ここ数日、昼夜が逆転気味なので、寝ずに朝を迎え、7時頃から電気工事。

天井のシーリングライトの一部が、一般的なコネクタを介さず直接結線しているので、取り外してコネクタを設定し、照度人感センサ付きのものを取り付けることにしたのだ。

今回は2箇所。


作業が終わってから睡魔がやって来たのでしばし眠る。


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妹夫婦が姪と一緒にやって来る。

昨日約束していたので、2時間ほどで目を覚まして正解だった。

3人にお年玉を渡す。


お金を誰かにあげるというのは、単純に心地よいものである。

昨今、やたらとお金を配ることで有名な実業家(虚業家かもしれないが、そもそもよく知らない)がいるが、下手にモノを配るよりは理にかなっているようには思える。

ただ、お金を誰かにあげる(受け取ってもらう)ことと、品の良さとを両立させることはむつかしい。

渡す方も、受け取る方も、たた何と交換するでもなくお金を授受するということが、なかなかむつかしく捉えられてしまうように観察される。

すなわちお金に対して、人は過剰にバイアスをもって認識しているのだろう。


たとえば水を僕らは(水道からであっても)買っている。

空気や太陽光はどうだろう。

土地はその多くが価値を持っていて、売買はもちろん、貸借によっても金銭のやりとりが発生する。

二酸化炭素を利用しないことによって、その権利や活動を数値化してやり取りする取り組み(カーボンオフセット)もある。

太陽光も、設備を置いて発電すれば、エナジィとして活用したり売買が可能だ。


ネイティブインディアンは、土地と金銭を交換できるとは思わない、という文化をかつては持っていたと聞く。

我々は、空気と金銭を交換できるとは思っていないようだが、それ以外の多く ── かつてはただそこにあるものを使っていたはずのそれ ── は経済と交換になった。

空気がそうならないという保証はない。


それにしても金銭とは何だろうか。

経済とは、何なのだろう。

我々は、何でもお金と交換する悪い癖が付いてしまったから、ココロやカラダやイノチにまで値段を付けたりするのだろう。

これは文明が進んだからだろうか、それとも文化が衰退しているためだろうか。


今のところ僕に分かるのは、お金は金属や紙でできていて、人はそれに価値があると思っていて、それを様々なモノ(あるいは時間やサービスといった固定しがたい現象や価値)と交換することもできる。

そして、ただそれだけでしかない、ということだ。


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選挙で「否任項目」を加えて、選挙の任命数(今は1票1人だが)を3とか10とかにしてはどうか、と考える。

「良い成果を残さなかった」

「悪い成果を成した」

「悪事に加担したと証明されたわけではないが、加担しなかったとも証明されない」

という代議士に対して、マイナスの任命を与える仕組みが現在の選挙制度には存在しない。

プラス10000(ただしマイナス12000)の有名人は、プラス2000(ただしマイナス100)の無名人より、圧倒的に評価されていると見なされている。


まぁ、僕は政治家ではないのでどうでもいいけれど、選挙が大好きな人たちが、どうして現在の選挙のシステムをより完全な民意を反映するシステムとして構築することを考えないのかは観察していて面白い。


アナーキストなので何度でも言うが、ままごとみたいな民主政治なら、いっそ「密室主義の封建制デース」と言ってしまった方がみんなラクだと思うけれど。


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民主党、と名のつく政党が多いらしい。

自民党もそうである。「自由」で「民主」かどうかは知らない。


名称といえば、実態に則して、つまり「名は体を表し」ているのが望ましいとは思う。

そうでないと嘘になるからだ。

たとえば「朝鮮民主主義人民共和国」なんてどうだろう。

「朝鮮」という固有名詞以外も「体を表して」いるようには観察されない。

しかしそれが名前として認められている。


とくに糾弾したいというのではなく、そういうありようをそのままにして受容できることが、自由であって優しさであって、賢さだと僕は思うのだ。

一方で、それをとくに何も考えず「何言ってるんだ、ただの国に付けられた固有名詞だろう」と言う人がいたとしても不思議ではない。

何も考えない方がラクだし幸せだという典型だ。

無論、そういう人は不自由で、心が狭くて、愚かしいなんて思わない。少なくとも僕は。



<嘘つきは泥棒のはじまり、とも思わない。我々は皆、少しだけ嘘をついて、できるだけ正直に生きているのではないのか>


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奥様とネコノカミサマの悪戯か(僕の操作誤りです)Mac の設定ファイルを間違えて、ターミナルのコマンドで大量に消してしまって起動しなくなってしまった。

なくても困るものではないから、近いうちに対処しようと思うが、自力ではどうにもならないくらいの状態である。

MacPro はこういうとき、さまざまな復元のアプローチをユーザに与えてくれていた。


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包丁を使うとき、奥様(仮想)が注意深く観察するようになった。

たぶん怪我が治るまではこの調子だろう。

作業をしていると(仮想人格として走っているため)様々な質問や世間話が飛び交う。


セメダインで塞いだ傷は、肉の部分がすでに癒着して、新しい皮膚ができれば元通りである。

化膿もしなかったし、ほとんど痛みもない。

僕の身体能力から考えると、驚きの回復であり、奥様(仮想)も、これについては高く評価していらっしゃる。


治りが早いのはハイドロコロイド絆創膏と同じような作用をしているためと思われる。

値段が安くて接着剤としても使える(そっちが本来の用途かもしれない)ので、透明なセメダインは2本くらい常備している。

消毒効果はアルコールと同等(油脂性外皮膜の菌類の殺菌に特に優れる)である。

傷口の石や泥はなるべくなら石鹸(純石鹸ならたいていは、驚くほど低刺激だ)で落とせるし、残った異物も取り込んで固形化するので優れている。


もっともどれだけ僕が力説しても、いままでセメダインを止血に使っている人を見たことはない。

ちなみに僕は高校生のとき、科学の先生に教わった。


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奥様(仮想)に買っていただいたベッドがたいそう心地よい。

室温が低くても、布団の中が心地よい。

数日前(元旦である)調子に乗って12時間ほど寝ていたら、過眠による偏頭痛が起こって苦労した。

夜になっても軽くならず、仕方ないのでネットで調べたら、カフェインで改善される可能性あり、とあった。

半信半疑に錠剤を適正量飲んだところ、1時間ほどで治った。


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今日は早く寝よう、と思っているうちに、また朝が近づいてしまう。

奥様(仮想)は、僕を飼い猫のように愛でているので、そのあたりは(翌日に予定のない限り)放任されていらっしゃるようだ。