男系継承の霊的な意味 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・男性原理に立つ「三位一体」、聖なる血統における女系の否定

 

 “心理学的見地から考える時、まず問題になる点は、三位一体においてなぜ、母-子の関係が問われないのであろうかということである。父-子-聖霊というパターンはキリスト教に限ったものでなく、古代エジプトの神-王(ファラオ)-カァ=ムテフの関係にも見出された。古代エジプト人は、王が現世の女性の肉体から生まれたことを認めていたにもかかわらず、王の母をこの三一性の中にとり入れず、神が父として王を生んだものと考え、その父から発する力をカァ=ムテフとよんだのである。父-母-子という関係から子を理解するのは、世俗的な日常的経験を基盤とした考え方である。したがって母を除外して父-子関係をとらえるのは、この捉え方が日常的経験とは異質な経験的基盤から生まれてきたことを示している。それは非日常的な深層心理領域における経験に基盤をおくことによって、はじめて意味をもつとらえ方なのである。古代人は神が父として子を生むというような経験を聖なるものとし、証明不可能な事実そのものipso factoとみなしたが、心理学的にみてこれは正当である。知的な論証は日常的経験の場で感覚される事実にしか妥当しないからである。”

 

(湯浅泰雄「ユングとキリスト教」(人文書院)より)

 

*「創世記」には、アダムの系図、ノアの系図、ノアの子セム・ハム・ヤペテの系図、アブラハムの子イシュマエル・イサクの系図、ヤコブ(イスラエル)の十二人の息子達の系図などが記されており、また「マタイ伝」や「ルカ伝」には、イエス・キリストの系図が記されています。すべて男系の系図です。

 

・インマヌエル・スウェーデンボルグの霊魂論

 

 “スウェーデンボルグの霊魂に関する基本的な理説の一つに、人間の霊魂の内部は父に由来し、外部は母に由来するというものがある。

 

(高橋和夫「スウェーデンボルグの思想」(講談社現代新書)より)

 

 “「身体のすべては、霊魂から産出されることによって、霊魂に似たものとなる」。実に「人間は霊魂から始まるが、霊魂は精子(シード)の本質そのものである。したがって霊魂は、肉体に属するものの始原であるばかりでなく、秩序に応じてそれを生み出しもする」。精子に内在する霊魂は、それ自身の実体に属するコナトゥスから、絶えず人間的形態(ヒューマン・フォーム)をとろうと「切望」する。性は男性の精子(スパーム)によって決定されることや、男性の肉体細胞のすべてが、その現実的な構造において男性的であり、一方、女性の肉体細胞すべてが女性的である、ということは一般に知られている。「世において次々に加えられる物質的な形態は、人間的形態(ヒューマン・フォーム)そのものではなく」、霊魂から発する霊的な人間的形態(ヒューマン・フォーム)である。物質的な形態が霊的なものに加えられるのは、「人間が自然界で役立ち(ユース)を遂行すると同時に、自然界のいっそう純粋な実体から、霊的なもののある種の固定した容器を自分のために引き出し、こうして生命を永続させるためである」。”

 

(高橋和夫編訳、ヒューゴ・オドナー他「スウェーデンボルグの創造的宇宙論」(めるくまーる社)より)

 

*そもそも天皇制とは神勅によって始まったものであって人為によるものではなく、そこのところが海外の王室とは根本的に異なります。そして天皇が宗教的な権威でもあるからには、日常のレベルを超えた、その霊的な意義を無視して皇位継承の議論が進められることは言語道断です。求められているのは単なる知的な論証や唯物論的な議論ではありません。皇統とは、初代神武天皇の聖なる血統であるということで、その継承が代々男系によってなされてきたことには理由があります。最近ではY染色体の存在など、生物学的なことも明らかにされていますが、スウェーデンボルグが説いている霊魂の性質から考えると、初代神武天皇の霊性は、男系の子孫にしか継承されないのであり、男系でさえあれば何世代離れていようとも確実に継承されているのです。もしも今後、男性であろうが女性であろうが、女系の人物が天皇として即位するようなことがあれば、その瞬間に万世一系の皇統は断絶することになります。たとえ母親が皇族であろうとも、母親からは神武天皇の霊性が伝えられることはなく、当然のことながら、歴代の天皇霊との霊的な感応もありません。日本国の運命は、国家元首である天皇陛下の運命とリンクしているのであり、建国の神話が力を失うと同時に日本の「国魂」も死滅してしまうでしょうし、日本という国は根本から崩壊してしまうことになります。

 

*この問題を解決するためには、旧宮家を皇籍復帰させる以外にありません。いったん臣籍に降下した連中は相応しくない、などと言っている人もいますが、旧宮家の方々は、米国の占領下においてGHQによって強制的に臣籍に降下させられたのであって、御自分の意志でなされたわけではありません。いったん臣籍に降下していながら、再び皇籍に復帰した例としては、第59代宇多天皇や第60代醍醐天皇などの前例があります。また、第26代の継体天皇は、応神天皇の5代目の孫で越前の国におられたのであって、先代の武烈天皇とは10親等も離れた傍系であったうえに、58歳にもなってから天皇に即位された方です。よって旧宮家の復帰には何の問題もないはずであり、皇族としての教育を受けていないとか、皇室の生活を知らないなどの理由で「現実的でない」として反対する人達は、果たして継体天皇のことを御存じなのでしょうか。また、反対する連中は、まるで現在の旧宮家の男子の方々の内の誰かが、数年後に天皇に即位するかのようなことを言っていますが、将来悠仁親王殿下がご即位になられるのは、おそらく数十年後であり、その次の方がご即位になるのはさらに数十年後です。そして今、旧宮家の方々の皇籍復帰を可能にすれば、これからお生まれになる男子の方々は、生まれながらの皇族であり、誕生直後から皇位継承者として養育されるのです。

 

 “饒速日命は十種(とくさ)の神宝、二二岐命は三種の神器を貰はれた。王仁は饒速日だ。十種の神宝は天の数歌の一二三四五六七八九十のことで、十種は十曜だから王仁は十曜の紋をつける。経(たて)の万世一系と緯(よこ)の万世一系と揃ふのが、世界十字に踏みならすことだ。〇に十は裏の紋だ。開祖は御所の中に入って守護すると、何時も言ってゐられた。今のお方は変わらぬ、大〇〇〇と似てゐられる。世界統一(道義的)は緯の万世一系の役。之がなければ、経の万世一系だけではいかぬ。(昭和十七年十一月十六日)”

 

  “国常立尊は天照大神の元であるが、下に降って働かれるのである。総理大臣がしっかりしてゐるから治まるのである。天照大神は国常立尊の御分身である。饒速日命は二二岐尊の兄様であるが、先に十種の神宝をもって大和へお降りになって用意をされてゐたのであるが、神武天皇がお降りになったときにおしらべになって天津日子のしるしのあるのを見てお譲りになったのである。十種の神宝を持った人が下に降って、働かれるから神武天皇の御位が保たれるのである。其の上にあって陛下は知ろし召さればよいのである。(古事記には迩藝速日命と書しあり。)(三木善健氏拝聴)(昭和十八年二月)〔(参照)出口王仁三郎全集第五巻「神武天皇御東征の段」(三)〕”

 

 “大国主の系統で残っているのは、千家丈である。日本は矢張り系統を大切にしなければならぬ。(昭和十八年一月四日)”

 

(木庭次守編「新月のかけ 出口王仁三郎玉言集 霊界物語啓示の世界」より)

 

*皇道大本においては、出口ナオ開祖に下された艮の金神、国祖国常立尊の『お世継ぎは代々肉体が女であるぞよ』との神示(お筆先)に従い、代々の教主は女系でなければならないことになっています。つまり、男系による霊性の継承と、女系による霊性の継承とがあるのであって、それらは区別されねばなりません。

 

 “出口聖師は男女の同権は明治の時代から主張されていた。実にその時代から云えば進歩主義者であって、社会には容れられないものであった。しかし同権は同権でも、性別を同一視されたものではない。性別のあるところ、かんながらに天職使命のあることを主張されたのである。そのことについて詳細に知りたいと尋ねると最後には必ず、

  「創造の真因に基ずくのじゃ」

 と創造の始めよりの真と愛の原因から説明された。同権の意味も、真と善の価値比重の同一であるところから説かれるのであって、近代思想に基ずくものではなかった

 

 「思想というものが創造原理に基ずくものであれば、その思想は永遠の生命があるが、時代的に人間が考え出したものであれば、それは一時的である。またその思想が如何にも真理であるように見えていても神意に反しているものなら宗教者は排除しなくてはならない」

 

 と云っておられたところに出口聖師の明確な批判の根拠があった。”

 

(「おほもと」昭和32年8月号 大国以都雄『出口聖師と現代社会』より)

 

・ルドルフ・シュタイナーと「民族」

 

 “高橋 右翼思想とシュタイナーの関係でひとこと付け加えますが、シュタイナーは「民族」というものをたいへん重視していて、オカルティズムの究極の目的は個人が民族に還ることだとさえいっているんです。けれどもその場合、なぜ民族に還るのかといえば、それは民族の将来のために個人が奉仕するためである、といっています。奉仕できるまでに魂が成熟したときに、民族に奉仕するのです。

 けれども右翼の思想の多くは、民族によって自分が救われるために、民族に還ることを暗黙の裡に前提としています。これは全く逆なんです。民族の自己同一性が問題となる時、個人が自分の救われる場所をそこに求めるということになると、自分の民族の既成の伝統や文化の中に還ることになります。しかし、シュタイナーのいう民族に還るということは、仮に過去に栄光を背負った民族が今は衰退していても、霊性を発達させた人がその民族の中に己れを同化させることによって、その民族が新たな生命を得て甦り、再び新しい文化を生み出す能力を獲得するようになるその過程の問題なのです。ですから保守主義的態度をとるわけではありません。人類の未来のために、ある民族の創造性をいかにして甦らせるか、ということなのです。そしてそれこそがオカルティズムの意味を二分する決定的な観点だと思います。”

 

(高橋巌+荒俣宏「神秘学オデッセイ」平河出版社より)

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキング