科学という「ともしび」をつないでいく重み…山中伸弥教授のノーベル賞受賞を祝福して
こんにちは。橋本です。
2012年のノーベル生理学・医学賞が、先日10月8日に発表されましたが、この発表は日本にとって歴史的な出来事となりました。
言うまでもなく、受賞したのが、京都大学教授の山中伸弥(やまなか・しんや)iPS細胞研究所長(50)だったからです。
だって、初めての純国産の研究なんですよ
一般的には、日本人はそこそこノーベル賞を取っているというイメージがあるかもしれません。
たしかに日本は化学賞に強く、これまで7人を輩出しています。
しかし、生理学・医学賞はというと、これまで利根川進教授ただひとり。
それも利根川教授の受賞は、スイスで研究した内容でアメリカ在住時に受賞したものです。
「純国産」の生理学・医学賞は、これが初めてといってもいいのかな、と思うんですね。
「日本で生み出された研究」として、歴史的に大きな意味のある受賞だということを、きっちり押さえておく必要があるとも思っています。
そして、日本の医師がノーベル賞を受賞したのも、これが初めてです。
教科書の「常識」を書き換える発見
2012年のノーベル生理学・医学賞は、2人の共同受賞ということで、もう1人の受賞者は、ジョン・ガードン英ケンブリッジ大名誉教授(79)。
「何度も分裂を繰り返した成熟した細胞は、もう元に戻らない」
この学校の教科書にも「常識」として書かれている事実をひるがえす大きな発見をしたのが、ジョン・ガードン教授。
そのジョン・ガードン教授が開拓した研究をもとに、その後、人工多能性幹細胞(じんこう・たのうせい・かんさいぼう)…。
その後、様々な能力を持った細胞になることができる、タネとなる細胞。
そう。もうニュースでおなじみのiPS細胞(アイ・ピー・エス・さいぼう)を世界で初めてマウス、さらにヒトの皮膚から作製する方法を確立したのが、山中伸弥教授です。
まさに、教科書の内容を書き換えなければならなくなるほどの発見です。
ここまでの発見は、そうあるものではありません。
大人の皮膚の細胞を「リセット」させて、胎児のような「多能性」を持った細胞にすることに成功したのは、「超」を通り越すぐらい大きなインパクトのあること。
「人間がタイムマシンを手に入れた」と言っても、あながち間違いではないといわれています。
まるで映画の中のような話。
iPS細胞の不思議さを、山中教授自身は、著書でこう話しています。
iPS細胞から作った心筋細胞がドクッ、ドクッと波打つ様子をはじめて見たときの衝撃がぼくの脳裏に焼きついています。
もとは皮膚の細胞だったのに、心臓のように拍動していたのです。
iPS細胞から作られたさまざまな種類の細胞を見ると、いまでも不思議な気持ちになります。
- 山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた(講談社): 山中 伸弥, 緑 慎也, p.1より.
「まさに日本という国が受賞した賞」
山中教授の受賞決定後の会見で印象的だったのは、「私が受賞できたのは、国の支援のおかげだ」という発言です。
もう、あれですね。
「謙虚さ」が服を着て歩いてるような感じ。
会見を見ていて、山中教授をそう思わずにいられませんでした。
山中教授の発想、執念、ハードワークがなければ、実現できなかった成果……。
それを、偉ぶることなく、「無名の研究者だった私を、国が支援をしてくれたおかげで実現できた」と堂々と言い切ってしまう。
なんとも、器の大きさを感じるというか、なんというか。
山中教授自身の言葉で人生とiPS細胞について語った本、「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた(講談社)」も読んでみました。
この本で感じるのは、山中教授の正直さ、誠実さ、一所懸命さ、です。
そうした人柄からか、ほかの研究者からの推薦状が多かったのも、ノーベル賞受賞につながったともいわれています。
本では、山中教授がどういう道のりで、iPS細胞の作製にたどりつき、iPS細胞について、どこまでわかってきたかがわかります。
しかも、なるべく必要以上の専門用語は避け、わかりやすい言葉を使って説明してくれる素人向けには現時点ではベストなiPS細胞の解説書です。
マウスの世話に明け暮れる日々。
それから、自分の研究に理解してくれる人がいなく、「もうちょっと医学の役に立つことをしたほうがええんやないか」とアドバイスを周囲から受けたというエピソードには涙が出てきてしまいます。
最初は整形外科の道を選んだが、ほかの医者が20分で終わる手術に2時間ほどの時間が掛かったりしたため、「ジャマナカ」といわれていた。
その挫折(ざせつ)から研究者の道に転向したことで、幸運にもiPS細胞の研究につながった、的なことがよく報道されています。
しかし、山中教授の話を実際に聞いてわかるのは、人より手術に手間取ってしまったのは、決して手先が不器用だったからではないこと。
患者さんのことを気遣う思いの強さと経験の少なさ、そこから来るプレッシャーから手間取っていたんだなということがわかります。
患者さんのことを気遣う思いの強さ。
研究者になってからも、この思いの強さ、想像力は変わることなく、「iPS細胞を実際の治療として実現させる」という大きな原動力にもなっているように感じます。
山中教授は優秀な研究者じゃない?
現在の研究環境について話を聞いてみると、山中教授はイメージ通りの「ひたすら研究を続ける優秀な学者」ではないことがわかります。
iPS細胞を医療として実現させる……そのプロジェクトのリーダー。
そういったほうがふさわしいしいのかな、と。
実際、問題や仮説を立てるのは山中教授であるものの、それを検証するための実験をするのは研究室に所属する若いメンバー。
彼ら、彼女らの大胆なアイディアも取り入れ、それがiPS細胞の早い実現につながったので、山中教授は、「(彼らには)足を向けて寝られません」と照れくさそうな感じで語っています。
山中教授の仕事は、すでに「研究そのもの」ではなく、研究をその後どうしていくのかという「将来のビジョン」を作っていくことのようなんですね。
iPS細胞を実際の医療として実現していくためには、あと何が必要か。
どんなステップを踏んでいけばいいのか。どんな問題点があるのか。
そういったものを明らかにして、はっきりした「ビジョン」をしめして、協力してくれる人たちを引っぱっていくのが、山中教授の大きな役割になっています。
だからこそ、山中教授は研究そのもの以上に、「プレゼンテーション(聴衆の前で発表すること)を重要に考えている」というのも、うなづけます。
大きな発見につながる研究も、研究資金が工面(くめん)できなければ、続けることができません。
たとえば、国からの研究への予算も、研究そのものの評価よりも、プレゼンテーションの良し悪しで判断されてしまうのも現実のようです。
プレゼンテーションを学んだことで人生が大きく変わったことを、山中教授は次のようなエピソードとして話しています。
1999年から4年間、私は奈良最先端科学技術大学院大学で、誰にも注目されずに「細胞の初期化」の研究を細々としていました。
もちろん研究費はほとんど出ていませんでした。
その状況が大きく変わったのは2003年のことです。
科学技術振興機構のプロジェクトに応募して、必死のプレゼンをした結果、年間5000万円の研究費が5年間支給されることになったのです。
このときの審査で、研究総括である岸本忠三先生(元・大阪大学学長)に、海のものとも山のものともしれない私の研究を「面白いじゃないか。芽が出そうな研究だ」と評価して頂いたことに、心から感謝しています。
- 「大発見」の思考法 (文春新書): 山中 伸弥, 益川 敏英, p.143より.
最後に研究を花開かせるか、最大の決め手になってくるのは、研究の内容だけではなく、教授のような「人の心を動かす」まっすぐな心なのかもしれません。
科学は「すべてオープン」にしている
山中教授のリーダーとしての責任は、私たちには想像できないくらい大きなものだと思います。
ノーベル賞を受賞したことで、それがより大きくなったのは、間違いないのかなと。
このような「将来のビジョン」を作っていく仕事は、研究だけの分野に限りません。
それは、たとえば、特許の問題だったりします。
せっかく研究がさかんになっているiPS細胞ですが、iPS細胞の利用方法について個人や企業が特許を取ってしまうと、自由にiPS細胞を研究できなくなってしまう……。
このことが、iPS細胞を医療の現場に実現してく過程で大きな障害になる危険性があるわけです。
そうならないために、iPS アカデミアジャパン株式会社という組織を作って、企業が特許を独占しないように活動しています。
科学研究のいいところは、「すべてをオープンにしている」ことです。
科学では、実験で検証してわかったことは、論文にされ、すべて公開されています。
この「すべてオープンにする」という原則があるからこそ、新たな研究が生まれ、その成果を誰でも知り、利用することができます。
さらに、実験に間違いがあれば指摘され、きちんと批判もされるわけですね。
利益を確保しなければいけない企業では、このように「すべてオープンにする」というようなことができません。
そのために、企業は特許を取りまくるわけです。
しかし、特許によって企業が研究の大事な部分を非公開にしてしまうことは、いろいろな人が研究をするチャンスを奪ってしまい、結果的には研究の発展が遅れてしまうことになりかねません。
試される日本人の良心
結局、こうした研究は、多くの研究者が国内外の壁を越えて、自由に協力していかないと実を結びません。
ノーベル賞を受賞するに至った山中教授のiPS細胞も、もともとは芽が出るかどうかは、誰も保証ができるものではありませんでした。
それを、仮説…実験…検証…という気の遠くなるようなハードな繰り返し。
「科学という灯火(ともしび)」を多くの人がつないでいくことによって、奇跡的にできたもの、でもあるのです。
今回のジョン・ガードン教授と山中伸弥教授の同時受賞は、くしくも、科学が灯火をつないでいく作業であることを象徴しているようにも思えます。
しかも、iPS細胞は、「日本で生み出された研究」といっても言い過ぎではありません。
これから先も、この「科学という灯火(ともしび)をつないでいく」ことを、いかに日本人が理解して、支えていくかが大切になってくるように感じます。
日本で生み出されたiPS細胞の研究。
これが医療として実現し、日本がその分野で世界をリードしていけるか。
科学をイメージや思い込みではなく、正しく理解し、日本人全体がまっすぐな心……良心で支えていく必要があるのではないかな、と思うんですね。
そう。科学に対して、過度に期待することなく。過度に失望することなく。