テレビ番組の 『情熱大陸』 で初めて知った福島孝徳医師。この本には、テレビでは紹介されていなかったことがいろいろ書かれている。他の番組でも何度かテレビで紹介されているから、脳外科医として世界最高の技術を持つ福島医師のことを知らない人なんて少ないだろうけれど、本当に知らないのなら、この本を読んでほしい。福島医師の人間としての生き方は、ご家族のみなさんを含めて、ひたすら敬服に値する。
【「神の助けがある男」】
“祈り” と “謙虚さ” を知らない人など、決して “世界一の○○○○” になれない。
【白足袋のサムライ脳外科医】
繊細な動きを必要とする脳の手術は、両手のみならず両足まで使って機器を動かしているのである。
99%まではうまくいったとしても、100%うまくいくということはない。100%は、神様にしか成しえないのだ。
だからわたしは、手術室に入るときは必ず、
「神様助けてください。お願いします」
と心の中で祈る。
・・・(中略)・・・
患者さんがどんな宗教を信仰していようと、
「わたしは、わたしの神様に祈るから、あなたも神様に祈りなさい。神様の助けがないと、この手術はうまくいきませんよ」
ということにしている。
人間が崇める神様は、どこか遠くにいて、たとえ宗教が違っていても、結局は同じものではないか、と私は思っている。
もしも、わたしが本当に 「神の手」 をもっているとしたら。どんな重篤な患者さんでも完治させることができるはずだ。
ところが、現実には、そんなことはありえない。
わたしは 「神の手をもつ男」 ではなく、「神の助けがある男」 なのだ。
わたしの技術に神様の助けがあってはじめて、手術はうまくいく。’(p.20-21)
このように語っていることこそ、世界一の脳外科医であることの証拠。だからわたしは、手術室に入るときは必ず、
「神様助けてください。お願いします」
と心の中で祈る。
・・・(中略)・・・
患者さんがどんな宗教を信仰していようと、
「わたしは、わたしの神様に祈るから、あなたも神様に祈りなさい。神様の助けがないと、この手術はうまくいきませんよ」
ということにしている。
人間が崇める神様は、どこか遠くにいて、たとえ宗教が違っていても、結局は同じものではないか、と私は思っている。
もしも、わたしが本当に 「神の手」 をもっているとしたら。どんな重篤な患者さんでも完治させることができるはずだ。
ところが、現実には、そんなことはありえない。
わたしは 「神の手をもつ男」 ではなく、「神の助けがある男」 なのだ。
わたしの技術に神様の助けがあってはじめて、手術はうまくいく。’(p.20-21)
“祈り” と “謙虚さ” を知らない人など、決して “世界一の○○○○” になれない。
【白足袋のサムライ脳外科医】
繊細な動きを必要とする脳の手術は、両手のみならず両足まで使って機器を動かしているのである。
足袋なら柔らかくて足にフィットするし、違和感なくペダルを操作することができる。
・・・(中略)・・・ 。
白足袋にこだわっているのは、いうまでもなく清潔でなければいけないからだ。
アメリカでわたしは 「サムライ脳外科医」 と報じられたこともあったが、このキャッチフレーズを考えた記者は白足袋姿のわたしを見てサムライを連想したのかもしれない。(p.23)
福島先生が勤めているデューク大学の手術室は、お願いしても清掃してくれないから、先生自身できれいに清掃するのだという。そしたら
・・・(中略)・・・ 。
白足袋にこだわっているのは、いうまでもなく清潔でなければいけないからだ。
アメリカでわたしは 「サムライ脳外科医」 と報じられたこともあったが、このキャッチフレーズを考えた記者は白足袋姿のわたしを見てサムライを連想したのかもしれない。(p.23)
ありがたいことに 「フクシマ・クリーナー」 というニックネームがつけられた。(p.23)
【福島先生のお母様】
高校時代の三年間は、ジャズバンドでドラムばかり叩いていた。
本気でドラマーになろうとさえ思っていた。
しかし、アルバイトをして貯めたお金でドラム・セットを買ったのだが、激怒した母親に燃やされてしまった。
「こんなことばかりやっていたんじゃ、ろくな者にならない」 というわけである。
母親には、ほうきで殴られたこともあった。
それもこれも、すべて母親がわたしを守ろうとしたことだった。(p.40)
「孟母三遷の教え」 とか 「断機の教え」 ってあるけれど、福島先生のお母様の場合は、「燃ドラの教え」 である。つまり、“燃えよ!ドラゴン” のビデオで教育した、ということである。(マジで読まれても、こ・・)本気でドラマーになろうとさえ思っていた。
しかし、アルバイトをして貯めたお金でドラム・セットを買ったのだが、激怒した母親に燃やされてしまった。
「こんなことばかりやっていたんじゃ、ろくな者にならない」 というわけである。
母親には、ほうきで殴られたこともあった。
それもこれも、すべて母親がわたしを守ろうとしたことだった。(p.40)
【福島先生のお父様】
おじい様は豪農であったけれど、テキ屋の元締めという別の顔もあり、罪滅ぼしのためにと、子ども三人をお坊さん、神主さん、お医者さんにしたのだという。
明治神宮は戦後、民営法人になり、政府からの資金はなくなってしまった。
おじい様は豪農であったけれど、テキ屋の元締めという別の顔もあり、罪滅ぼしのためにと、子ども三人をお坊さん、神主さん、お医者さんにしたのだという。
父は、外語大学で哲学を専攻し、それから国学院大学の神学科を卒業して明治神宮の神職になった。以来、神職一筋の人だった。
戦後、明治神宮は存亡の危機に瀕する。
マッカーサーが 「明治神宮はつぶして国民公園にする」 といったのだ。
そのとき、神社本庁の中で、ただ一人英語を話すことができた父は、GHQ(連合国総司令部)にマッカーサーを訪ねて行って、
「あなた方は、日本という国は占領できても、日本人の心までは占領できない、日本人の心を踏みにじるようなことはしないでくれ」
といったそうだ。
だいそれたことをしたものだが、そのひと言がきっかけで、結局、明治神宮は国民公園にされずにすんだのだという。(p.42-43)
お父様は単に明治神宮の敷地を守っただけではない。戦後、明治神宮は存亡の危機に瀕する。
マッカーサーが 「明治神宮はつぶして国民公園にする」 といったのだ。
そのとき、神社本庁の中で、ただ一人英語を話すことができた父は、GHQ(連合国総司令部)にマッカーサーを訪ねて行って、
「あなた方は、日本という国は占領できても、日本人の心までは占領できない、日本人の心を踏みにじるようなことはしないでくれ」
といったそうだ。
だいそれたことをしたものだが、そのひと言がきっかけで、結局、明治神宮は国民公園にされずにすんだのだという。(p.42-43)
明治神宮は戦後、民営法人になり、政府からの資金はなくなってしまった。
焼けてしまった社殿を復興することもできない。
それで父は、外苑を整備して野球場を作り、憲法記念館の明治記念館を結婚式場にして、その収益金で内苑をきりもりした。
さらに、経団連をはじめとした財界から浄財を集めて、わたしが高校一年生のときに明治神宮を復興したのだ。
その後も、引き出物の会社や料理会社を作ったり、外苑にテニスクラブを開設してレストランを作ったりもした。
とにかく明治神宮のことしか頭になかったわけで、その意味では、立派な父親だったと思う。
しかし、自分の子どもには何もしない人だった。
だからわたしには、父親に可愛がってもらったとか、どこかへ連れて行ってもらったという記憶は、いっさいない。(p.43-44)
お父様は、豪農だった祖父が残した大きな土地の相続も、すべて放棄したのだという。
それで父は、外苑を整備して野球場を作り、憲法記念館の明治記念館を結婚式場にして、その収益金で内苑をきりもりした。
さらに、経団連をはじめとした財界から浄財を集めて、わたしが高校一年生のときに明治神宮を復興したのだ。
その後も、引き出物の会社や料理会社を作ったり、外苑にテニスクラブを開設してレストランを作ったりもした。
とにかく明治神宮のことしか頭になかったわけで、その意味では、立派な父親だったと思う。
しかし、自分の子どもには何もしない人だった。
だからわたしには、父親に可愛がってもらったとか、どこかへ連れて行ってもらったという記憶は、いっさいない。(p.43-44)
遺産は人を駄目にするから、というのが放棄の理由だった。 ・・・(中略)・・・ 。
それがきっかけで、わたしは自活の道を真剣に考えはじめたのだった。
今思えば、父は本当に筋が通った、清廉潔白を絵に描いたような人だった。 ・・・(中略)・・・ 。
わたしは知らないあいだに、
「背筋を曲げるな」
「お金のことをいうな」
「社会のために尽くせ」
という教育を受けていたのだ。 (p.44-45)
それがきっかけで、わたしは自活の道を真剣に考えはじめたのだった。
今思えば、父は本当に筋が通った、清廉潔白を絵に描いたような人だった。 ・・・(中略)・・・ 。
わたしは知らないあいだに、
「背筋を曲げるな」
「お金のことをいうな」
「社会のために尽くせ」
という教育を受けていたのだ。 (p.44-45)
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