先日、とある会合で知り合いの演出家と話をしていたら、最近は「女優」という言葉を公的に使ってはいけないと注意された。また、お笑い関係のスタッフの人と話をしていたら、最近は芸人が舞台に登場する際に「レディース&ジェントルメン!」と観客に呼びかけるのもいけないらしい。「ハロー・エブリワン!」と言うのだそうである。なぜかと言うと、どちらもに男女の性差別につながる言葉だからだそうである。わたしにはどこが性差別に該当するのかよくわからないので、頭の中が「?」でいっぱいになった。


ところで、わたしは2月27日のブログに「刑務所の言葉」と題して、以下のようなことを書いている。


《法務省の指示により、刑事施設(刑務所など)で使われる言葉が見直されているという記事を読んだ。一つは今まで呼び捨てだった刑務官の受刑者に対する呼称を名字に「さん」をつけて呼ぶ方針を打ち出したこと。小泉龍司法相によれば「人間の心は言葉とつながっている。言葉がゆがむと、虐待的な行動が誘発されかねない」と伝えられだが、法相のすぐれた見識を感じる。言葉を扱う仕事をしている人間として言わせてもらうなら「まさにその通り!」と思うからである》


この文脈で言えば、言葉の変革こそ精神の変革であり、言葉をいかにデリケートに使うかによって人間の差別的な精神を是正することはできるとわたしは考えているわけである。だから、「女優」も「レディース&ジェントルメン」も、それらに差別的なニュアンスを感じる人が存在する事実はきちんと認識すべきだと思う。しかし、刑務所の言葉の変革とは裏腹に、これらの言葉を使うことを禁じる動きに疑問を抱く。


演技することを生業とする女性を「女優」と呼ぶのはよくないと主張する人の言い分は、おそらく「看護婦」や「スチュワーデス」という言葉がそれぞれ「看護士」「キャビンアテンダント」という言葉に変わったのと同じ意識の結果であろう。ともに女性専門ではないからである。また、「レディース&ジェントルメン」が好ましくないと主張する人は、観客席にいるのは男女だけではなく、性同一障害の人たちもいることに配慮せよということだと想像する。まあ、そう言われれぼ「お説その通り」とうなずくしかない。しかし、そこまで細かく言葉を規制しなくてもよいではないかと思ったりもする。


アナタに「お前は刑務所の言葉を変えることには賛成なのに、こちらの言葉を変えるのは反対なのか!?」と詰め寄られたら黙るしかないのだが、言葉を失くすことはその精神を失くすことと同義である。あらゆる物事に対して不寛容な時代の功罪。


✳国語辞典。(「三省堂」より)