おはようございます。
夜勤明けで仕事でございますが頑張ります
仕事があるだけでもありがたいです
この前武田神社から武田家のお寺は、臨済宗&曹洞宗
いっぱいありますね
では東光寺から行って見ましょう
東光寺の歴史
当山は法蓋山東光寺といい、臨済宗妙心寺派の寺である。
草創は平安時代末期、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が
保安2年(1121)国家鎮護仏法興隆の祈願所として
諸堂を健立。
そして案内板
案内板
武田信義公のお墓があります。武田(諏訪)四朗勝頼公のお兄さん
お茶をあげました
父との確執・・・もしくも今川義元公の娘を貰ってます
義元公が急死後・・・信玄公は駿河をおさえ東海地方へ進出を心に決めていた
でも信義公は、反対・・・僕も反対しますね
義信を当寺へ幽閉した
信玄は親今川派で守り約⇔飯富虎昌公を成敗。
永禄十年(1567)十月、信義公は死んだ
死因は自殺・病死ともいわれ、真相はわかってないそうです。
落ち着く場所は、庭園・・・この庭園は、中国を表してるそうです。
武田義信公の辞世
雲もなく晴れたる空の月かげに
夜とはみえぬ瀧の白糸
みなさん権力は、維持は出来ませぬ
いつかは、崩壊します
あいさつから始めよう・・・近すぎず・・・遠すぎず
尊敬しあえるような世の中でありたいよね
て僕は、いつも謙虚で頑張ります。