神国の宗教 〔黒住宗忠〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

〔宗忠神社(岡山市)〕

・黒住教 「御訓誠七ヵ条」 

 

一、神国の人に生まれ常に信心なき事
 

一、腹を立て物を苦にする事
 

一、己が慢心にて人を見下す事
 

一、人の悪を見て己れに悪心をます事
 

一、無病の時家業おこたりの事
 

一、誠の道に入りながら心に誠なき事
 

一、日々有り難き事を取り外す事
 

 

 “黒住宗忠曰く、

   誠ほど有難きものはなし

        まこと一つで四海兄弟

 これに依っても明らかな如く、宗忠の神道は、従来の国民的宗教の範囲を超えて、常々と世界に向かって、誠を宣説し、世界人類の恒久平和を念願とする所の世界的宗教を提唱した訳で、彼こそは神道に、世界的視野を与えた革命的な宗教家であることがわかるのである。高弟河上市之丞は、宗忠の意を体して、「伝道新篇」(全漢文)の長大篇を作り、支那布教を計画している。

 その神観に於いても、最早や昔日の如き、単純なる多神教でもなく、単一神教でもなければ、又素朴なる唯一神教でもなく、いわば万有神教(汎神教)と唯一神教とが、微妙な調和を示すが如き、産出型の神観と進歩している。宗忠の観得した天照大神は、単に日本国をのみ守護する所の国民的な神ではなくて、宇宙の本体であり、法界に周遍して無始無終なる理神の一面を持つと共に、万物の生みの親なる人格性を有する所の神なのである。而もその神の本心が、直ちに人間たる吾等の本心であるとする所の、一条兼良や忌部正通あたりの思想をも通過して、頗る哲学的色調を帯びた高度の宗教となっており、更に大乗仏教たる禅宗等をも咀嚼して、頗る仏教禅的な雰囲気を帯びてもおるのであって、人によれば、宗忠の神道は、生えぬきの日本禅であり、神道禅であると評する向きもある。彼の宗教が、神道として、非常に高度の発達を遂げていることはこれでよくわかる。”(P112~P113)

 

 “けれども、それはそれとして、彼宗忠は、それでは単なる世界主義者かというに、必ずしもそうではない。彼は骨のズイからの日本人であった。

  有難やわれ日の本に生まれ来て

        その日の本に住むと思えば

  日の本に生まれながらに日を知らず

        枝葉にともす火をかりて見る

 彼は、日本人としての誇りと自覚を堅持して、徒に外国崇拝に堕したり、祖国を軽視して世界人面をする当今の才子などと同一の人種ではなかった。のみならず、彼は忠孝の重んずべきを説いてやまなかった。そのような彼であるから、神国日本に生まれたことも忘れて、とくとくと無神主義を説きまわる学者に対しては、平素の穏健な人柄にも似ず、門人達がはらはらする位に攻撃を加えている。

 「神も仏もなきものなどと云いちらして、人の子を迷わし、神仏をそしる当節の学者は、親殺し主殺しにもまさる大罪人でござる」

と、彼は手にした扇子で、烈しく高座のフチを叩きながら、屡々絶叫したということである。円満無碍で、いつ見てもにこにことしていた彼を、かくまで憤激せしめたのであるから、当時の学者たちの無神論も相当なものであった訳で、今も昔も変わらぬ世相ではある。それかあらぬか、彼はそのいわゆる「七ヵ条」の冒頭第一に、

  神国の人に生まれ常に信心なき事

をあげて、先ず是をいましめ、自ら、生涯六度にわたる参宮を行い、五十鈴川の原頭に立って、至誠を神に披瀝している。彼は決して、国民的神道を無視したのではなく、却って、その国民的神道の当然の理想として、普遍的神道を唱道したと見なければならぬ。

  神風や伊勢とこことはへだつれど

        心は宮の内にこそあれ

と、つねに伊勢神宮と共にあるの厳粛なる感慨を漏らしていることを以ても、思い半ばにすぎるものがある。殊に彼は、勤王の家系に血を享けて、胸中鬱勃たる尊皇精神を抱いていたことは定説であり、その神詠と伝えられるものに、左の如き一首がある。

  天照す神と君との一筋を

        忘れ給うな人の心に

 これは、尊皇精神を詠じたものとして知られている。かくして彼宗忠の開拓した神道は、国民性に深く根ざしたる普遍的宗教であり、この意味で、日本民族のあらん限りを永久に、忘却すべからざるものである。

 前記の高弟河上市之丞が、讃詩の中に、

 「衆曰偉哉 先生之力 神道之光」

といったのは、決して溢美の言ではない。

   天照す神の御徳を世の人に

         残らず早く知らせたきもの

と、燃ゆるが如き彼の宗教的熱情は、日本神道の光芒として、永久不滅の価値がある。”(P115~P117)

 

(延原大川「哲人宗忠」(明徳出版)より) 

 

 

・「道の(ことわり)」 

 

 「凡(およ)そ天地の間に万物生々する其の元は皆天照太神(あまてらすおおみかみ)なり。是れ万物の親神にて、その御陽気天地に遍満(みちわた)り、一切万物、光明温暖(ひかりあたたまり)の中に生々養育せられて息(や)む時なし。実に有難き事なり。

 各々体中に暖気(あたたまり)の有るは、日神(ひのかみ)より受けて具えたる心なり。心はこごると云う義にて、日神の御陽気が凝結(こりこご)りて心と成るなり。人慾を去り、正直に明かなれば、日神と同じ心なり。心は主人なり、形は家来なり。悟れば心が身を使い、迷えば身が心を使う。

 形の事を忘れ、日神の日々の御心に任せ、見るも聞くも一一味わい昼夜有難い嬉しいとに心を寄せ、御陽気をいただいて下腹に納め、天地と共に気を養い、面白く楽しく、心にたるみ無きように、一心が活きると人も生きるなり。生きるが大神の道、面白きが大神の御心なり。教えは天より起こり、道は自然と天より顕るるなり。

 誠を取外(とりはず)すな。天に任せよ。我を離れよ。陽気になれ。活物(いきもの)をつかまえよ。古(いにしえ)の心も形なし。今の心も形無し。心のみにして形を忘るる時は今も神代、神代今日、今日神代。世の中の事は心程づつの事なり。心が神なれば即ち神なり。」

 

*幕末の備前岡山で立教された黒住教は、今村宮という神社の神官であった黒住宗忠(むねただ)教祖の神秘体験、太陽神である天照大御神との合一の体験がその始まりとされています。当然ながら、太陽神信仰がその教義の中心ですが、黒住教で礼拝対象となっている天照大御神は、単なる太陽神ではなく、天地の親神様の顕現としての太陽神=天照大御神であって、これもまた主神信仰の一つの形態です。宗忠教祖の時代から伊勢神宮との関係が深く、その一方で黒住宗篤 三代教主は出雲大社の千家国造家から妻を迎えており(確か四代教主か五代教主もそうだったと思います)、出雲の霊性とも結びついているようです。なお、京都神楽岡の吉田神社(大元宮)の近くにある宗忠神社は、黒住宗忠教祖の高弟であった赤木忠春先生によって建てられたもので、孝明天皇の唯一の勅願所(天皇陛下が国・国民の平安を祈る社寺)となっていました。宗忠神社で下される神託は孝明天皇にも伝えられ、あまり知られてはいませんが、実は皇室を陰ながら支え続けた神社でもあります。

 

*チベット仏教の最高指導者であり、チベット亡命政権の代表でもあるダライ・ラマ法王は、複雑な国際関係のため長きにわたり日本に入国できなかったことがありました。残念なことに日本の仏教界、宗教界は、中国との関係を考慮して、チベット仏教側の協力要請を無視し続けていたのですが、その時に唯一岡山の黒住教が名乗りを上げ、黒住教が責任教団として招聘することで、平成七年三月に、十一年ぶりにダライ・ラマ法王の来日が実現しました。このとき、ダライ・ラマ法王は、黒住教の本部である岡山市の神道山大教殿で玉串奉奠をされています。

 

*黒住教は、昭和42年に西日本で初めての本格的な重度障害児施設「旭川児童院」を開院させるなど、様々な福祉活動や吉備楽道場などの芸術活動に力を入れています。親子で人間国宝に認定された備前焼作家の藤原啓、雄氏や、藤原建氏、現代アートの横尾忠則氏も黒住教信徒です。

 

*ちなみに皇道大本開祖、出口ナオの本霊は、稚姫岐美命(わかひめぎみのみこと)とされていますが、この神は天照大御神の妹であり、伊勢の香良洲神社や高野山の丹生都比売神社に祀られています。

 

・「神国」としての日本の使命  〔出口王仁三郎〕

 

 “島本覚也の出口王仁三郎への混乱は、ひょんなことから氷解する。その年(昭和19年)、三重県桑名市にある天武天皇社において、「古事記」編纂千三百年祭なるものが執行され、「古事記」研究者が全国から集まった。その祭典に島本が尊敬している昭和天皇の側近一条実孝公が出席していた。そこで島本覚也は一条公に、「公は出口王仁三郎という人をどうお思いですか」と訊ねたのである。一条公の答えは、「ああ出口君か。あれはすばらしい人物だ。あの人が国家や皇室に対して不敬を働くはずがない。不敬なのは宮内省神祇官の連中のほうだ」であった。”

  

 “出口王仁三郎と島本覚也の対座は、五時間に及んだという。話題は国学研究から神道論、惟神(かむながら)の道と拡がったが、ここで重要なことは時局と日本の将来についてであった。

 神国日本が負けるはずがないというのが、一般の風潮であった。なのに、出口王仁三郎は敗戦を予言し、しかも負ける日までも決まっていると断言していることを、島本は耳にしていた。

 「日本は負けるのですか」

 島本は率直に質問した。

 

 「いま、戦争を起こしているのは、真の日本ではない。また、真のアメリカでもない。日本に巣くう、もっと悪い日本の一部と、アメリカのそれが戦っているのだ。早く負けてほんとうの日本に生まれ変わることだ。そのほうが日本のためにはめでたいことだ」

 

 王仁三郎ははっきりとそう言い切った。

 「めでたい?」

 島本は王仁三郎の放言に驚いた。官憲に聞こえたら監獄に逆戻りである。

 

 「真の日本は、世界人類愛善の旗のもとに、世界平和を打ち立てる宿命を神から負わされている。好むと好まざるを問わず、自然にそういう宿命の道を歩かざるを得ない」

 

 「では負ける戦争を日本はなぜ起こしたのです」

 島本覚也の頭の中には、太平洋戦争が始まる半年前の一条実孝公の言葉が妙にひっかかっていた。それは昭和天皇は戦争反対であり、中国との戦争も早く終結させなければならないというのが大御心であるということを、彼は一条公から聞かされていた。

 

 「いまの戦争は『われよし』で自分達が一番正しく、偉いと思っている。それで戦争が起きるのだ。日本ばかりではなくアメリカもソ連も他の国の人々も、この『われよし』を改めないかぎり戦争はあとをたたない。だから、つねに神を信じ、神命を自覚して『われよし』を慎まねばならない。『われよし』を改めないかぎり何度も苦難や試練を受けなくてはならないのだ」

 

 それが王仁三郎の答えであった。”

 

(忰山紀一「名人たちの東洋医学」『真農の権威者 島本覚也』より)

 

*島本覚也氏は、古神道の大家、大石凝真澄美の孫弟子であり、のちに大本信徒となって、酵素農法、微生物農法を確立した人物です。一時期、愛善みずほ会の会長でもありました。

  

*文中の一条実孝公は、戦後は、肥後の神人松下松蔵師から神通力を授かったとされる本城千代子女史を支持しておられたようです。

 

・ルドルフ・シュタイナー

 

 “多神教の方が、実は神界の現実に則しており、その意味で正しいのである。一神教は永遠の真理なのではない。世界の根底の統一性を開示する存在が自我の力を人間に与えるとき、一神教という思想が生まれるのである。その意味で、一神教は非常に重要なものなのであるが、これからは一神教によって強められた思考を保ちながら、数多くの神々に向かい合う時代に来ている。たんに多神教的に神々に向かい合うだけでは、太古の意識状態に先祖帰りするだけで終わってしまい、今までの進化は無駄になってしまう。一神教的な思考力をいささかも失うことなく、神々に向かい合う必要があるのである。

  (松澤正博・西川隆範共著「いま、シュタイナーの「民族論」をどう読むか」(イザラ書房)より)

 

 

 “それでは、唯物論と同族の結びつきを克服することを通しての霊性と普遍的人類愛の獲得は、どのような手段と方法によってなされうるかを考えてみましょう。正しい普遍的人類愛を強調する必要があり、人間愛を目的にした結びつきを作らねばならない、という意見が生まれるかもしれません。神秘学は決してこのような意見を抱くことがありません。反対です。普遍的兄弟愛や人間性について語れば語るほど、自分の言説に酔ってエゴイストになってしまうのです。感覚的な歓楽があるように、魂的な歓楽が存在します。「私は道徳的、倫理的にますます向上したい」というのは狡猾な淫蕩のもたらす歓楽なのです。このような言説は通常のエゴイズムではありません。このような歓楽から生じるのは老獪なエゴイズムです。

 愛や同情を説くことによって、人類が進化するのではありません。もっと別の何かを通して、人類は友情を作り上げていくのです。別の何かとは霊的認識にほかなりません。普遍的な人間的友愛をもたらす手段は、神秘学的認識の普及以外にはありません。人々はいつも愛や人類の同胞化について語り、いくつもの連盟が創設されますが、目標を達成することはありません。正しいことを行うには、どのように人類の結びつきを創造するかを知る必要があります。全人類に通用する神秘学的な真理を生きる人々だけが、一つの真理の下にともに存在するのです。植物はみな太陽に向かって生長しながらも、しかも、個々の植物は個体性を有しています。そのように、真理は一元的なものでなければなりません。統一的な真理を目指すことによって、人々はともに在ることができるのです。人間は真理に向かって精力的に働かねばなりません。そうして初めて調和的な共同の生活が可能になるのです。

 「人はみな真理に向かって努力しているではないか。だが、さまざまな観点があるゆえに、闘争が生じ、分裂が生じるようになるのではないか」と反論されるかもしれません。……このような考えは、真理について十分に根本的な認識がなされていないために生じます。真理についてさまざまな観点があるということはできないのです。真理は唯一でしかありえないということを、まず認識しなければなりません。真理は国民投票に依存するようなものではありません。真理はそれ自体において真実なものなのです。三角形の内角の和は一八〇度であるかどうかを投票で決めたりするでしょうか。百万人の人々が承認しようと誰一人承認しまいと、この定理は真理なのです。真理には、民主主義というものは存在しません。まだ考えの一致しない者同士が真理に向かう事に、すべての闘争の原因が存在するのです。「だが、神秘学的な事柄に関しても、ある者はこう言い、また別の者は違う意見を主張している」といわれるかもしれません。このようなことは、真の神秘学においては生じません。物質的なことに関しても同じです。ある人はこういい、他の人は違うことをいう場合、どちらかの意見が間違っているのです。神秘学においてもそうです。神秘学を理解する前に神秘学を判断するのは、礼儀を欠いています。

 第六文化期における人類の努力目標は、神秘的真理の普及にあります。これが時代の使命なのです。霊的に結集した協会は、神秘学真理を人生にもたらし、適応させるという課題を持っています。このことが現代には欠けているのです。いかに今日、みなが正義を探し求め、そして、誰も正義を発見できないかを考えてみてください。現代は、無数の問題、教育問題、婦人問題、医療、社会問題、食料問題を抱えています。何人もの人がこれらの問題を解決しようとして、無数の論文や本が書かれていますが、どれも自分の観点から意見を述べていて、中心となる神秘学的真理を学ぼうとはしていません。霊学的、神智学的な真理についての抽象的な知識が問題なのではなく、社会問題、教育問題を研究するために、霊学の真理を直接生活の中にもたらすこと、人生を真の神秘学的叡智の観点から研究することが大切なのです。……けれども、そのためには最高の叡智を認識しなければならないと反論されるかもしれませんが、人生に適用されるものをつねに完全に認識していなければならないと考える必要はありません。……”

 

(ルドルフ・シュタイナー「薔薇十字会の神智学」(平河出版社)より)

 

 

 

 

 

 

 


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