755.究極の芸術の本質
ちょっとヤバい話。私の仕事はピアノ教師。しかし、最近熱望していることがある。演奏活動はしていないが、ピアノ教師と言うよりも芸術家でありたいということ。発端は宇宙。宇宙の存在を見つめ、想像を膨らませていったときに、時代も地域も超え、人種も宗教も国籍も超え、我々は地球という星に共存している地球人であって、細かいことなどどうでもいいと思うに至った。音楽もしかり。時代や国籍、地域によりその演奏スタイルは変えるべきと言うのが王道。国際コンクールの場においても、作曲家によって弾き分けることを要求される。確かに修業時代においては必要なこと。白洲正子氏も語っていたが能の世界でも、形を知ることに始まり、それを極めなければ自由にはなれないという。私は日常において修業時代の学生を主に相手をしているわけだから、形を教えるのはいたしかたがない。でも正直、私にとっては今の私の芸術的感覚にのっとったならば、形を重んじることさえ、くだらなくさえ思えてきてしまう境地に至った。なぜなら、音楽も含めすべての物事を宇宙として捉えているからだ。極めた芸術と言うのはもっと普遍的で宇宙的だと感じる。ベートーヴェンとショパンを弾き分けることは大切だが、究極的には同じ人間の魂の叫びに変わりはなく、時空を超えたところに本質がある。例えば、人間の本質の1つにロマンがある。ロマン派以外の作曲家の心にロマンはないのだろうか?答えは否。そんな境地が今の本音だが、それでも今日も私は形を教え続けるのだろう。にほんブログ村