霊界物語の〔時間〕と〔空間〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・「霊界物語」は、大過去(神代時代)の過去・現在・未来を述べたものであり、それが大現在(今の世)の過去・現在・未来に投影され、さらに大未来(ミロクの世)の過去・現在・未来へと投影される。

 

 “大正十一年十月二十五日号「神霊界」に、「松葉の塵」と題する小文が掲載されている。執筆者は「八島別」。教団の機関誌「神の国」は第一次大本事件によりしばらく休刊、大正十一年十月十日号を「復活号」として再刊したが、八島別はその号でも「山椒粒」なる投稿欄に辛味の利いた文を掲載している。

 では八島別とは一体何者?当時の教団内に、「霊界物語」に登場する神名をペン・ネームに使用できる者があるとは思われない。また教義の根幹に係わる重要な内容の発表は、王仁三郎以外には許されぬ。当時、王仁三郎は第一次大本事件で裁かれる身で、教団の役職から隠退し、機関紙への論文の発表も遠慮していた。八島別こそ、王仁三郎の世を忍ぶ仮の名であったと断定しよう。

 

 「霊界物語の時と場所とが解らぬといふ人が多い。之は誠に尤(もっと)ものことと思ふ。或人はこれは天の霊界神界の事であるといひ、或人は昔の神界の事であるといひ、何れにしても解らない。そこで私は四ヵ月以前に先生(註・王仁三郎)に尋ねてみた。すると先生は神界幽界現界の各界に過去現在未来があって、つまり全部で九界となる。其の中、霊界物語は太古における現象を主として神界幽界との相互の関係を述べたものであると申された。すると霊界物語は有史以前の太古における地球上の人間界に起こりたる事実を主として記したものであるといへる。但し当時の人間は今の人間と全然等しからず故に之を神代と云った。昔の事と今の事を一緒に書いたからとて何も時間空間を超越した訳ではない。つまり今の世は大現在の事であって此の大現在中に過去現在未来がある。吾人が読んだ歴史はこの大現在の過去の事実である。而して其の有史以前に大過去の世があり、其の大過去中に過去と現在と未来とがある。歴史は繰り返す意味に於いて大過去の過去は大現在の過去に映り、大過去の未来は大現在の未来に映る訳である。又同様にして大未来があって之にまた過去現在未来があり、此時が真の立替立直しされたる三千世界の五六七(みろく)の神代とも思はれる。先生が之はよい質問であると、直ちに筆を執って書かれたのが第六篇(註・第六巻)の序文松葉の塵である。」(執筆者・八島別)

 

 王仁三郎の空間観によれば、太陽系天体を小宇宙、小宇宙の無数の集まりを大宇宙という。我々人体もまた一つの小宇宙を型どっている。天祥地瑞(73巻~81巻)は大宇宙の核となる最奥霊国、紫微天界の創造物語であるから、さらに特殊な時間感覚を持たねば理解できない。

 かつてこのような時間観を述べた人を、寡聞にして私は知らない。王仁三郎にとって、時間は過去から現在・未来へと直線的に流れるばかりでなく、大過去・大現在・大未来の各段階に質的にも超越的飛躍があるのだ。しかも大過去は大現在に、大現在は大未来に投影(単になぞるのではなく、その間に質的にも向上)するという。”

 

      (出口和明「スサノオと出口王仁三郎」(八幡書店))