《前編》 より
 

 

【敬うことを忘れた日本人】
 戦後は男女平等という考え方で、女房と亭主は平等であるという間違った考え方になってしまった。しかも、平等だったらまだいいんですが、女房が亭主を馬鹿にするという状態にまでなってしまった。そのために、日本の子供から敬う、尊敬するというこころがなくなってしまったのです。これは神を敬わないとか、そういうことにすべてつながっていく。(p.49)
      《参照》  『Descention ~自らを下げる~』 中里尚雄  ぶんがく社
               【愛しき日本の姫君達☆】
      《参照》   『アミ3度目の約束』 エンリケ・バリオス (徳間書店) 《前編》
               【叡智と敬いの気持ち】
 男の役目というのは一生かけて家庭を守る。とくに女房を守ることだと思うのです。死んでからも女房を守らなければいけない。それができるのが亭主だと思います。そうすると、女房が亭主を尊敬するということになると思うのです。子供は女房が守ってくれます。しかし女房を守れるのは亭主しかいない。だから、一生かけて女房を守る。これを戦後の男はやらなくなってしまった。そこに亭主の威厳の消失があるのではないかと思うのです。(p.51)
 現在は、格差社会が進行して、経済的に結婚できない状況の人々が多くなっている。男にとっては、守るものがない、守れない、馬鹿にされるという悲惨な状況である。
 非常に重大な国力の損失である。

 

 

【無給勤務】
 葉室先生がお医者さんだった頃の話。整形外科を学びたいがために、当時たった一人しかいなかった織田博士のところに頼みに行った。2度追い返され3度目。
 本当にしつこいやつだ。それだけ習いたいのなら、おれの言うとおりにやるかと言うから、何でもやりますと言いました。そしたら月給ははやらない。月謝を払え(笑)。そこで私は、ここに来るために私はほかの病院を辞めなければならないので、収入はありません。ですから、月給はいりませんから、月謝だけは勘弁してほしいといいました。先生は、あつかましい野郎だなと言われましたが、それでもその病院に入れてもらいました。(p.86)
 著者と同じお医者さんの福島孝徳先生のお父様は、戦後明治神宮の復興に尽力された方だった。お金に関することを言わない清廉潔白な方だったことが、下記の著作に書かれていた。
   《参照》   『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』 PHP取材班編 (PHP研究所) 《前編》
            【福島先生のお父様】

 現在の日常的な生活意識から、神道的教養が殆ど消えてしまっているのだろう。
 やりたいことがあるなら、給料など関係ないのだけれど、以前私は無給行政職参加を要請して拒否されたことがある。公務員などは殆ど働かずに給料をむさぼっているのが常態だから、無給で行政に参加したいというような奇特(奇矯?)な人物など、居てもらっては困るらしいのである。
 無償奉仕としての行政職参加が拒否される社会って、根本的におかしくないだろうか? ほんの50年ほど前までは、地方行政の村長や助役は、手弁当(無給)だったと聞いている。
      《参照》  『官僚の正体』 日下公人・金子仁洋 (KKベストセラーズ)
                【官民共同研修】

 

 

【感謝と太陽の真理】
 反射と感謝の話をいつもやっているけれども、太陽の光というものはもともとただの波動で、明るくも暖かくもない。それが空気に反射したら、明るい光と熱が出てくるのです。
 まず、感謝することが先です。太陽の光というのは反射してはじめて明るさが出てくる。これが真理なんです。まず感謝しなさい。そうしたら神さまのお恵みがいただける。宇宙はこうなっているんですね。(p.99-100)
 太陽は、常に地球に恩恵をもたらす一方だけど、決して見返りを要求しない。まさに陰徳の象徴でもある。
 そのような太陽から日々恩恵を受け取っているのだから、感謝から始めないといけない。

 

 

【宇野千代さんのこと】
 この間、宇野千代という人の本を読んだのですが、あの人は90何歳まで、ただ生きたというのではなくて、現役で活躍していたわけです。小説を書き続けた。すごいと思うんですね。あの人の本を読んだら、私はいっさい運命に逆らわなかったと書いてある。病気でも、病気を治そうとしない。病気と一緒に、病気に身をゆだねて、そのまま自然に生きていた。そうすると自然に病気が去っていくのだと。(p.102)
 運命におまかせ、という生き方。神仏に対してあれこれお願いするような生き方というのは基本的にずれている。不昧因果が基本である。
    《参照》   『運命におまかせ』 森田健 (講談社)
    《参照》   『解決策』 三休禅師 (たちばな出版)
             【不昧因果(ふまいいんが)】

 

 

【「はい」という言葉】
 英語のイエスが、そのまま日本語の 「はい」 だと思っている人がいますが、それはまったくの間違いです。「は」 というのは、よみがえる、生まれるという意味です。「い」 というのは、いのちということばです。ですから 「はい」 というのは、いのちがよみがえってくるという意味の、すばらしいことばです。これが本当の日本語なんですね。(p.123-124)
 生える、発生する、繁茂するなど、「は」で始まる言葉は、 “蘇り、生まれる” という意味を含んでいる。
 「はい」 は “生命の再生” を意味する非常にポジティブな言葉である。
 神道の基本的概念を一言で表すならば、 「結び」 という用語が出てくるけれど、「結び」 こそが 「はい」 を生む根源である。
   《参照》   『枠を超える発想』 石井憲正 致知出版
            【日本文化はムスビの文化】

 

 

【出羽の守】
 「出羽の守」 とは、出羽国(でわのくに)を治める古代~近世の役職名だけれど、ここでは 「では」 という音を当て嵌めて言っているちょっとした皮肉である。
 日本人で何かあると 「アメリカでは」 とか、「外国では」 と比較して言う人が多いでしょう(笑)。 ・・・(中略)・・・ 。なんでもそんなふうに 「どこそこでは」 と言う。それを外国人は 「出羽の守」 といって笑っているのに、それに気が付かない日本人が多いのですね。
・・・(中略)・・・ そうではなくて、日本人としてどう考えるか。これが大切なことで、そして戦後の日本人にはまったく欠けてしまった点だと思います。(p.167)
 カルチャーショックを与える側としての 「出羽の守」 は、それなりに役立つ。そんな縁に触れて、日本と外国とではどうしてこんなに違うのか? と考えてみることは有意義である。しかし問題は、「出羽の守」 たちに日本文化に関する見識が殆ど育っていないし身についていないということなのである。
 “『神道 〈徳〉に目覚める』 ことなき 「出羽の守」たち“ は、やはり、日本人としての教養に欠けているのである。
    《参照》   『ザッツ・ア・グッド・クエッション!』  譚璐美  日本経済新聞社
              【 “マルドメ” 日本人 】

 

 

【夫婦は別々に男女平等か?】
 いまは、民主主義がいちばんいい、男女平等がいちばんいい、権利がいちばんいいという考え方ですが、この考え方はアメリカの知識であって、日本の智恵ではないと思います。これを、アメリカを研究する知識として知ることは結構ですが、それをそのまま日本に持ってくるというのは間違いです。日本人の場合は、みずからにいちばん適した人生観を、祖先が長年の経験から作り上げてきたのです。それはなるべくしてなった人生観です。これを一度戦争に負けたというだけで捨てるということは、大変な過ちです。(p.171)

 日本人の昔の奥さんというのは、外に出ていかない。家でじっと子どもと家庭を守り、そこで主人を支えていました。こういう夫婦平等の生き方をしてきた。それをアメリカ人から見ると、いかにも奥さんが貶められたと見えるだけで、当時の日本人はそんなことを微塵も思っていなかったでしょう。同じ平等でも、アメリカとはかたちが違う平等だということを、いまの日本人は気付いていないと思います。(p.173)

 やはり夫婦というのは一つなのであって、対立しているものではない。これがわからないで、戦後の外国の考え方で、夫婦は別々のものである。一人ひとりの人格があり、権利があるという。そもそもそこに間違いがあるのです。夫婦というものは一つなんです。一つの体である。そういうことが忘れられているのです。(p.175)
 「夫婦というものは一つである」 という考えの根本には、前述した 「結び」 という神道の根本概念があるのはいうまでもない。
 「結び」 が解けてしまえば、「はい」 と言える素直な子どもが育つわけがないのである。
   《参照》  日本文化に関する疑問と回答

 

 

  葉室賴昭・著の読書記録

     『御力』

     『神道〈徳〉に目覚める』

 

<了>