・「成吉思汗(ジンギスカン)ハ源義経ナリ」
“…義経はアフガニスタン、ベルヂスタンにも行き、遂に甘粛(かんしゅく)にて死んだ。元のフビライはその子孫である。元というのは源の字音からくるのである”(「月鏡」)
“…では王仁三郎はどう考えていたのだろうか。つまり、義経=ジンギスカン説を史実として、それだけを主張していたのだろうか。筆者には、そうではない感じがする。史実か史実でないかではなく、王仁三郎の場合は、そのような伝説があり、現実に生きていることを大事にし、その生きた物語の上に新たな物語をリンクさせようとしたのだ。
王仁三郎は大正十三年(1924年)初春、蒙古に向かった。アジアを横断し、エルサレムに向かい、宗教的世界統一を最終目的とする壮大な夢であった。諸事情で半年余で帰国を余儀なくされたが、その蒙古入りの波紋は大きく、内外の耳目を集めることになった。
この蒙古入りの時、王仁三郎は、次のように記された縦15.3㎝、横10.4cmという葉書大の名刺を使った。
日出国大本教教主 世界語普及会会長
中国五大教責任統掌 朝鮮普化教教総
那爾薩林喀斉拉額都(ナルザリンカチラオト)
弥勒下生達頼喇嘛(ダライラマ) 素尊汗(スーツンハン)
日本姓名 源日出雄 瑞月
朝鮮姓名 王文泰 天龍
民国姓名 王文祥 尋仁
出生地 蒙古国
「日本姓名 源日出雄」は源義経との関連を示唆し、「出生地 蒙古」とは、三次元的史実としてはマッカな嘘であるが、太古アジアで活躍した素戔嗚(素尊汗)の魂をもつ王仁三郎には、蒙古の地は他国ではなかったし、モンゴロイドの源流である蒙古を、わが「出生地」と言うことになんのためらいもなかったであろう。”
蒙古回顧歌
山々の頂き小石積みてあり 蒙古の民のまつれる義経 ((「明光」昭和6年8月号)
(「世界更生 第二号」音羽游『源義経』あいぜん出版)
・スワミ・ヴィヴェーカナンダ(聖者ラーマ・クリシュナの高弟)
“ある日、彼はチンギス・ハーンについて語り、ありふれた侵略者ではないと言った。さらに、モンゴルの皇帝をナポレオンやアレキサンダーにたとえた。彼らは皆、世界を統一することを、それも政治的征服による人類の統一を望んで、三度実現したが、その魂は同じであると言った。同様に、一つの魂が、何度も何度もクリシュナ、仏陀、キリストとなって宗教による人類統一のために顕れたとも言った。”
(スワミ・ニキラーナンダ「スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯」法律文化社)