神功皇后の御神業 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “お筆先に『艮(うしとら)の金神が神功皇后殿とあらわれるぞよ』と示されてありますが、お筆先というのは古事記・日本書紀を解く鍵であり、その鍵をもって聖師さまが、ひも解かれる。このお筆先は、開祖さまが神功皇后のお役目であって、神憑りによって世界の状態を洞察される。政治、経済、教育のあらゆる問題の基本をお示しになられる。それを調べる人が聖師さまです。

 聖師さまの方の神さまを調べてみますと、物語では『武内宿弥の替えみ魂、小松林と現われて』と示されています。小松林命(こまつばやしのみこと)は素戔嗚尊の化身ですが、結局、今度の審神(サニワ)は神世において『たけうちのすくね』と現われた神さまであって、実は小松林命と名のられた素戔嗚尊が審神をするということであります。開祖さまにあらわれて来た神さまを審神しますと、世界中が一腹になって攻めてくる、日本がしっかりしないと世界を神の世にすることができないと繰り返し示されています。神示を実行しなければならない。そのために、神功皇后の歩かれた跡を聖師さまが歩かれて経綸されるということができます。

 神功皇后が新羅から帰られまして、応神天皇をお産みになられた霊跡が杖立温泉にあたります。聖師さまは『杖立に大本信者がおるから行ったのではない』とおっしゃっておられますが、これは神功皇后の跡を訪ねて行かれたというあかしになるお言葉でしょう。そこにはアフリカのナイル河に相当する志賀瀬川がありますが、霊界物語に示された『白瀬川で禊し、杖立の温泉で身を清め』そして熊本におりてこられますと東京の大地震、山本権兵衛内閣の出現ということで、聖師さまはいよいよ起つべき時であると大和心を奮い起こされて、蒙古入りの決意を固められたわけです。どうしても蒙古に行って来なくてはいけない、やはり神功皇后の歩かれた跡を歩かねばならないということです。それはまた今度の世界統一は全く道義的に言向け和すということであるという意味でもあります。

 神功皇后の出て来られる神話では戦をしておりません。相手方の王さまと対談されます時に、杖を立てられると、それに住の江の御前の神がお懸かりになり、話し合いは平和に解決した。そこからお帰りになったので杖立という名前があるわけで、杖立というのは、病気が治るので、行くときもっていった杖がいらなくなり、杖を立てて帰ってしまうというようなことではない。杖を立てて平和のための交渉をする、談判をする。つまり世界の統一ということは、絶対に武力を用いず言向け和すという意味であり、世界は神さまのものであるということを人類が悟って和合するというような意味も持っています。聖師さまが十数日間、杖立温泉にひたられたのは単なる入湯でなく、温泉で禊の神事を行ない、世界の禊を行うために心魂を清められたということであります。”

 

(「おほもと」昭和48年10月号 木庭次守『み手代誕生50年に想う』より)

 

*「神功皇后の出て来られる神話では戦をしておりません」とありますが、「忍熊皇子の討伐」など、実際は決して武力を用いなかったというわけではありませんし、武内宿禰は騙まし討ちのような事もしております。ですが、たとえば古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」では、ヴィシュヌ神の化身ラーマ王子は、友である猿スグリーヴァを助けるために、卑怯な手段を使って猿王ヴァ―リを殺害し、また「マハーバーラタ」に登場する正義の神ダルマの息子ユディシュティラ王子も、嘘をついて敵軍の将ドローナを騙まし討ちにしております。このような話を読むと、いったい正義とは何なのかとも思いますが、被害を最小限にし、多くのものの生命を救うためということであれば、つまり正しい動機であれば、やむを得ないということなのかもしれません。そして、たとえ動機が正しかったとしても、ラーマ王子とユディシュティラ王子どちらも神の化身、神の子であるにもかかわらず、後に自分の犯したカルマの報いを受けております。

 

*神功皇后の存在は、戦後は学校の教科書から抹消されてしまっておりますが(「三韓征伐」つまり朝鮮半島を征服したことが問題なのでしょうか?)、日本の歴史を知るうえで、また霊的にも非常に重要な人物であることに変わりはありません。神功皇后伝承は、西日本各地に残されており、ゆかりの神社も数多くあるのですが、神功皇后によって行われた経綸の「型」について関心を持っておられる方はあまりいらっしゃらないように思います。少なくとも、皇道大本、出口王仁三郎聖師の御神業について関心のある方には(大本から派生したとみなされている様々な宗教団体や神示、神諭などの信奉者たちにとっても)、神功皇后の存在は、非常に重要であるはずなのですが。

 

*この「艮の金神大国常立尊が、神功皇后殿と出て参る時節が近よりたぞよ」という一文は、明治32年旧7月1日付の出口ナオ開祖の「お筆先」(戦前に出版された「大本神諭」)の中にあります。しかし、どういうわけか、昭和43年版の天声社発行の「大本神諭 第一集」からは、以下のように、この一文だけが削除されています(愛善世界社版の「大本神諭」には、正しく全文が載っています)。

(原文)

 「神代が近よりたから無限の金を掘り出して、世界を助けるぞよ。ご安心なされ。艮の金神大国常立尊が、神功皇后殿と出て参る時節が近よりたぞよ。このことがあっぱれ表に現われると、世界一度に動くぞよ」

(昭和43年度版「大本神諭」)

 「神世が近よりたから無限のかねを掘り出して、世界を助けるぞよ。ご安心なされ。このことがあっぱれ表にあらわれると、世界一どに動くぞよ」

 

 また、明治30年旧7月1日付のお筆先についても、昭和43年版の「大本神諭」では、以下の文章がすべて削除されています。

 

 「昔は神功皇后殿が御大将で御出で成されたなれど、今度は艮(とどめ)であるから、神功皇后殿は御ん供で御出で遊ばすぞよ。大分大望な戦ひであるから用意を成されよ。此の戦ひが治まりたら、今迄とは打って変わっての光明界(よきよ)と成るぞよ。戦ひで世を覆すと申してあろうがな。外国に何程人民がありても、日本は神が出て活動(はたら)くから、神の無き国は往生致さすぞよ。万劫末代敵対うて来んように致すぞよ。此の神が表に成りたら、如何なる者も往生致さな成らんぞよ。

 

 「お筆先」つまり艮の金神、国祖国常立尊の神示では、「このことがあっぱれ表に現われると、世界一度に動くぞよ」とあるにもかかわらず、肝心の「このこと」が削除されてしまったとは……。誰かが世界が一度に動かないように、細工をしたということなのでしょうか?

 

 

 

 

 

 


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