昨日のレッスンでふと思ったこと。
生徒の演奏が非常に良い方向に変貌を遂げているのでしみじみと思ってしまった。
良く短期間にここまで上手くなってくれたなぁ~と。
思うに、奏法を変えたくて私のところに習いに来ているわけだが、それだけでも奏法を変えようと思わないピアノ学習者たちの中では貴重な存在だと思う。
奏法が変わらなくては響きも変わらない。
響きが変わらなくては音楽も変わらない。
音楽が変わらなくては成長もしない。
いわば、相乗効果でよい方向に向かうという方程式が成り立っていると思う。
思うに、奏法、響きを変えることなくして、音楽を変えよう、成長したいと思っている人はたくさんいるだろうが、奏法、響きを変えるプロセスを省いて、音楽的成長を考えても、そこには限界があると思う。
私から言わせれば、ピアノと対峙する上で、音楽と対峙する上で、具体性が欠如していて抽象的過ぎる捉え方だと思う。
想像や空想、考えることだけで音楽が変わる、成長するのだったら、世界中ソコロフやアルゲリッチみたいなレヴェルのピアニストであふれているだろう。
でも、それには遠く及ばないピアニストであふれている。
音楽は素晴らしい。奇跡だ。
でも、その存在を神格化し、あげまつって考え、思い込みだけの世界で捉えてしまっている人は多いような気がする。
それに気が付くか否かで、音楽の女神がその人に微笑んでくれるかどうか、わかれると思う。