霊衣(オーラ)について | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “徳の高い人ほど霊衣が厚い。わしの側に人がきて、いつまでも帰ろうとしないのはわしの霊衣が厚いからだ。真綿みたいなふんわりした霊衣に包まれて気持ちが良いからだ。新聞にわしのことを悪く書いたり、また弾圧が何回あっても、人がついてくるのもそれや。わしに敵対心を持っている者でも一遍逢えば心の底からとけてくる。わしは人と喧嘩するのが嫌いだ。

 わしの炊いた御飯はとてもおいしいい。それはわしの霊衣が厚いからで、また御飯を炊くことだけに気を遣い、真心がこもっているからだ。

 「物語を何べん読んだ」とか言っていても、その人の霊衣を見ればよく分かる。この人はと思う大本の宣伝使に霊衣が三尺もあった者がいた。立派な霊衣を持っている人でも、神界にたいして罪を犯した場合、霊衣を剥奪される。わしが特派に行ってこいと言った時には霊衣が拡がっているのでお蔭を頂くことになる。

 朝夕に唱える祝詞の中の――みたまのふゆをかかぶらしめたまへ――とあるのは、霊衣を厚くして下さいということで、その意味からも祝詞の奏上は大切である。”

 

(三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」(天声社)より)

*「みたまのふゆをかかぶらしめたまへ」とありますが、現在の大本・愛善苑で使われる祝詞集では、「大御神(おほみかみ)の恩頼(みたまのふゆ)を幸(さき)はへたまひて――」となっています(『感謝祈願詞(みやびのことば)』)。

 

 “霊界物語は単なる人為の書物ではなく、真の神が出口聖師に聖霊をみたして述べられた、神伝直受の教典であります。

 霊界物語の神秘について先輩の故成瀬言彦先生から昭和四十五年頃に、次のように伺いました。

 先生が四国へ派遣されていた昭和初期の頃、大本の徳島分所で、五、六十人の信徒に、霊界物語拝読のすすめを内容とした講演をされた時に、話終わって壇を降りると、分所長が礼を述べに来て「徳島の信徒は、皆、熱心な方ばかりで、物語拝読も皆さんがなさっていると確信いたしております」と付け加えられました。

 先生は、そうですかと言って再び昇壇して、皆に、

 「今、分所長から、お聞きの通りのお言葉がありました。しかし、私の見るところ、皆さまの中で拝読なさっている方は三人しかいない。今から私がその三人を当てます」と言って指し示したそうです。

 そのあと言をついで「今示した三人以外に読んだことのある人は、遠慮なく手を挙げてください」というと、皆下を向いて、答える人はなかったそうです。

 先生はさらに、その三人が、それぞれ何巻まで読んだかを言い当て、皆を驚かせたそうです。

 「真の神に祈り、心を込めて物語を拝読すれば、一巻を読み終えると額から蛍火のような霊光が、十五、六巻では懐中電灯のように、月の光を強くしたような霊光が出ている。さらに三十五巻以上ともなれば、さながらヘッドライトの如く強烈な霊光が発しているもので、自分はその顔を見ただけで、何巻の拝読をしているかがわかる」と話しておられました。”

 

(「人類愛善新聞」昭和63年1月号 松平隆基『万民救済の神書』)

 

 “人間の肉体にはあまりに端的でわからないが、精霊が聞いた時ははっきりと判るのである。従って、この物語は精霊の糧であるとも示されている。そのゆえに出口聖師は判らなくても読んでおりさえすればいつとなく判るようになる。またいつとなく、御霊のふゆが、増してゆくようになると教示された。霊界に行ったときにはじめて物語の糧に育まれていたことが実証される、すなわち救いの書であるゆえんである。”

 

 “……物語は、拝読しておれば春雨が土に浸み込む如く、いつとなく知らず知らずの間に聖霊がその光に接して、智慧正覚を得るものであって、一挙に何もかも理解するということはむつかしい。現界の小説などを読む場合は、そのまま、内容が判るのであるが、それは現界を写し出しているのであるから、簡単に理解されるのである。物語は霊的想念の状態を、現実の言葉、形のある文字にはめこむのであるから、霊的意義の理解力がまず養われないと、判らぬのである。したがって幾回となく、拝読して物語の物語る状況に想念が合致するようになれば、おぼろげながらも理解の力がついて次第に、面白く、次第にありがたく、ついには金言玉辞としてわれわれの救いの文となるのである。”

 

(「おほもと」昭和50年8月号 大国美都雄『聖師の血肉霊界物語』より)

 

*ほとんどの人は、生前は肉体意識に邪魔されて自分でもわからないが、死後霊界に行って霊体だけになってはじめて、霊界物語の拝読によって知らぬ間に〈みたまのふゆ〉が増していたことに気づくのだそうです(出口聖師は「霊界物語を読んだ人ほど霊界の位置が高いぞ」と言われています)。できることなら、生きているうちに、はっきりとわからせていただきたいものですが、へたにわかってしまうと、その人は一刻も早く霊界へ行って(つまり死んで)、霊界で活動することを願うようになってしまうため(天界に復活したミタマは、至福の状態にあるとも説かれています)、そのような間違った願望を抱かぬように、ミタマが充分錬れるまでは、あえて自分ではわからぬよう神様が配慮されておられるということのようです。何とももどかしい気がしますが、やはり真の霊性の修行とは、そのようなものだと思います。

 

 “このしぐみ わかりてはならず わからねばならず わからぬので かいしんができず よのたてかえの まつだいに いちどの しぐみであるから さつぱり がくや ちえをすててしもうて うまれあかごのこころに たちかえらんと けんとうがとれん むつかしい しぐみであるぞよ いままでの はらのなかの ごもくをさつぱり ほりだしてしまわんと こんどのじつちまことは わかりかけがいたさん たいもうなしぐみであるぞよ” (「大本神諭」(明治二十五年旧正月)

 

・色彩呼吸

 

 “あなたがもし青いオーラでつつまれていると想像するなら、最初にまわりの空気が青く輝くガス状をしていると想像する。そして、その青い空気を吸い込み、身体中に充満させていく過程を思い浮かべる。それとともにオーラのイメージがさらに強まり、光が深まってくるのを感じるはずである。これに熟練すると、まるで自分が輝く光の繭(まゆ)につつまれ、その繭が生きもののように呼吸に合わせて脈動している状態が視覚化されたり、感じられるようになる。

 このようなオーラのイメージや色彩呼吸を行って、どのような効果があるのか疑問に思う人がいるかもしれないが、実行して見れば、その効果に驚くだろう。

 あるアメリカの女性は、ピンクを思い浮かべ、前述した方法で呼吸することによって、はじめてから数日もたたないうちに、みるみる若返りはじめ、チャーミングになった。ずっとつづけているうちに、彼女は実際には五十近い年齢であったにもかかわらず、二十代の女性に見まちがえられるほどになった。この話がことさらオーバーではないことは、実行して見れば理解ができるだろう。”

 

(山田孝男、影山勲、奥成達「瞑想術入門」大陸書房より)