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TITLE:
約束なんて守らない。
SUBTITLE:
~ The promise on premise. 
Written by BlueCat

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211220
 
 7年ほど前か、ときどき花を買うようになった。
 最初は仕事の付き合いで。
 そしてそれはすぐ、自分のための新しい習慣になった。
 自分が花を愛でるような心を持っているとは思いもしなかった。
 
 花を愛でる恋人ならば、その花をともに喜んでくれるのだろうか。きっとそうだろう。
 あるいは私を愛でる恋人ならば、花を愛でる私を愛でるだろう。
 何を愛でても私を愛でる類いの恋人の記憶は色濃く残っていて、我が家の経済主体たる奥様(仮想)に移植されている。
 
 一方お金を愛でるタイプの人(当時の恋人だったろうか)は買われた花に対し「勿体ない」と評した。そういう記憶が残っている。
 以来、死者のためにしか花を買わなくなって現在に至る。
 
 自分のための花はしかし今、庭に咲くようになった。
 これらはすべて叔母の育てた花であり、叔母の育てた庭である。
 荒らすように開墾している範囲もある。
 禽獣に等しいワタクシは、色気より食い気、花より作物なのである。
 
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 昨日、2ヶ月ぶりに死者のための花を買った。
(2ヶ月前は母上に献花した)
 
 叔父の存命中にあっては「同じ墓になど入るものか」と叔母は言い、はいそうですかと、単身、散骨する予定で話をしていた。
 にもかかわらず叔父が死んだ途端に「やはり同じ場所に収まりたいのだけれど、永代供養は一緒にしてもらえるのかしら」と叔母は言い出した。
 
 無論、異論は無い。僕は生者より死者の方に親しいのだ。
 はいそうですかと僕は各方面に確認を取り、段取りを組んだ。叔母の存命中のことである。
 叔母に確認をしながら、報告をしながら「これはこうできるらしいよ」などと説明すると「あら助かるわ」なんて叔母は安心したように笑っていたものだ。
 
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 朝から墓所を開く。
 僧侶に言われたいくつかの供え物などを用意し、石屋さんに立ち会ってもらい、墓を暴く。
 叔父の家系の墓洞はどういうわけか骨壺を収める棚が一つしかなく、骨壺が一つしか置けないようになっており、従前の骨壺は中身を下の土に撒かれている。
 可能な限りの骨を(石屋さんが)土ごと取り、叔父の骨壺も取り出す。
 
 土に馴染んだ骨については寺の本堂の裏に専用の集合墓洞があるので、そこに移される。
(可能なら畑の肥やしにでもしてやりたかったが、この国の法はそれを許さないだろう)
 叔父の骨は物理で浄化される(そのための業者がある)ので、一時保管場所に収められる。
 
 骨の浄化に掛かる費用は1体につき6万円也。
 永代供養にあたっては、お堂の中のスペースがある。
 30万〜100万円のコース(コースて(笑))が設定されていて、1カ所70万円の場所を先日の打ち合わせで選んでいる。
 こちらは一族郎党を滅ぼす身上である。だからお布施として100万円を包む。相手は何も言わなくなる。
 キリのいい数字は、ときどき人を黙らせる。
 奥様(仮想)とは、小銭のやりとりを大切にしようと今思った。
 
 もちろん仏教も住職も嫌いではない。
 しかし人々の信心が経済に集まっている時代にあって、仏の心を担保する個体は減少していることになる。
(ネコノカミサマ教の偉大さを知れ。信者は私しかいないのに、すごいんだぞ)(何が)
 いずれにしても僕は、信心によって集まる人たちの集団からも離れたくて仕方ない。
 まるで集団に帰属することをどこまでも嫌っているかのようだ。恐らくそうなのかもしれない。
 
 墓所の撤去はおよそ40万円也。
 午後には事務所に出向いて支払いをする。
 石屋さんもいい人であり、嫌いではない。
 可能なら付き合いを続けたいくらいだが、こちらは一族郎党を滅亡させる身上である。
 味方も知り合いも極力減らして生きている。
 区切りよく端数を切り上げて受け取っていただく。相手は何も言わなくなる。
 現代は、刀で斬り合う必要がない。
 身銭を切ってお金を積むとだいたいの人が黙るらしい、と観察の結果を推論する。
 
 それにしても、墓所というのは何なのだろう。
 所有権はお寺にあるのだろうか。
 それを借りて、墓を建てて、それを撤去して、そのいずれにもお金を払うのか。不思議なものだ。
(父上は散骨し、母上は長姉に任せてあるので、分からないのだ。その長姉は未だに「忙しい」などと言って埋葬しないし)
 
 これで来年以降、檀家の付き合いごともなくなるだろう。
 すでに疫病に関連したふうを装って、親族づきあいはやめている。
 私の名を持つ一族に対してすら(疫病以前から)ずっと付き合いなどしていないのに、叔父の親族と(従兄弟程度しかおらず人数も少ないが)行き来をする謂われもない。
 
 人間が嫌いだというわけではないが、人間に付随する柵(しがらみ)が嫌いだ。
 自然界を見ると分かるだろう。猫というのは、塀があればその上をのし歩き、飛び越える。
 
 叔父の骨の浄化が済んだら叔母の骨とともに、寺のお堂に収めることになる。
 
>>>
 
 子供の頃から、約束というものについて、頓着をしなかった。
 両親は血液型がAだったから、きっとある程度は神経質だったろう。
 父上などは会社が倒産した後、生活保護を経て数年で復職し、3億ほどもあった負債を返済したと姉から聞いている。本人は何も言わなかったので事実を確認する術はないが、(女グセが悪かったわりに)そういうところは律儀だったと姉妹共々話している。
 
 一方の僕は、誰からも約束の必要性を学ばなかった。
 宿題をせず、猫ととともに登下校し、それで学校生活を渡りきった。
 学業の成績はそれなりに優秀で、他のクラスメイトに解けない問題を難なく回答したりしていたので、相手は何も言わなくなる。
 ガスや電気、果ては水道も止められたことがあるが、それらを滞納することにさほどの恥も悪気も感じない性格だったように思う(今は申し訳ないと思うのでなるべく早く支払うが)。
 
 ガールフレンドの多くは幸い、僕と約束をしなかった。
 おそらく本能的に、それを避けるだけのセンスがないと、僕とは付き合えなかったのではないかと想像する。
 クリスマスだとか誕生日だとかいうイベントごとに僕はまったく関心を示さない(どう振る舞えばいいか分からず、何を楽しみにするのか分からない)し、将来についても約束をしなかった。
(僕は僕で、初めての恋人ができる頃にはすでに自分の死ぬ年齢を決めていたので)
 
 約束を守ることについての重要性を、僕は社会人になって、仕事をする中で学んだ。
 まがいなりにもシステムとしてできあがった営利組織にいるあいだは、なんとかごまかしも効いたが、父の仕事を継いだあとに合併した先は、ほぼほぼ家内制手工業の延長のような場所だったから、きわめて狭くて小さな集団だった。(社長と、僕と、パートさんが2人居ただけなので)
 
 失敗して、叱られて、失念して、叱られて、怠けて、叱られて ── 。
 最初の3年ほど、叱られなかった日も、褒められた日もなかった。
 それでも何故か、その社長の立ち居振る舞いには惹かれるものがあって、僕は雇用関係というよりは師弟関係のようにして彼の下で叱られ続け、ようやく約束を守ることを少しずつ身に着けていった気がする。
 父親を亡くして(心も体も経済も)衰弱しきったところを引き取ってもらった僕にとって、二人目の父親のようなものだった。
 当時の会社の近所に(お互い)棲んでおり、寺も一緒なので何かと顔を合わせる機会が今も多いが、これは僕にはとても嬉しいことである。
 
>>>
 
 約束を守らない人間には約束を守らない人間が関わりやすいようで、僕は種々、悪い人間に騙されることもあったように記憶している。
 若くて無知で孤独で、しかし寂しかったから、余計かもしれない。
 
 20代にもなって約束を守れないというのは、人間関係を構築する上では致命的な欠陥だろう。
 しかし私はそれを学んでこなかった。
 教えてもらわなかった、とは思わない。
 教えようとした人はたくさん居たはずなのに、その意味を理解しなかった。
 それは集団において致命的な害悪となる素養だったろうから、勘のいい人ならば深い関係を作ろうとはしなかったろうし、深い関係になる人たちは僕と何の約束もしない人たちか、約束をしてもお互いに守る保証など無いという前提を持っていられる人たちだった。
 
>>>
 
 どんなに品良く振る舞い、人付き合いを重視している人であっても、約束を守らないことはある。
 叔母が私との約束を反故にしたのは、私が約束なんてものを、そもそも重要視しない性分であることを悟ったからだろう。
 ことほど左様、僕は約束を嫌うのだ。
 
 そのときそのときの刹那、自分の思う正しい筋を歩くことしかできないのである、などというと格好も付くだろうが、要は気分屋なのだ。
 気分屋を前に、いかなる契約も、約束も、意味を為さない。
 なぜといって、最悪 ── 文字どおり ── 死んででも、守りたくない約束からは逃げる。僕はそういう性格である。
 立ち向かわないし、逆らわない一方で、しかし気に入らなければ決して従わない。タマシイに掛けて従わない。
(もちろん争うと決めたら、やはり文字どおりに身を賭して ── ありとあらゆるリソースを投じ、ありとあらゆる手段を使って ── しまうだろうから、僕はそれを徹底して避けているのだろうとは思う。僕は自分のことを相当に野蛮で暴力的なイキモノだと思っているのだ)
 
 僕にとっては大事なことというのは、約束や契約によって証されてからスタートするものではなく、立ち止まって、ふり返る時にそこに見つかる痕跡のようなものでしかない。
 それではもちろん、僕以外の外側にいる人間としては、心もとなく信用もできないだろう。そのとおり、信用しない方がいい。
 結果、叔母は私を信用しなかった。
 どうせなら、全面的な不信のもと、権利から手間からそのすべてを妹に預けてほしかったのだけれど、そうするだけの信念には欠けていたらしい。それはある種の優しさなのだろうし、僕にとっては面倒な柵(しがらみ)の表出にしか思えない。
 
 いつの間にか僕は、相手が反故にした約束であっても、守れる範囲で勝手に守るようになった。
(恋人が常に一定数なのは、そういう理由にもよるだろう)
 もちろん、外から見たそれは不審の素養であり、不信の要素である。
 ではだからといって、僕がはたして衆に迎合するため、せっせせっせと「契約の大事さ」などというものを自身に説く必要があるのだろうか。
 だから信じるに値しないだろうし、それでいいと思っている。
 人間になるとして、誰かに信じてもらうために約束を守るようにはなりたくない。
 何度でも繰り返してやるが、僕は約束や契約を重視しない。
 
 ただその上で、大切なことはいつも、大切にしたいと思っている。
 そのとき大切だと思うことを前にして、過去の約束に僕は意味を見いださない。将来にわたる契約も同様だ。
 約束のために生きるわけではないし、契約だから行動するわけではないのだ。
(もちろんそれによる失敗がまったくなかったとは言えない。それでも失敗から学び、その上で理念を翻すことはなかった)
 
 確かに約束によって自らを囲い込まないと生きられない者もいるだろう。
 もしかしたら多くの人はそうなのかもしれない。
 するとそういう人たちは、他人を同じように約束で囲むのだ。
 それが互いに生きる最適化された道なのだろう。
 約束を反故にする前提の個体を集団に含むのは、確かに危険だ。
 
 だから私はダメなのだ。
 人の道も、人の囲いも、外れてしか生きられない。
 生粋の、人の皮を被ったケダモノなのだ。
 
image
<ガンマンごっこに倒れた保安官役のアヲ。悪はつおいのだ>
 
>>>
 
 もう少しで、叔母の埋葬が終わる。
 親でもないのに、手の掛かる人だった。
 
 もう少しだけ、叔母の遺骨がここにある。
 親でもないのに、手を掛けてくれる人だった。
 
 
 
 
 
 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
(いくつかあるけれど追加しないかもしれない)
[ Cross Link ]
(いくつもあるけれど追加しないかもしれない)
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
  :BlueCat:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Blood-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Interface-Life-Link-Love-Memory-Stand_Alone-
 
[Module]
  -Condencer-Generator-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Human-Koban-Memory-
 
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:
 
 
//EOF