最大の説明者を見いだした。彼は知行合一(ちこうごういつ)を繰り返して倦(う)むところを知らなかったのである。
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211214
 
 カプチーノが好きなので、全自動エスプレッソマシンを導入した。
 なぜといって、2杯分を抽出して味わうのにあたって、だいたい20〜30分掛かる。
 冗談や誇張ではない。
 豆をミルで挽くのに5〜10分(他の作業のついでにしていると1時間経っても挽き終えていないことがある)。
 機材準備(内部洗浄がメイン)に5〜10分。
 抽出に5分。
 砂糖入りのフォームドミルクを作って1杯のカプチーノが出来上がる。
 後片付けに10〜20分。
 
 友人がゲームをしながら「カプチーノ飲みたいなぁ」なんて言おうものなら、そこから30分、僕は姿を消すわけである。
 自分のために作るとしても、結構な時間を消費してしまう。
 だから。自動が。欲しかった。
 
 毎日飲むとしたら1年で182.5時間もの労働をしていることになるのだ。
 これは8時間労働に換算して22日強、つまりひと月くらいタダ働きをしているのに等しい。
 もちろん給仕しているのは私だし、給仕を受けるのもまた私である。
 深淵を覗き込むとき深淵が私を覗き込むように、私が私に給仕するとき給仕もまた私に私するのである。
(ちなみに我が家の経済主体たる仮想奥様は0次元体なので、じつは食事等を必要としない。え? 知ってたの?! キミすごいねぇ。)
 
>>>
 
 久しぶりに真面目な話をしようかな。
 ただし毒の強い内容なので、気分を害したらすぐに読むのをやめてほしい。
 どうせ僕のことだからまともなことは何一つ書かないだろうし。
 
 
 
 僕が無職生活を始めて、そろそろ3年が経っただろうか(もう忘れた)。
 表向きは無職だけれど、税務上は個人事業主である(ために後ろ盾も保証も何もない)。
 
 端的にいえば不動産による不労所得を得ている。つまりは利権ビジネスのひとつといえるだろう。
 印税や有価証券、その他の金融商品等もまた所有(購入)した権利によって利益を得るものだと考えることができる。
 
 昨今の日本人はエコノミストの誘導によって、こうした利権ビジネスを好む傾向があるように観察される。
 政府も税制優遇等の措置を取り付けることで若干なり後押しをしているのではないだろうか。
 たとえばNISAやiDeCoなどもそうだろう。
 金融企業がその入り口から出口までを固めている(誰がどこに天下りしているかなんて僕は知らないけれど)。
 
 民主主義の皮を被った経済至上主義国家のなれの果て、政治家が国賊よろしく無知で痩せた家畜を囲い込み剥いでゆく。
 いやなにそう見えるだけのことかもしれない。
 混迷の時代にあって正しい道へ羊を導こうとするのは、たとえ神であっても容易くはないと聞く。
 十字軍や暗黒時代について、ふたたび勉強するまでもない。
 
 経済至上主義である結果、経済を持っていない人間は価値がないと人々は刷り込まれる。
 ために人は、己の価値を高めるために経済を持とうと躍起になる。
 経済のないものは生きる価値も意味もないと刷り込まれている。
 だからお金がなくなると自分に価値がなくなったと思って自殺してしまう。
 いわゆるセーフティネットがあり、それについて広報されているにもかかわらず、それを利用する価値が己にないと思ってしまう人は少なからずいる。僕も経験があるのでそれは分かる。
 そもそも生きる上で(一個人にはそれなりに)高い身代金を払うのがこの国の常識である。
 
 大枚をはたいて宇宙に行こうがどうしようが、それは勝手である。
 全自動エスプレッソマシンを買うのと同じで、好きにすれば良いことだ。
 しかし一部の人は、そこに妙に熱狂してしまうらしい。
 スーパーに行って「今日はロールキャベツを食べたいから」と、ひと玉のキャベツを買うのと原理はさほど変わらない行為について、そこに動く物事や金額のスケール感に目がくらんでまともにモノが考えられなくなるのだろう。
 べつに宇宙に行くことが悪いとか、下らないとか、そういう意味ではない。
 お金や地位や能力や人脈、ありとあらゆる自分の持てるリソースを使って、人間は自分の思うありようを体現すべきだと思うし、それはそのまま自由そのものであり、それをしていることはたとえ賞賛されなくとも非難されるべきものではないだろう。
 
 ただそれはフィットネスクラブに入会して理想の体型を手に入れるため努力したり、コンビニでポテトチップスを買い食いすることと、何も変わらない。草津温泉まで自動車で旅行に出掛けることと、何ら変わりはない。
 だからコンビニ前で友達とたむろしてポテチを食べている高校生に「オマエたち、自分の小遣い(あるいはバイト代)を使ってポテチを食べてるなんてすごいな、エラいな」と思える人、賞賛できる人は、それでいいと思う。そういう原理を賞賛できる人ならば、宇宙に行った一般人を「夢を叶えたエラい人」と賞賛していいように思える。
「オカネモチーになりたいなぁ」なんて言ってぼんやりのんびりしているうちに不労所得を得られるようになってしまった奴よりよほどまともじゃあないのか。
 
 一方で上に挙げた例をして(え? 何言ってるの全然違うじゃん)と思う人は、まぁ、そうですねぇ、そのままでいらっしゃればいいのではないかと思うのではある。
 これはたとえば2000万円の高級車を買って乗る人と、13万円の中古の軽トラに乗る人を比較しても同じである。
「これに乗りたい!」と思って乗るならば、いずれも素晴らしいことだ。いずれも自身の夢を自力で叶えているのだとしたら結構なことではないか。
 一方で、周囲へのディスプレイや必要でもない目的のため、あるいは他力本願で到達したのであれば「ご愁傷様」と言うよりない。そんなところに幸せはない。同じものを手に入れているにもかかわらず、だ。
 
>>>
 
 そもそも人間は「望み通りになる」機能が備わっているように観察される。
 ブラック企業に勤めてしまって大変だという人も、ある朝家を出たら誘拐されて入社面接がスタートした、というわけではないだろう。
 自身の妥協も含む選択の結果、今居る場所へ到達したわけであって、たとえば先の周囲へのディスプレイのために本心ではどうでもいいことをしている人(宇宙旅行をしている人は多分そういうタイプではないと思われる)ですら、自身の望みをきちんと叶えている。
 
 もっとも親や生まれる環境は選べない。
 しかし選ぶことができないものよりも、選ぶことができることに集中した方がよいだろう。
「どうして僕は猫なのに人間に生まれてしまったのか」なんてクヨクヨしても仕方ない。
「人類初(たぶん)の種族同一性障害という設定で面白おかしくしてしまえ」といった感じで。
 
>>>
 
 40代を過ぎて明確に感じるようになったのは、いくら齢を重ねても、どこまでもアタマが悪い人がいて、当人はそれを改善するどころかその必要すら感じていないという事実だ。
 びっくりするくらい人間は感情や思い込みに縛られていて、年々それがひどくなって行く。
 40にして惑わずとはつまり、ドラスティックな変容を、そこから先は望めない、ということなのかもしれない。
 
 冒頭の経済の話でいえば、お金がなくなったらホームレスになるのだってひとつの選択肢だと思う(僕はそのシミュレートを昔からしている)。
 お金を持っていることと人間として優れていることは、まったくもってイコールではない。
(お願いですだからってボクを指さして嗤わないでください)
 
 利権がビジネスとして収益を上げるということは、その権利者たる人間の能力をほとんど必要としないということだ。
 金融や不動産業の人たちは「お金がお金を稼ぐ」とか「土地がお金を稼ぐ」なんてまことしやかに言う。おそらくそれはメカニズムを解析する限り事実だろう。
 ただし忘れてはいけない。そのメカニズムには人間が不要なのだ。
 
 AIの台頭により職を奪われることを懸念している人たちがいる。
 僕はもともと仕事嫌いなので「どんどん自動化して奪ってくれ」と思っていた(今も思っている)。
 その一方で社会は不労所得を(最低限、副業程度には)組み込むことを必然として刷り込み始めている。
 
 仕事なんてものはなくなってもいいだろう、というのが僕の考えだ。
 機械やAIによる自動化で、単純な作業(一見複雑に見える、多岐にわたる規定による論理判断や、不慣れな役所の書類作成など)は自動化されてしまえばいいと思う。
 一方で、経済は人間の能力 ── つまりは人間性の良い面 ── に応じたものであってほしいと思う。
 
 人間が不要な世界で経済が回るとき、人間はいよいよ人間を見失う。
 なぜといって、すでに「経済を持たない人間は不要だ」と、本気で思っている人もこの社会には居るのだ。
 その先にユートピアなどあるものか。
 カネを生まない人間は紙幣1枚ほどの価値もないと考えるような社会が待っているのだ。
 つまりそれはカネさえ持っていればどんなクズのような人間でも許され崇め奉られる社会だということだ。そんなものが許されてたまるか。にもかかわらず我々はふと気付けば、お金さえ持っていれば(すごい)と思ってしまうシステムを組み込まれてはいないだろうか。
 
 不労所得の恩恵にあずかっている身の上としては不労所得そのものを否定したくはない。
(自分が恩恵にあずかっていなかったら多分否定するんじゃないかなこのイキモノは)
 たとえば印税収入や投資による収益は、それ相応に本人の能力によるものもあるだろう。
 
 ただしすべての人が印税収入を得られるような経済システムは考えられないし、投資とはそもそも原資を持たなければ始まらない。
 ためにそれらは過渡期に存在した(する)経済システムの一派でしかないと考えるのが必然だろう。
 
 本来の資本主義とは、人間が持てるリソース(能力)に応じて経済を構築することができる、というシステムだったはずだ。
 利権ビジネスは最終的に、人間を不要と見なすシステムだ。
 人間という分母が少なくなればなるほど、一人あたりの持つリソースは大きくなる。
 人間たちは、経済の名の下に、同胞を排斥しようとしているのではないのか。
 
 経済を多く持つものに憧れ、それを褒めそやすのは結構なことだと思う。それは本来の資本主義が持つ、ひとつのカオだ。
 しかし一方で、人間は人間を、その品性を、経済のためならどこまでも貶めてよいということではないだろう。
 原理は単純で、ヒトはヒト、カネはカネでしかない。
 お金にタマシイはないし、人間は万能の交換リソースなどではない。
 人の人間性や能力と、動かしうる経済の大きさは、決してイコールではないのだ。
 
 人間には人間の価値がある。
 それを貨幣によって表現しうる人もいるかもしれないが、それ以外によって発露する人もいるし居てしかるべきだし、それが文化と呼ばれるもののはずだ。
 僕のようなケダモノならともかく、人間だけは人間を見失わずにいてほしい。
 
 かりそめの民主主義という仮面の内で、痩せた家畜の骨を齧る禽獣は誰か。
 そこに居るのはニンゲンか。それともそれは他のナニカか。
 
<先日の火鉢事件の痕跡。まるで三日月のようだねぇ、なんてはしゃいでいるとまた叱られそうである>
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::まず仏教から始めよう。運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤(いや)しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守(たじまのかみ)〕がその門弟に業(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところでなく、禅の教えに譲らねばならない」と。「禅」とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。しかしてその目的は、私の領解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能(あた)うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。かくのごとく定義してみれば、この教えは一宗派の教義(ドグマ)以上のものであって、何人(なんぴと)にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「武士道」(著作:新渡戸稲造 / 発行:岩波文庫)
によりました。
 
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Diary-Ecology-Form-Mechanics-Recollect-Style-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Reactor-
 
[Object]
  -Camouflage-Human-Koban-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと:
 
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211210
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
家を燃やしかけて奥様(仮想)に叱られる。
 
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211210
 
 相続手続きが(2年掛かりで)すべて終わったついでに叔母名義の高額な税金(延滞金も高額)を支払ったのは昨日のことだ。
 2年間、役所に通って言い訳(相続手続きが終わらないため、払うことができない)をしながら1年間は支払いをすっぽかし、2年目は分納し、その残額は僕の軽トラ(びっくりするほど安い)が40台くらい買える値段だった。
 
 今日はお寺に出向いて墓仕舞いの相談をする。
 叔父の一族郎党が滅する、その係を、全然といっていいくらい関係のない僕がする。
 一族郎党を滅ぼすといえば、僕自身の一族についても可能な限りそうしたいとブログに書いたことがあるので、僕が死んだら叶うかもしれない。
 いかんせん、ブログに願いを書くと叶うことが多いので、近年の僕はことのほか慎重である。
 
 ちなみに年末なので願を掛けておくならば、宇宙には行きたくないけれど、オーロラの見える場所に行って生きて帰ってきたいと思う昨今です。あと最近、ふたたびモテはじめたので気をつけたい。できれば眼鏡ガールにモテたい。しかしいずれにしてもうかつなことを書くものではない。
 実現してしまってから後悔したことは一度もないが、自力で何かを叶えた気がしたことは一度としてない。
 
 永代供養と税金で、相続した現預金の半分がなくなる(税額が尋常ではない)。いいことだ。お布施を上乗せして我が煩悩も払ってやろう。どうせ僕のお金ではない。猫に小判と言うではないか。
 しかしこの家における修繕あるいは入れ替えを要する設備もそれなりにある。ここは思案のしどころか。
 予算審議委員会に照会したところ、しかしお布施は上乗せするのがよいという判断だったので、誰にもいわずにこっそり上乗せしておこうと猫会議で可決する。どうせどちらの親族も呼ばずに執り行うのだ。
 
>>>
 
 僕の棲んでいる市内で、これまでタイミングが悪く一度も行けなかったアウトレットの家具屋がある。
(ちなみに僕はニトリが嫌いなので行かない。個人的に嫌いなだけなので、好きな人のことをとやかく言うつもりはない)
 そこに入ったところ、たまたまよいベッドフレームを(1時間以上もぐだぐだ迷った挙げ句)見つけた。
 正確にいうと、店員さんに声を掛けられたので(どうせないだろう)とばかりに希望を言ってみたのだ。
 アウトレットの店だから、同じものが2点もない商品もたくさんあったのだが、本社倉庫に在庫がちょうどふたつあるという。
 若干(フレーム強度的に)心もとない部分もあるが、2基で50k円強である。高くはない。少なくとも脳内予算審議会を80k円上限で通過している事案なので、奥様(仮想)も安心である。
(ちなみに天蓋を作る必要は変わらない。この家は通気が良すぎる ── あちこち隙間がある ── ので、温度や湿度をなるべく一定に保ち、光や虫の侵入を防ぐためには天蓋を作った方がよいと判断している)
 
 フレーム在庫の取り置きをweb経由で処理している間に、マットレスを選ぶ。
 感触はウレタンの方が好きなのだが、座ってから寝転んで、寝返りを打つときには、どうやら固めのスプリング式の方が好みのようであるな、などと思いながら店内のめぼしいマットレスに座り歩いていたのだが、ひとつ、座った瞬間にものすごく気持ちの良いマットレスがあり、それに上半身を預けたらものすごく眠くなってそのまま動きたくなくなってしまった。
 目を閉じて数分うっとりしていたら店員さんに声を掛けられたので飛び起きて、一応、マットレスについての説明をあれこれ聞いてみる。
(なぜといって、自分の選んだマットレスの値段が、フレームの4倍を超える価格だったからだ)
 
 しかし、僕は身に着けるものも基本的に肌触りで選んでしまう。
 恋人だって眼鏡どうこうより肌触りが評価の6割くらいを占める(まさかの新事実)。
 もちろんいきなり肌に触れると逮捕されるのでしないけれど、付き合い始めてから肌触りが悪かったり、不潔だったり、肌がかぶれる場合(そういう相手もときどきいるのだ)は遠ざける傾向がある。
 肌触りがよくて、清潔で、長時間触れていても肌がかぶれない人間型の恋人というのはそれだけで素晴らしいのである。(ちなみにこの3要件は、肌を適切なレベルで清潔にしていれば問題ないものである)
 
 いつもどおり話が逸れているが、肌(や骨)の感触に優る評価軸はないといっていい。
 そのうえ、ここで妥協したらしたで、あと5年は同じものを使うことになりかねない。
(ウレタンの場合はその程度で劣化するはずだ)
 ついでに僕は、眠るのが本当は大好きだ。
 
 なので説明を聞くのを途中で切り上げて「ところであれにします」といって決めてしまった。
 いずれにしてもベッドを用意すれば、仮想奥様的にも僕の身体の心配の種がひとつ減るわけだから、マットレスについての予算審議は多数決によらない議長権限で強制通過した。
 掛け布団については語ることを控えておきます(なにがあった)。
 
>>>
 
 帰宅して、夜、火鉢に火を入れる。
 五徳を入れて、水を入れた鉄瓶を載せる。
 いい感じに暖かいが、火力調整がむつかしい。
 灰もさほど買っていなかったから上から掛けることもできない。
 床の上にコルク製の鍋敷きを敷いて、風呂に入る。
 
 お風呂を上がると、香ばしいいい匂いがする。
 火鉢に近づくと、かなりあたたかい。
 しかしどうも炭の燃える匂いではない気がするので電気を点けて調べたら、床の一部とコルクが焦げている。
 慌ててガス台の五徳と別のコルク製鍋敷きと濡れタオルを用意し、新しい鍋敷きの上に五徳を置いて、ひとまずはそこに火鉢を置き、下の方に濡れタオルを巻いて熱を下げる。
 いやぁ〜あぶなかったぁ。
 
 などと供述していると、奥様(仮想)に叱られる。
 ごもっともです。
 あやうく火事になるところだった。
 
 そういえば「床材ごと燃やしてやろうかと思ったことは1度や2度ではない」などと書いたから、そのせいかもしれない。
 
 
 
imageimage
<最近、毎晩作っているのが長ネギのグリルと白菜とキャベツのサラダ。色味がない>
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Convergence-Diary-Mechanics-
 
[Module]
  -Condencer-Convertor-Generator-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211207
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
俺のコロナに対する敬愛の念を知れ。
SUBTITLE:
~ We love CORONA. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211207
 
 燃えるゴミの日。
 早朝に目覚める。
 14時から来客予定。
 たいしたゴミはなかったはずだから、今週のゴミ捨てはパスしよう、と4度寝を開始しつつ脳内でスキャンしたところ、結構な量のゴミが確認された(この中には、先週の体験入社中に猫どもが食い散らかした布団や、掛け布団、こたつ布団や布団などが含まれている)。
 しかたなく起きると10時になっていた。
 ゴミ捨てなどをして、11時頃、家を出る。
 今日こそは暖房器具を増設しなくてはならないと、緊急予算委員会の可決が数日前になされたところだ。
 
>>>
 
 この家での熱源は、灯油が多い。
 ガスコンロこそガスだけれど(当たりまえか)、湯沸かしのボイラは石油である。
 長風呂の僕が冬に毎日お風呂に入ったとしても、20〜30L(ひと月あたり)あれば足りるので、非常に経済的である。なぜ灯油ボイラを前の家主が導入したのかは分からない。
 
 ただしこの家では、暖房器具が致命的に少ない。
 最近、倉庫の奥で火鉢を見つけた(そして清掃中に壊してしまったので、仕方なくヤフオクで新しい火鉢を買うことにした)が、それを抜きにすると、掘り炬燵が1つと石油ストーブが1つしかない。
 エアコンは比較的最近(6年以内)に導入されたものが3台あるが、そもそもこの家は部屋が6+DKで7つある。玄関フロアもテントが張れるくらい広い上、断熱がされていないのでひどく寒い。いっそ床材ごと燃やしてやろうかと思ったことは1度や2度ではない。
 
 しかも掘り炬燵のある部屋にストーブが設置されていたため、他の部屋には暖房器具が存在しなかった。
 
 前橋から引っ越してくるときに、ストーブ1台、ファンヒータ1台、アウトドア用ガスヒータ1台を持ってきたが、ストーブは縁を切ってしまった友人に譲ってしまったし、ガスヒータは常用するのに向かない(カセットボンベを使用する上、効率がよいとは思えない)ので、実質、空調系暖房器具は2つしかないことになる。
(僕は冷媒エアコンのヒートポンプ機能が嫌いなので使わない)
 
 もちろん僕が常用している部屋は書斎と寝室の2つだけだが、来客や台所で長時間にわたる作業の際は、いちいち家の奥にある部屋から対角線上の奥の部屋まで灯油に満たされた暖房器具を運ぶことになる。
 そのせいで僕は来客が嫌いになっているのではないかと思うくらいだ。第一、客が帰ったら暖房器具をまた足繁く運び直すことになる。
 時間ももったいないし、ずぼらな僕は火の着いたままのストーブにヤカンを載せたまま運んだりする。
 今までは転ぶこともなかったが、今後もないとは言い切れない。
 そこで暖房器具を新調することにしたのだ。
 
>>>
 
 石油タンクを搭載しているストーブやヒータなら、コロナが好きである。
 たまたま叔母の家に置いてあったストーブもコロナ製であり、僕の持ってきたファンヒータもコロナ製である。
 
 なにどのメーカも同じだろうって?
 そのとおり。だいたい同じである。
 そもそも燃料を燃やして熱を発生させるシステムにむつかしい機構など必要なはずもない。
 
 ならばなぜコロナなのか。
 いい質問である。
 コロナ製の暖房器具の石油タンク(本体から分離するタイプ)は、そのすべて、石油を補給する際に手が汚れない。
 汚れにくい、というのを売りにしているメーカはあるが、コロナはまず汚れない。
 石油が指に着いて、石けんでも洗剤でも完全には落ちなくて、ぬるぬるしてしまうあの現象が、よほどの失敗でもしないかぎりは起こらない。とにかく徹底して、石油が手に触れにくい設計になっている。
 
 ために電器屋に着いて店員が「何かお探しですか」とすり寄ってきたところにすかさず「コロナの暖房器具を探しています」と即答した。
 
 最終的に最上位モデルのファンヒータとストーブを選んだ。
 
 そして今回買った最上位モデルのこれ
 扉が自動開閉するだけではなく、その扉がルーバになって、風向きを調整する。
 その上(開封して分かったのだが)リモコンが付いている。信じられない。
 寝室でベッドからまったく出ることなく部屋を暖めることが可能なのだ。
 信じられない(2度目)。信じられない(3度目)。
 俺は人間は信じないが、テクノロジィは信じちゃうぞ。もぅ!(はぁと)
(12/8 追記。リモコンにオフのスイッチはあったが、オンのスイッチがなかった。信じられない(4度目))
 
>>>
 
 帰宅して、来客前に暖房器具をセットする。
 新しいものは当然、寝室と書斎に設置する。
 特にストーブは石油を浸潤させる時間が必要なので、両方とも燃料を補充して部屋に設置だけしておく。
 それまで使っていたファンヒータは台所(DKは DaidoKoro の略である)に、ストーブはかつて安置されていた居間にご帰還である。
(こちらも先日、Amazonで純正燃焼芯を購入して交換したばかりなので絶好調である)
 
 来客対応後、家具屋にベッドフレームを見に行く。
 もういい加減、ベッドフレームを探すことに嫌気が差しているのだが、奥様(仮想)との約束もあるし、予算審議はとうの昔に通過している案件だし、いい加減、僕の骨格が歪んでいる気もする(疲れは取れにくいし、あちこち痛いときもある)。
 しかしやはり思ったような商品が見つからない。
 やはり自作する方がよいのではないかと、奥様(仮想)と話すのだが、奥様(仮想)は僕が何かを作ることをかなり喜ぶ傾向があり、つまりは既製品を選ぶときは比較的つまらなさそうにする傾向がある。
 
 新しいものを前にわーきゃー騒ぐのは僕と一緒なのだが、僕が作ったモノがあると、それについて僕を褒めちぎった挙げ句、なぜか非常に自慢げにするのだ(安全確認以外は何もしないのだけれど)。
 
 ベッドについては、マットレスのサイズにばらつきがあるため、自作を控えていたのだが、あまりにもたくさんの製品を見ていたので、一般的なサイズ感が頭に入ってしまった。
 
 僕が欲しいのは以下の要件を満たすものだ。
○キャスターを装備しており移動可能。
○床面まで20cmほど(掃除機のヘッドが入るくらい)の隙間がある。
○可能ならベッド下に引き出しを装備する。
○棚やコンセントは特に必要ないが、アタマに板面がある場合はシンプルな平面で鉛直に伸びているもの。
(あとで改造しやすいので)
 
 キャスタは50歩譲って標準装備していないものが多いのは理解できるが、それ以外の要素をきちんと満たして、素材や作りがよいモノがほとんど皆無だった。
 
 自作の場合はさらに以下の要件を満たす。
○120x200サイズを2つ組み合わせて240x200サイズにする。
(長手方向に横たわるので、マットレスを2つ横切って眠ることになる。このくらいのサイズでないと、僕の身体はベッドの上で背伸びをすることができない)
○ベッドは分離可能にする(来客時に、1つ譲れるように)。
○選択的に天蓋を装着可能にする(脱着式ということ)。
 
 脱着式天蓋以外はさほどむつかしい要件でもない(120x200は一般的なセミダブルサイズである)と思うのだが、ベッドにしても机にしても、思ったようなものがまったくないので困る。
 だいたい僕が欲しいものは、それが何であれ、思った通りにぴったりのものということがほとんどない。
 今までの人生で「まさにこれがほしかったものだ」と思ったのは、叔母に捨てられた書架セットとロードバイクくらいだろうか。
 コンピュータ用品だと左手用キーボードの「n52te」と、キーボードの「diNovoEdge」くらいか。(いずれも絶版。n52te は後継機が市販されているが、私のコンピュータでは使えない)
 
 それ以外のほとんどすべては、間に合わせか、妥協による選択をしている。
「それが素晴らしいから」ではなく「範囲の中ではこれくらいが妥当だから」という選択を僕は嫌っている。
 読む本も、着る服も、使う道具も、自分の価値観や性格も、せめて自分の思い通りにできる範囲のものは思い通りにしたい。そういうエゴが僕にはある。
 
 ただ比較的まともなことに、僕は他人(およびその所有物)を思い通りにしたり、自分の理想をお仕着せたりする気はまったくない。むしろ勝手をして迷惑を掛けてくるくらいの人の方が好きである。
 とはいえ友人や恋人や奥様に至るまで、仮想で作ってしまうことはあるのだけれど、それとて思い通りのママゴト世界の演者として作ったわけではないから、彼ら/彼女たちは独自の価値観で行動している。
 もちろんそれらの機能や役割、僕へのフィードバックについてまで僕はわざわざ誰かに説明したりはしない。それらは僕のものであって、他の誰かのものではないのだから。
 
<今日のメインディッシュ。身欠にしんときのこ、夏野菜のチーズ焼き。ごちそうさまでした>
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :工場長:青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Season-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Reactor-Resistor-
 
[Object]
  -Bicycle-Fashion-Friend-Tool-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :工場長の設計室:ひとになったゆめをみる:夢見の猫の額の奥に:
 
//EOF
 
// ----- >>* Initialize Division *<< //
// TimeLine:211202
// NOTE:
// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
いつもおひとりさま。
SUBTITLE:
~ subject: Stand_alone. ~
Written by BlueCat

// ----- >>* Lead Division *<< //
 
 
::「視覚って、頭で意味を考えるより速いから、考える前に人を動かせるの。アナログハックって、そういう速度の差を狙って仕掛けるんだけど。ただ、わたしたちは商業だけれどユーザーはそこに自分だけの“意味”と物語を見てて。この意味は、ユーザーの中で妄想になって暴走する。タガが外れたとき、人間のモデルや芸能人の場合と比べると、hIEの場合は、ユーザーがどこかで“モノ”だって侮るのよね」
 
 
 

// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
211202
 
 目覚めて、何をしようかとぼんやり考えていると、件の悪徳業者の内通者からメール。
 今日、代表がそちら(自宅)に行くかもしれない、という内容である。
 数日勤務していたので、行動パターンは掌中にある。
 
 直接対峙してもよいのだろうけれど、いかんせん僕は弱いイキモノである。
 本来の、人見知りで引きこもりな気質が、人間不信と相まって恐怖を生んでいる。
 居留守も心が削れるので、当該時間帯は外出する方針でスケジュールを組む。
 
>>>
 
 15年ほど前から、IRLで知り合う多くの人は、僕の人間恐怖症を理解しない。
 僕は社交的で、フランクに人と接することができて、人との距離をすぐに縮めることができる、と観察されている。
 なぜといって、それは必要だったため身に付けた技術であり、僕としては自身の根幹にある人格や価値観の本質が変わったようには認識していない。
 人と接していると過分に疲れるし、今でこそそんなことはなくなったが、ちょっとしたことで気持ちが傷つく。
 
 おそらく僕以外の多くの人もそうであろうと思って他人と接することを心掛けているが、世の中には厚かましくて自己中心的な人が多いのもまた事実。
 だからこそ垣根を感じさせないコミュニケーションをTPOで演じるものの、それはあくまでも、集団や空間に対する配慮であって、他人がいないときの僕の方が、僕は好きだし気楽でもある。
 
 だからといって、webに書くような思考をいつもしているというわけではない。
 むしろもっとふざけていて、デタラメな冗談ばかりを言っている。
 周囲から観察すると「大きな独りごとを言っている、ちょっとアタマのネジのおかしい人」ということになるだろう。その観察による推論を否定はしない。否定の余地もない。
 
 実際のところ僕にとっては、複数の価値観に基づいて単一の視野から得た情報を処理するので、それぞれの感じ方や、それに対する言い分があるのだ。
 ためにひとりであれこれ議論することになる。対立した2視点による議論も多いが、たいていは横槍のほうが多い。
 自分が何かに熱中していると、だいたい横槍が入る。
 茶化す場合もあれば、たしなめる意見もある。対立意見があれば、それに加えて横槍が発生する。
 
 そういう思考パターンを自分自身で構築している結果、他人とのコミュニケーションが画一的で定型的なやり取りのほうが多くて、実利のある情報が少ないと感じてしまう部分はあるようだ。
 
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 どうしても、他者と接すればまず挨拶をすることになる。
 また、共通の話題や共感を呼びやすい話も必要だろう。
 つまり、
「私はあなたの敵ではありません」
「私はあなたと同じように物事を感じることができる味方ですよ」
 というのを毎回繰り返すことが多い。
 
 もちろん挨拶を否定する気はない。むしろ励行する。
(コンビニやスーパーや外食先でも当たり前に挨拶する)
 だから定型化されたやり取りを馬鹿にするものではない。むしろそれを奨励する。
(見知らぬ人との世間話も、辞する理由は特にない)
 その意味で僕はきわめて礼儀正しく、フレンドリィである。
 ただ、回りくどいなぁ、とは思うのだ。
 
「こんにちは〜」「今日もいいお天気ですね」「あれ、髪型変えました? すごく似合ってますよ」なんて社交辞令で時間を潰すより、
「とりあえず僕とぱやぱやしません?」と開口一番に言いたい(←さっさと捕まってしまえ)。
 
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 むろん、いつも「ぱやぱやしません?」と思っているわけではないし言いたいわけでもないが、そもそもコミュニケーションによって新しい情報が得られることはさほど多いわけではないし、気になっていることの本質について他人と議論することは簡単ではない。
 
 たとえば最近は、人間の認識の内部に構築される準リアル/ヴァーチャルな情報群によって、認識世界がその個人に与える影響について考えていることが多いのだけれど、そもそも多くの人間はそんなことを考えて暮らしていない。
「ただしイケメンに限る」「アンチ・ルッキニズム」などもすべて、人間の認識世界がフィルタリングした現実によって、個々人にフィードバックされた価値観である。
 あるいは経済至上主義だって、経済そのものがヴァーチャルであると考えるならば、個々人の認識世界で過分に肥大した結果、本来以上の意味を持って価値観として出力され、それに基づいて人々は人格を形成する結果、社会が経済を個人以上の価値として認識している可能性は否定できない。
 
 しかしこんなことをいきなり言われて「そうですね。しかし私が思うには」なんて言い出せる人間はそうそう居ない。見たこともない。
 つまるところ僕が普段から考えたり気にしていることについて、何らかの答えを持っている人はもちろん、考えている人すらいない可能性が高い。
 
 どうするか。
 
 しかたないから一人で考えるのである。
 
>>>
 
 もちろん「いきなり誰かに手を握られても私は構わないしむしろ嬉しいただしイケメン/美女に限る」という価値観は相応のコモンセンスとして根底には存在しているはずだから、コミュニケーションにおいてある種の話題を形成することが可能である。
「いや私も」とか「それはさすがにないわ」とか、それぞれの価値観を開示しながらコミュニケーションを行うことができる。
 
 しかし上記の僕のように「ヴァーチャルが人間の認識に明示的に参入することで起こる価値観の変遷と現実社会へのフィードバックの可能性およびそのメカニズムについて」は、コモンセンスとしてはまだ社会に浸透していないから、ほとんどの人はこの現象について何も考えていない。何の評価もできないし、メカニズムの分析も行っていない。
 経済のように圧倒的なリアルに寄ったヴァーチャルもあれば、コンピュータ技術によって実現したキャラクタによって心を動かされるというヴァーチャルから現実に寄せてきたものもある。芸能人はリアル寄りのヴァーチャルキャラクタビジネスと考えることが可能だし、AIは本来実体のない情報を実体化させるインタフェイスとして機能し始めている。
 
 いずれも人間のために働いて、いずれも人間が作りだしたものであり、そこに明確な意図や目的がなかったとしても、明確な作用はある。
 しかしそれらについて明確に開示している人は少ないし、考えている人も少ないように観察される。
 お金はお金で、ゲームはゲームで、ヴァーチャルキャラクタはヴァーチャルキャラクタで、芸能人は芸能人でしかないと思っている人が多い。セクシャリティも、ニュースも、ビジネストレンドも同様、人間の欲という欲のあるところ、感覚や認識の働くところすべてにヴァーチャル/リアルの認識バイアスは浸透し、個々人の価値観と社会の傾向に影響している。
 
 そして個々人の価値観に与える影響について、それらが似通っている部分は少なくない。
 なぜならそれらの存在を欲し、それらを手に入れ、それらから影響を受けることを人は求めているからだ。
 欲とはつまり、影響を受けていない状態から、影響を受けた後の状態を求めることだろう。
 
 あるいはそれは、あまりにも当たり前のことだから、議論の必要を誰も感じないのだろうか。
 
>>>
 
 人間たちの思考やコミュニケーションプロトコルは、僕のそれとは少々違っている。
 おそらく僕が少数派なのだろうとは理解している。
 多くの人間は群れている一方、僕はだいたいソロ活動をしている。
 交友を含めたコミュニケーションの範囲はきわめて狭く、接する人間もごく少数しか居ない。
 
 今回、初めてそれが心細いことなのだと分かった気がする。
 
 一人暮らしを始めるときもそうだったのだが、僕は自分が孤独であることについて、何の違和感も持たずに過ごしていた。
 そもそも子供の頃、家族が離散する以前から、群れを成す人間との思考や習慣の違いには薄々気付いていた。
 だから友人ができないことにも、集団に加わりたいと思ったとしても加わることができないことも、自身と他人の価値観や特性の差異について納得はできた。
 
 だからこそ、僕は独りでいることを不自然に思わなくなった。
 家庭が貧しかったことも影響しただろう。
 僕は10代になる以前、家事を始めた段階ですでに、誰かに甘えることなく生きてゆく必要を感じていたし、それを実現するためのステップを考えることが必然だった。
 
 自分ひとりでどこまで何ができるかを考え「できること」を拡張し続けた結果、だいたいのことについて他人が不要になってしまったとさえいえる。
 もちろん、自分ひとりでは対応しきれない事態がなかったわけではない。
 普通に頼れる人間がいるならば、一人暮らしで水道を停められるような事態にはなかなか遭遇しないだろう。
 しかしそれさえも、頼る人がいないなら自分ひとりでなんとかするしかないし、そうこうするうち、自分ひとりで何でもできるようになってしまうのだ。
 
 先日も冗談交じりに書いたが、ガールフレンドに求めるものについて20年ほども前から「カラダだけ」と僕は言っている。他に求めるものがない。
 何も奪わないで居てくれたらそれだけでいい。
 
 たしかに恋人が僕のように料理もできて、家のリフォームもできて、コンピュータシステムの構築も(せめてマニュアルを読めば理解することが)できて、植物の組成や代謝についても理解できて、掃除をするときは汚れの種類に応じた薬品や道具を選択することができて、人体や猫の身体機能についても理解していて、人間の精神構造についても理解しようと努めていて、それなりにお金を稼ぐことができて、何らかの仕事を与えると人並み程度には能力を発揮できて、ということなら(代わりに僕は別のことができるので)まぁ素晴らしいと思う。
 あるいは僕に不足する何かを提供してくれる人ならば僕にはかなり有用であると思えるだろう。(眼鏡っ子成分が足りないことが多いので、仮想奥様にはそれを提供してもらっている。つまりはその程度のことである)
 
 しかし恋人が、上記のような複雑怪奇かつ曖昧模糊な抽象論を取り扱えるとは思っていないし、求めるつもりもない。それは経験上、どうしようもない。
 僕のリアルの友人たちもそんなものは理解しないし、ネコノカミサマでさえ僕の疑問に答えてくれたことはない。
 
>>>
 
 人的リソースとは、現代においては物的リソースで代替可能である。
 人数が少なくて心細いなら、物量で、あるいは情報量でそれを補うしかない。
 ひとりが心細いなら、それを補って余りある物的安心を構築するしかない。
 それがリアルであろうとヴァーチャルであろうと関係はない。
(求めよ、そして構築せよ、さすれば与えられん)
 
 そして望む場所にそれらを構築することができる。
 それが僕の能力なのだろう。
 
 きっと生きとし生けるすべてのものは、孤独だろう。
 その孤独を埋めるために集団を作ることについて、僕はそれを揶揄するつもりはないし、弱いことだとも思わない。
 それは最適化で、多少なりとも賢い選択だ。
 僕のように孤独をどこまでも選ぶのは、弱さを放置していると考えれば、不適切な選択だといえる。
 
 しかし孤独を選ばなければ、集団に足を取られることもある。
 他者とのコミュニケーションに時間やお金を掛けるのが常に無駄だとは思わないが、そこで欲しているコンテンツを得られないなら、お金も時間も人格の変容も、一切のリソースを振り分ける必要などないのだ。
 
 もちろん、僕が欲しているコンテンツが、誰の、何の役に立つわけでもないことはよく知っている。
 今までの人生で、およそずっとそうだったのだから、それらを体系的な情報にまとめたところで、誰の役にも立たず、現実世界の一切の物事とリンクする術もなく「ワカラン」と両断されるのは分かっている。
 
 しかしボクはそれを知りたいのだ。
 
 人間のメカニズム。
 人間が潜在的に選択してしまう、ときに非合理な条理の根底にあるものを。
 それが果たして「よいもの」か「わるいもの」かを。
 
image
<複雑にして美しいものはたくさんある。逆もそうであるように>
 
 
 
 
 
 
 

// ----- >>* Escort Division *<< //
 
 
::「アナログハック! hIEが、人間の形をしているけれど、人間と同じ意味は持っていないこと。形が同じだから、意味を判断する人間が勝手にズレを作って錯覚にはまり込んじゃうの! hIEを使って、【接する人間に、好意や意識のセキュリティホールを作れる】のよ」
 これだけの人間が、ハックされて消費へ誘導された。
「アラトくんのレイシアちゃんは、“カタチ”を利用して人間を自発的に動かすっていう、社会へのハッキングを行ったのよ」
 
 
 

// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
『Phase2「Analog Hack」』From「BEATLESS」(文庫版 上巻)
(著作:長谷 敏司 / 発行:角川文庫)
 によりました。
 
なお、引用文中の傍点強調は『【】墨付き括弧』にて記述しています。
 

// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
 
 
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Diary-Ecology-Interface-Link-Mechanics-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Convertor-Generator-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :ひとになったゆめをみる:
 
//EOF