母と子のきずな | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

 “親と子の間につながる切っても切れぬ道というものがある。

 この不可思議なつながりの道というものを自覚するとき、初めて子の親としての使命を果たすことができる。

 世は十代の不良化防止に全力を注いでいるが、この不可思議な愛の道の自覚を得ずして、真の育児教育はあり得ないと思う。最近、母と幼児の関係にこの大切な点が忘れられがちで、母と子の仲が外見ばかりを考えて、内面的な愛の教育が遠ざかっていきつつあるように考えられる。

 私は若い頃、この不可思議な母と子の愛のつながりを、生成化育、神ながらの道として発見した体験をもっている。多くの世の母親は、それと同じ母と子の愛のつながりの事実を、大なり小なり持っているはずである。

 この事実を事実として自覚するとき、その子は完全にその母によって良い子に育てられ、またその子は、立派な人間として成長するのである。

 ある夜の出来事であった。

 生後間もない赤ん坊は、何の理由かわからないまま、夜泣きして泣き止まない。私は、隣室で夜泣きの赤ん坊をあやしながら困っている妻にたいして、「一体どうしたのか、腹がすいているのか、腹がいたいのか」と聞いてみた。

 妻は、「赤ちゃんは腹がいたいのです。そこで茶箪笥の下の引き出しの中に『だらにすけ』がありますから、少し盃に水で溶かして私に下さい。私がそれを飲めば、赤ん坊は、キット泣き止みますから」と言った。

 私は不思議に思ったが、その通りにしながら、「お前はどうして赤ん坊の腹の痛いのがわかったか。またお前がその痛み止めの薬を飲んで、どうして赤ん坊の腹痛が治るのか」と問い直しながら、大豆二粒くらいのだらにすけを、水に溶かして妻に与えた。

 妻は、「今私の腹の中が、ぐれぐれしてとても気持ちが悪いのです。このときはキット赤ん坊も腹がいたいのです。そこで私がこの薬を飲んで腹具合がなおりますと赤ん坊も治ります」と言った。

 すると言い終わらぬ内に赤ん坊は泣き止んだ。私の妻が、だらにすけを服用して二分もたたないうちに、赤ん坊は、すやすやと気持ちよげに寝入っていた。

 私は不思議に思ったのであった。母親が飲んだ薬が、乳に溶け込んで、その乳を飲んで幼児の体内に効いたのならわかるが、母親がその薬を飲んで腹痛が治ったら、同時に赤ん坊の腹痛も治ったということである。一度なら、まぐれ当たりということもあるが、そうした不思議な現実を何度も体験したのである。

 私はここに、一つの生成化育の道というものが、肉眼では見えないが、確かにあって、育てる力の源泉となっているということを自覚したものである。(昭和四十二年四月一日)”

 

(島本覚也「玉手箱」(酵素の世界社)より)

*島本覚也氏(元大本滋賀主会長、元愛善みずほ会副会長)は、終戦後、出口王仁三郎聖師から「酵素は天国の肥料である」と教えられて酵素の研究に取り組み、酵素農法(微生物農法)を確立された方です。島本氏によって設立された、(株)酵素の世界社(本社・滋賀県)では、バイエムコーソ等の酵素食品や酵素堆肥など様々な酵素製品を取り扱っており、通販でも購入できます。

 

・マミー・キャッチング

 

 “母と子のきずなの強さ、深さを示す興味深い実験として幼児開発協会がおこなっているいま一つの試みに、「マミー・キャッチング」というゲームがあります。

 これは二歳児と三歳児について、協会の一年間のプログラムを終えた後、いわば終業式を前に母子そろって楽しく遊びましょうということで始めた企画です。広い教室の片側にお母さんたちが適当に並び、反対側の隅に目隠しをした子供たちが並ぶ。そして「よーい、ドン」の合図で、子供たちが一斉にお母さんをつかまえに行くというゲームです。

 教室には子供とお母さんだけでなく、先生方やカメラマンなど、かなり大勢の人がいます。そんな中を、合図と同時に目隠しされた子供たちが走って行く。真っすぐ走る子もいるし、初めはまるで方向違いへ走り出してしまう子もいます。しかし子供たち全員が、五秒とたたないうちに、間違いなく自分のお母さんのところへ行き着きます。たまたま私が参観した時には、十四人の子供のうち一人だけ、お母さんの目の前一メートルほどのところで目隠しを外してしまいましたが、まず全員が全員とも、確実にお母さんをつかまえられます。

 ゲームに先立って何か特別の訓練をしたわけではありません。協会のカリキュラムには精神集中のための体操とか、目をつむって気持ちを集中させる練習といった内容も含まれてはいますが、それとて一週間に二度来る子供がいるかと思えば、一度しか来られない母子もいるし、まして初めてのゲームで目隠しされるのを嫌がって泣き出す子もいるぐらいです。それでも子供たちは、いざゲームが始まると、あっという間にお母さんのもとに行き着ける。まさに奇跡といっていいほどの恐るべき能力です。

 実際、いちばん最初の実験の時には、余りにも完璧なその結果に、先生もお母さんたちもしばし茫然としてしまいました。誰ひとりとして、そんなことが起こるとは夢にも思っていなかったからです。だが子供たちは、私たちの予想を見事に裏切って、秘められた能力の素晴らしさ、母と子のきずなの強さと深さというものを、私たちの目の前でいとも簡単に証明してみせてくれたのです。

 先に紹介したトイレット・コミュニケーションが、母親のわが子に対する直観力の鋭さを示すものなら、マミー・キャッチングは、幼児が生まれながらにして身につけている、きわめて高度な能力の一端を示すものです。つまり母と子は、母と子だからこそ可能な特別な能力をもって、知らず知らずのうちにお互いが働きかけを行っている。それがどのようなメカニズムによってなされるかは不分明ですが、母と子に特有の相互作用は確かにあって、その事実を私たちは昔から「きずな」と呼んでいるわけです。”

 

(井深大「胎児から」(徳間書店)より)

*「ソニー」の創立者であった井深大(まさる)氏については、説明するまでもないと思います。超常現象や幼児教育にも深い関心を持たれ、社内に専門の部署をつくって研究しておられたことでも知られています。

 

・ドクター・フリッツの母子治療  (ブラジルの心霊治療)

 

 “ドクター・フリッツは、隣のベッドの赤ちゃんの手術から取りかかった。彼は、いつでも子供優先だ。母親が心配そうに付き添っていた。看護婦のアリスが、耳元で小声で解説してくれた。

 「この赤ちゃんは盲目です。最初に片方の目が角膜炎でやられ、次にもう一方の目に眼細胞組織の遮断現象が起こりました」

 僕は、こんなに小さな赤ちゃんの目をどんなふうに手術するのだろう、と興味がわいてきた。

 驚いたことに、ドクター・フリッツは、そばに立っている母親に赤ちゃんの手を握らせ、健康な母親の目を手術し始めたのだ。赤ちゃんは、ただ寝ているだけだった。ドクター・フリッツは、メスを持ったまま手を止め、びっくりしている僕に振り向いた。そして、英語で説明し始めたのだ。

 「これは、私の行う手術の中でも、いちばん難しいものの一つです。これが、愛情溢れる母親の赤ちゃんを治療する方法です。私が今、こうして母親の目を切開して、眼細胞組織を自由にします。すると、2、3日のうちに、赤ちゃんの眼細胞遮断現象がなくなるのです。それに伴い、赤ちゃんの目は見えるようになります。母親と赤ちゃんは、非常によく似たDNA構造をしています。ですから握り合った手を通して、DNAの変化が光子の速度で伝達されるのです」

 そう言って、彼は立ったままの母親の眼球の表面で、メスを上下に動かした。手術は無事に終わったらしく、看護婦さんが母親の目にガーゼを貼り付けた。

 ドクター・フリッツは、今日は興がのっているのか、次の手術患者に取りかかる前に、

 「もう少し、詳しく母子治療のことを解説してあげましょう」

と英語で言った。僕は、大急ぎでカセットレコーダーを取り出し、スイッチを入れた。

 「大きめの子供達は、直接手術します。でも小さすぎる赤ちゃんはしません。それは、手術の大小によるものではありません。私は赤ちゃんを気の毒に感じるから、母親を手術するのです。普通は、血縁関係があれば、目の色や肌の色は遺伝します。こういう染色体や遺伝子の結合体は、エネルギーを運ぶことができます。そこには、連結された電子の連鎖が起こるのです。ほんの小さな部位だけ改造すればいいのです。体全体をいじらなくても大丈夫です。グアニンやアデニン(核酸の成分の白色の結晶)の化学式を覚えていますか?一つの細胞を改造するだけで、それは次の細胞の変化を誘発します。ですから、一つだけでいいんです」”

 

(牧まさお「宇宙(そら)からの医者 ドクター・フリッツの奇跡」(小学館)より)

*20年以上前ですが、私は、医者から不治と言われた頚髄損傷を、ブラジルまで行ってドクター・フリッツに心霊手術で治してもらったという方にお会いし、首の後ろの手術跡も見せてもらったことがあります。手術跡が残っているということは実際に切開したということですし、それで完全に治ってしまったのだそうです(もちろん、なかには治療を受けたが治らなかった人もいらっしゃるようです)。ここに述べられているドクター・フリッツの母子治療や、その理論はあまりにも信じ難いものですが、興味深い内容でしたので、紹介させていただきました。

 

*第一次世界大戦の時のドイツの医師ドクター・フリッツの霊が乗り移る霊媒は複数いるのですが(ホセ・アリゴーなど)、このときの霊媒であったルーベン・ファリア氏は一度だけ来日したことがあり、その時にも心霊治療の実演が行われたそうです。