《前編》 より

 

【中国で入れ替わった仏教】
 中国で「経」になったとたんに、釈迦の教えは「タオの書」に変わってしまいました。釈迦の「アプリオリなものはない」という宗教が、中国の「アプリオリなものはあります」という宗教に、その本質をごっそり入れ替えられてしまったということです。(p.165)
 著者は、パーリ語やサンスクリット語の経典が中国語に翻訳されたことで、釈迦の語ったことが正しく伝わらなくなってしまったと言っている。つまり、中国経由で仏教を学んだ日本人は、仏教を正しく認識・理解していない、と。
 これは、昔から言われていることだけれど、釈迦の語りがそのまま日本に伝わっていたとしても、日本には根づかなかった可能性もあるだろう。「原典にしか真実はない」とは必ずしも言えないはずである。

 

 

【「愛」と「空」】
 親鸞の考え方は、もともとの仏説とは異なります。 ・・・(中略)・・・ 。
 それは釈迦が教えた「すべてのものは幻である」という考え方とは、ずいぶん思想的には離れたものです。釈迦は、人間は無条件の愛によって救われるから安心しなさいといったのではありません。私たちが抱く恐怖心も、焦りも、はたまた興奮も歓喜も、さらには如来さえもすべてが関係性のなかでのみ成立する「空」であることを悟り、その悟りによって安らかな心を持ちなさいと教えました。(p.180)
 とてもクールで知性的な解釈である。説明にはなっていても、多くの日本人は「それって、机上の空論みたいな説明ね」って言うんじゃないだろうか。法然や親鸞は、人々を本当に救わんがために、“無条件の愛”の代替として「念仏」という手法を用いたのである。それが仏説とは異なっていたとしても、当時の人々の理解力と文化的人間性に照らして「念仏のみで救われると」いう手法は最適だったのである。そして愛を基とする思想は、科学技術が進んで平均的に理解が深まっている現代人においても、いまだに有効に機能するはずである。なぜなら、「愛」は感性場に、「空」は理性場に基づくものであり、領域を異にしているからである。日本人の特性は、昔も今も前者に比重が置かれている。釈迦より、日本仏教の祖師たちの方が日本人をよく知っていた。
 釈迦の教えは、神が人間に寄せる無条件の愛といった、人間の心に強烈に突き刺さる幻想を売り物にしていません。むしろ、人間にまとわりつくそうした幻想を徹底的に剥ぎ取り、その足かせや頸木から自由になることを教えています。
 その意味で、宗教的には非常に貧弱かもしれませんが、神の存在が科学によって正式に否定されたいま、思想的に強烈な生命力を放ちつつあります。(p.180-181)
 そう思えるのは、著者のように科学(理性)的な思考に慣れ親しんだ人のみだろう。
 多くの人は、この文章を読んで、「愛は幻想ではありません」というに違いない。

 

 

【日本という国】
 仏教が伝播する過程で、キリスト教の思想が大乗仏教に流入しているはずである。
   《参照》   『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ 光文社 《中編》
   《参照》   『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ 光文社 《後編》

 血統が保たれたものより、混血のほうが一般的に強く逞しくなるように、キリスト教思想の混入した大乗仏教はハイブリッド化することで強く逞しくなっていったはずである。そして、日本という国は、まさにそう言う国なのである。性格の異なる神々たちが混血し和する国であり、思想もまたそれに準ずることによって日本に馴染むようになるのである。
 混成は劣化を意味しない。
 むしろ純化することがありうる。
 全ての色調の光を混ぜると「白」になるがごとくである。

 

 

【憲法の作為】
 日本国憲法第26条には、「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」と書かれています。 ・・・(中略)・・・ 。
 憲法とは何かという根本を思い起こしてください。
 憲法とは、そもそも国家権力を規制するための法律です。国民に保障されている基本的な権利を盛り込み、それを最高法規とすることで、権力が恣意的に国家を運営することを抑止するというのが、憲法が生まれたそもそもの背景です。 ・・・(中略)・・・ 。
 憲法のこうした性格をきちんと把握すれば、教育を受けることが国民の義務であるはずはありません。教育は国民の権利です。
 教育を国民の義務と位置づけるから、文部科学省は教育サービスをしてやっているという態度を改めません。そして、学校ではとんでもない先生が幅を利かし、教育現場の崩壊もどんどん進んでいくのではないでしょうか。
 日本だけでなくほとんどの国において、教育は国民の義務と位置づけています。本来、権利であるものを義務としているところに、私は何か作為的なものを感じます。 ・・・(中略)・・・ 。
 私はそこに、国家という幻想を成り立たせる非常に単純なトリックが隠されているように思います。(p.199-201)
 憲法は、国家権力を抑止するのではなく、国家が国民に義務を負わせているのである。
 教育が権利ではなく義務であるということは、すなわち、国家教育による洗脳を意味する。いかなる洗脳であろうか? 貨幣経済というシステムを必要不可欠なものであるかのように強固に意識の中に刷り込んでゆき、労働によって得たものの一部を国家に納税する義務があると教え、国民はすべからくこの義務のために生きるのである、と洗脳するのである。
今、この世界を狂わせている大本ははっきりしている。貨幣経済制度というシステムである。
    《参照》   『日本はドラゴニアンが作った世界最強の神州! だから、破滅の淵から這い上がる』高山長房《後編》
              【貨幣制度廃止・万事無償奉仕の新地球社会建設を目指さなければ・・・】

 

 

【アメリカが冷戦を仕掛けていなければ】
 ソビエト連邦が成功していた戦後の一時期は、資本主義よりもよほどいい社会が実現している部分もあったことは否定できません。アメリカが冷戦を仕掛けていなければ、ソ連はあのまま成功していた可能性もあるでしょう。戦費は、資本主義ではビジネスつまり売上になりますが、共産主義ではコストにしかなりません。だから、長い冷戦でアメリカ経済は潤い、ソ連は疲弊したのです。いずれにしても、資本主義こそが最善であるという価値観は、疑ってかからなくてはなりません。(p.204)
 アメリカが冷戦を仕掛けていなければ・・・という記述は、チャンちゃん自身にとっても「盲点」だった。先に崩壊したのだから、やはり共産主義は劣った制度だった、と考えてしまうこと自体が、貨幣制度というスコトーマ(無意識にかけられた盲点・罠・枷)に囚われている証拠だったのである。
 資本主義の崩壊を急がせていたかのようなグリーンスパンの行動の背後には、ロシア人女性・アイン・ランド女史の思想があったのだけれど、彼女の思想は、単に失われたロシア王国の無念を晴らすためというより、貨幣システムなき理想社会の夢が託されたものだった、と考えることもできるだろう。
   《参照》   『連鎖する大暴落』 副島隆彦 (徳間書店)
             【アイン・ランド女史】

 とにかく、「貨幣経済が全てを狂わせている」ということに、全人類が早く気づくべきなのである。
 学生時代なら、そんなこと言われてもチャンちゃんにも理解できなかっただろうし、馬鹿馬鹿しいとすら思ったかもしれない。しかし、現在の世界経済の状況を理解している人々なら、説明の要もなく理解できる人々は大勢いるはずである。
   《参照》   『プレアデス星訪問記』 上平剛史 (たま出版) 《前編》
             【諸悪の根源】
             【階級制度と貨幣制度は不要】

 

 

【ありもしない価値があたかも存在しているかのように・・・】
 本書で指摘した神や資本主義、あるいは国家についての強烈な思い込みと同様に、あなたは他人の言葉によって、ありもしない価値があたかも存在しているかのように信じ込まされているということです。(p.220)
 現在、日本のみならず世界中で経済格差が進行し、近い将来の経済生活のめどすら立たず沈み込んでいる人々が大勢いる。一方で、それぞれの国家が洗脳によって維持してきた、貨幣システムや年金制度や納税義務といった、「当たり前」と思っていることどもが、正常に機能しなくなっているのである。そもそも、それらは諸国家が人類に仕掛けてきたスコトーマ(盲点)だったのである。
 このことに気づけた人々が多ければ、地球の善化は促進される。しかし、何も気づかず現状のまま生きるだけの人々が大多数であるなら、地球の善化は甚だしく遅れてしまうだろう。
   《参照》   『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド) 《前編》
             【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】
             【貨幣経済社会からマネーフリー社会へ】

 

 

                                <了>

 

  苫米地英人・著の読書記録

     『日本の盲点』

     『脳と心の洗い方』

     『脳を味方につける生き方』

     『正義という名の洗脳』

     『経済大国なのになぜ貧しいのか?』

     『苫米地式「幸せ脳」のつくり方』

     『一瞬で相手をオトす洗脳術』

     『バイリンガルは二重人格』

     『なぜ、脳は神を創ったのか?』

     『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方』

     『夢が勝手にかなう脳』