「我即宇宙」 合気道開祖の神秘体験  | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・絶対不敗の境地

 「私(植芝)は宇宙そのものであり、宇宙の調和が乱されることなどあり得ない」

 

 “たしか大正十四年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は、「武道の根源は、神の愛(万有愛護の精神)である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。

 そのとき以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や財宝は勿論、強くなろうという執着も一切なくなった。

 武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、まもり育てることである。すなわち、武道の鍛錬とは、森羅万象を、正しく産みまもり、育てる神の愛の力を、わが心身の内で鍛練することである、と私は悟った。”

 

 “合気とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。

 いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。

 敵が「宇宙そのものである私」と争おうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。

 合気道は無抵抗主義である。無抵抗であるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。

 ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

 それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。「愛は争わない」「愛には敵がない」何ものかを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。宇宙と調和できない人間の武は、破壊の武であって、真の武産(たけむす:神道の真理の言葉)ではない。”

 

        (「植芝盛平先生口述 武産合氣(たけむすあいき)」白光出版)