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 2002年9月初版のこの本は、日本中の多くの人々と同様に対談者のお二人は9・11ニューヨークテロが演出されたものという事実を認識してない段階で行われた対談らしい。
 今日の若者達は、9・11が完全なビジネスとしてシナリオ通りに行われていたことをインターネットの動画情報などを通じて当たり前に知ってしまっているから、安保闘争といわれた昔の学生運動以来冷戦時代の精神を真摯に引き受けて論じてくれていた知識人と言われるオジさんたちの話を、とうてい真面目に聞く気にはなれない。それどころか白けてしまうのである。そんな若者達の多くは、反米でもあり反中でもあり反ロでもあり、総じて言えば反政治的ですらあるだろう。チャンちゃんも同じ様なものであるにもかかわらず、古書店でこの本を見つけて何となく読んでみたくなってしまった。

 

 

【アメリカ支配層の日本認識】
西部  ぼくはアメリカで暮らしたことがあるからわかるような気がするんですが、 ・・・(中略)・・・ おそらく彼らの神経、感覚、イメージの根本では、ものすごくちっぽけな、どうにでもいじり回せる国、それが日本なんです。 ・・・(中略)・・・ 。
小林  石原慎太郎・東京都知事が田原総一郎氏との対談(『週刊ポスト』2002年1月4日号)の中で、クリントン政権時代にサマーズ財務長官が、G7で当時の大蔵大臣・宮沢喜一を一括し、「日本人はオレが命令したらパンツまで脱ぐぞ」と呵々と大笑いしたという話をしていたけど、実際に連中はそういう感覚なのだと思う。何でも言いなりになる飼い犬としか思っていない。(p.45)
 ブレジンスキーの「ひよわな花」発言以来、アメリカの支配層が繰り返し日本を馬鹿にしきった発言をしているのは、多くの書籍で伝えられている。アメリカのみならず、中国の李鵬元首相も、「日本などという国は、数年後には地上から消えてなくなっている」という発言をしていたことも有名である。
 地上から消えるとしたら、日本ではなくアメリカや中国が先なのにね。

 

 

【日本の自衛隊は在庫処理係】
西部  自衛隊の一部はアメリカに対して本当に憤懣やる方ないと言っています。単に軍事演習上の指揮命令のときに犬ころ扱いされることへの人格的屈辱感ももちろんありますが、同時に明らかに向こうの兵器、武器の在庫処理としてあれこれ買わされることへの憤り。そういうことを自衛隊幹部は、上にいけばいくほど如実に味わっているわけです。(p.103)
 日本が民間企業が対米貿易で稼いだ黒字分のほとんどは、こうした在庫処分品みたいな軍需品を購入させることでアメリカに還流させていたんだろう。「安保ただ乗り」と言っていた人々がいるけれど、経済的には全然「ただ乗り」なんかじゃない。カウンターパートのソ連や中国に、暗黙の裡に技術を与え軍事力をもたせることで世界に大きな対立構造をつくっておき、その中で周辺諸国に軍需品をボカスカ買わせるというアメリカ支配層の狡猾な悪巧みに従わされているだけである。

 

 

【ホブゴブリン】
西部  アメリカには日本人は天皇制のもとで打ちひしがれているという日本観が一般市民のレベルにあるんです。たまにビールパーティーなんかで酔っぱらったときに、彼らは日本の天皇のことをホブゴブリンと呼ぶ。ゴブリンは鬼で、ホブというのは小さいという意味ですから、直訳すれば小鬼かな。もちろん彼らはしらふでは言わないけれど。言葉巧みに酔わせてやると、最後に乱雑な言葉で「どうして日本に天皇なんかがいるんだ。人間はみな平等なんじゃないのか」みたいなことを言ったときに、出てくる言葉がホブゴブリンなんです。(p.106)
 中国人も日本人のことを「シャオリーペン(小日本)」と馬鹿にして言うけれど、大国といわれる国に住む人々は、大きいことは優れていて小さいことは劣っているという意識があるらしい。ウドの大木くんたち、好きなように言ってな。
   《参照》   『驕れる中国 悪夢の履歴書』 黄文雄 (福昌堂) 《前編》
             【 「美化」 と 「醜化」 】

 

 

【知識人の役割】
西部  もともとソクラテスのやり方というのは、知識の産婆役だと言われるんです。どんな認識もどんな価値もどんな芸術も、教師が教え込むものではなく、生徒や学生本人が生むわけですね。知識人なんかのできることは、産婆役として、知識がうまく生まれ出るように手助けするくらいでしかないことが、2千5百年も前から分かっているわけです。(p.230)
 活字文化が栄える以前、人々は直接に対話を通じて学んだ。我々の時代は、活字を通じて学ぶことができる。しかし、近年はインターネット情報が豊富で知識は容易に得られるけれど、断片的なものが少なくないから、思想的な深さとか体系的な知を兼ね備えて構築するのが難しい。
 やはり、先人の本を読まなければ優れた知識は生み出せないだろう。時間が豊富にある学生時代は、大学院に行っている先輩達を捕まえて話を聞いたり、知識人などいろんな人たちの講演に出かけていってライブで知識を吸収するのがいい。優れたアウトプットは優れたインプットの継続からしか生じようがないのだから。

 

 

【学問は人間交際のためにあるもの】
 対談者のお二人は、対話することに楽しみと価値を見いだしている。
小林  最近わしより少し若い編集者や学者や表現者と食事したり酒飲んだりしてみるのですが、なかなか会話をはずませるのが難しいんです。ものすごく狭い、自分の仕事の範囲内の噂話ばっかりして、後に徒労感が残ることがある。特に論壇関係の編集や学者ってオタク化している。一般的な話題の中にそれぞれの専門の人たちが、それぞれの立場からいろんな意見を突っ込んでいって転がしていくというような会話の仕方が、既に30代、40代の人間から、50代まで含めて、できなくなっているんじゃないかな。 ・・・(中略)・・・ 。
西部  また福沢諭吉の話ですが、彼は『学問のすゝめ』の中で、すべての学問は人間交際のためにあるものだと書いているんです。僕はなかなか言い得て妙だなと思う。(p.224-225) 

西部  結局、人間というのは言葉の動物ですから、やっぱり、しゃべっていないと面白くない。(p.286-287)
 お二人とも、仲間と対話すること、そして一人の時間は読書に耽ること、この二つを通じて知識人として基礎を培ってきたんだろう。少なくとも学生時代の若者はみんなそうであるべき。一人で部屋にこもってPCばっかなんて困ったものである。

 

 

【人生の幅】
西部  僕が入っていた拘置所というのは、死刑を求刑されている死刑未決囚と、それから政治犯でした。・・・(中略)・・・。僕は中学生の頃、万引きに熱中したことがあるので元万引派と呼べばいいんです。高校のときのたった一人の親友がヤクザになりましたので、ヤクザの友と呼んだって僕はむしろ嬉しいぐらいのもんです。
小林  なるほどね。こう言っちゃなんだけど、やっぱりおもしろいというか、味わい深い人生送ってるなぁ。世間的な場数を踏んでいる。いわゆる知識人とか学者という連中、エリートと呼ばれる連中のほとんどは、 ・・・(中略)・・・ 規格外に一歩も踏み出せずに規格内で保護者付きの人生を歩んできたようなのが多いから、むしろ自分たちが世間的にはズレているってことにさえ気づかない。場数を踏む人生を歩んでいない。極限状況に出くわすことがほとんどなかったくせに天下国家を論じているから「テロ」なんて例題が出てくると、アメリカの模範生になりたくて「悪!」「撲滅!」としか答えられない。そこがほんとに人間として面白くないんだな。(p.240)
 西部さんの年代は、学園闘争の時代だったから政治犯として拘置所に入った経験のある人なんていっぱいいるだろう。でも中学生の頃は万引派だったというのは凄いこといである。チャンちゃんにはヤクザの友だちはいないけど、縁のあったヤクザさんからいろいろ話を聞かせてもらう機会があった。一般人としての日常生活からだけでは永遠に絶対に知りえない面白い話がたくさん聞けたものである。平凡な日常世界とは全く違う別世界を知っているのと知らないのとでは、確かに考え方に大きな違いが生ずるものである。
 ところで、保護者に褒められるだけの子供時代の優等生は、大人になっても時の権力国家(アメリカ)に褒められるだけの知識人にしかなれない。今でもテレビに出ている人々の中には、そんな知識人やポチ君たちが多い。というか殆どがこれである。
 チョット気骨ある若者達は、ウンコみたいな精神が長い物に巻かれてバームクーヘンみたいになっているオッサンたちの見事な年輪模様を嘲笑しながら凝視している。

 

 

【髪を染める日本人】
西部  日本代表が勝った後のインタビューで、最後に「髪を染めているのはどういう理由ですか」と聞いたインタビューアーがいました。するとその選手は「目立ちたいからですよ」と答えるわけです。・・・(中略)・・・。ともかくみんなして金髪、銀髪、赤髪というのはいただけない。
小林  要は西洋風ということですね。
西部  うん、もちろん知識人も含めて、日本人は西洋風は目立つというふうに暗黙のうちに認めているわけです。(p.256)
 サーッカー男子ワールドカップ日本代表選手の中には、髪を染める選手がいるけれど、海外のクラブに対して、自分自身を商品として売り込む目的で目立つように染めているんだろう。しかし、それを見た日本人たちが安易に真似し出すのは感心できない。女子サッカー選手は、世界中の人々が「大和撫子には黒髪が似合う」と言っているのを何度も聞いているはずだから、絶対に髪を染めたりなんかしないだろう。
 海外に出た経験のある人々は、外国被れになる人と、日本人であることに自覚を強くする人、の二手に分かれるけれど、前者は日本国内でも「出羽の守」と言われ好意的に受け取られないばかりか、外国人からも「黄色いサル」という表現で蔑視されていることくらい知っておいた方がいい。
   《参照》   『神道〈徳〉に目覚める』 葉室賴昭 (春秋社) 《後編》
             【出羽の守】
   《参照》   『男子、一生の問題』  西尾幹二  三笠書房
             【日本人の茶髪を “猿” と見る西洋人】
   《参照》   『国家の正体』 日下公人 KKベストセラーズ
             【崇洋媚外】
   《参照》   『アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』  日下公人  PHP
             【「わが国」】

 

<了>