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 神を行ずる整形外科医から神社の宮司さんに転身した著者が、日本人の生き方を語っている。

 

 

【日本人本来の生き方 : 神様にお悦びいただく】
 神様の素晴らしさを認め、そして神様にお悦びいただこうというのが神道。そしてこれが日本人本来の生き方です。(p.30)
 神前で奏上される祝詞って、基本的に神様へのオベンチャラである。神様に喜んでもらうために言葉を尽くしてムチャクチャ褒めあげてゆく。つまり、神道は祭祀の基本から言って長所進展法なのである。
 なぜ長所進展法が大切なのかと言うと、自他の区別がつかないという脳の構造特性に関与している。神さまを褒めながら実は自分をも褒めているのと同じことになり、褒められると脳はドーパミンを分泌する状態になり、それはとりもなおさず運が良くなるための前提なのである。

 「情けは、人のためならず」という諺があるけれど、同じように「長所進展は、神様のためならず、人のためならず」と言える。
 ところが、現代はまったく逆のことをやっていて、テレビでも新聞でもそうですが、世の中のただ悪いことばかり言っている。 ・・・(中略)・・・ こんなことが続くと神様の気、いのちが衰えていき、国がどんどん滅んでいきます。ですからその反対に、今まで述べてきたように、神さまの素晴らしさを認めるように何ごともそこに長所を認める。どんな人でも、その良さを認めるということが非常に大切な時ではないかと思うのです。(p.30-31)

 

 

【日本人本来の生き方 : 自分以外のもののために生きる】
 神様や人々を認め、自分以外のもののために生きるということが日本人本来の生き方だと思うのです。(p.30)
 これは積徳に関わる基本的なこと。日本人は古代から積徳の大切さを知っていた。
   《参照》   『神道〈徳〉に目覚める』 葉室賴昭 (春秋社) 《前編》
             【徳を積む】
   《参照》   『神さまが教えてくれた幸福論』 神渡良平・小林正観 (致知出版) 〈前編〉
             【「ナガタ」「ナガサキ」:天地を貫く幸せの原理】

 

 

【本当の男女平等】
 女性の中には、子育てだけが人生じゃない、女には女の人生があるんだと言う人がいますが、生物学的に言えば、子育てを除いた女の人生というものは存在しません。いのちがけで子供にいのちを伝えていくというのが女の人生。いのちがけで女房を守っていくというのが男の人生。どれはどっちが上、どっちが下とかいうことではなく、それが男女平等ということだと思います。何も男が女と同じことをする、女が男と同じことをするのが男女同権とは違います。(p.47)
 下記リンクに示すように、諸国家の文化を破壊する目的で、女性の社会進出が推進されてきたという裏側の事情は知っておいた方がいい。
   《参照》   『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《前編》
             【ウーマン・リブ運動の企み】

 陰陽(男女)という二元性の原理に基づく地球で生きている人間は、それぞれの性差を無視すれば個体は連鎖せず滅んでしまうというのは、あたり前のこととして理解できる。だから、神道は陰陽の“結び”ということを非常に大切にしている。陰陽を結んで一なる全体が完成する。この絶えざる繰り返しによっていのちが伝えられてゆく。
 この本の中には、「いのちを伝えていく」という表現が頻繁に記述されている。生命だけでなく人間にとって大切なあらゆるものを意味するために、漢字の「命」ではなく敢えてひらがなで「いのち」と書かれている。
 ところで、二元性が支配する星で生きている地球人類の進化レベルでは、SFじみて聞こえるかもしれないけれど、科学技術が進みその進化が高度な域に達すれば、人類は両性具有へと収斂して行き、結婚しなくても子供がいなくても何ら支障のない世界に住むようになってゆくのである。そこでは生死も必然ではなく、何かを経験するとか使命を帯びて意志的に選択する場合のみ、生死を経過することになるのである。

 

 

【”無我”の手術】
 私は整形外科の医者として長年多くの人の、顔の手術を行ってきましたが、その時、神様のお導きで手術をさせてもらおうという気持ちがなければ、神様の美の表れである人間の顔は形成できないと思っていました。それで、神様に近づくことばかりしていました。皆が自分の技量だけで手術をしようとしている中で、そうではなく、神様と一つになろう、神様のお導きで手術をさせていただくのだという、そんな手術を目指したのです。それは誠に厳しい人生で、そんなことをしている医者は他にいなかったと思います。 ・・・(中略)・・・ 。こちらが神様に近づかなかったらできないと思い、”無我”というか頭を使わないで手が勝手に動くという、そういう手術を目指してずっとやってきたわけです。 ・・・(中略)・・・ 。
 その厳しい人生を歩んで、そして63歳の時、とうとう神様に導かれた最高の手術ができて、できたなと思った時に、枚岡神社の宮司になりました。神様は整形外科の手術を通して神と一体になることを経験させておいて、神社の宮司に導かれたのです。何と凄いことを神様はされるのかと思いました。(p.73-75)
 神道の最終目的は、「神人合一」であり、「神と一体になる」ことにある。それは「神を行ずる」とも表現されるけれど、そのためには、“無我”になることが必要なのである。無我になっても精神の基調が、邪であれば邪霊が、拝金であれば金毛九尻の狐さんが魂に憑依してしまう。高貴な神を行ずるのであれば純粋な魂であることが不可欠であるらしい。
 著者の葉室家というのは藤原氏の氏族で、もともと春日大社と縁のある家系だったらしい。
 脳外科の名医である福島医師も、お父様は明治神宮の復興に尽力されていた方だった。
 お二人に共通しているのは、お金目的で医者になったのではない、という当たり前のこと。
   《参照》   『福島孝徳 脳外科医 奇跡の指先』 PHP取材班編 (PHP研究所) 《前編》
              【「神の助けがある男」】 【福島先生のお父様】