神と皇室 〔ベラ・コチョフスカ〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・ブルガリアの超能力者ベラ・コチョフスカさんの来日時のお話(1993年)

 

 “「皇太子殿下はこのままでは結婚できない、と言うんですよ。ある種の呪縛がかかっていると。私が日本へ行けば呪縛を解くことができる、そうすれば皇太子殿下の結婚は可能になるって言うんです」

 まさか、と僕は思わず笑ってしまった。超能力があるのは事実だとしても、法螺の吹きすぎだ。「第一、そんなことを日本で口にしたら、あちこちから石つぶてが飛んできますよ」と僕が言うと、渡辺氏も「そうですよねぇ、いくらなんでも」と笑いながら相槌を打った。繰り返すが昨年十月のことである。

 皇太子の御婚約という問題はひとまずおくとして、現地取材した渡辺氏の話から、ベラの能力がかなりの水準にあることだけはわかった。ブルガリアのシューメン大学では医学、生物学、物理学などの各分野の科学者が結集して、ベラの能力を研究するための学術的なプロジェクト・チームまで組まれている。

 九〇年にはベラは、旧ソ連科学アカデミーによってモスクワに招かれた。厳密なテストを繰り返したのち、同アカデミーが下した結論は「ベラと同じレベルの超能力を有する人間は、この地上には存在しない」というものだった。以来、ベラには「世界一の超能力者」という称号がつくようになった。「世界一」などという肩書きがついていれば、誰でも好奇心がわく。僕もそうである。ビデオ撮りのために渡辺氏はベラを日本へ呼ぶという。それならば一目お目にかかるのも悪くない。最初はそんな気持ちだった。”

 

 “ご存じのように、伊勢神宮は豊受大神を祀る外宮と、天照大神を祀る内宮に分れている。外宮の中にまた本宮と四つの別宮があり、そのうちのひとつに多賀宮と呼ばれるお宮がある。急な石段を登った丘の上にある多賀宮は、もとは高宮といい、豊受大神の荒魂を祀っているとされる。

 翌三十日、白いワンピースに正装したベラは、敬虔な面持ちで外宮の参道をゆっくりと静かに歩いていく。足取りが変わったのは、本宮に参拝した後だった。何かに導かれるように、ひとり足早に多賀宮の方向に向かってゆく。急勾配を登る足取りは、若い僕らがついていけないほどの速さだ。

 「神様が私を引っぱっていく」

 多賀宮の神前に進み出ると、ベラは感極まったように膝を折り、額づいて祈った。するとにわかに神気というか、霊気というのか、ただならぬ気配が一帯にたちこめた。僕も思わず手を合わせてしまったが、身体に目にみえない圧力がのしかかってくるようで、頭を上げられない。このときの気配というものを的確に表現する言葉を僕は知らない。それは生まれて初めての経験だった。祈りを終えたベラは顔中を涙で濡らしていた。

 「伊勢の参拝は私の宿命。人類はみな聖なる場所へ行って、祈らなくてはならない。自分の精神のエコロジーのために、そして世界のために……」

 伊勢への参拝がなぜベラにとって「宿命」だったのか。彼女がいったい何を祈り、あの場で何が起こったのか。もちろん僕らにはわからなかったし、彼女も詳しく語ろうとしなかった。伊勢でのことは謎のまま、とりあえずわれわれは奈良へと向かうことにした。”

 

 “「『ベルリンの壁』を作ったのは人類にとって間違いでした。しかし、それを一夜にして壊してしまったのもまた間違いでした。これから世界は混乱の一途をたどるでしょう。しかしそれは、人類がどうしても経験しなくてはならない試練でもある。重要なことは、人類がその試練から何を学ぶかです。核の洗礼を人類で最初に受けた日本は、混乱の世紀末から次の世紀にかけて、人類が平和を取り戻していく過程でとても重要な役割を果たすことでしょう。そういう義務があるのです」

 十二月九日、僕らにそんなメッセージを残し、彼女は社会主義政権が崩壊して混乱のただ中にある祖国に帰っていった。

 その三日後に小和田雅子さんが皇太子殿下のプロポーズを受諾したと僕らが知ったのは、むろん一カ月も後のことである。雅子さんフィーバーが起きてから通訳を通して国際電話でベラに訊ねてみた。あの伊勢参拝と皇太子の御婚約とは何か関係があったのか、と。「その通り」と彼女は言った。

 

 「一生懸命お祈りしました」

 

 なぜ?と僕はきいた。どうしてブルガリア人のあなたが、日本の天皇家のために祈るようなことになったのか。

 

 「そんなことは私にはわからない」

 

 実にそっけない態度で、ベラは答えた。

 

 「私は神の命令に従っただけですから」

 

(『文藝春秋』平成5年3月号 天野龍一「世界一の超能力者来日日記」)

 

*ベラ・コチョフスカさんについては、1993年に来日された時に、ここに紹介させていただいた「文藝春秋」の記事の他にも学研の「ムー」の記事、あるいはテレビ番組にも出演されたので、ご記憶の方がいらっしゃるかもしれません。敬虔なブルガリア正教徒でもあり、不思議な力は聖母マリアから授けられたと言っておられました。来日時にベラさんは、伊勢外宮に祀られているのはヤハウェであり、併せてユダヤ人の日本への渡来の話や邪馬台国(明日香にあったようです)、富士山麓の古代文明のことなど、様々な興味深い話をされ、私も関心をもっておりましたが、残念ながら当時はベラさんについての日本語の資料がほとんどありませんでした。しかし先月、宮﨑貞行氏の「超能力者ベラが語る日本と人類の未来」(明窓出版)が出版されたので、早速購入して読んでみました。内容についてはあれこれ疑問に思う点もあり正直不満はあるのですが、それでも当時の「文藝春秋」や「ムー」の記事がほぼそっくり掲載されており、特に皇室のことなど、貴重な情報の数々が再び表に現れてきたことで喜んでいたのですが、数日前に書評を見ようと思ってAmazon内を検索すると、何故かこの本のページ自体が無くなっており、出版社の明窓出版のHPを見ても、この本は出版リストに無く、まるで最初から存在しなかったかのような扱いになっているのに驚きました。売り切れならそのように表示されるでしょうし、何か法的に不都合なことがあったのか、よく分かりませんが、ぜひ理由を知りたいものです。

 

*明日は昭和の日ですが、ちょうどイスラム暦では今年のラマダンの最後、ライラトゥ・ル・クァドル(みいつの夜)の時期でもあります。「天からの祝福が注がれる日」とされていますが、そういえばバパ・ムハマッド・スブーは、「日本の昭和天皇は今の時代に神が地上に遣わされた使徒の一人である」と言っておられたのを思い出しました。

 

*日本の皇室が特別な存在であって、主なる神に愛され導かれていることは明らかです。しかし、ある種の呪縛がかけられていたらしく、ベラさんは、伊勢神宮に参拝されたときにそれを解いたと言われましたが、以前ブログに書かせていただいたように、悠仁親王のお印(エンブレム)と決められた「高野槙」がそもそも棺桶の材料として定められた木であることや、上皇様の誕生日である12月23日が祝日から外され平日に戻されてしまったことなど、いまだに闇の力が皇室に作用し続けているようです。前にも書かせていただきましたが、天皇陛下の運命はそのまま日本国民の運命とリンクしています。出口ナオ開祖は昇天されて後、皇室を守護すると申しておられましたが、(「開祖は御所の中に入って守護すると、何時も言っておられた」『新月のかけ』)、今は我々日本国民の一人一人が、皇室のために祈らねばならない時だと思います。

 

皇尊彌榮(すめらみこといやさか)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキング