今日の日経新聞「Myニュース(日経電子版で私がフォローしている記事)」では、

京都(それも哲学の道近辺)の話が目につきました。

 

まず「美術十選」。

光と影のデザインと題して、照明デザイナー面出薫さんが

詩仙堂の光にスポットライトを当てています。
 

詩仙堂では、縁側から一歩下がってみるのが好きとのこと。

以下の様な光のマジックを味わうために。

畳の目に落ちる陰影が外に向かって徐々に消えて行く。

 

 

さらに、夕刊「あすへの話題」の筆者、京都大学教授 根井雅弘さんの本日の話題は

哲学の道と西田幾多郎の歌碑の話。
 

かつて哲学者・西田幾多郎がこの道を歩いたことからの命名といわれる哲学の道。

それを踏まえ、筆者は以下のようにつぶやきます:

哲学の道も今ではおしゃれなお店ができて、西田が歩いていた当時とは様変わりしているので、「哲学する」人がいても騒々しくて何かよいアイデアがわくとは限らないかもしれない。

 

去年の京都旅行の折り、哲学の道でこの幾多郎の歌碑は見ました。

 

人は人 吾はわれ也 とにかくに

吾行く道を 吾は行なり

 

とか書かれているようですがー

 

 

 

文の切れ具合が奔放ということもあり、当時よく読めませんでした。

なるほど、こんなふうに改行されていたのか・・・

 

人は人吾

はわれ也とに

かくに吾行

く道を吾

は行なり

 

その西田幾多郎氏は、

「本当に読んだという書物は極僅(ごくわずか)なものであろう」とエッセーに書いているそう。

 

大学者の西田にしてそうならば、まして読むレベルがそれよりはるかに劣る凡人は、

読んだと胸を張って言えるものはさらにごくわずか、ということなのだろう、、

そんなニュアンスで文章は締めくくられています。

 

 

 

筆者も書いているとおり、おしゃれな店の出現で、思索にはやや不向きと

なってしまったことは否めないでしょうが、、、

 

 




それでもまだまだ、古き良き時代は十分残されています。

(もっとも、海外渡航が解禁になったばかりの去年の秋は、旅行者数が少なかったので

哲学の道”らしさ”を随所に感じたけれど、昨今旅行者同士がぞろぞろすれ違う

ちょっと暑苦しい光景へと様変わりしているかも?)



 

 

そういえば、数か月前の日経新聞「人間発見」では、古書修復家 板倉正子さんが

西田幾多郎のノートの修復を行った話を書いてました。

修復前のノートは、雨に濡れてカビに覆われていたそうです。

根気力を試される大作業でした。

 

そして文中、やはり哲学の道にも触れています。

やはり、幾太郎というと哲学の道を想起する流れ。

 

 

日本を代表する偉大な思想家・西田幾多郎と鈴木大拙は、ともに石川県出身で同級生。

長い歴史の中で何かがピンポイントで同時多発することってあるものです。

 

2人の記念館には、コロナ渦到来前に足を運びました。

前者の設計は安藤忠雄、後者は谷口吉生。

 

西田幾太郎記念哲学館では、夕日に照らされた様子に陶然となり、

鈴木大拙館では、水面に浮かぶクールビューティに癒された、、なつかしい思い出です。