神国日本の真の意味 (世界平和を実現する使命) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

「つねに神を信じ、神命を自覚して、『われよし』を改めねば戦争はなくならない」

 

 “島本覚也(注:古神道の大家、大石凝真澄美の孫弟子であり、のちに酵素農法、微生物農法を確立した)の出口王仁三郎への混乱は、ひょんなことから氷解する。その年(昭和19年)、三重県桑名市にある天武天皇社において、「古事記」編纂千三百年祭なるものが執行され、「古事記」研究者が全国から集まった。その祭典に島本が尊敬している昭和天皇の側近一条実孝公が出席していた。そこで島本覚也は一条公に、「公は出口王仁三郎という人をどうお思いですか」と訊ねたのである。 一条公の答えは、「ああ出口君か。あれはすばらしい人物だ。あの人が国家や皇室に対して不敬を働くはずがない。不敬なのは宮内省神祇官の連中のほうだ」であった。”

  

 “出口王仁三郎と島本覚也の対座は、五時間に及んだという。話題は国学研究から神道論、惟神(かむながら)の道と拡がったが、ここで重要なことは時局と日本の将来についてであった。

 神国日本が負けるはずがないというのが、一般の風潮であった。なのに、出口王仁三郎は敗戦を予言し、しかも負ける日までも決まっていると断言していることを、島本は耳にしていた。

 「日本は負けるのですか」

 島本は率直に質問した。

 「いま、戦争を起こしているのは、真の日本ではない。また、真のアメリカでもない。日本に巣くう、もっと悪い日本の一部と、アメリカのそれが戦っているのだ。早く負けてほんとうの日本に生まれ変わることだ。そのほうが日本のためにはめでたいことだ」

 王仁三郎ははっきりとそう言い切った。

 「めでたい?」

 島本は王仁三郎の放言に驚いた。官憲に聞こえたら監獄に逆戻りである。

 「真の日本は、世界人類愛善の旗のもとに、世界平和を打ち立てる宿命を神から負わされている。好むと好まざるを問わず、自然にそういう宿命の道を歩かざるを得ない」

 「では負ける戦争を日本はなぜ起こしたのです」

 島本覚也の頭の中には、太平洋戦争が始まる半年前の一条実孝公の言葉が妙にひっかかっていた。それは昭和天皇は戦争反対であり、中国との戦争も早く終結させなければならないというのが大御心であるということを、彼は一条公から聞かされていた。

 「いまの戦争は『われよし』で自分達が一番正しく、偉いと思っている。それで戦争が起きるのだ。日本ばかりではなくアメリカもソ連も他の国の人々も、この『われよし』を改めないかぎり戦争はあとをたたない。だから、つねに神を信じ、神命を自覚して『われよし』を慎まねばならない。『われよし』を改めないかぎり何度も苦難や試練を受けなくてはならないのだ」

 それが王仁三郎の答えであった。”

 

         (忰山紀一「名人たちの東洋医学」『真農の権威者 島本覚也』)

 

 

 

・ルドルフ・シュタイナーの主張    「神秘学的な叡智を普及させねばならない」

 “それでは、唯物論と同族の結びつきを克服することを通しての霊性と普遍的人類愛の獲得は、どのような手段と方法によってなされうるかを考えてみましょう。正しい普遍的人類愛を強調する必要があり、人間愛を目的にした結びつきを作らねばならない、という意見が生まれるかもしれません。神秘学は決してこのような意見を抱くことがありません。反対です。普遍的兄弟愛や人間性について語れば語るほど、自分の言説に酔ってエゴイストになってしまうのです。感覚的な歓楽があるように、魂的な歓楽が存在します。「私は道徳的、倫理的にますます向上したい」というのは狡猾な淫蕩のもたらす歓楽なのです。このような言説は通常のエゴイズムではありません。このような歓楽から生じるのは老獪なエゴイズムです。

 愛や同情を説くことによって、人類が進化するのではありません。もっと別の何かを通して、人類は友情を作り上げていくのです。別の何かとは霊的認識にほかなりません。普遍的な人間的友愛をもたらす手段は、神秘学的認識の普及以外にはありません。人々はいつも愛や人類の同胞化について語り、いくつもの連盟が創設されますが、目標を達成することはありません。正しいことを行うには、どのように人類の結びつきを創造するかを知る必要があります。全人類に通用する神秘学的な真理を生きる人々だけが、一つの真理の下にともに存在するのです。植物はみな太陽に向かって生長しながらも、しかも、個々の植物は個体性を有しています。そのように、真理は一元的なものでなければなりません。統一的な真理を目指すことによって、人々はともに在ることができるのです。人間は真理に向かって精力的に働かねばなりません。そうして初めて調和的な共同の生活が可能になるのです。

 「人はみな真理に向かって努力しているではないか。だが、さまざまな観点があるゆえに、闘争が生じ、分裂が生じるようになるのではないか」と反論されるかもしれません。・・・このような考えは、真理について十分に根本的な認識がなされていないために生じます。真理についてさまざまな観点があるということはできないのです。真理は唯一でしかありえないということを、まず認識しなければなりません。真理は国民投票に依存するようなものではありません。真理はそれ自体において真実なものなのです。三角形の内角の和は一八〇度であるかどうかを投票で決めたりするでしょうか。百万人の人々が承認しようと誰一人承認しまいと、この定理は真理なのです。真理には、民主主義というものは存在しません。まだ考えの一致しない者同士が真理に向かう事に、すべての闘争の原因が存在するのです。「だが、神秘学的な事柄に関しても、ある者はこう言い、また別の者は違う意見を主張している」といわれるかもしれません。このようなことは、真の神秘学においては生じません。物質的なことに関しても同じです。ある人はこういい、他の人は違うことをいう場合、どちらかの意見が間違っているのです。神秘学においてもそうです。神秘学を理解する前に神秘学を判断するのは、礼儀を欠いています。

 第六文化期における人類の努力目標は、神秘的真理の普及にあります。これが時代の使命なのです。霊的に結集した協会は、神秘学真理を人生にもたらし、適応させるという課題を持っています。このことが現代には欠けているのです。いかに今日、みなが正義を探し求め、そして、誰も正義を発見できないかを考えてみてください。現代は、無数の問題、教育問題、婦人問題、医療、社会問題、食料問題を抱えています。何人もの人がこれらの問題を解決しようとして、無数の論文や本が書かれていますが、どれも自分の観点から意見を述べていて、中心となる神秘学的真理を学ぼうとはしていません。霊学的、神智学的な真理についての抽象的な知識が問題なのではなく、社会問題、教育問題を研究するために、霊学の真理を直接生活の中にもたらすこと、人生を真の神秘学的叡智の観点から研究することが大切なのです。・・・けれども、そのためには最高の叡智を認識しなければならないと反論されるかもしれませんが、人生に適用されるものをつねに完全に認識していなければならないと考える必要はありません。・・・”

 

       (ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」平河出版社)

 

 

・G・I・グルジェフの主張   「人間の内にある原因から手をつけなくてはならない」 

 “戦争を嫌う人々は、ほとんど世界創造の当初からそうしようと努めてきた。それでも現在(20世紀初頭)やっているような規模の戦争は一度もなかった。戦争は減らないどころかむしろ増えており、しかもそれは普通の手段では止めることができない。世界平和とか平和会議などに関するすべての理論も、単に怠惰、欺瞞にすぎない。人間は自分自身について考えるのも働きかけるのも嫌で、いかにして他人に自分の望むことをやらせるかばかり考えている。もし、戦争をやめさせたいと思う人々が十分な数だけ本当に集まれば、彼らは先ず、彼らに反対する人々に戦争を仕掛けることから始めるだろう。また、彼らはまちがいなく、別の方法で戦争をやめさせたいと思っている人たちにも戦争を仕掛けるだろう。彼らはそういうふうに戦うだろう。人間は今あるようにあるのであって、別様であることはできない。戦争には我々の知らない多くの原因がある。ある原因は人間の内にあり、また他のものは外にある。人間の内にある原因から手をつけなくてはならない。環境の奴隷である限り、巨大な宇宙の力という外からの影響をいかにして免れることができよう。人間はまわりのすべてのものに操られているのだ。もしものごとから自由になれば、そのときこそ人間は惑星の影響から自由になることが出来るのだ。

 自由、解放、これが人間の目的でなくてはならない。自由になること、奴隷状態から解放されること・・・人間が自己の位置に少しでも気づけば、これこそが彼の獲得すべき目標になる。内面的にも外面的にも奴隷状態にとどまる限り、彼にはこれ以外に何もなく、また可能なものもない。さらに、内面的に奴隷である間は、外面的にも奴隷状態から抜け出すことはできない。だから自由になるためには、人間は内的自由を獲得しなければならないのだ。

 人間の内的奴隷状態の第一の理由は、彼の無知、なかんずく、自分自身に対する無知だ。自分を知らずに、また自分の機械の働きと機能を理解せずには、人間は自由になることも自分を統御することもできず、常に奴隷あるいは彼に働きかける力の遊び道具にとどまるだろう。

 これがあらゆる古代の教えの中で、解放の道を歩みはじめるにあたっての第一の要求が〈汝自身を知れ〉である理由だ。・・・”

 

 “・・・意識的な二百人で地上の生きとし生けるものすべてを変えることができる。しかし今は、彼らの数が十分でないか、彼らが望まないか、おそらくその時期がまだ来ていないか、あるいは他の人々があまりに深く眠っているかのいずれかなのだ。”

 

       (P・D・ウスペンスキー「奇蹟を求めて」平河出版社)