「教科書と神社」 白山芳太郎 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “中学の社会科教科書や高校の日本史教科書を最近ご覧になったことがありますか。それらを見ていますと、仏教伝来のところでは『日本書紀』に記載のある「神道」について「民俗信仰」とあります。神仏習合のところでは「神祇信仰」とあります。明治の「神仏分離」のところではさすがに「神道」とありますが、その後の日本が軍国化していくという文脈のなかで語られます。第一代天皇として橿原神宮にお祭りされ、そのご即位の日は建国を記念する日とされている「神武天皇」は書いてはならないことのようですのに「神武景気」は入試に出るからといって暗記させられます。事実、今年一月に国が実施した「大学入試センター試験」に出題されました。

 かつては家庭教育や地域教育のお陰で「神社」を理解しているので安心と思っていましたが、いまでは神社のことを寺という人もあり、その知識は急速にあいまいなものになりつつあります。たとえば「ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ」と幼いころ歌い、各地でお祭りされている天神様について、そこにお祭りされている神様はどなたと中・高生に質問しますと、悲惨な結果です。

 天神様のご祭神である菅原道真という人は、教科書に出てきます。しかし、神として信仰されるほどの人物であるということは出てきません。どのように書かれているのかといいますと、遣唐使廃止を主張した人物とあります。そして、その建議の理由は書かれていません。書かれていないとなると、教師の自由裁量です。頻繁にあるパターンとして、菅原道真は遣唐使に任命されたが自らの航海の危険を恐れ、そう建議したと、阿倍仲麻呂が帰国できなかったケースや、鑑真が何度も渡航に失敗したケースをあげて説明します。航海の危険性についての仲麻呂などの事例をいくらあげても道真がそれを恐れたという証拠にはなりません。

 神として信仰されるほどの人物を、どうしてそこまでおとしめなければならないのでしょうか。教育現場において特定の宗教-ここでは神道-を支援してはならないということに端を発した不勉強からくる「げすの勘ぐり」による創作にすぎません。この人物が民衆に信仰されているという事実を、どうして墨塗しなければならないのでしょうか。法律上規制されていると解釈するのであれば、その法解釈自体は大丈夫かと考えてみる必要があります。全国津々浦々で信仰されている天神様のご祭神について教えてはならないというのであれば、日本の民衆という物を教えてはならないということになります。日本人が日本人を育ててはならないといっているようなものです。

 概していえば、「教科書」と「神社」との関係性は、神社で祭られ民衆に信仰されていると宗教とされ、教科書から削除または信仰に関わらない部分に限っての記載となっています。手元に教科書がありましたら、湊川神社、乃木神社、明治神宮、護王神社、吉野神宮など、ご確認ください。これはどこの国の教科書なのでしょう。アメリカの教科書(世界史)ですら「日本の登場」の章で「シントーイズムと呼ばれるネイティブなレリジョン」があると記し、日本人や日本文化を理解するための必須の術語としています。

 道真への祈願がこめられますのは、道真を「学問の神」とする認識によります。道真のおかれた境遇への民衆の同情と、死後になって高まった信仰とがその原因です。天神への信仰は民衆ばかりではありません。学者も信仰しました。学者たちによって書きつがれた苦心作に『公卿補任』という今日の職員録があります。それによりますと、道真は道と書いて下に棒が引いてあります。名のすべてをいうのは恐れ多いという判断です。そのような扱いはこの本の中で道真だけです。そして同書にはその時何歳と記しますが、道真だけ御年いくつとあります。ほかの人は数字のみです。

 また『尊卑分脈』という系図書があり、これも学者の労作として有名なものですが、その中で道真をどう書いているのかを見ますと「菅家」とあります。系図ですから家の名はすでに分かっています。名を知りたいのですが、それをいうのは恐れ多い、家の略称でそれに替えるというのです。これは学者のなかでも歴史学者の判断です。

 文学者も道真を尊敬しました。藤原定家という文学者の労作に成る『百人一首』を見てみましょう。「このたびは幣もとりあげず手向山もみぢの錦神のまにまに」の歌に、その作者である道真のことを記して、生前の最高ポストである菅原右大臣ではなく、没後に贈られた菅原贈太政大臣でもありません。ただ「菅家」とあるのです。名をいうのは恐れ多く、敬称をつけて呼ぶのでも敬意が足りないのです。その結果、ほかの誰にもなされない特別な「菅家」という言い方をしたのです。これらのちの書物に共通する丁寧な書き方のなかに、学者たちがいかに道真を尊んだかという事実が潜んでいると思います。民衆も学者も、日本人あげて信仰したのが、天神道真なのです。だから「ここはどこの細道じゃ」の歌が、全国の人びとに共感を与えるのです。

 このような史実を教えることについて、特定の宗教への支援になるとしている現状は、民族の誇りを育てる教育を避けているといわざるを得ません。なぜなら、民族の誇りを育ててきた結晶が神社だからです。

 新聞の投書などでは、ながく先生を勤められた人が自らの教育を反省するというケースが登場するようになりました。過去において、その人びとが求めた教科書、つまり民族の誇りを育てる教材となる部分を削除した教科書を提供してきた結果が、今のようになったと言えないでしょうか。戦後の教科書といっても段階があると思います。五〇代の人が学んだ教科書は、戦前の教育を受けて先生となった人びとが選んだ教科書であり、道真についても書かれ、上記のようなことはありませんでした。四〇代のそれ、三〇代のそれ、二〇代のそれとだんだん民族の誇りを育てる部分への削除が進んでいきました。今の高校では、世界史必須となり日本史は学ばなくてよいのですから、日本史全体に墨塗をしてしまったのと同様です。海外のことをよく知って、日本のことは知らなくともよいという選択をしているのです。少子化というのも、子供の数が自然に減ったというのではなく、子供を産む親の学んだ教科書が、民族の誇りを持たないようにという趣旨で書かれているため、それを学んだ子供が親となって自らに誇りや自信を持たず子供は少なくてよいと考え、少子化したとはいえないでしょうか。近年の従軍慰安婦や侵略記述も問題ですが、もっと長期にわたって徐々に失ってしまったものの方が問題だと思います。神社の祭神という形で結晶している民族の歴史を教える教材を、特定の宗教への支援だとして教科書から削除しておき、それでいて日本人の自信や誇りを育てるというのは、不可能なことです。それを育てることをいつまでも放棄するというのであれば、道徳は頽廃し、若者は刹那的に生きるわけですから少子化はさらに進み、ご老人の福祉を支える倫理の回復も望めず、施設送りを福祉だとする時代へと突き進んでいくのではないかと案じます。(白山芳太郎 文学博士。皇學館大学教授。昭和25年2月生まれ。大阪府出身。)”

 

(平成13年7月発行「石鎚敬神婦人会報 たかね三十三号」より)

(石鎚神社山頂社)

 

*この皇學館大学の白山芳太郎先生の論文は、今から20年以上前に発行された石鎚本教の機関誌に載っていたものです。ちょうど明日は紀元節(建国記念日)ですので、ここに紹介させていただきました。

 

・「奇跡の松」 天満宮の霊験

 

(愛知県岡崎市、岡崎天満宮先々代宮司・伊奈佐太男先生の遺稿より)

 “太平洋戦争で召集を受けた私は、済州島に十ケ月ほど居て終戦を迎へた。二十年十月、送還されたが、敗戦の姿で我が家にかへつて見ると、神社も社務所も焼けて、家内も子共も姿を見せない。茫然としてゐる所へ、氏子の一人が、家族の消息を教へてくれたので、やうやく寺に収容されてゐた妻子に会ふことが出来た。

 早速掘建小屋を御境内の一部に建てて移り住んで、無け無しの貯金を費ひ乍ら筍生活をつづけたが、物価の騰貴に、忽ち生活は底を突いた。そこへ、例の神道指令である。もう、お宮の事をかまふ者はなく、神主の生活を心配してくれる者もない。俸給の出所も失ひ、進退きはまつた。

 妻子をかかへて、これから先、どうして生きて行つたらよいか、夜もねむれない日がつづいた。父の代から奉仕した神社だが、かうなつては、もう抛棄して了つて、何か食ふ為の職業をさがさなけれは、親子が飢ゑて了ふ。然し、やはり、神さまを棄てるといふことは、神主として恐れ多く、決心がつきかねた。

 思ひあぐね、寝られないまま、起きて、御本殿の方へ歩いていつた。二月の末の真夜中で、寒い上に、小雪がチラチラ舞つてゐた。焼跡の焼瓦に、二度三度躓き乍ら、闇の中を辿つて、本殿にいつて、しぱらくの間は、何を考へてゐたか、放心状態で、只拝んでゐた。ふと気がついた。さうだ、神様に掛合ひに来たのだつた。掛合ふと云ふのは、今から思へば恐れ多いが、その時は、正真、掛合はうと云ふ思ひつめた気持だつた。神職らしくもなく、お祓も祝詞も忘れて、まるで父親にものを云ふような気持で、自分が今思ひなやんでゐる事を訴へた。

 どう云ふ言葉で云つたか、おほえはないが、父の代からお仕へして、毎日お日供を欠かさずに御神徳宣揚を第一としてお勤めして来た。御神威のいやちこである事を確信してゐたが、戦争から還へつて見れば、御社殿はなく、家も焼かれ、氏子も塗炭のくるしみをしてゐる。敗戦につぐ神道指令の嵐に、神社の前途は全く見通しがつかず、氏子は、もう神さまは無いと云つてゐる。自分の力では、到底説得出来さうもないし、この状態では、御復興もおぼつかない。家族をかかへて、生きてゆかねはならぬ瀬戸際に追ひつめられた。一体どうしたらよいか、お教へ願ひ度い。神霊がおはすならば、お姿を見せて頂き度い。止つて御復興に尽せといふ御神示があれば、飢ゑて死んでも御守り申上げます。多分、こんな事を繰返へし申上げたのだと思ふ。

 そのうち、ふと思ひ出したのが、國学院大学神道学部在学中に教はつた管家後集の句である。天神さまが、「松は我が姿なり、我の至り留まる所必ず松を植ゑむ」と仰せられたと云ふ。私の奉仕する神社は岡崎天満宮、御祭神は菅原道真公である。菅家後集に、一夜に千本の松を植ゑられたとあるので、私も、 「どうか焼跡に松を生やして下さい。さうしたら、一人の協力者が無くとも私一人でお宮の復興を致します」と申上げた。

 こんな事を云つたとて、一夜に松が生えるだらうなどとは、正直のところ考へられない。でも、奇蹟でもあらはれて欲しいと願はないではゐられないほど追ひつめられてゐたので、そんな、夢みたいなお願ひを申上げた。

 そのうちに、私がゐないのに気がついた家内が、いつ迄も雪の寒空に身をさらしてゐる私の身を案じて、風邪でも引くといけないからと迎へに来たのでお祈りをやめて家に戻つた。身体が氷のやうに冷えてゐた。

 翌朝は、いつものやうに、朝早く起きて、焼跡の御本殿にお詣りに行つた。フト気がつくと、いつも赤黒い焼け土が、何だか様子がちがつて妙に青い。オヤ、どうしたのかなと、顔を近付けて見ると、驚いた。焼跡に、長さ一センチばかりの、松の若芽が密生してゐるのである。境内くまなく見て歩くと、何百万本あるのか、一面に松である。私は、ゾーツとするほどの奇妙な感激に打たれた。まるで、雷に打たれたやうなはげしい感動である。

 人は、偶然と云ふかも知れない。然し、二月の末の、まだ、粉雪が降らうと云ふ空である。春の日がポカポカと照らして、若芽が吹き出すといふ季節ではない。私は、天神さまの奇蹟を確信した。

 もう、氏子の復興を待つだの、寄附金が出せるまで、このままなどと云ふ気持ではゐられない。仮本殿を建てる為めに、真つ黒に焦げた境内の立木を伐る事にし、自分で伐つてそれを製材所に運び、板と柱にひいてもらつた。製材所に払ふ費用は、焼跡から拾ひ集めた銅板の屑を売つて、どうやら間にあつた。出来た板と柱で、仮本殿を組立てなけばならないが、大工の手間賃も何とか支払つて、やつと、間口六尺、奥行九尺の仮本殿だけは建つた。ところが、これでもう 費用が一ぱいで、鎮座祭を斎行する費用が無い。やむなく妻の衣類が二三点あつたのを売つて、五百円程の金を工面し、神酒と神饌をととのへた。この衣類は、戦災の時に、家内が、生命からがら外へ抛り出してやつと助けた、生命から二番目の女の宝ものだつたが、因果を含めた。神道指令が出たばかりの時である。どうせ誰も来てくれる筈がないとあきらめてゐたが、鎮座祭には、町惣代が二十何人か参列してくれたし、思ひがけなく、五百数十名の参拝者もあつた。それが、どの位、私を力づけたか知れない。

 どうして暮して来たかわからないやうな生活をし乍ら、何とか、この焼跡の仮本殿をお守りしつづけた。そのうちに、町も次第に復興した。神主ひとりで、神社のお守をしてゐる事に対して、同情してくれる人々が次第にふゑて来た。何とかしなければと云ふ声が出るやうになつて、積極的に協力して下さる方々が集まり、募金をしてくれて、小さい乍らも本建築の社務所が出来たのが、昭和二十五年九月であつた。ついで八年、流造り銅板葺二十五坪の立派な本殿が出来上つたのは三十三年九月である三十七年九月には、大きな斎館が出来、神社は見ちがへるやうな立派な復興ぷりを見せた。今は、拝殿の再建の準備を進めてゐるが、いづれ、遠からず完成を見ることと思ふ。

 あの時芽生えた小松はその後すくすくと伸びたが、御本殿御造営の際に殆ど全部、抜き取り、又は伐り取つた。その為、今は十本ほどしか残つてゐないが、大切にして、長く記念にしたいと思ふ。(愛知県岡崎市 岡崎天満宮々司(昭和39年7月))”

 

(小野祖巨翁編著「祭式斎戒拾遺『祭の体験と規範』正編」道徳教育学会 発行(昭和40年6月20日)より(岡崎天満宮のHPより引用させていただきました))

 

 

・死後に太政大臣の位を追贈されたとき、菅公の神霊が詠まれたとされる御霊詩

 

 “その昔、勅使が大宰府に参向され、菅公に正一位太政大臣を追贈せられ給う宣命を読み終えられた時、神殿鳴動して、空に御声ありたる御霊詩で、別当の松寿大法師が筆をとり、畏みて記し奉りました、

 

  昨爲北闕被悲士(きのうはほくけつにかなしみをこうむるのしとなり)

  今作西都雪耻尸(きょうはせいとにはじをすすぐのかばねとなる)

  生怨死歓其奈我(いきてのうらみししてのよろこびそれわれをいかにせんや)

  今須望足護皇基(いまはすべからくのぞみたりてこうきをまもるべし)

 

という七言絶句であります。後で、この御霊詩を「一度び詠吟の人をば、毎日に七度び守護するぞ!」との御託宣ありと洩れ承りました私は、毎日一回以上、いまも奉唱を続けております。遂に、格別の御守護、御神授を賜りました。”

 

 (相原牧雄(切畑神社、中須賀神社宮司)「あなたも神さまになれる」今日の話題社)

 

*神仙道においても、管公の神霊はかなり位が高く、すさまじい霊力を持っているとみなされています。「天満宮」は決して単なる人間を祀った神社ではありません。

 

・民族と地霊、霊統    〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

高橋 右翼思想とシュタイナーの関係でひとこと付け加えますが、シュタイナーは「民族」というものをたいへん重視していて、オカルティズムの究極の目的は個人が民族に還ることだとさえいっているんです。けれどもその場合、なぜ民族に還るのかといえば、それは民族の将来のために個人が奉仕するためである、といっています。奉仕できるまでに魂が成熟したときに、民族に奉仕するのです。

 けれども右翼の思想の多くは、民族によって自分が救われるために、民族に還ることを暗黙の裡に前提としています。これは全く逆なんです。民族の自己同一性が問題となる時、個人が自分の救われる場所をそこに求めるということになると、自分の民族の既成の伝統や文化の中に還ることになります。しかし、シュタイナーのいう民族に還るということは、仮に過去に栄光を背負った民族が今は衰退していても、霊性を発達させた人がその民族の中に己れを同化させることによって、その民族が新たな生命を得て甦り、再び新しい文化を生み出す能力を獲得するようになるその過程の問題なのです。ですから保守主義的態度をとるわけではありません。人類の未来のために、ある民族の創造性をいかにして甦らせるか、ということなのです。そしてそれこそがオカルティズムの意味を二分する決定的な観点だと思います。

 

荒俣 民族という概念は、最初はやっぱり土地から出てきますね。領土もないのに民族が成立するというユダヤやチベットは、むしろ例外的な状況の産物ですし、人類の文化の始まりは、土地に根を降ろした自然との共同生活ですから、やはり土地のスピリットをどうするかというのがあると思うんです。たとえば創造神話によって、この土地がいかに造られたかということを認識することこそが、そこに生活する人々の精神形成の具体的なプログラムになっていたと思いますね。私たちが学校で宇宙と地球のことを習うでしょう。この学習は、太古にあっては自分たちの生存領域、つまり大地の神話的理解という形で行われていたはずです。イニシエーションというのも本来、そうしたことを意図していたのだと思います。ただ、土地につながることは「ローカル・エゴ」のことでもないし、農業のイメージから出てくる性の魔術のことでもないんですね。一部のグノーシス主義者や十九世紀のシェーカー教徒などは「セックスの創造力」をこの古代異教のシステムと見て、生殖拒否しますよね。もちろん、そのために教派は急速に衰えてしまうんですが(笑)、これはやっぱり誤解です。「土着」というのは「縁起(えんぎ)」の意味だと思うのですね。

 ところが人間の生活様式は「土着」を必要条件としなくなって以来、科学や技術も、民族概念すらも変化しました。占星術が忘れられ、血統などという生物学的な縁起が重視されるようになるのは、そのせいでしょう。たしかに占星術は「全体」を研究するシステムではありますが、同時に自分がそのなかでどこにいるかということをつねにアイデンティファイしていなくてはいけないわけです。これは中国では風水になると思うんですが、自分が地球のどこにおさまるべきかという居場所(アドレス)の問題、さらにいえば民族の所在は、本来そういうものだったはずです。ある一定の土地で行われている神聖な儀式に参加すれば、それで民族の成員となる資格を得るわけですね。その道統が今でもつながっていると思うんですが、それをオカルティズムの根本に置くべきではないでしょうか。生物学的な血縁のつながりは、むしろ仮りのものにすぎません。そういう点では民族主義がユニバーサリズムと対立すべきいわれはないともいえるのです。

 お話しの中で儀式を甦らせるということが出てきましたね。では、儀式にはどういう意味があるのかと考えますと、それはやはり、自分たちを創造した根源的な存在との交通だと思うんです。意識とか自我とか地位とかは、われわれがこの存在から仮りに借り受けるだけのことです。これはシュタイナーのいう「一般」と「個別」という概念と非常によく一致していると思います。「個別」なくして「一般」はないと同時に、「一般」なくして「個別」はないという両者の具体的な出会いの場が、儀式であると思うんです。……(以下略)

 

 

荒俣 ……にもかかわらず、シュタイナーはナチと手を握りませんでした。高橋先生はそこのところでどういうふうに感じていらっしゃるでしょうか。

 

高橋 その問題は、輪廻転生の問題と結びつけないとオカルト的には解けないような気がするんです。私たちが特定の土地の人種や文化に深く関わりをもつとき、それが人間のどの部分で関わるのか―― 肉体の次元なのか、エーテル体の次元なのか、アストラル体の次元なのか、または自我の次元なのか―― ということを考える必要があります。肉体の次元では私たちは特定の民族の一成員ということになると思いますが、エーテル体の次元あたりからだんだん漠然としてきて、区別が不明確になっていきます。そしてアストラル体の感情のはたらきになると、民族間の区別はあまり決定的ではなくなってきます。そして自我は全く個人の問題としてしかとらえることはできません。ですから人間の意識が進化するにしたがって、血統よりは霊統による区分の方がこれからは重要になってくると思います。日本人の中のこの人(またはグループ)とアメリカ人の中のこの人(またはグループ)との関係の方が、日本人の中のこの人やこのグループと別の人や別のグループとの関係よりももっと親しくなりうるということです。ではそこで最後に残る最大の障害は何かというと言語ですから、その問題をどう考えるかが今後の課題となってくるわけです。つまり言語の制約をどう乗りこえるか、言語の教育はどうなされるべきかといったことです。

 

(高橋巌+荒俣宏「神秘学オデッセイ」平河出版社より)

 

 

・社会主義的教育の危険性  〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “いやしくも教育者ないしは授業者たるものは、授業を普通一般の人間関係に合わせて作っていくだけでは十分ではないということを、認識することが肝要なのであります。教師はこの内部に住む人間を把握することから出発して、そこから授業を形成しなければならないのです。

 授業を普通一般の人間関係に合わせるというこの誤謬を犯しかねないのが、まさに世に広まっている社会主義なのであります。もし普通一般のマルクス主義的社会主義者達の理想に従って未来の学校が組織されるとどうなるものかを、考えてみて下さい。ロシヤにおきましては、すでにそうなっております。ですから、その地におけるルナチャルスキーの学校改革は恐るべきものであります。これはあらゆる文化の死であります!そして、ボルシェヴィズムからは他にもすでに多くの恐ろしいことが生じてきているにしましても、その最も恐るべきものとなるのは、ボルシェヴィズム的教育方法でありましょう。なぜかと申しますと、それは古い時代から伝えられて来た文化的なものの一切を根絶してしまうであろうからです。最初の世代のうちに直ちにそうなるということはありますまいが、しかし幾世代かのうちには、それだけ一そう確実にこれを成し遂げることができるでしょう。そしてそのために間もなく、あらゆる文化は地球上から消滅してしまうでしょう。これを見通すことのできる人が今いなければならないのです。この部屋におられる皆さんもきっと聴いたことがおありでしょう。ボルシェヴィズムへの讃歌を歌い上げ、しかもそれによって悪魔的なものが社会主義の中へ呼び込まれるのだということには全く気づいていない人達のする話を……。

 このことは特に注意しなければならないのです。「社会的な方向に向かっての進歩をするには、それだけ一そう深い教育の側からの人間把握が必要である」ということを知っている人間が、どうしてもいなければならないのです。ですから人々は次のことを知らねばならないのです。「まさに未来の教育者ないしは授業者こそが、人間本性の最も奥深くにあるものを捉えていなければならない。そして、この人間本性の最も奥深くにあるものと共に生きなければならない。大人同志の間になり立っているような普通一般の人間関係を、決して授業の中に適用してはならない」ということを。マルキシスト達は何を望んでいるのでしょうか?彼等は学校を社会主義的に組織しようとしています。校長職を廃止し、それに代わるものは何も置こうとしません。そして、できるだけ子供達を子供達自身の自己教育にゆだねようとしております。そこからは恐ろしいことが生じて来るに違いありません!

 私達はある時、某田園学舎を訪問し、そこで行われている授業の中で最も品位の高い、すなわち宗教の授業を見学しようと思いました。私達は教室の中へ入りました。そこには窓べりに一人の腕白坊主が横になっていて、両脚を窓から外へぶらりと垂らしておりました。もう一人は、どこかその辺に腹ばいになって、首をもたげておりました。どの子供もこれと同じような格好をして、部屋の中のあちこちに散らばっていたのです。そこへ宗教の教師と称する者が入って来て、特別に何の導入も与えることなく、いきなりゴッドフリート・ケラーの短編小説を読み出しました。そうすると生徒達は、教師の朗読にありとあらゆる野卑なことをして伴奏をつけるのです。そして教師が朗読してしまうと、宗教の時間は終わりになって、皆は野外へ出て行ってしまいました。以上のことを見学致しました時、私にはこの田園学舎の隣に大きな牛舎が立っている姿が思い浮かびました――そこから何歩もへだたっていないところで、この学校の生徒達は生活しているわけであります。――もちろんこういったことも、ひどく悪く言うべきではありません。沢山の善意がその根底にあるのです。しかしこれらは、「未来の文化のために何がなされねばならないか」についての完全な誤認なのであります。

 いわゆる社会主義的プログラムによって、一体今日何を彼等はしようとしているのでしょうか?彼等は子供達を、ちょうど大人同志がするように交際させようとしているのです。これは教育の場において行い得る最も誤った行為であります。私達は子供の心や肉体の力を発達させるにあたって、彼等は大人が他人と交わることを通して自分の力を磨いて行かねばならないのとは全く違う状態にあり、全く違う課題を持っているのだということを認識していなければなりません。すなわち意識下深くにあり心性の中に住んでいるものに向かって、教育と授業は入り込んで行くことが出来なければならないのです。これができなければ先へは進めないのです。それゆえに次のような問いが出されねばならないでしょう。「授業や教育の何が一体、人間の意志本性に働きかけるのだろうか?」と。この問題は一度真剣にとり組んでみる必要があるものです。

 

(R・シュタイナー「教育の基礎としての一般人間学」人智学出版社より)

 

*このルドルフ・シュタイナーによる警告は、1920年代に発せられたものですが、本当にその通りになってしまいました。シュタイナー教育については日本でもかなり知られるようになってきましたが、このような、彼が予言した社会主義的な教育の危険性のことが全く知られていないのは不思議です。まるで意図的に隠されているかのようです。

 

・マルクスはシロアリなり  〔出口王仁三郎聖師〕

 

  マルクスは大和神国(やまとみくに)の白蟻と つくづく今日は深く悟りぬ

 

             (歌集「東の光」より)

 

 

  大本は差別的平等を説き 悪平等のマルクスを排す

 

  マルクスは無差別的の悪平等 我が日の本にそはぬ説なる

 

  資本家は資本家としての平等あり 労働者は労働者らしき平等あるなり

 

  貴賤貧富賢愚位置により 各々平等ある世なりけり

 

  人はその時所位によりて平等あるを 上下一致の道といふなり

 

  マルクスに心酔したる青年の おほき現代は禍なるかな

 

  無差別なマルクス主義の平等は 皇国の基礎をくつがへすなり

 

  大本の青年達よ心せよ マルクス主義では治まらぬ国と

 

  マルクスの悪平等を用ふるは 自ら亡びに陥ると知れ

 

  名位寿富是ぞ神賦の正欲ぞ 働かざれば名も富もなし

 

  貧民は浅薄至極なマルクスを 謳歌する世ぞ禍なるかな

 

  マルクスを実行したる国をみよ 民は塗炭の苦をなめており

 

  大本とマルクス主義を混同し 僻目に見てる世人もあるなり

 

  大本は絶対マルクス反対ぞ 神より出でし神の道なれば

 

  大開祖(おほみおや)宣らせたまひし御教(みおしへ)は 共産主義とは絶対反対

 

  名も大事位も大事生命も富も 人生に肝要物なる

 

  マルクスのブローカー多き今の世ぞ 欺かるるな皇国の青年

 

  偽聖人偽君子等が現れて マルクス主義もて人を惑わす

 

                   (「庚午日記」第一天声社より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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