昭憲皇太后の伊勢神宮参拝 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “昭和九年一月四日宮中政事始めの当日、伊勢神宮の菟田小宮司が、名古屋放送局から全国へ向かって放送せられた講話であります。

 

 明治天皇は、ご一生の間に四回伊勢に行幸がございましたように記憶しておりますが、昭憲皇太后様には晩年まで一回も伊勢神宮にご参拝の機会がありませんので、せめて一度は伊勢へお参り遊ばされたいと念願せられました。明治四十四年に至り、宮中のご都合を伺い初めて勅許を奏請遊ばされ、ご許しがありましたので同年五月二十日、二十一日の両日に、外宮および内宮にご参拝せられました。お暇乞を申し上げたところ、明治天皇が申されるには、

 

 自分が伊勢神宮にご参りすると、いつも参拝時に雨が降る。皇后が参拝する時にも雨が降るかも知れぬ。また、自分が参拝する時には天楽が聞こえた。皇后が参る時にも天楽が聞こえるかも知れぬ。

 

と仰せられたのでありました。やがて皇后陛下には新橋駅をご出発せられ、沿道滞りなく(当時私は中学三年生で豊橋駅へお送りに行った)伊勢山田のご泊所にお着きになり、お供、警護の人々は万事遺漏なきを期し、ご参拝の当日はどうか天気がよいようにと、人々天を仰いで晴天ならんことを祈念したのであります。然るに皇后様におかれましては、ご心中どうか明日は雨にしたいと念願せられました。天皇陛下のご参拝の時にはいつも雨である。ご自身の参拝の時にもし雨が降らぬとあれば、それは自らの心の慎みの至らないためである。どうか天皇陛下のお時と同じように雨であってほしいという、ご心中であったと拝察せられます。

 さて、皇后様には前晩より斎戒、沐浴はもとよりお心のお慎み至らぬくまなき有様にて、やがて夜分となりますと、いつとはなしに雨となりました。ご参拝の当日、皇后陛下にはお目醒めの時から一切近侍の者とご談話がありません。今日は神様にご対面の日であります。やがて宇治橋をお渡りになり、神苑にさしかかりますと、雨はやんでおりましたが、ご洋装の裳の端が水溜の中を引きずっておられました。お供の女官が馳せ近づき、ご裳に手をかけようとしますと、ただ凜然と手をもってご制止になり、真一文字に進ませられ、神前にご佇立になりまして、約三十分ご拝礼、ご黙祷遊ばされたのであります。その時神苑の老杉の梢高く嵐の如き鳴動が一しきり轟き渡ったのであります。天楽であります。お供の人々の中には天楽を聴いた者と聴かない者とあり、香川皇后大夫、柳の内侍などの方々は聴かれましたが、聴かぬ人もたくさんあり、要するに誠心誠意をもって拝礼せられた人々にだけ聞こえたのであります。皇后陛下にはご参拝を終えられ、ご泊所にご帰還の上、早速宮中へご親電を発せられました。それは、滞りなくご参拝を終えられたことと天楽をお聴きになられたことを陛下にお報せ遊ばされたのであります。皇后様のご心中はどんなにかお嬉しかったことと拝察申し上げます。

 明治天皇御製に、

 

  目に見えぬ神の心に通うこそ人の心の誠なりけり

 

 この講演をせられた菟他茂丸小宮司は明治五年生まれで、後年橿原神宮宮司を奉仕せられ、昭和四十三年二月十九日、福岡県の郷里にて九十五歳の高齢をもって帰幽せられました。”

 

(安久美神戸神明社宮司 平石基次「吾が来志道と心霊研究」より)

 

*昭憲皇太后様については、坂本龍馬の夢の話が有名ですが、それにしても、これほど誠心誠意、まごころを込めて伊勢神宮を参拝されたとは、しかも天楽があったということは神霊と感応されたということでもあり、さぞ高貴な霊性の持ち主であられたのだろうと思います。

 

・王たちのもつ霊気(スフィア) 〔スウェーデンボルグ〕

 

 “(1748. 9.15)幾たびとなく観察されたことだが、生前最大の威厳を与えられた人々、たとえば王として生まれ、幼児から威厳と他者への卓越を賦与されている王たちは、多くの年を経ても、おそらく100年や1000年を経ても、その霊気(スフィア)を隠したり捨て去ったりすることはできないのである。その威厳の霊気は依然として、どんな人々も煩わさないほど、高潔や善良の霊気と結びついている。そのように生まれ、正しく善良な人々に、道徳的な霊たちによるある種のそれにふさわしい服従があることもまた示された。なぜなら誰をも害さないで誰にも親切にすることが善良な霊たちの性質だからである。ところがそうした〔王に〕ふさわしい霊気をもっていなかったある者が、別な性格に属することが発見されたので、彼に、「あなたには外なる拘束において何か欠けているところがあります」と告げられた。それが欠けていたので、彼は自分自身の本性に容易に立ち返ったのである。(3167)”

 

(エマヌエル・スウェーデンボルグ「霊界日記」(角川文庫ソフィア)より)

 

 

・「霊界物語」第78巻『序文』より 

 

 吾人は斯かる尊き天津日嗣天皇の君臨あらせられし日本に、安逸なる生を送り得る事の大恩を感謝せなくてはならぬのである。そして皇道の大本源に溯り、その真相を闡明し奉るは吾等臣民の一大義務である。

 この物語も、余り広範囲に亘るが故に、容易に諒解し難き憾みはあれども、日本人にして皇道を知らざる人士の多きは、非常時国家の今日忌々しき大事なれば、神務の閑を割きて、茲に本書を著述し、以て大本信徒をして宇宙の大本、皇道の本源を諒解せしむべく、天神地祇に祈願を怠らず、本書を発行する所以である。

昭和八年十二月二十日 旧十一月四日

 

*天界・高天原を地上に移写させるためには、二つの世界の間に、ある程度の相応が実現されていなくてはなりません。我々日本人は「万世一系の皇統」の尊さを単に知識として知るだけでなく、霊的にも感応し、真釣り合って、この神人感応の連鎖を拡大していかねばならないと思います。

 

・天界と現界の相応  〔出口王仁三郎聖師〕

 

 “みろくの世は、霊界が整うのであって、現実の世界がそれに相応して整うて来るのである。神を祈り、神に礼拝していれば、現実界が一切良くなるのではない。神を礼拝し、祈りつつ、その祈りの心を容れている体の世界が現実に完成するべく努力するのでなくてはならない。手をこまねいていて、みろくの世が出現すると思うものは信仰上の痴者である。

 神は天地経綸の司として人を創り給うた。即ち人に地上の経綸をゆだねられたのである以上、人の世における善化、美化は人がなさなければならない使命を負わされている。人のなさねばならぬことをなさずして、良き世界ができるようにといくら祈っても、既に人間のなさねばならぬ、神よりの使命を放棄しているのであるから、左様な人の祈りに、‘みたまのふゆ’があるべき道理がないのである。霊体一致だ。霊魂の向上を期すると共に、体の動作形式はより美しく、より善でなくてはならない。それが信仰的の常識だ。霊にとらわれた没常識、体に堕した非常識であってはならない。霊界物語の中に示してある宣伝使の活動をよく読んで見るがよい。霊体相応の理に基づいて、時、所、位によって、すべて常識的に行動している。そしてそれに配するに、体的に堕したもの、霊的にとらわれたものが織り込まれて、正道を行く宣伝使の言動が、神の道を明らかにしている。しかもその宣伝使にも、或いは荒魂(あらみたま)、或いは幸魂(さちみたま)に優れているもの、或いは和魂(にぎみたま)、或いは奇魂(くしみたま)に勝っているものの、霊魂の動き、差別が現われている。智慧証覚に在るもの、愛善に住するものの別が、それぞれの言説となり、時所位に応じた行動となっていることに注意すべきである。

 霊界が現界に相応してくるといっても、全然異なっている形式の世界が相応するものではない。相応するには相応する形式がほぼ出来ていなくてはならない。動物霊は動物的の形式、即ち精神に相応し、天使は人としての内分が天界に向かっているときに相応してくる。それだから神界を現界に相応せしむるには、現界そのものが神界とやや形式が類似して来なくてはならぬ。そこで神は天国を地に来たらしむるために神意を啓示し、教化の道を開示するのである。そして現界に住む人間の心の中に、天界を容れ収むる形式が少しでもできれば、そこに基礎が相応して来るのである。それだから教えの無い、神の意図の啓示されていない宗教がいかに発展していっても、天国は地上に建てられるものではない。教の権威はその点にあるのであって、人智をもって人の心を導くことは危険至極なことであって、天界との相応が成り立たないのである

 人のあり方が道義的であり、正しい道に向かっているときには法律というものでも、重大に考えられなくなるが、そうして心的の方向が失われて、体的となり、どん欲的となるに従って法律というものが強化され、それが尊重されて来るのである。法律が強化されるには、どうしても権力というものが裏付けされなくては、法が力を発揮することができない。そうなると、力が人を支配することになる。力が支配している間は天界は相応するどころか、次第に天界は遠ざかるものである。天界が接近して来るのは力よりも真理、愛善という状態にならなくてはならぬ。一言にして言えば、正しい宗教、正しい宗教情操が常識化された世界とならなくてはならないのだ。宗教が基礎となった人類文化世界が建てられなくてはならない。それだから、人はそうした世界を建てるための共通の使命、責任があるというのである。

 人類の進歩、人類の文化向上ということは、天国との接近、天界との相応に目標があるのであって、いくら人権が尊重され法律が強化されて秩序ができたからといって、それで進歩した文化の世と思うのは誤りであり、天界と相応しない現界は、永続性があるものではない。それで人々は天界と相応せしむる世を建てるべく目標を置くと同時に、それに向かったあらゆる努力が払われなくてはならない。

 神は静的の存在ではない。常住不断の活動に坐しますものだ。また宇宙万有、活動の無いところに生命も発展も無いのである如く、相応するには、人もまた活動的でなくてはならない。活動を否み、努力を怠る世界に相応はないのである。しかし如何に活動し、努力していても、神と離れた心の状態にある人には、何か淋しい足りないものがあって、次第に努力活動することが嫌になるのである。それは天界と接近する心的状態ができていないで、外分的の努力活動だからである。内分的の状態に在って努力活動すれば、益々歓喜と幸福に満たされてきて、実に光明的となる。天界と接近し、相応するが故である。”

 

(「海潮」昭和25年7月号 大国以都雄『相応の世界』より)

 

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキング