“「八紘一宇」という言葉は、戦争中によく使われまして、ややもすれば誤解をうける言葉になっておりますが、これはもともと、天の下は一つの家であるという言葉です。日本書紀の神武天皇の歴史のくだりに出てくる言葉で、その前提に『正しきを養い給いし御心を広めん、しこうしてのちに八紘一宇』となるのでまず正しくなければいけないんだ、という前提があります。
神道におきましては平和はもちろん、神さまのみ心であり、神さまの願いでもあられるわけであります。
大阪の住吉神社は中世和歌の神さまといわれております。その神さま自体が歌をお詠みになるということが歴史に残っておりますが、この住吉の神苑に、
祈りにはあだもかたきもなかりけり みは住吉の神のちかいに
まつりにはあだも敵仇もない、ただ平和の祈りがあるだけであると、いわゆるお告げ、ご神託としてお下しになったということです。
そのような神々の平和への思想を、神々の分身であり、神のミコトモチである人間が、神の祈りを当然達成すべく努力しなければならないことは申すまでもございません。
全国の神社で行われますまつりには、いつも平らけく、安らけくということが祝詞にはつきもので、これが一番中心になってくるわけです。また村の神社の祭りのときにノボリが立ちますが、『天下泰平万民和楽』と書いています。
こういった神道、古神道を母体として開かれた教派神道の中には、いろいろ世界連邦にふさわしいことがらがございます。
まことほど世に有難きものはなし まこと一つで四海兄弟
(黒住宗忠)
日本の皇室は伝統的に神の心をもって神祭りをなさってこられました。
よもの海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらむ
(明治天皇)
天地の神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を
(今上(昭和)天皇)
我が庭の宮居に祭る神々に 世の平らぎをいのる朝々
( 同 )
これらのお歌は四海同胞の御心にたってのものであります。
また田中正明氏著の「世界連邦――その思想と行動」の中に小松左京先生の話が引用されております。
「日本は島国で、何千年にもわたって一緒に暮らし、同じ日本語をしゃべり、同じ民族としてつきあっている。だからその間に、底のほう、おおもとのところで融合が進み、日本は一つだ、日本人はみな兄弟だ、つながっていると考える。
その考えがさらに押し拡がって、皮膚の白い人も、黒い人も世界の人間は皆兄弟である。つながっている、いや人間だけでなく、鳥や獣や草木にいたるまで、おおもとでは一つに結ばれている。世界を一つとし、人類を兄弟とする思考が、おのずから内在しているのである。この意味で世界連邦という思想や、地球市民という考え方は、日本人にとっては天性的なものといっていいかもしれない」
これを私の最後の締めくくりとしたいと思いますが、神道はそういう意味において、世界の平和をお祈り申し上げておる。これが神道における世界連邦運動の根底的な、もっとも中心的なものであります。”
(「おほもと」昭和50年7月号 副島広之(明治神宮権宮司)『天下泰平万民和楽の思想』より)
*ここで紹介されている小松左京氏の話によると、日本人は単一民族であるからこそ、世界連邦、地球市民といった思想を素直に受け入れることができる、ということになります。出口聖師は、世界平和の実現のため、国々や民族の垣根を取り払うことを主張されました。しかし、同時に「国魂」に基づいた国家形成についても強調されており、決して宗教や文化、あるいは民族そのものを混ぜてしまおうということではありません(「国魂を混合したり無視したりしたら、世界は治まるどころか混乱する」)。世界平和の実現のためにも、日本人はもっと「国魂」、「国体」について意識すべきだと思います。
おもひきや吾うつそみのまのあたり 八紘為宇の神業見んとは 王仁