紀元節 (神国の建国記念日) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “雲に聳ゆる高千穂の――

 高嶺おろしに、草も木も、なびきふしけん大御代を――

と少年の頃二月十一日の紀元節に祝い歌ったなつかしい歌、紀元節の復活、日本の国民にとって、こんなうれしいことはない。

 紀元節は、神話的には、神武天皇が、日本の建国をさまたげる賊徒を平定して、平和日本の建国の祭事を大和国かしはらに、天地の神々を招じて行われた日であって、決して軍国主義的宣言をされた記念日ではない。むしろ平和日本建設を神々に誓われた記念すべき祭日であったのである。

 しかし多くの歴史学者や一部の政治家は、この記念日が学問的にはっきりしない、事実かどうかわからない。したがってあいまいな神話を事実らしくとり扱うことには反対であるというのである。さらに今一つのこじつけにひとしい反対は、紀元節には軍国主義的くさみが強く、日本を軍国主義に変貌させる陰謀だとか、好戦的愛国者の軍国主義変貌の野望に利用するためだとか、はなはだ低級な時局に対する便乗説を唱えて反対のための反対をしてきたのであった。しかし国民全体の世論に問うた結果が、朝日に霜の如くすうーっと消えてしまって、二月十一日の元の紀元節が建国記念の日と定まった。

 もちろん反対するものにもある程度の理由はあると思うが、もともと歴史は、後世人のためつくりあげて行くもので、数千年も前の事を誰も知ったものはいない。したがって、その事実をつきとめたかったら、その道の専門学者が草の根をかき分けてでも事実の発見につとめるべきで、自らの努力の足らざるをたなに上げて、吾人の先輩が立派につくりあげた歴史をこわす必要はなかろう。しかも、日本人でありながら己を忘れ、日本という国名が気に入らぬとか、日本が何故に日の本なのだとか、さらには日の丸という国旗が気に入らぬとかいう。また日本に実在するある政党の如きは、結党以来一度も国旗を使用したことも、党本部にかかげたこともないと聞いているが、こうした集団の中の人達にしてみれば、日本の建国記念の日のごときは、笑わせるものに過ぎないであろう。

 私は昭和十五年に、日本の国体を明微にするため研究機関であったある団体の会員五十名を引き連れて、日本建国の聖地として、天孫降臨の神話に名高い鹿児島の霧島神宮、並びに高千穂峰、それから宮崎神宮、そして宮崎県高千穂町等を巡拝したことがあった。当時鹿児島県では、霧島高千穂が、ほんものの天孫降臨地と称し、宮崎県では、宮崎県高千穂町がほんものだと言い、行く先々で、その真偽を質す論争にまきこまれて困ったことがあった。しかし、「いずれも、ほんとうのものはない。天孫降臨の聖地は、どこにあってもよい。どこのものもほんものの神話として、祖先からの言い伝えをすなおに守って行けばよいのだから……」と答えておいたが、今でもその考えに変わりはない。

 ただただ吾人の祖先は、天降り給うた天孫瓊瓊杵尊であり、高千穂に天降り給うたあの神話でよいのである。いつの頃であったか、どこであったか、そんなことは今詮索しなくてもよい。あくまでも高くて、美しい、平和な、神々しい神話をこわさないようにして、さらにそれを久遠に子孫に伝えて行くことが吾人等の使命であり、また義務でもある。学問的に究明することは、それ以外のことである。究明して事実をつかんでも、決して子孫の幸福の道の教材になるとは限らない。”

 

(島本覚也「玉手箱」(酵素の世界社)より)

 

*島本覚也氏(1899~1974)は、皇道大本に入信される前は、古神道の大家、大石凝真素美翁の高弟であった水野万年師に師事し古事記などの国学を研究され、終戦後、出口王仁三郎聖師から「酵素は天国の肥料である」と教えられて酵素の研究に取り組み、EMが登場するよりもはるか前に酵素農法(微生物農法)を確立された方です。島本氏によって設立された、(株)酵素の世界社(本社・滋賀県)では、バイエムコーソ等の酵素食品や酵素堆肥など様々な酵素製品を取り扱っており、通販でも購入できます。

 

*スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、愛国心について質問されたとき、「自分の母親を愛せない人が、他の人々を愛せるでしょうか?」と答えています。確かに、自分の国を愛せない人間が他国の人々を愛せるはずがありません。愛国心を否定し、国旗や国歌を侮辱するような人たちに、世界平和を口にする資格はないと思います。

 

 “「君が代」は周知のように原形は平安時代の古今和歌集の巻7(三四三)番の歌である。発句が ‶わが君は‶ になっている他は全く同じである。 ‶読み人知らず‶ で、その時代では民衆の歌であり、この場合の ‶君‶ とは天皇とは限らず自分の主人とか恋人の事でもあった。わが君は悠久に生きていて下さい、というのである。この歌は後に他の歌集や謡曲の ‶老松‶ や各種の芸能に取り入れられた。そして、明治13年にそれに曲がつくられて国歌と制定されたわけである。

 今、この曲に元気がないとの批判もあるが、簡素で荘厳な優秀作であるということは、つとに音楽の専門家の承認、一致するところである。ただ筆者は思うのだが、‶細(さざれ)‶ と ‶石‶ の間が二拍も空いていて別の語句のような印象を与えるのではないかと。

 細石(さざれ石)といえば万葉集に ‶信濃なる千曲の川の細石も君し踏みては玉と拾はむ‶(好きな人の踏んだ石なら玉として拾いましょう)があるが、これは余談。

 

 さて、京都大学名誉教授(元金沢大学学長)石橋雅義氏は、「一千年前に古今集の中で無名の一庶民がご主人を礼讃する歌(わが君は千代に八千代に……)を作っている。しかもどうしてこういう高等な真理を含む歌をつくったかということです。細石が砂になり何万年、何億年たって、それが岩石(水成岩)になる。それを昔の無名の歌人が詠んでいる。それは現在の地学のまさに真髄を言っている。私はある所で日本の識者が世界連邦運動に大変力を入れておられるが、それが出来たときには、この「君が代」を世界連邦歌に推薦しよう、と提案したら大変な拍手を受けたことがあります。実際これ以上の世界連邦歌はないですよ。……また私はわれわれの先祖はそういうことで、素晴らしい霊感と直観力をもっていた、『君が代』を誇りに思え、という話を金沢大学の卒業式の置き土産としたものですが、次の学長も同じ話をやりました(笑)。大学の卒業式で君が代を歌うところはあるでしょうが、その説明をしたのは金沢大学だけです(笑)。」と語っておられる。

 

 出口王仁三郎師が霊界物語61・62巻の冒頭に「君が代」を掲載されていることは既に書いたが、さらに80巻の付録の中では、「君が代」について、

 

「君が代を、韻律の法則によって表示すれば、その母音が左右相対的に対称して居て、韻律の美なる事は日本の厳正中立の精神を如実に表徴するものたるを知り得べし」

 

と述べられている。「君が代」は、自然の真理を含みながら、世界が永遠に存続するようにとの愛善精神を示されたものである。過去を超え、国家を超えたもので、こう考えてくると、それこそ本当に世界連邦歌になってもいいのではないかという気持ちにもなってくる。そのためには「君が代」の世界共通語エスペラント訳も必要になってくるだろう。(K・F)”

 

(「人類愛善新聞」昭和52年3月号 「国歌『君が代』を考える」より)

 

*出口聖師は、「霊界物語」の中でも「君が代」の素晴らしさを説いておられます。「君が代」は、単に日本の国歌であるだけでなく、聖歌でもあります。