今回金沢の旅の一番の目的は、

鈴木大拙館への訪問でした。

 

本館は、先に森美術館で開催された「建築の日本」展でも

取り上げられていたとおり、建築に特色があります。

 

 

仏教哲学者 鈴木大拙氏の業績を伝えるだけでなく、

静謐な空間を通して思索を行うことを促す場所でもあります。

 

 

設計者は谷口吉生氏。

1年前に日経新聞・私の履歴書で特集された著名な建築家です。

 

東京国立博物館・法隆寺館も彼の設計でした。

法隆寺館同様、建物の前面に水が湛えられていて

どこか共通点を感じますが、こちらのほうが、水の表情が豊かだと思います。

 

 

 

 

場所は、21世紀美術館から10分ほど南下したところにあります。

 

入口はこのようになっていて、水のある中庭とは雰囲気が異なります。

見る角度によって違う表情を見せてくれるのです。

 

 

 

 

入り口を入るとまずは長い廊下。

怪しげな光が廊下を照らす中、この長い通路を歩くうちに

心落ち着くのを感じます。

 

 

 

鈴木氏は、仏教学者として相当量の書を残したようで、

展示室内には岩波書店の40巻にも及ぶ著書が置かれていました。

 

鈴木氏のことばがかかれたメモ書きを1枚ずつ集めつつ、

中を進みます。

 

「苦の経験は誰にでもある。

そしてあらゆる宗教は厭世から出発する。

何となれば、何かの形で苦の経験がなければ、人生に対してなんら

の反省のあるわけがない。

そうして反省がなければ宗教もまたないわけだからである」。

 

といった言葉が並びます。

 

 

深淵な宗教の世界を極めた方なのでしょうが、

それをかみ砕いて言葉にしたためたようです。

 

 

そうして言葉を拾いながら歩くうちに、

こちらにたどり着きました。

 

緑と水に満たされたこの建屋の中は:

 

 

 

 

学習空間と呼ばれるスペース。

 

床に置かれた畳の椅子に腰かけ、静寂の中、世の中の真理に思いをめぐらせる、、

べき場所なのでしょうが、そこまでの境地には至らず、

とはいえ静かな時を愉しみました。

 

 

 

 

 

水面からは何の前触れもなく、ときおり水が吹き出ます。

 

ごぼごぼ、という音ともに水がわき出でて、

水面に輪を広げながらやがて収束。

 

 

 

 

 

隣では夫があめんぼの撮影↓にいそしんでいました。

あめんぼの作る影が拡大して4つのシミになる様子に無我夢中。

 

一眼レフで撮影するほどのものではないと思うのですが・・・。

 

 

鎖桶を伝う水も、やさしい音を奏でます。

ぽと・ぽと・・・

雨が降っているわけではないので、おそらく水を上から少しずつ流す仕組みなのでしょう。

 

そうして落とされた水滴が水の上に不規則な紋をつけていく様子に

魅せられます。

 

 

ここでは水の音、波紋といったごくささやかなものに

神経が集中し、大きな悩みがたとえあったとしても、

しばし忘れることができそうです。

 

静かなもののパワーを感じるひととき。

 

 

 

 

わきにある手水鉢は、もしかして禅の教えを表すのでしょうか?

というのも、形が丸、三角、四角からできているから。

 

出光美術館の仙厓展の解説で見た記憶があります。

丸、三角、四角は禅では意味があるのだ、と。

 

四角い人間が、修行で角が取れて三角になり、

悟りを開いて丸くなっていく、、、そんな内容だったかと。

 

 

あるいはこの鉢、起き上がりこぼしのようにも見えるので、

様々な形=経験を通して七転び八起きしていく人間の人生を表す、

なんていう解釈もできるかもしれません。

 

正解が書かれていないので、勝手にいろいろ思いめぐらせます。

 

 

 

 

 

 

曲線はなく、シンプルでシャープな直線で構成される鈴木大拙館。

そぎ落とされた美に心動かされます。