映画ドラえもん のび太の地球交響楽@109シネマズ木場
毎年恒例の映画ドラえもんシリーズの最新作。
リコーダーが苦手なのび太は、音楽の授業を受けなくて済むように、
ひみつ道具『あらかじめ日記』に、「今日わ音楽がなかった。たのしかった」と記入する。
すると、世の中から音楽そのものが消えてしまい、人々はなんだかイライラし始める。
のび太もただ音楽の授業がなくなればいいだけだったので街の様子に驚き、日記のページを破いて世界を元通りにする。
たった半日、音楽が世の中から消えただけ、、、そう思っていたが、その瞬間に世の中は崩壊への道へと向かっていた、、、
映画版には珍しく、明確な悪役がいない物語であった。
無機質な「ノイズ」と呼ばれる宇宙生命体が、星を襲い、破壊していく。
今回は地球がそのノイズに狙われてしまう。
そのきっかけは、のび太がやらかした音楽を無くした瞬間につけ込まれたことによる。
実はノイズは何かを狙うのではなく、ただ音楽が無くなることで莫大に増殖する特性があるだけなので、破壊への理由がないのである。
のび太たちが出会うミッカという少女の故郷である惑星ムシーカは、音楽をエネルギーとする星で、ムシーカ星人は自らが作り出したロボットたちと平和に音楽を奏で暮らしていた。
そのムシーカにもノイズの手が伸び、母星は崩壊し、なんとか救命艇的な「ファーレの殿堂」で地球圏までやってきたのである。
そこまで音楽に溢れた星であれば、どのタイミングでノイズのつけ込む余地があったのかが若干疑問だが、、、
映画としては、悪いものを倒すために音楽を用いるというのが、現代性なのだろうと感じた。
武器ではなく、芸術で戦う、というのもアリなのだろう。
ただ、ピンチになった時にドラえもんがポケットから出したものは、お馴染みの「空気砲」であった。
こういうところも、正直現代とドラえもんの世界の乖離が強くなってきているなによりの証左だろう。
あれほどすぐに暴力を振るうガキ大将がいたら、保護者会で糾弾されるだろう。
0点を連発する小学生がいたら、それは先生の教え方に問題があるのだと思う。
ニックネームは禁止なので、彼は学校では剛田さん(男女問わずさんで呼ぶ)と呼ばれることになる。
藤子・F・不二雄先生の仰る「SF(すこし不思議)」は、生活習慣的には「すごく不思議」な世界になってしまったのだろう。
のび太も、せっかく未来の子孫がもたらしてくれたロボットを騙し、その道具を濫用するなど救いようがない。
そして、結局は自己努力も最小限で済むように画策する。
微笑ましく見れるもの、ではなくなったような気がするのは私だけだろうか。
話は脱線するが、今回はエグゼクティブシートで見たのだが、
到着してみると、中学生くらいの2人組が我々の座席に座っていた。
係員に指摘してもらったのだが、他の一般席と間違えて座っていたようだった。
そもそもそこが他の席とちょっと違うことに気が付かないものだろうか。
こういったことも、映画館という産業からお客さんが離れていっていることの顕れな気がした。
目標まで、あと87本。