「血」の霊的意味 〔ルドルフ・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “血統からいえば、人間は人種、民族、家族の一員として、祖先から遺伝されたものを血の中に保っている。過去の肉体的関連から生じたものがいわば血において帰結されている。人類の祖先たちは現在とは異なる生き方をしていた。今日、覚醒時の人間は、自分の内部の諸器官が担っている「上なる」世界の内容については何も知らない。したがって祖先から遺伝によって血の中に封印されてきたものも無意識のままにとどまっている。しかし太古の時代においては、事情がまったく異なっていた。当時人々は血の中に、感覚が外界から受け取ったものだけではなく、遺伝的に担われてきたものも体験することができた。自分たちの幼児期の体験内容と同じように、祖先たちの生活体験をも思い出すことができたから、祖先たちの生活は、自分の生活体験の一部分となって現前していた。意識のこの在り方が今日の唯物論的な認識の仕方にとってどれほど信じ難いものと思われようとも、かつてそのような意識が存在していたことは事実なのである。”(P85)

 

 “太古には一種の薄暗い見霊能力が存在しており、そこから神話、伝説が生じたこと、そしてこの見霊的意識は、ちょうど混血が現在の明るい意識を生んだように、同族の血を純粋に保つことによってはじめて可能であったこと、このことは神秘学にとって計り難いくらいに重要な事実である。論理的思考が異族婚とともに発展したということは、今のところまだ奇異な主張にとどまっているが、やがて科学的にも実証されるようになるだろう。その端緒はすでに作られている。異族婚によって生じた混血は、それまでの見霊能力を失わせたが、その代わり、人類の意識を更に一段と高い発展段階へ引き上げた。今日の覚醒時の日常意識はこの古い見霊能力から発展してきたのである。しかし今日われわれはこの発展段階をふたたび引き上げて、祖先返りするのではなく、かつての見霊能力を新しい形式の中に復活させようと努めている。

 道徳態度に関しても、混血によって大きな変化が生じた。太古の人間の場合、肉体に内在している祖先たちの特定の善や悪への傾向が血に現われていた。子孫の血の中に祖先たちの生き方の結果を読み取ることもできた。異族婚によって祖先たちのこの霊的繋がりが断たれたとき、各人は霊的に孤立して個人生活を営むようになった。各人は自分個人の生活の中で経験してきたところに従って、自分の道徳的傾向を決定することを学んだ。純粋な血においては、祖先たちの権力が、混血においては、自分自身の体験の権力が支配している。このことを諸民族の神話、伝説がよく物語っている。神話には「お前の血に対して権力を揮うものが、お前を支配する」、という思想がよく現われてくる。民族伝説の権力は、もはや血に作用することができなくなったとき、そして外からの血の混入によって、新しい血がもはや祖先たちの権力を受け継ぐことができなくなったとき、消えていくしかない。この事実は、あらゆる範囲に亘って現われている。人間を支配する権力は、それがどのような権力であれ、血にまでその支配力が及ぶのでなければ、まだ意識の表面を支配するにとどまり、まだ決定的なものとはいえない。したがって悪の権力も、人間に支配力を及ぼそうとするとき、血を手に入れることがどうしても必要だったのである。これがわれわれのテーマである『ファウスト』の言葉の深い霊的意味である。だから悪の原理の体現者は次のように言う。――「血で誓約書に署名しろ。お前の血で書かれたお前の名前を手に入れたら、俺はお前の急所を手に入れたことになる。お前を俺の手もとにまで引寄せたわけだ。血の由来するところに、人間も人間の「私」も由来する。」

 ふたつの人間集団が、たとえば植民地において、ぶつかり合ったとき、異質の文化が土着の文化に受容されるか否かを洞察するには、血の霊的意味が理解されていなければならない。現地人の血の中に、土地の環境が深く作用している場合、異質の文化をその生活に接ぎ穂することは不可能である。多くの地方で現地人が、移住してきた移民たちと折り合うことができず、文化的強制の下になぜ亡んでいかねばならなかったか、の理由もここにある。ヨーロッパ文明を世界の他の諸文化に接ぎ穂できるなどと、信じてはならない。血に要求することが許されるのは、血が受け容れることのできるものだけである。”(P87~P88)

 

(ルドルフ・シュタイナー「血はまったく特製のジュースだ」(イザラ書房)より)

 

*この本の題名「血はまったく特製のジュースだ」は、もともとはゲーテの「ファウスト」に登場する悪魔メフィストフェレスの言葉です。オカルトの話で、悪魔が人間と契約を交わすとき、本人の血で契約書にサインさせるというのはよく知られていますが、ちゃんと理由があるようです。

 

*やはり「血統」は重要なものであり、今問題となっている皇位の継承についても、この「血」の霊的な重要性が認識されるべきだと思います。

 

 “大国主の系統で残っているのは、千家丈である。日本は矢張り系統を大切にしなければならぬ。(昭和十八年一月四日)”

 

(木庭次守編「新月のかけ 出口王仁三郎玉言集 霊界物語啓示の世界」より)

 

*もちろん、別に異民族との結婚が悪いというのではなく、ある民族にとって、「受け容れられる文化」と「受け容れられない文化」があるということです。ヨーロッパ文明が世界の他の諸文化に接ぎ穂できないのであれば、逆のこともいえると思います。悪魔は外部から壊すことができなければ、今度は内部から壊そうとします。まさにウィルスのようです。中東やアフリカからの移民が増大し続けているヨーロッパは、今や内部から破壊されつつあります。すべては「国魂」が無視された結果です。

 

*出口ナオ開祖のお筆先には、はっきりと「悪魔が日本の国を盗ろうとしている」と出ています。エドガー・ケイシーは、「人格としての救世主が存在するように、人格としての悪魔もまた存在する」と言っていますが、ルドルフ・シュタイナーも、かつてカスパー・ハウザーの身に起こったように、意識的に人類に敵対する力が存在することを語っています。現在、この力が世界、そして我が国に対してどのように作用しているのかを見究めねばなりません。シュタイナーは、悪魔アーリマン、ソラトは主として唯物論のなかで作用すると言っており、反日左翼の動向には特に注意すべきです。

 

・カスパー・ハウザーの謎

 

 “ルドルフ・シュタイナーの思想については、すでに多くの優れた研究がある。しかしながら、シュタイナーがカスパール・ハウザーに関してどのように認識していたか、に触れた研究は極めて少ない。

 カスパール・ハウザーとは1828年にニュルンベルクで保護された身元不明の少年である。当時十六歳くらいだったハウザーは、言葉を一切話さない白痴状態にあった。それは長く地下牢に幽閉されていたためらしい。だがハウザーは法学者フォイエルバッハに引き取られ、やがて驚異的な学習能力を示すことになる。二年後、彼は学者と論争するまでに成長するのだ。

 ハウザーが歴史上に姿を現していた期間は短い。路上で発見されてから五年半後、――1833年12月、アンスバッハへ旅した際に何者かに暗殺されてしまったからだ。ハウザーの出自をめぐっては、ナポレオン一世の子、バーデン公カール・フリードリッヒの子……説などがある。ところがシュタイナーはまったく異なる見解に立っていた。シュタイナーはカスパール・ハウザーを来るべき時代のキリストとなるべき運命の存在であった――と捉えていた。

 そして、ハウザーの果たすべき隠された役割に気づいた秘密結社が彼を誘拐した、とする。ハウザーを現世で活躍させないために幽閉し、あらゆる感覚的刺激を遮断し動物のように育てたのだ、と。

 シュタイナーの言うとおりだとして、ハウザーを誘拐した秘密結社とは何か。さらにハウザーとは……。ハウザーをめぐる謎は依然、封印されたままだ。(N)”

 

(荒俣宏・鎌田東二「神秘学カタログ」(平河出版社)より)

 

*KKの問題について、いずれ彼が「天皇の叔父」の肩書を有するようになるのはほぼ確実です。彼がたとえば「反原発」など、環境問題についての発言をし始め、環境保護団体、特に海外の団体と活動を共にするようになるとしたら、彼を支持し、祀り上げる連中も出てくるかもしれません。いずれ皇室に対して、はかりしれない害毒をもたらすような気がしてなりません。

 

・出口王仁三郎聖師の遺言「錦の土産」より


 “伊都能賣(いづのめ)の御魂、霊国の天人なる大八洲彦命(おおやしまひこのみこと)の精霊を充たし、瑞月(=王仁三郎)の体に来たりて口述発表したる『霊界物語』は世界経綸上の一大神書なれば、教祖の伝達になれる『神諭』と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現れ来るとも不屈不撓の精神を以て断行すべし。例え二代三代の言と雖も、この事のみは廃すべからず。邪神界殊に八十八派の兇徒界の妖霊は一応尤もらしき言辞を弄し月の西山に入りたる際(王仁三郎の死後)、得たり賢しと聖地へ侵入し来たり、先ず第一に二代、三代の身魂を誑惑せんと雄猛び襲い来るべし。然して、自己の霊系の暴露するを恐れて教祖の血統を楯に、数多の信徒を魔道へ誘わんとするは火を見るよりも明白なる事実なり、注意すべし。

 

 

 

 

 

 

 


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