伊勢外宮の祭神は国祖・国常立尊 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・外宮の神、豊受大神は国祖・国常立尊である。(写真は国祖に扮する聖師)

 

 “出口聖師は、豊受大神はもと綾部の本宮山に祭られ(月鏡)、出口家が代々これに奉仕しておられたといい、また丹波の真奈井の原から伊勢に還られるときに出口家の分家がお供をしていかれたと示されている。また外宮の神主が代々出口姓を名のっているのは、もと綾部からお供をして行った出口氏であると記している。また大本の元老、藤原勇造先生の談によると、かつて昭和七~八年ごろ、伊勢参宮の折、とくに外宮の前で大勢の昭和青年会員を前にして聖師は、「外宮の祭神を豊受大神といっておられるが、実は国祖の神様をお祀りしているので、名前が違っても同じ神様である」と話されたということである。このお話は十数年前にきいた話であるが、当時それにもとづいて教団関係の機関誌を調べてみたところが、伊勢参宮の数日前、「みろく殿」でご講話された筆記録として同様のことが掲載されていることを確かめたことがある。

 山崎闇斎の垂加神道の一党をはじめ諸書に「「外宮の祭神は豊受大神ではなく国常立尊である」という説は昔から現代に至るまで存在しているが、実は「豊受大神即国常立尊」で異名同神であることに気づかず別神のごとく考えたからであろう。近代では元海軍大将の山本英輔氏や、京都白峰宮々司石井鹿之助氏等が「外宮国常立尊説」を唱えていた。丹後一の宮元国幣中社「篭神社」の社伝に富士文庫同様に豊受大神即国常立尊であると記されている。また同社記に「国常立尊」を奉斎したという記録があり、国常立尊のお守りの古い木版までも保管されている。”  (「大本教学」十四号 三浦一郎『丹波王朝時代と〈桑田宮〉について』)

 

 

・ブルガリアの超能力者、故ベラ・コチョフスカさんのエピソード

 (伊勢外宮は「ヤハウェ」が祀られている“人類の聖地”)

 ”「世界一の超能力者」という肩書を持つベラ・コチェフスカさん は、伊勢神宮参拝の折、興味深いことを示唆している。

 ベラさんと日本人スタッフ一行は、「外宮先祭(げぐうせんさい)」の故事にならったわけでもないだろうが、まず外宮の方に先に詣でることにした。そして、外宮の本殿に参拝した直後、ベラさんに異変が起こった。まるで何ものかに吸い寄せられるように、突然、やや後方に位置する小高い丘に進み始め、スタッフも追いつくのに苦労する速度で階段を上がり始めた。

 「神様が私を引っ張っていく」とベラさんは言ったという。

 小高い丘の上には、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀るという多賀宮(たがのみや)が鎮座している。「荒魂」というのは「荒々しい魂」の意ではなく、「顕レ魂」、すなわち必要に応じて神の意思が顕(あらわ)になること、顕現することを表現したものであろう。

 

 多賀宮の神前に進み出たベラさんは、息をはずませながら、感慨深げに御神殿を見つめ、静かに手を合わせて祈りを捧げ始めた。と、次の瞬間、地面にひれ伏し、ハラハラと落涙した。何事かの霊的な感応現象が起こったことは明らかであった。参拝中に何か神からのメッセージがあったのか、あるいはヴィジョンのようなものを見たのか、ベラさんは具体的なことは何も話さなかった。しかし、ここは大変な聖地であり、世界中の誰もが参拝に来て、祈りを捧げなければならない、という意味のことを言ったという。

 ベラさんは、日本の古代史のことなど、何も事前知識がない。ほとんどブリーフィングもなく、無知識同然のままに伊勢に参拝に来ている。

 「大変な聖地」というのが、果たしてこの多賀宮のことなのか、あるいは外宮全体のことか、お伊勢全域のことなのか、定かではない。ともかく、人類のすべてにとっての聖地であるという意味のことを言った。

 

 1993年6月、ベラさんが再び来日した際、スタッフがこう質問を投げかけた。

 「あなたが参拝して涙を流した外宮には、昔からユダヤの神が祀られている、具体的にはエホバが祀られているという話がありますが……」

 「はい、ヤハウェが祀られています」ベラさんの答えは実に明確であった。

 「あなたは、ブルガリアを出る前から、そのことを知っていたのですか?」

 「伊勢に参拝して初めてそのことがわかりました」”